隣デスクの斉藤美奈
登場人物
東条 一 :二十二歳 俺
佐々木 裕人:二十歳 俺?
白井 伊織 :十七歳 俺? いや私? 女子高生
渡瀬 沙紀 :二十二歳 俺? いや私? 美しいOL?
石田 大造 :六十代男性 俺? いや……おっさん
由香 :遠距離恋愛していた元カノ。『サヨナラ』の置き手紙でフラれた
係長 :鬼のような(?)係長
いつもは隣の席にいても、ほとんど話しかけてこないこの女性、斉藤美奈は、俺と同期入社だ。
同期入社といっても、学歴が違う。
俺は名も葉もない田舎の専門学校卒だが、この女性は一流の大学を出ている。だから年齢は俺の二つ上。だが、一流大学を出ている割には……仕事に情熱を燃やすキャリアウーマンを目指しているわけでもなさそうで、マイペースで与えられた仕事だけを与えられた時間だけ適当~にこなしている……。
定時になるのと同時に帰る……。
サービス残業をしてまで会社に尽くすといった俺の考えが理解できないようで、そのことについて入社してから何度か言われたこともある。
「東条君が遅刻するなんて珍しいね。なにかあったの」
パソコンに向かったまま、顔も向けず、手を止めずに問いかけてくる。
「……実は昨日飲み過ぎたのと、目覚まし時計が勝手に止まっていたのと、スマホの自動応答機能が動作してしまったのが偶然にも重なってしまって……。参ったよ、ハハ……ハ」
「ふうん」
そう返答すると斎藤は、もう何も聞いてこなかった。
俺もそれ以上は問い詰められたくなかった。
営業二課に配属されたのは同期の中で俺と斎藤の二人だけで、二人まとめて新入社員教育を受けた。
その頃の俺は、まだ彼女と付き合っていたのもあり、同僚の斉藤については特に異性として特別な意識を持たなかった……わけでもないのだが。自分の本性を表に出さないタイプの斉藤に、俺や周りの男性社員達も手を出さなかったのだ。
後々知ったのだが……実は、彼女の父親はこの会社の専務……。かなりのお偉いさんだそうだ。だから他の男も迂闊にちょっかいを出せないのが理解できる。
しかし……マイペースな斎藤は、そのことをな~んにも考えていないようで、一人だけ飲み会に誘われなくても、まったく気にもしない……。
それどころか、自分の歓迎会でさえも、平気でドタキャンしてしまうお嬢様っぷりだ……。
パソコンには今日もさっそく、「クレーム」という名の仕事が山のように届いている。見るだけで分かる。
……今日も残業確定だ――。
寝坊したせいでもある。仕方ないか……。一つ息を吐くと集中して仕事に取り組んだ。
仕事の内容はそれほど難しいことをしているわけではない。
我が社が手がける窓用究極高効率フィルム「E―フィルム」の貼り付けサービスの問い合わせやクレームに対応することだ。
社名にもなっているこの「E―フィルム」は、窓に張り付けるだけで、紫外線カットはもちろん、外気温度によって光の透過率が変化する。つまり夏は遮光し冬は透過させる訳だ。
さらに遮光する光も、天井方向へと偏光を行い、部屋全体を明るくできるうという、まさに究極の「いいフィルム」で、開発後、多くの注文を受け、貼り付けサービスを都心をはじめ、全国規模にへと拡大した。
たくさんのオフィス、工場、一般家庭にまで貼り付けを行ったのは……良かったのだが……。
この商品には大きな欠陥があったのだ。それはフィルム全体の温度が均一でなければ理想的な遮光や偏光が行えないというものだ。
――つまり、窓枠付近とガラス中心の温度差が発生すると、真ん中だけ黒っぽくシミのようになってしまう。それこそフィルムの性能通りの現象なのだが、その状態を見たものは明らかに不満を感じてしまう。昼と夜の気温差が大きい時期には、その変化が見ていて……目に痛々しい。
そのため、現在は早急に改良品を開発しているのだが、貼り付けが完了している客からのクレームが毎日殺到する。
俺の仕事を増やしてくれているので、ありがとうと礼を言うべきなのだろうか……?
