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22/27

終わりを告げた木曜日

登場人物

東条 一  :二十二歳 俺

佐々木 裕人:二十歳  俺?

白井 伊織 :十七歳  俺? いや私? 女子高生

渡瀬 沙紀 :二十二歳 俺? いや私? 美しいOL?

石田 大造 :六十代男性 俺? いや……おっさん


由香    :遠距離恋愛していた元カノ。『サヨナラ』の置き手紙でフラれた

係長    :鬼のような(?)係長

斉藤 美奈 :二十四歳 隣デスクの少し気になる女性。父親が会社の専務

斉藤専務  :閻魔大王のような(?)専務



 斉藤が今日はどんな顔をして出勤してくるのか楽しみだ。


 楽しみがあると出勤するのも楽しくなる。単純なのだがそれでいいと思う。会社のビルに入りエレベーターを待っていると、後ろから誰かの気配を感じて振り向いた。さっそく斉藤のお出ましだった。

「よお、おはよう。昨日は……」

 そこまで言ったとき、斉藤は思いっきり俺の頬を打った。


 ――パッシーン!


 出勤時でにぎわうロビーはその音で一度静寂が走る――。

 ほとんど全員が俺と斉藤の方を見た。


 意味も分からず、なにを言っていいのかさえも分からない――。

 斉藤は両目に……涙を浮かべている? 冗談でもふざけてもいないのは、その真剣な表情で分かった。

「あなたって、ホントに最低!」

 小さな声で呟くように言い、そのまま走り去ってしまった……。


 始業時間までまだ時間はあるが、斎藤はもう戻ってこない気がした。意味が分からない俺は……、斉藤を追いかけることすらできず、ただ一人エレベータに乗り込み考えた。


 俺が昨日……なにをした……。


 叩かれた赤くなった頬を手でさすった。

 昨日は彼女も楽しんでいたはずだ。もし酔っ払って記憶がないにしても、いきなり何も言わずに叩くことはないはずだ。

 もしかすると、斉藤は父親に怒られたのかも知れない。それで……そのやり場のない怒りを俺にぶつけ……た。そんなはずないよなあ~。それならそれで理由ぐらい言うだろう。エレベータが止まって俺は降りた。


 自分の席に着く。隣のデスクに斉藤の姿はない。

 連絡するべきか、しないべきか。

 ――やはり、するべきだろう。


 せめて怒っている理由くらい聞かなければ、謝るにも謝れないではないか。スマホに出る可能性は極めて低いだろうなと思いながら、ポケットからスマホを取り出そうとして気がついた。

 スマホを忘れて出勤してきたことに――。


 頭の中が真っ白になり、そこに次々と最悪なシナリオが書きなぐられていく――。


 一つ確実なシナリオ……それは斉藤が今日の朝、俺のスマホに電話を掛けたこと。

 そして、誰かが通話に出てしまったこと――。


 それで彼女は抑えきれないくらいの怒りを感じたのではないだろうか……。であるとすれば、スマホに出たのは恐らく沙紀か伊織だ。

 頭を押さえてデスクにうなだれる。しかし、そうもしていられない!


 会社の電話で俺のスマホへ電話を掛けた。――いったい誰が何を話したというのだ!


 スマホに誰も出ない――。


「くそ! なんで誰も出ないんだ――!」

 余計な時には出るくせに! 肝心な時に出ないあいつらに俺の怒りは頂点に達した――。


 あいつらが来たせいでろくなことがない――!

