石田大造と名乗るおっさん
登場人物
東条 一 :二十二歳 俺
佐々木 裕人:二十歳 俺?
白井 伊織 :十七歳 俺? いや私? 女子高生
渡瀬 沙紀 :二十二歳 俺? いや私? 美しいOL?
味噌色パンツを洗面台で水洗いしていると、部屋の扉をドンドン叩く音がした。
こんな遅くに客が来るはずがない。少し馬鹿騒ぎが過ぎたかな。時計の針はちょうど十一時を回った所だった。
「大きな音を立ててスミマセン。気をつけます」
そう言いながら扉の穴から誰かを確認した。
その穴から見えるのは白髪交じりだがきちっと髪型を決めた、厳格そうな六十代男性だった。スーツを着て堂々と立っている。
断言できる。
知人ではない。
見た感じで俺は直感した。――私服警察だ。俺は声を潜めて部屋にいる三人に言った。
「やばい、警察だ。隠れるんだ」
特に伊織は未成年で酒も飲んでいる。俺もただでは済まないだろう。
酒が猛スピードで抜けていく。沙紀と伊織は猛スピードでベッドに上がってカーテンを閉め布団に丸まる。
……そこに隠れてどうする。
しかしその男は俺を知っているようだった。
堂々とこう言ったのだ。聞き覚えのある言い回しだ。
「やったぞ、喜べよ。脳と肉体の完全支配に成功したんだ。とりあえず中に入れてくれ」
……おっさんだよな。……喜んでいるようだが、俺はすこしも喜べない……。
かと言って、おっさんだからと言って……追い返す訳にもいかない。
「まあ、驚くのは当然かもしれないが、俺だってどうしていいか困ってるんだ。とりあえず信じて入れてくれよ」
俺が考えている間に、おっさんが一生懸命扉越しに喋ってくる。
「おっさん……、部屋を間違ってませんか?」
そう答えても、その男は表札を確認すらしない。
「馬鹿なこと言うなよ。俺は東条一。二十一歳独身。去年の4月から株式会社E―フィルムに入社して、営業二課で毎日クレーム対応に追われている。入社して半月は会社の寮に入っていたが、不具合があってこのアパートを借りた。その不具合とは……」
そこまで話した時、少し扉を開けた。
「おっさん、何処で俺のことを調べた」
男は俺の話を止めて少し笑って答えた。
「だから、俺はこの体を乗っ取るのに成功したんだって。当然、お前と同じ記憶があるに決まってるじゃないか」
「新しい詐欺の手口か」
「違うって、詐欺じゃない。あり得ないことと思うかもしれないが、どうか信用してくれ」
その男も……自分の後ろに大きな旅行鞄を持っている。
「じゃあさあ、なんでもいいから一つ質問してくれ。絶対に自分しか知らないやつを。もし俺がその答えをあっさり答えられれば、とりあえず入れてくれ。もし答えられなかったら帰ってやる」
おっさんも同じことを言ってくる。
酔っ払っている俺は少し考えた。こいつが絶対に知らないことを聞いてやる。俺も少し笑みを浮かべていた。
「では問題です。この部屋の中には二段ベッドが幾つあるでしょう?」
「――なんだって? 二段ベッド? ううう、一人暮らしのクセにそんなもん置いてどうするんだ」
「俺は何個だと聞いている。さあ、何個でしょうか」
「ううう」
そのおっさんは唸った……。無理もない。今日買ったばかりだから分かるはずがないのだ。
「一個」
おっさんは渋々そう答えた。
「ブッブッブー。二個でした」
俺はそう言って部屋の扉を開けて中を見せた。おっさんは空いた口が塞がらないようだ。無理もない。
「いつの間に! だが何故だ?」
……まあ、飲みながら説明するか。
チューハイしかないが。そのおっさんを部屋に招き入れることにした。
俺以外の簡単な紹介をおっさんにしたあと、そのおっさんこと石田大造もチューハイを片手に語りだした。
気がついたのは、一軒家の廊下だった。年寄りの婆さんが俺の肩を支えて起こしてくれたんだ。
「大丈夫ですか。こんな所で倒れて」
「ああ、すみません。ちょっと目まいがしたもので」
俺のその他人行儀に恐らく妻的人物も何かを感じたのだろう。
「鼻血も出てますし、ちょっと横になったらどうですか」
「ええ、そうします」
まだ全て理解出来ていなかったが、その妻の肩を借り布団のある部屋に移動した。
鼻にティッシュを詰め込んでしばらく横になっていると、部屋の外から家族の声が聞え出した。カーテンの隙間からは日差しも入ってきた。脳と肉体の支配に成功したという達成感はあったが、部屋の鏡で自分の姿や顔を見てしみじみこうも思った。
本当に俺は成功したと喜べるのだろうか?
そう話すと、おっさんはチューハイを飲み干して言った。
「あとは決して面白いこともなく、今しがたこのアパートに辿り着いたってことだ」
おっさんが周りを見渡すと、……皆ウトウトしている。
佐々木は布団をかぶって寝息を立てていた。おっさんには悪いが、沙紀や伊織と違い、おっさんの話には……興味がない。
俺も途中からおっさんの話が子守歌か「ラリホー」の呪文に聞こえていた。
「おい、聞いてたのか、俺の苦労話を!」
「ああ、もちろんだ。大変だったなあ。今日は疲れただろう。ゆっくり休んでくれ」
そう言って辺りを見渡した。もうベッドの間のスペースしか残っていない。
「おっさんには悪いが、もうベッドの間しか空いたスペースがない」
鍋と座卓を片付けた。
「じゃあ、お休み~」
沙紀と伊織はベッドへ上がってカーテンを閉めた。俺は畳の間に布団を敷くと、モーフを俺のベッドから引き抜いて上に置いた。おっさんはそれを……ただ見ていた。
「それじゃお休み。寒かったら……我慢してくれ」
「おいおい、なんだか……みんな、ぜんぜん驚いてないようなんだが。もしかして、信じてくれてないのか?」
「いや、おっさんのことは信じている。凄く驚いている。でも、そんな驚きにも、みんな慣れてしまっているだけだから気にしないでくれ。じゃあお休み」
俺はベッドのカーテンを閉めた。
おっさんは一人で考え込んでいたようだが、しばらくすると電気を消して横になった。
夜中、イビキの合唱は物凄かったのだが、全員そのことに気付くはずもなかった。