俺達のような下っ端は、主にメールでの返信を担当させられている。
クレームを内容で種類毎に分け、定型文で返信。質問にも定型文で返答。たまに訳の分からない質問などには文章を作成して返信する。要領が分かってこれば、ほとんど「切取り」「貼り付け」……コピペでなんとかなる。
もちろん、それだけが仕事という訳でもなく、まれに社外へ出ることもある。
だがそれは、販売促進の営業ではなく、……クレームに対してひたすら頭を下げ、不満を聞き、剥がす作業や日程調整をするという、……なんとも凹む出張だけなのだ。
パソコンの手を止めた時、もう十二時を過ぎていた。
隣の斎藤は、きっちり時間厳守で昼食へ向かった後で、いつものようにパソコンは起動されたままになっている。
スクリーンセーバーどころか、省電力モードが何一つ施されていない。俺は親切心と省エネ活動として、隣のパソコンもシャットダウンさせてから昼食へと向かうのを日課としていた。
……俺だったら、勝手にパソコンの電源を切られていれば怒るのかもしれないが、斎藤の場合は昼食から戻っても、なんの疑問も持たずにパソコンの電源を入れるのだ。
これまで一度も問題はなく、これからも恐らく問題は発生しないだろう……。
少し遅れて会社のビル内にある社員食堂に着くと席は殆ど埋まっていた。学生時代の食堂や購買などの慌ただしさに似たようなものがここにもある。
好きな物を好きなだけ取って、その分の料金を払う方式なので、栄養が偏るのは仕方ないのだが、好物の海老フライを五つ取ろうとして手を止めたのは、栄養面ではなく金銭面での不安があったからだ。
……あいつらはいったい、……いつまで居座るのだろうか。
趣味が少ない俺は、少々の貯えはあるのだが……、まさか四人を養えるほどの給料は貰っていない。かといって、バイトや就職活動も行えない。
なんせあいつらは指名手配中……いや、捜査依頼中なのだからなあ。
同居人の心配をして手を止めていると、後ろから声がした。
「止まらないで進んでくれる?」
思考を途中でストップし、振り向くと、斉藤美奈だった。
俺よりも早く食事へ向かったはずなのに、俺の後ろに並んでいる? ……別に海老フライが欲しくないのなら順番を抜かせばいいのに。
「ああ、ごめん」
思案していた五本目の海老フライを皿に乗せ、レジへ向かった。
――あいつらのために俺が我慢する必要は……ないよな。
レジを済ませ席を見渡すと、室内にはどこにも空き席はなかった。
食堂がある階にはベランダがあり、そこにも席はある。寒くて出るのは嫌なのだが……仕方ないか。ガラス戸を開け、ベランダ席で食べることにした。
テーブルの一つに腰かける。白くカサカサになったテーブルを見ると、使用頻度の少なさと、直射日光を浴び続けている苛酷さが窺える。
さっそく海老フライに箸を突き刺して食べようとした時、斉藤が同じテーブルの対面に座った。
「室内の席が満席だったから、ここに座ってもいいかしら」
他にも席があるから、そちらに座ってくれ……とは言わない。
「ああ、いいよ。椅子が汚いから拭いた方がいいぞ」
俺が拭いてやればいいのだが、そこまでする筋合いはない。海老フライが早く食べてくれ~と言って俺を見ているのだ。
斉藤が座るのを横目に、海老フライにかぶりついた。
斉藤の手には小説が持たれており、しわのない紙のカバーが掛かっている。ひょっとすると、食事の前に近くの書店で買ってきたのかもしれない。
二人っきりでの食事は、終始無言だった……。
斉藤は食べながら小説に夢中だ。時々ご飯つぶを机に落としたりしているが、そんなことより小説の内容に夢中なのだろう。やれやれだ。
俺はというと、食べながらまた考えごとを再開していた。
あいつらに仕事がないのなら、……俺が与えてやればどうだろうか。いつものように仕事を家のパソコンへ転送し、あいつら手伝わせる。そうすれば俺はサービス残業をせずに帰れるよな。
あいつらも俺が早く帰った方が安心するだろう。そういえば……昼飯はしっかり食べただろうか……。またカップ麺を食べているのだろうか……。栄養が偏るかも知れないなあ。野菜ジュースでも帰りに買って帰るとするか……。
まるでアパートに内緒でペットを飼っている心境だ……。
ふと視線を感じて斉藤の方を見たが……。同じように小説を読み続けている。俺の方をじっと見ていた気がしたのは、気のせいだったのだろう。
「お先」
食べ終えた食器のトレーを片手で持って席を立つが、ずっと同じ姿勢で小説に夢中で……返事すらしない。
やれやれ、どこまでマイペースなんだか。俺には理解できないや。
昼食後、仕事の半分程度を俺の自宅アドレスへ送信し、残りの仕事にとりかかった。
半分の仕事であれば、問題なく定時に終えることができた。
――まずは伊織に言ってやらないといけないことがある。
勝手に通話に出ないこと。
それと、もしに出てしまったのなら、ちゃんと報告すること。怒らないから……と。
それを徹底しておかないとこれからも問題が起こり続けるだろう――。
ツカツカと安アパートの廊下を大股であるき、少し乱暴に、壊れないようにそっと部屋の扉を勢いよく開ける――。
想像通りの風景が俺を迎えてくれる。
みんなごろごろ。
テレビゲームとパソコンとお菓子を食べながら雑誌。思い浮かべた風景と、まったく同じというのは……少し笑えてくる。
「「おかえり!」」
「ただいま!」
いやいや、笑顔で返事してる場合じゃないだろう。笑顔で迎えてくれると、怒る気もなくなってくるのだが、……それはそれ、これはこれだ!