 いつまで居座るつもりだ――。


 トゥルルル、トゥル、ツー、ツー、ツー、ツー……


 今日こそ全員追い出してやる――。

 受話器を握りながら、電話を睨みつけていた……。


「東条。ちょっと来い」

 受話器を握る俺に、係長がそう言った。返事をするでもなく受話器を置いて係長のデスクへと向かう。

 先ほどの……ドラマのワンシーンのような現場を目撃されたのだろう……。

「東条、お前も斉藤のお父さんのことくらいは知っているな?」

「ええ、なんでも、この会社のえらい偉いさんらしいですね」

 ワザと憎まれ口を叩く。

「だったら……、今朝のようなことが今後のお前の人生にどう影響するかぐらいは分かるだろう」

「……係長という役職は、部下のプライベートどころか、人生の心配までしないといけないんですか、大変ですねえ」

 俺の憎まれ口を眉ひとつ動かさずに聞き続けている。係長の視線がブレることはなかった。


 係長の前では……俺もまだまだ子供だった。

 たまらなく自分が恥ずかしかった……。


「……すみません。……でも俺にも分からないんです。なんであんなことされたのか」

「昨日、なにかあったのか」

 係長に話すようなことでもないのだが、昨日のことを説明した。

「二人で飲みに行っただけです。別にその後どうこうもなかったですし……」

 係長は真剣に話を聞いてくれる。

「前にお前のスマホに電話した時に女性が出たが、それと同じで二股かなにかがバレたんじゃないのか」

「あれは……俺の母ちゃんです」

 このシリアスな場面でそう言うと、さらに自分が情けなくなる。嘘の上塗りじゃないか……。

「なんだそうなのか。それだったらそうちゃんと説明したらいいんじゃないか。斉藤の誤解なんだから」

「それが……説明する間もなくて。……スマホ忘れて連絡もとれないですし……」

 まったく、自分の愚かさに嫌気がさす。

「……そうか、分かった。仕事に戻れ。もしわしに電話が入ってきたら、そう伝えておいてやる」

「……よろしくお願いします」

 斉藤とあいつらが何を話したか分からないから、実際に「俺の母ちゃんでした」なんて言い訳が通じるはずもない。だが、斉藤の性格だ……会社に休みの連絡なんて、わざわざしてくることもないだろう。彼女はそういう女性だ。


 結局、俺の問題はまったく解決に向かっていない。帰ってあいつらに話を聞くまではなにも進展しない――。



 俺は自分の部屋の扉が壊れるかと思うくらい乱暴に開けた――。


「おい――。あんなに言ったのに! 今朝、スマホに出たヤツは誰だ!」


 隣の部屋まで聞こえそうな大声に四人は驚いていた。だが当然の質問と思っていただろう。

「ごめん。電話に出たのはあたし。スマホが鳴っていたからつい出ちゃったの」

 伊織は今朝の出来事を話しだした。



 ピリピリピリ……。ピリピリピり……。


 斉藤からの通話は着信音が個別に設定していなかったので、全く面白みのない着信音だった。

あたしがその電話に出たのは四回目。三回目まではコールして切れていた。

 何度も何度も掛かってくるから、――もしかすると急用かもしれない――って思って、二階のベッドから飛び降り、スマホの『通話』を押した時――、ほぼ同時に佐々木のベッドのカーテンが開いたの……。

「――馬鹿! 伊織、出るな!」

 必死の抑制も間に合わず、スマホのディスプレイは着信中から通話中に変わっていた。

 その時、直ぐに切ろうかと悩んだけど、切ればまた何度も掛け直してくる……。それが可哀そうに思ったあたしは……、

「も、もしもし」


 あたしの声に彼女は返答もしなかった。


 佐々木は片手で額を抑えている。「やってしまった」っていう痛い表情だった。

『ごめんなさい、間違えました』

 彼女はそう言ったんだけど、あたしは、できるだけ悪い印象を与えないようにするために、こう言ってごまかしたわ。

「ちょっと待って! 間違えてないわ。これは……東条一のスマホよ。今日は部屋に忘れて会社に出勤してしまったみたい……なの」

 佐々木は……泣き崩れそうな顔であたしを見ていた。


 そうだわ!

 これじゃ一緒に女子が住んでいるのがバレてしまう! 無用の誤解を招いてしまう! あたしのバカ~!


 だから、とっさに機転を利かしてこう言ったの。

「ええっと、あたしは、あの、その、ほら、東条の……母よ。ママよ。昨日から東京巡りに来ているの。いつも息子がお世話になっています」

『……』

 返事がない。まあいいわ。

「あなたはいったい、……(はじめ)のなんなの?」

 もしあたしが本当に母親だったら、朝からスマホにかけてくる女性が誰なのか知りたがるはずでしょ? 佐々木を見ると……、もう逆に開き直ったのか、左手で歯を磨く練習を始めていた。


 そして通話が途切れた……。



 ……俺は昨日、斎藤に嘘をついた。

 その嘘の中で、母親はもう田舎に帰ったことになっている。それが今日、また電話に出るはずがないではないか――。しかも、いつもお世話になっていると言っておいて、「あなたは、なんなの?」などと聞かれたりしたら、それは明らかに不自然だ。


 ――宣戦布告とも取れるだろう――。


 すべてが理解でき納得できた。

 ――だが、だからといって、その軽率な行為を許すことはできなかった――!

