記憶を取り戻す方法は
登場人物
東条 一 :二十二歳 俺
佐々木 裕人:二十歳 俺?
白井 伊織 :十七歳 俺? いや私? 女子高生
渡瀬 沙紀 :二十二歳 俺? いや私? 美しいOL?
石田 大造 :六十代男性 俺? いや……おっさん
次の議題は、乗っ取った自分の記憶を取り戻す方法についてだ。
「お前らの記憶はどれだけあるんだ。まったくないのか?」
問いかけると、満面の笑みを浮かべて全員が頷く。
――だめだこりゃ。
「……ちょっとは目をつぶって考えるとか、思い出そうとするとかできないのかよ。記憶の欠片くらいは思い出すかもしれないだろ」
みな不満気な顔で目をつぶった。
「そうは言っても、俺達だって馬鹿じゃないんだ。何度も思い出そうとはしたさ」
「そうそう。それでもやっぱり何も思い出せないんだ。俺の記憶以外」
「やっぱりそうだよなあ。みんなそうなんだよな」
目をつぶりながら勝手に同調しあっている。
「シャラップ。いいか、なんでもいいから自分の姿での思い出とかを思い出すんだ。よく映画やドラマとかで、テレビのノイズのようにババっと記憶がかすれて見えるだろ。あれだよあれ」
「オリの言いたいことは分かるんだが、そんな都合よく見えないよ」
「ああ。この姿で思い出すと言ったら……昨日、銭湯で鏡を見て興奮したことくらいだ。あの映像しか思い浮かばないぞ」
そう言ったのは沙紀だった。
「なに、銭湯へ行ったのか! いいなあ……やべ、もうその映像しか頭に思い浮かばない」
おっさんが目を閉じたまま……妄想に更けていった。
「おい沙紀、そんなこと言うなよ、俺も変な想像してしまうじゃねえか」
佐々木も顔がニヤけている。
「ああ、もう無理だ。集中できないじゃないか――。俺は目を開けるぞ」
伊織が目を開けると、俺と目が合った。
慌てて俺は頭の中に想像していた沙紀の裸体を振り払う――。
「そ、そうか、無理か。わかった。仕方ない。またいつでもチャレンジしてみてくれ」
やけに諦めがいい俺を全員が冷たい目で見ていた。
時刻はとっくに昼を過ぎていた。
俺達は「非常食」という名のカップ麺を食べ、午後は自由時間とした。まるで、ちょっとした新入社員研修のようだ。
「ただし、沙紀と伊織とおっさんは口調をそれなりに直すこと。佐々木は左利きの練習。間違えた場合、全員からシッペの刑。いいな」
「「なんだよそれ! オリだけ卑怯じゃないか」」
まあ、当然の反論だな。
「ふふふ。そう言うと思ったぜ。いいだろう。もし、夕方まで一度も間違わない奴が一人でもいたら、――全員に焼き肉をおごってやろう。どうだ」
「「なに~? 焼き肉だと~!」」
目の色が変わった。
ふふふ、単純な奴らめ。
俺は俺の記憶を持つ奴らを単純だと罵っている……単純王だ!
「よしその条件乗った! 面白そうじゃねえか。オリよ、今の言葉を忘れるなよ」
「男に二言はない。それじゃスタートだ」
そう言った途端、皆口を閉じた。
……。
……。
「……なんだお前ら、黙秘権発動か」
全員口を閉じたまま頷く……。
しかし、これくらいのことは想定内だ。
「黙秘権もいいが、会話しないとトレーニングにならないから話には応えるように」
……。
また皆が黙って頷く。俺は仕方なく紙とペンを取り出した。
「まったく。返事くらいしろよ。まあ、声に出さないっていうならこの紙に書いてくれ」
そう言いながら紙とペンを回すと、佐々木がさっそく、「了解した」と左上に小さく書いた。
「――馬鹿め! さっさと腕を出しやがれ」
「なんだよ。俺は何も失敗してないぞ」
佐々木はペンを握ったまま反論するのだが、
「その右手に握ったペンが動かない証拠だ」
「あああああー!」
「……バカ」
「単純代表格め」
開始一分で佐々木は全員にシッペを喰らった。
残り三人だが、この調子なら楽勝だろう。
「沙紀と伊織はこれから「俺」って言ったら駄目だそ。おっさんも「俺」より「ワシ」とかの方がいいかも知れないなあ」
「そう……ねえ」
伊織は言葉遣いも女性らしく調整している。
「そうそう、その意気だ。自分を変えるんじゃなくて、とりあえず最初は演劇部に入ったつもりで、役作りの練習だと思えばいいんじゃないかな」
一旦伊織を褒めておいて……。
「沙紀は「私」で、伊織は「あたし」か「あたち」がいいんじゃないか。なんせ……子供なんだから」
「分かったわ」
沙紀は素直に返事をした。しかし伊織はこの件は納得しなかったようだ。
「なんで沙紀が「私」で俺は「あたち」なんだよ! 子供扱いしないでよ」