「いやいや、笑顔で返事している場合じゃない。伊織に話がある」
キョトンとした顔でこちらを向く。俺は先ほどまで考えていたことをそのまんま伝えた。
「いいか、これはみんなも聞いて欲しいんだが、これからは勝手に俺のスマホに出ないこと! それと、万が一、出たとしても、ちゃんと報告すること! 怒らないから。それを徹底しておかなければこれからも問題が起こるからな。わかったか?」
伊織はとぼけた顔をしている。
その表情を見て気がついた。
――こ、こいつ……。
飲み過ぎで今朝のこと覚えてないのか――。
「――なんだ、覚えてないのか。今朝、係長からの電話にお前が出たんだろ」
「なにそれ? あたしは知らないよ」
覚えていないのなら仕方ない……か。しかし俺がもう一言いってやろうとしたとき、沙紀が横から割って入った。
「ゴメン! あれ、通話に出たの……私なんだ。係長からスマホが鳴ったから条件反射で出ちゃった」
そう言って両手を合わせて片目を閉じて謝罪する。
女性らしい演技としては……花丸だ。こんなに可愛く謝られたら、許してしまう。
たとえば殺人事件を犯してしまっていても、沙紀なら許してしまいそうな錯覚に陥る~……。
「だから、伊織は関係ないよ」
予想していなかった事実に俺は、少し戸惑ってしまった……。
「な……、沙紀だったのか。なんだ。じゃあちゃんと素直にそう言ってくれれば良かったのに。なにも言わないから会社で係長に聞かれて困ったぞ。これからはちゃんと伝えてくれよ」
「うん、そうするわ」
俺は寝転がってゲームのコントローラーを握っている佐々木をまたぎ、鞄を座卓に置くと、ノートパソコンを立ち上げた。
「……沙紀とあたしとで、なんか対応ちがうくない?」
ちがうくない? ちがうくない!
だいたい、そんて言葉、俺は使ったりはしないぞ。
「そんな言い回し……いつ覚えたんだ」
できるだけさっきの話を逸らそうとしたが、おっさんも黙っていない。
「そうそう。オリは沙紀だけには、な~んか優しいよな。その点わしなんて、ただの「おっさん」としか思っとらんのじゃろう」
「……。」
「ああ、そんなところはあるよなあ。まあ、沙紀は可愛いし、スタイルもいいし、こういうお姉さん系の美人が俺のタイプだからなあ」
「もしかして、惚れた」
伊織がドキッとするようなことを聞いてくる。
「馬鹿なこと言うなよ」
顔が少し赤くなってしまうのに自分でも気付く――。沙紀はにっこり笑顔で立って俺の表情を覗き込もうとしてくる。
――勘弁してくれよ。
「わかった、わかった。俺が悪かった。伊織のせいに決めつけて……、ごめんなさい」
渋々謝ると、伊織も納得したような笑顔を見せた。
この娘も将来可愛くなるのだろう……。
女性らしい考えと仕草を身につけられればの話なのだが。あと、酒癖が悪くならないように気を付けねばなるまいが……。
俺はパソコンの前に全員を呼び、仕事の説明と分担を決めようとした時、佐々木が寝転がった体勢のままで言った。、
「仕事なら俺と伊織で片付けておいたぜ」
「え……?」
パソコンのメールソフトを開くと、すでに種類毎に分けたクレーム一覧が会社の俺のパソコンに「送信済み」となっていた。伊織も腕を組んで偉そうに立っている。
「そうか、じゃあ、今日の仕事は全て片付いたんだ……」
少し拍子抜けした。
久しぶりに早く帰宅し、さらに仕事もしなくていい。逆に何をして時間を潰したらいいのか考えなくてはならないくらいだ。
「じゃあ今日はみんなでプニョプニョ大会にしようぜ」
佐々木が意気込んでいる。
「それより格闘ゲームだよ」
伊織が言う。
「いいや、レースだレース」
おっさんが手でハンドルを握るフリをしてそう言う。みんなが異なるジャンルのゲームを言うのは当然だ。
みんなの記憶が残っている頃にハマっていたゲームが違うのだから。
「シューティングゲームを作ろうよ」
沙紀がそう言った時だけ、みんなで反論した。
「「それは却下だ。対決にならない――!」」
そうそう、沙紀の記憶がある去年の夏までは……そんなことにハマっていた時期もあった。懐かしいや。
「とりあえず、ゲーム大会に決定だな。じゃあ」
「「酒とつまみを買いに行こう~!」」
「「ジャーンケーン、ポン。アイコデショ。アイコってダレ~! アイコでしょ~!」」
この日はゲームをしながら日が暮れた。
ちなみに俺は全てのゲームを一番やり込んでいるはずなのだが、ブランクのせいか負け続け、何度も腕にシッペをされた。
――たとえゲームでも……体罰は反対だ。イテテ。
仕事が早く片付くのはいい。
自分のやりたいことが毎日できるのだ。
これからしばらくの間は、少し楽ができるかと客観的に喜んでいた。
しかし、次の日にその甘えは天地返しのようにくつがえされるのであった。