忘れてしまいたいこと
登場人物
東条 一 :二十二歳 俺
佐々木 裕人:二十歳 俺?
白井 伊織 :十七歳 俺? いや私? 女子高生
渡瀬 沙紀 :二十二歳 俺? いや私? 美しいOL?
石田 大造 :六十代男性 俺? いや……おっさん
人間、ストレスの解消や嫌なことを忘れたい時に酒の力を借りることがある。
しかし断言できる。
酒に甘えてはならない。
今日はそのことを痛感させられる飲み会となった。
「じゃあ、あたしがお酒買ってくるね」
元気よく部屋を飛び出していこうとした伊織を皆で制した。
「「お前が行くなー! 未成年モロ出しだ。捕まったらどうする気だ」」
「そうだ。俺達は誰一人として身元引き取り人にはなれないぞ」
引き止められて伊織は渋々座った。沙紀も着替えは終わったようである。
「俺と佐々木で酒類。沙紀と伊織で食糧。おっさんは留守番でいいか?」
皆おっさんを見る。
俺だったら店に行き、自分で食べたいものや飲みたい物を品定めしたいからだ。しかし、おっさんの返答は意外にも「オッケー」であった。
四人はおっさんを残して部屋を出た。
「おい、オリ。なんでおっさんは留守番を引き受けたんだと思う」
「しらねーよ。って言うか……」
沙紀と伊織に聞こえないように、そっと佐々木に言う。
「それを聞くのは野暮だってことだろう」
「あー、なるほど」
佐々木と小さな声で話していると、男の内緒話はキモイと沙紀に指摘された。はいはいスミマセンねえ。
俺は両手にビールの箱。佐々木はウイスキー、ワイン、ブランデー、日本酒、焼酎を袋に下げてご機嫌である。女性陣は大量のツマミと弁当を買ってきていて、それ全てを帰って座卓の上に置くと、おっさんはあきれ顔だった。
「これを……全部飲み干す気か! わしは途中でギブアップしてもいいかのう」
「ああ、もちろんだ。ギブアップは……記憶を取り戻してからなら許す」
言ったのは佐々木であって、俺ではない。俺はそんなことで記憶を取り戻せる気はしないのだが……、このメンバーなら暴れ出すやつもいないだろう。
……脱ぎ出す奴がいても……2/5の確率で許すとしようじゃないかっ。
「オリ、今スケベなこと考えてたでしょう。お酒飲んだからって変な想像してたら、はっ倒すからね」
伊織がまた意地悪そうな顔で見る。こいつはいつの間に女っぽい喋りと仕草を覚えたんだろう。
笑ってごまかすしかなかった。
「カンパーイ」
乾杯の火蓋が落とされた。
ビールだけでは酔いつぶれる前に腹が張ってしまうから、ウイスキーをビールで割ろうと言いだしたのは……未成年の伊織だ。
「落ち着いて考えると、俺は酔いつぶれる必要はないんじゃないのか……?」
「落ち着いて考えるなそんなこと!」
佐々木がそう言い、ビール割りを飲み始めた。
俺だけ明日から仕事なのに……。まあ、まだ時間も早いからどうってことはないか。
そのビール割に口を付けたのだが――、
「ブオワ~! なんじゃこの味は」
噴き出しそうになったのはおっさんではない、俺だ!
ビール以外の酒は、ほとんど飲んだことがない。ウイスキーってのは――こんなにも喉に刺激的なのか。
「くあー! これはちょっとキツ過ぎるなあ」
みんな一口飲んだだけでギブアップのようだ。
「じゃあ、これを全部飲み干したらビールが飲めるってのはどうだ」
佐々木がそう提案すると、皆が無言でそのビール割をグビグビ飲み始めた……。
「ハッハッハー、いいぞいいぞ、その意気だ。なんせチンした焼き鳥が冷めてしまうからな~」
佐々木はもうすでに上機嫌だ。
……こいつは本当に俺と同じ記憶の持ち主なのだろうか? 頭を金髪にすると、こうも人間は変わってしまうのだろうか。
俺はそっとグラスを置いた。
「「オリ、ハエー」」
みんなの歓声を独り占めする。そうとも、俺はビール割を一気に飲み干し、真っ先にグラスを置いたのだ。
「フッ、これが俺の実力なのさ」
缶ビールを冷蔵庫から取り出し、フタを開けると、焼き鳥を頬張り、ビールで口の中を一杯に満たす。
ああ、これこれ。この混じりっけなしのビールがやっぱり最高だ――。
「Pひゃー」
ぷひゃーと言いたかったのだろうか? どうやら伊織も一杯目で酔っ払ってきているようだ。……この娘の脳細胞に……幸あれ。
「クッハー、ゲップ」
おいおい、それはおっさんの台詞だろ――。あえてそう沙紀には突っ込まない。
負けじと一気飲みに挑戦したおっさんが……ゲッホゲッホとむせかえっている~。放っておくと危険な状態になるんじゃないだろうか。俺はおっさんの背中をバシバシ叩いた。
「ゲッホ、ゲッホ。サンキュー。なんのこれしきじゃあ~」
おっさんは息を整えると、やはり一気にビール割を飲み干した。
「おお、みんなスゲーなあ。しかし、勝負はこれからだ。ビールの次はブランデーをロックでイッキだ」
佐々木も飲みほしたグラスを置くと、そう言いながら皆のグラスにブランデーを……なみなみと注いだ。表面張力の……ツルツル一杯ってやつだ!