「そりゃあ子供扱いもするさ。それが俺の作戦なんだからな。さあ、腕を出しやがれ! 脱落者二号め!」
「なに?」
伊織はまだ気づいていない。
「……オリの作戦にまんまとやられたな伊織。お前今、「俺」って言ったぜ」
佐々木がそう言ってシッペをする準備をすると、伊織はやっとそのことに気付き、悔しい顔をする。
「クソッ、卑怯じゃないか!」
「はいはい、クソッとかも言ったら駄目だぞ」
伊織は素直に腕をまくって前に出す。そして皆にシッペをされる……のだが、
「なんだよ。……こんな手加減してシッペされても罰ゲームにならないぞ」
皆が知らないうちに手加減しているのに物足りなさを感じたようだ。
「俺の時は真剣だったくせに~」
佐々木は赤いミミズ腫れの跡が残った自分の腕を見てそうぼやくが、佐々木も手加減して伊織にシッペしていた。
さて、残るは沙紀とおっさんの二人だ。沙紀はすぐにボロが出そうだが、おっさんは男だからちょっと難しそうだなあ。
しかし、そのおっさんは自ら墓穴を掘る……。
部屋で雑誌を読んだりテレビを見たり、皆でゴロゴロしていると時計の針は三時を指していた。
ああ、日曜日はこうありたい。ちょうどそう思い始めた頃、おっさんがパソコンを起動した。
「パソコンしていいよな」
「ああ。ネットでもなんでも堪能してくれ」
おっさんは一番記憶が古い。空いた期間の情報収集したいのだろう。さっそくインターネットに接続した。
「おお、早いなあ~」
俺は雑誌に目を落としたまま、ふと考えた。
おっさんの知らない一年半の間に一番成長したのは……俺のパソコンなのかもしれない。
俺なんて人間として、まったく成長していないのに、パソコンの進化はすげえ。一年も経てば、OSもCPUも周辺機器だって目まぐるしい進化を遂げる。
しばらくマウスのカチカチ音を黙って聞いていた。
三十分位経っただろうか。おっさんのマウスを操作している音が途切れた。反対のベッドで同じく雑誌を読んでいた佐々木もそのことに気づいたようで、二人がそっとおっさんを見ると……ディスプレイを食い入るように見ている。
……絶対に怪しい。
俺と佐々木は静かに背後に忍び寄ってディスプレイを覗くと、なんと女の裸ばかり――! 実は想像通りなのだが、おっさんは静かに海外のエロサイトを閲覧していたのだ――。
「おっさん、なにニヤニヤして見てんだよ」
「お~い、沙紀、伊織、ちょっとこれ見てみろよ」
ワザと二人を呼んだのは俺ではない。佐々木だ。
おっさんは慌てて「閉じるボタン」をクリックしようとしたがそうはさせない。俺はマウスを後ろから奪い取った。
「こ、こら、わざわざ言いふらすことないだろ!」
おっさんの顔が赤くなるのが意外と可愛かったりする。沙紀と伊織も意地の悪い笑顔で見ている。
「おっさんも好きねえ」
沙紀が言う。
「だいたい、おっさん勃つのかよ」
伊織が言うと、……今までの悪ふざけが、いきなり真面目な話になってしまった――。
「……それを試そうと……思っていたんじゃないか」
うつむいて静かに言うと、みんなが静まってしまった……。
「お、おいおい、よせよおっさん」
「伊織もそんなことストレートに聞くなよ。女子高生らしくないぞ」
俺と佐々木で必死にフォローをする。伊織も間が悪そうな顔をしている。
女子高生だったら平気でそんなことを口走るのかもしれないが、おっさんにはストレートのド直球過ぎたかもしれない。
「なんせ、体は六十過ぎてても、心は二十代だもんなあ」
しみじみ沙紀が言うと、おっさんは腕を出してきた。
「ハハハ。おっさんらしからぬことしてしまったみたいだ。さあ、シッペをしてくれ」
「い、いや、今回はいいよ。なあ、オリ」
「ああ。別にパソコンでエロサイト見るなんて、いかにもおっさんらしいじゃないか。問題ない」
俺と佐々木はおっさんの傷ついた心を癒すのに必死だ。だが、おっさんの決意も固い。
「いやいや、おっさんがそんなのに夢中になっていたら駄目だろう。こんなことでは家内にすぐバレてしまう。わしも特訓せねばならんのじゃ」
身も心もおっさんを目指している――。
俺達は涙を飲みながらおっさんの腕にシッペをした。手加減抜きで――。
「イテテテテ。この痛さが明日の糧となるのじゃ。沙紀、あとは頼んだぞ」
「任せといて。おっさんの心意気、無駄にはしないわ」
沙紀もおっさんの意気込みを感じたようだ。
逆に俺は……あまりにも芝居じみてきて少し白けてしまったが、とりあえず残すは沙紀だけだ。夕食までの間になんとかボロを出させなくてはならない。
おっさんには悪いが、これは焼き肉を賭けた手加減ぬきの勝負なのだ。