「なんでそんなことするんだ。――滅茶苦茶じゃないか!」

 伊織はじっと下を向いている。反省しているのだろう。だが、伊織が今さら反省しても……後の祭りである。


 ――後の祭りだと?


 こいつらは祭り騒ぎで楽しんでるだけなのか? 俺をからかって――。


「お前たちのせいで、俺の日常は滅茶苦茶じゃないか――」

 伊織にまだきつく当たる俺を見かね、佐々木が急に胸ぐらを掴んで来た。

「なんだとオリ、黙って聞いていれば調子に乗りやがって! お前の日常がどうだって言うんだ。お前の日常が滅茶苦茶っていうんなら、俺達の日常なんてお前の想像以上だ! 伊織だって悪気があってやったわけじゃねーんだぞ。それも分からねえのかよ!」


 佐々木は思いっきり拳で俺の頬を殴った――。

 俺は後ろの二段ベットにぶち当たる。

「――やりやがったな!」

 殴り返そうとすると、沙紀が後ろから俺の体を掴んで叫んだ。

「やめて、もう済んだことじゃない。仕方ないでしょ!」

 沙紀に掴まれた俺の頬を、もう一度佐々木が殴ってきた――。

 掴まれているせいで避けることすらできない。――今度は俺と沙紀との二人で倒れ――、


 ――ゴギッっと鈍い音が響き、足が折れた。……長年愛用していた座卓の(あし)が。


 胸を強打し、俺の横で沙紀がゴホゴホっと咳き込むが、両腕はしっかり俺を掴んだままだ。

絶対に離さない覚悟だ――。


 ――くそっ!

 コピーの分際で俺に歯向かうとはいい度胸だ! しかし四対一。まともにやりあったら勝算はない……。くそっ!


「出ていけ! ――いつまで俺のうちに居座るつもりだ! 今すぐさっさと出て行け!」


 負け犬の遠吠えみたいで、そんなことを大声で口走る俺自身にも嫌気がした……。


「ああ、もうお前なんか糞くらえだ。こっちから出て行ってやる!」

 佐々木はそう言うと、部屋着姿のまま扉から出て行った。それに伊織も着いて行く。おっさんは一度こっちを振り返ったが、やはり佐々木に着いていった。


 そして沙紀は……俺の横でまだ俺を捕まえている。

「……出て行けよ。……お前も」

 そう言い、少し切れて血の流れる口元を手で抑えながら、洗面台の下の棚から絆創膏を探していると、


 ――沙紀は俺の予想していたこと、まったく違うことを口走り、背後に迫って来ていた。


「みんなはあなたが羨ましいのよ。そして、私も」

 振り向くと沙紀の眼は怪しい光を発している――。奇麗な顔が逆にこの時は恐ろしく見えた。

 ――まるで二人きりになるのをずっと待っていたかのように、ゆっくりと迫ってくる。

「口づけすると入れ替われるんじゃないかしら」


 ――静から動に変わる瞬間――!


 沙紀は素早く中腰だった俺を後ろに引き倒し、馬乗りになって両腕を抑えて俺を仰向けにする。


 油断していた――なんて力だ。

 沙紀は少し笑顔のまま俺の顔を一瞬見たかと思うと、――唇を重ねてきた。


 その瞬間――、俺は何か吸い込まれそうな感覚に陥る――。


 沙紀の甘い香り。

 まるですべての男を虜にしてしまうような誘惑の香り――。

 荒々しい呼吸。沙紀の吐く息を吸い込む……俺。

 俺の吐く息を吸い込む沙紀――。


 ――この感覚は――マズイ!。

 本能的な身の危険を感じる! 唇どころか、なにか他の大切な物をも奪われていきそうな感覚――。


 ――そうはいくか――。


 両手両足に渾身の力を入れると、思いきり沙紀を巴投げしてその場を逃れた。


 押し入れのふすまに直撃した沙紀は、首を抑えてうずくまっている。俺と沙紀の荒い息だけが部屋の中にしばらく続いたかと思うと、沙紀はもう何も言わずにスッと立ち上がり、部屋から出て行ってしまった……。


 四人全員が去った部屋は、二階ベッドが二つあっても、昔以上の広さを感じた……。


 座卓の折れた脚に接着剤を付けて、なんとか四本の脚で立たせると、いつものように缶ビールを冷蔵庫から出して蓋を開け口にした。


 喉はカラカラで汗もかいていたが、その日の麦芽は苦くてたまらなかった。


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