献血と輸血
登場人物
東条 一 :二十二歳 俺
佐々木 裕人:二十歳 俺?
白井 伊織 :十七歳 俺? いや私? 女子高生
渡瀬 沙紀 :二十二歳 俺? いや私? 美しいOL?
石田 大造 :六十代男性 俺? いや……おっさん
由香 :遠距離恋愛していた元カノ。『サヨナラ』の置き手紙でフラれた
係長 :鬼のような(?)係長
斉藤 美奈 :二十四歳 隣デスクの少し気になる女性。父親が会社の専務
――ハッとした。
――そうだ、そうに違いない!
全員の記憶の時期と、俺が献血をした記憶がほぼ一致しているのは、献血カードを確認するまでもない。
佐々木は確信を得たかったのだろう。
「おい、オリ。献血カードを見せてみろよ。もしかすると沙紀が言っていることは正しいかも知れないぞ」
「ああ」
俺は財布か定期入れに仕舞ったカードを探しながら聞いた。
「佐々木の記憶では献血の経験は何回だ。かなり痛かったから、覚えてるだろ」
「ああ、確か三回だ。入社してすぐに一回目。その後は夏と冬だったなあ。あんなに痛いのはもう懲り懲り……と思いきや……」
「あのバスを見ると引き寄せられるのよねえ……」
伊織が横になったまま静かに言った。
「わしは献血の記憶がないが、二十歳になったらいつかやろうとは思っていたからのお」
おっさんも言う。
――ってことは、献血した日のことは、自分の記憶には残っていない……のか。
「だが、もし献血で俺の記憶が他人に移るのだとしたら……。お前らは全員、俺の血を輸血されたことになるんだと思うが、お前ら全員血液型は何型だ」
「わしはABじゃった。古い献血手帳が財布に挟んであったから確かじゃ」
おっさんはそう言うと二つ折りの献血手帳を出してきた。見ると日付の印鑑が、全ての欄を埋め尽くしている!
「すげーじゃねーか。おっさん!」
佐々木が手に取って日付と回数を確認する。
「ほっほっほ」
おっさんは急に胸を張った。
「お前が偉そうにするんじゃない。それは、石田大造さんが凄いんだろ!」
内心はちょっと羨ましかった。
「あ、あたしもABだわ。可愛い手帳の最後のページに名前とかと一緒に書いてあったはずよ」
伊織がベッドから言う。まあ間違いないだろう。
手帳にわざと違う血液型を書くイタイ女子高生はいないと思う。……G型とかクワ型とかだったら……書いているイタイ男子高校生はいるかもしれないがな。
「私はわからないけど、夏に輸血したのは確かみたい」
「――輸血だって?」
沙紀はコクッと頷いた。
「なぜだか私の手首……傷だらけなの」
そう言うと沙紀は、寝る時もつけていた高価そうな腕時計を外した。女性物とは思えないくらい太いバンドの腕時計。そして、その下から細くて白い手首が現れると、
――手首には真横に何本もの刃物で付けられた傷跡が刻まれていた――。
皆が息を飲んでそれを覗きこむ――。
「……たぶん、この後で輸血したんだと思う。今こうして生きているのを考えると、自殺未遂で済んだんだろうけど……」
「あ、ああ。良かったなあ。本当に」
そう呟いていた。
それは沙紀が俺の記憶を有しているのとは関係なく、沙紀という一人の女性がこの世から消えないでくれて、本当に良かったという本心からだった。
「そうだな、オリ。まあ別にオリがいなくても誰か他の奴の血液が入って沙紀は助かってただろうけどな」
佐々木が意地の悪そうな顔でそう言った。
い~や! 俺の血のお陰で沙紀は助かったんだっ! そう信じたい。
佐々木が鞄からゴソゴソと何かを出そうとしてこう言った。
「それと、俺も輸血した記憶があるらしい。聞いてくれ」
「お前はどうでもいいや。伊織、貧血は治まったか」
佐々木が「なんで俺はどうでもいいんだよっ」と怒りだし、皆で大笑いをした。
「……しかし、血液なんかで俺の膨大な記憶情報を移送できるんだろうか」
みんな少し難しい顔をする。
「だよなあ。割と記憶の細部までよく覚えているからなあ。ほとんど全ての記憶を移送してるんじゃないか」
「あの四〇〇リットルの量でか?」
「……おっさん。四〇〇リットルって、ドラム缶二本分だぞ」
そう突っ込む。正確には四〇〇ミリリットルだ。
「でも人間の血とかには凄い量の情報があるんでしょ。ほら、D~なんとかってやつ」
「DOHCだな」
佐々木が腕を組んで堂々と答える。
「ダブルオーバーヘッドカムシャフトには情報伝達機能なんてない。俺達はエンジンか?」
そう訂正してやった。
「じゃあ、DHAじゃなかったかのう……」
「ああ~、はやったよなあ~。頭が良くなるとかなんとかで。ジュースにまで入ってたよな。今はあまり見かけないけどな。はい、次!」
「ハイ! じゃあD&Gってどう」
沙紀が手を上げて言う。
「手を上げてまで言う程のことはない。血液中にそんなバッカーナことあるわけないだろ」
「じゃあP&Gでどうよ……」
「うーん、頭文字がDじゃないんだけど、それならアリエールかもしれないなあ。でも答える方も無理があるので、せめて頭文字のDくらいは守って欲しいかなあ」
唸りながらそう答える。ちょっと苦しいぞ。
「DOだ。ディーオー、ドゥー」
おっさんの口がドゥーの形で止まる。少し気持ち悪い。
「おっさん、口がキモイっつーの。溶存酸素か? 三文字だ三文字!」
「よし。じゃあD+Eで決まりね」
……それは分からないだろう。色々調べたって……。
「……DNAでしょ」
「「――そう、それ!」」
伊織の答えに全員で応じ、拍手が沸き起こる。結局みんな最初から分かっているのだ……。
面倒臭い奴らだ……。
「遺伝子情報に記憶分の情報量を変換すれば、そんな驚くほど大した情報量でもないだろう」
俺は顎に手を当てて難しい顔をしてそう述べた。佐々木も同じ仕草で応じる。
「かもしれないな。俺の血液中のヘモグロビンやミトコンドリアや何やらが力を合わせれば、簡単にできるのかもしれないな」
「血液に記憶情報が宿って、それが輸血された者を支配する……。そんなこと、ありえるのか」
「実際にここに四人ほどありえたって訳だ。大学病院とかで研究したら、恐らくは大変なことになるだろうな」
「ノーベラ平和賞ぐらいもらえるぞい」
俺と佐々木の会話におっさんも入って来た。
「平和賞ってのは……難しいだろうな。こんな事例が公表されれば。輸血を拒む人が増えるかもしれない。それに、どう考えても同じ人間が増えるのは……良くない」
そう答えて周りを見渡すと、みんなが俺をジッと見ている――。
「――いや、訂正する。俺の場合は増えても平和になるんだと思う。今のは一般例だ」
全員の顔がホッとした顔に変わった。
今日は深酒することなく、早めに寝ることにした。
電気の消された中、横になって考えていた。
もし俺がいくら増えたとしても問題は起こらないだろう。だって、こいつらとこんなに仲良く楽しんでるじゃないか。そりゃあ何万人も増えれば、少しくらいは問題があるかもしれないがな。
それと分からないことがある。
体を乗っ取った日が、なぜ輸血をした日じゃないのだろう。
全員同じ日に、一斉に身体を乗っ取ったようだが……、その日には特別な理由があるのだろうか。
俺が何かをしたのだろうか。
……考えごとをしながら俺はそのまま眠っていた。