「マジでか?」
「ああ、マジだ」
「ブランデーって、こんな飲み方をするもんなのかなあ?」
すでにみんな顔が少し赤い。しかし……誰に似たのか、変なところで負けず嫌いだ。グラスを全員が手にすると、一斉にそれを飲み始めた。
半時間後には、すでに酔っ払いの宴会場状態になっていた。誰一人として記憶が戻っていない……。
「おい、そろそろ何か思い出せよお前ら~」
「無理らって。そんな漫画や映画みたいに上手くいくわけないろらろなろう」
佐々木は裂きイカをくわえて答えた。
「ち、ってめーら、無駄に酔っ払いやがって」
俺も気分よく酔っ払っていたのだが……。
――そんないい気分をブチ壊す質問を沙紀がしてきた――。
「そういえばさあ。オリい。なんで別れたのよお」
「え?」
「昨日、買い物中に言っていたじゃない。……色々あって別れた~って」
「なに、由香と別れたの。聞いてないわよ」
「遠距離とはいえ仲良かったじゃないか。学生時代からずっと付き合っていて、いずれは結婚するんじゃなかったのか? いや、結婚しようとまで思っとったぞ」
おっさんにそう突っ込まれ、気まずい顔をした。しかし、気まずい顔をしているのは俺の横にもいた。
佐々木と目が合う。言うべきか、言わないべきか……。
「やっぱ、みんな知りたいよなあ。……オリ、全部話してやったらどうだ」
「……そうだな。よし、酔った勢いで教えてやる。現実を知るというのは大切だ。時としてそれが大きな傷跡となって残るとしてもだ」
伊織が座卓に乗り出して聞いてきた。
「クリスマスは一緒に過ごしたのよね? 何度も何度も誘って、やっとの思いで了承を得たんだから」
「ああ、クリスマスは……一緒に過ごした」
伊織がホッとして座り直すと、次に沙紀が乗り出してくる。
「クリスマスを一緒に過ごしたってことは、由香はこっちに出てきたのね?」
「ああ、そうだ。やっと……やあっ――っと、親から外泊の許可が下りたらしい。女友達の所に行くと嘘までついてな」
そして沙紀を押しのけておっさんが座卓に乗り出してくる。近い近い! おっさん顔がデカくて近い~!
「ってことは、とうとう「やった」んだな」
……おっさんの問いかけ、ストレート過ぎる……。
酔っ払ってる俺は堂々と答えた。
「ああ、やったさ。ヤッターやったーヤッターマンだ!」
「「おおおお! ふっるっ!」」
歓声が上がる。本当はみんなで喜びを分かち合いたかったのだが、俺と佐々木の顔は冴えない。
「で、で? どこでだ? どこか、高級ホテルでも予約したのか」
「……。」
「……ここでだ」
「え、どこでだ」
「……ここだ、ここ」
「……。」
俺が答えた。佐々木は眼をつぶって俯いている。
安アパートのうす汚い六畳間。ベッドもなし。ほとんど干していない布団には、俺の匂いが染みついている。
フン、悪いか?
