安永、席を譲る。
「次は、Y公園前駅」
日曜日の今日、電車は旅行帰りの家族連れでかなり混雑していた。旅先での興奮が覚めやらぬ彼らは、馬鹿でかいスーツケースを自分たちの周りを取り囲むようにして置きながら、大声で話をしていた。彼らもまた、お荷物のようなものであった。
今日も無賃乗車を満喫する安永(23才・男)は、電車のアナウンスを聞き、次で降りようと考えた。Y公園前駅は改札付近がいつも手薄になっているからだ。
Y公園は、Y市内にある大型テーマパークであった。年寄りだらけとなった昨今はめっきり人足が遠のき、すっかり寂れてしまっていた。
最寄り駅であるY公園前駅は、テーマパーク開園に伴って設置されたから、テーマパークの衰退と運命を共にしているのであった。
安永は乗車してからずっと座席に座って、うつむきながら腕を組んでいた。
すると、安永の頭の上の方から、男の声が聞こえてきた。
「兄ちゃん、お年寄りに席を譲ったらどうなんや」
ふと見上げると、細い銀縁のメガネを掛けた、優しいお父さん風の男が吊革に両手をかけながら、腕越しに安永を見下ろしていた。男は続けて言った。
「ほら、お年寄りがいてはるで。兄ちゃんずっと座ってるやんか。どうせすぐ降りるんやろ。」
男は家族連れではないようだった。家族に自分の格好良いところを見せようとしたのではないようだ。自分に声をかけるなど一体どういう根性をしているのか、と安永は腹立たしく思った。
しかし、このような態度をとる安永も、ただのチンピラではない。国立の医学部医学科に通う大学5回生のチンピラである。
とはいえ、人類が基本的に不死となった現在、医学部の価値などほぼ失われていた。精神科医は存在するものの、紫の布を被り、水晶玉やタロットを片手にデタラメを並べたてる商店街の占い師ほどの価値しかなかった。
安永は、無賃乗車を成し遂げるためにはY公園前駅で降りなければならなかった。席を譲っても一向に構わなかったが、人に言われてから譲るのはなんだか癪であったから、座り続ける作戦にでた。
「おっさん、ここは俺の席や。ずっと座ってるから俺の体温の一部が座席のシートに移動してるんや。俺はここにマーキング(※動物が自己の縄張りを示すこと。犬が電柱の小便するのと同じ。安永は言葉の意味をよく知らなかった)したってことや。すまんな」
獣医学部出身の男は、思わず笑いそうになったが、挑発して噛みつかれては面倒だと思い、落ち着いて語りかけた。
「まあまあ、そう興奮せんと。電車やバスでお年寄りに席を譲るのんは迷惑防止条例で義務化されてるやんか。罰金食らうで、罰金。兄ちゃんの生活を思ってゆうてるんやんか。罰金なんか食ろたら、痛ぁて痛ぁてしゃあないんとちゃうん」
これは確かに男のいう通りであった。人類は不死になり、年寄りだらけとなってしまったため、座席が埋まっている場合には座席を譲ることが迷惑防止条例の改正によって義務化されたのであった。今や若者が座席に座るのは、迷惑行為となっていた。
周りを見回しても、座っているのはみな年寄り(140~160?才)ばかりであった。まだまだ生まれたての若々しい安永は、シワシワ、クチャクチャたちの中にあって一際目立っていた。
仕方あるまい、と観念して安永は席を立った。すると、あろうことか前立って安永に説教していた男が、すかさず空いた席に体を滑り込ませた。 はあ?何やコイツ!と思いながら、安永は男を見おろした。勝利を手にした男は、安永に不敵な笑みを投げかけている。銀縁のメガネ越しに見える目が、呆気にとられている安永を見上げている。すると、男はふと思い出したように少し腰を浮かせ、ズボンの後ろのポケットの財布を取り出した。そして、黒皮の二つ折りの財布から、名刺を一枚引き抜き、慇懃に両手を添えながら安永に差し出した。
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