……悪いわなあ……。
彼女と初めての夜を過ごすのがこんな所では……どう考えても悪かった。だが、どこのホテルも予約で一杯だったのだ。連絡すらつかない状態だったんだ――。
「ここで、なにが悪いんじゃ?」
「そうそう。ここは居心地も悪くないし。畳と木造建築のいい匂いがするし」
「あたしもそう思う。別にどこだっていいんじゃないの? 愛さえあれば」
こいつらはやっぱり俺と同じだ――。
その時は俺もそう思ったのさ――。
「その時は俺もそう思ったのさ。だが、女ってのはシチュエーションとか、ムードとかを大事にするんだとさ」
そう代弁したのは佐々木だ。俺は続けた。
「で、クリスマスの翌朝。俺は仕事だったから寝てる彼女をそのまま寝かしておいてそっと出社した。そして、帰ったら机の上にメモが一枚置いてあった。『さよなら』……と」
グラスの焼酎を一気に飲みほし、咳きこんでしまった。
「それから連絡はしなかったのか」
「ああ~。そんな女々しいマネができるかよ」
俺はそう言ったのだが……、
「何度も電話やメッセージを送ったが、まったく音信不通になった……。そのうち番号も変えてしまったみたいだ」
佐々木が惜しげもなく暴露する~。
おい、ちょっとは黙れっ、この酔っ払いめ~。
さっきまでの盛り上がりが嘘のように静まりかえった。
「な、なんだか白けちまったなあ」
おっさんが不味そうに焼酎を飲む。
「――俺は寝る。もし、誰か記憶が元に戻れは起こしてくれ」
明日は月曜だ。俺だけは仕事に行かないといけないんだ。こいつらと飲み明かすわけにはいかないし、
……これ以上は気分良く飲めそうにもなかった。
「ああ、おやすみ」
「ごめん。悪いこと聞いて」
沙紀が俺にそういって謝るのを聞くと、……何故だか一層切ない気分になった。泣きそうになるじゃないか……。
俺はベッドのカーテンを閉めて横になった。
少し寝ていたようだ。
気が付くと話し声だけがカーテン越しに聞こえてくる。俺に気を遣って、小さい声で話している。どうやら記憶は誰一人として戻っていないようだが、まだ飲み続けているのは明らかだ。
「うーん。頭がクラクラするけど何も思い出せないよねえ」
「そうだなあ」
伊織と佐々木の声だ。
「目をつぶると、グルグル~って回るような気がするのよねえ」
沙紀がそう言っている。こいつは飲み過ぎだ。
「ところでさあ。こうやって飲んでて、もしも記憶が戻ったらどうなっちゃうんだろう」
カーテン越しに沙紀のその言葉を聞いて考えた。
本人の記憶が蘇る。
俺の記憶も残る。
……人の記憶なんて、そんなに都合の良いものではないだろう。それは皆も薄々感じているようだった。
「もし記憶が戻れば、今の私の記憶も消えてしまうんだろうなあ」
「そうなのか。じゃあせっかく支配したのに、意味がないじゃないか」
佐々木の声だ。
「じゃがそれでいいんだ。わしらは本来、存在してはならないはずなんじゃ。記憶ごと消えてしまうのは嫌じゃが、そもそもこの体の記憶は既に東条一によって消されてしまったんじゃからなあ。わしらが消えても文句など言えるはずがない」
おっさんの言葉にみんなが黙った。
ベッドの天井を見つめながら俺も考える。
……こいつら全員、それぞれの人生でたくさんの記憶を持っていたのだろう。
楽しいことや辛いこと。
しかしそれを全て俺の記憶で上書きしてしまった。こいつらもその周りの人も嬉しいことなんて、なにもないはずなのだ……。
「いったい……どうしてこんなことになったんだろうな」
俺がカーテンを開けながらそう言った。
「なんだ、オリ。聞いていたのか」
佐々木の横に座り直し、机の上のゲソを一本くわえると、またグラスに酒を入れて飲み始めた。
「しかし、お前らが俺の記憶を持ってここに集まったのに、なにか理由があるはずさ。この世に不要な物なんて、一切ないはずなんだからな」
それが俺の自論だ。当然それは今、皆の自論でもある。
「そうだよな。同じ記憶を持ってここに集まるのが俺たちの運命だったんだろうな」
「そうね。なんでこうなったのか、今は分からなくても、そのうち分かるかもしれないしね」
「よーし、じゃあクヨクヨしてたって仕方ない。今日は飲もう、朝まで飲もう」
「よーし、じゃあ、俺達は記憶を思い出すんじゃなくて、なぜ俺たちがこうなったかを探すためにガンバロー。カンパーイ!」
また五つのグラスが音をたてて合わさる。そして皆がまたグラスの中身を一気に飲み干す。
ク~、シビレル~!
人が集まり酒を飲むのに理由なんていらないのさ。
……だが、もう限界だ。
これ以上飲んでいたら、明日は……いや、今日は出勤できないだろう。窓の外が明るくなる前にベッドに入った。おっさんもすでに佐々木のベッドで夢の中だ。
残りの三人がいつまで飲み続けていたのか、俺には解らない……。