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ブランカ

 私の主人、ジュリエッタ様。あの方が他人に殺されるほどの罪を犯していたとは思わない。けれどそれはあくまで私の主観であり、私が部外者だからこそ言える事だ。

 私はあの方が他人に殺されるほどの悪人ではないと思っていたと同時に、私以外の誰かがあの方を殺したいほど憎んでいたのも知っていた。けれどそれはしょせん他人事なのだ。だって私には関係のない世界の事だから。私個人は、ジュリエッタ様を殺したいほど憎んでいたわけではないから。

 “奇跡の姫巫女”。ジュリエッタ様がその地位についた事により得たものを羨ましく思う事も、もし私があの方の立場であればどうしたかを考える事もあった。私は孤児でこそなかったが、貧民街で生まれ育った身だ。家族のために幼いころから働かなければならなかった私にとって、何から何まで恵まれていたジュリエッタ様の境遇は完全に別の世界のものだった。

 嫌いだと言ってあの方が捨てた食事を孤児院に持っていけば、どれだけの子供を飢えから救えるだろう。新しいものがあるからと言ってあの方が使わなくなった服飾品を救貧院に持っていけば、どれだけの貧民を寒さから救えるだろう。そういった意味ではジュリエッタ様に軽い怒りを覚えていた事も否定はしないが……それでもやはり、それはあの方のお命を狙うほど激しいものではなかった。

 私はよくも悪くも平凡で……そう、言うなれば脇役だった。ジュリエッタ様が華々しく主役を飾る物語があるとして、そこに私の居場所はない。名前を覚えていただけていれば僥倖、そんな小道具。それが私だ。

 ジュリエッタ様にとって私はその程度の存在であり、私もまたそれより深くあの方にかかわろうとしなかった。だから私は、無責任にも同じ口で「まさか殺されるとは思わなかった」「けれどそれも仕方ない事かもしれない」と言えるのだ。

 ジュリエッタ様はよく言えば自分に素直、悪く言えばわがままなお方だった。天使かと見紛うほどの美貌を持つあの方は、その実妖精のように奔放だ。あの方のお心を求めて男達があの方に愛を囁くさまを、私は陰から幾度となく目撃してきた。

 侍女達の憧れであった神官達や騎士達も、社交界で浮名を流しているという貴族達も、才気あふれる若い商人達も、私が密かに思いを寄せていた庭師も。誰もがジュリエッタ様に夢中だった。それは蜜を求めて花に虫が集うのと同じぐらい自然な光景で、そういった意味では必然のものだったのだと思う。

 けれど世界に咲いた花はジュリエッタ様だけではない。選ばれなかった花達は、惨めにしおれていくほかなかった。そんな彼女達の怒りが男達を独占するジュリエッタ様と、盲目的に彼女を崇拝する男達に向かうのも仕方のない事だろう。

 彼女達は陰でジュリエッタ様を誰にでも媚を売る女だと罵り、そんな事も見抜けずあんな女にうつつを抜かすなんて見る目がないと男達を罵っていた。

 それは醜い嫉妬だ。選ばれなかったのは、私も含めて選ばれなかった女達にジュリエッタ様を凌駕するほどの魅力がなかったからに過ぎない。男達が選んだのは、私達ではなくジュリエッタ様なのだから。最も当のジュリエッタ様は、有象無象の男など歯牙にもかけない様子だったが。

 けれど嫉妬の一言で済ませられるほど、女達の憤りは生易しいものではなかった。私のように片想いの相手がジュリエッタ様に心を奪われ、想いを伝えられないまま失恋した女ばかりではないのだ。中には恋人や婚約者がジュリエッタ様に執心し、破局を迎えた者も数多くいる。彼女達にとって、もはやジュリエッタ様は敵だった。

 ジュリエッタ様に非はないだろう。相手の男の心の持ちようと、誠意のなさが招いた悲劇だ。それでもそんな理屈が通用するほど人の心というのは機械的なものではない。たとえジュリエッタ様にそのおつもりはなくても、ジュリエッタ様の魔性とも言える美貌が男達の理性を狂わせたのは事実なのだから。

 皮肉なものだ。いるだけで奇跡を体現し、いるだけで平和の象徴となる“奇跡の姫巫女”様が、いるだけで罪深き存在となろうとは。

 異性が自分に群がってくる事に対して、ジュリエッタ様がどう思っていらっしゃったのかは正直なところ定かではない。私はしょせんただの侍女、それ以上でもそれ以下でもないのだから。

 そんな私に、ジュリエッタ様のお心を正確に測れるはずもない。……あくまで主観で言うならば、言い寄られている事に困って迷惑している風を装いつつもまんざらではなかったように見えたが。

 それはともあれ、私はジュリエッタ様に怒りと憎しみを抱く女達とは違っていた。労働を知らない白魚のような指は羨ましかったが、己のあかぎれだらけで節くれだった指を見て恨めしいと思った事はない。まっすぐ伸びた長いつややかな金の髪を羨ましく思う事こそあれ、金というより茶色に近い縮れた髪をつまんで恨んだ事もない。私は私、ジュリエッタ様はジュリエッタ様だからだ。

 私を路傍の石ころとするなら、ジュリエッタ様は光を受けて輝く金剛石だろう。勝負する……否、同じ場所に立つ事すらおこがましい。庭師の彼にしたって、最初からこの想いが届くはずもないとわかっていた。だから私は、ジュリエッタ様を心の底から憎まずに二年もの間お仕えする事ができたのだ。

 ジュリエッタ様は子供じみたわがままを繰り返す方ではあったが、そのほとんどはテオバルド様やフィデリオ様をはじめとしたジュリエッタ様の周囲の男達によって叶えられていたので、私が直接頭を悩ませるような事も少なかったのも理由の一つだろう。


 ジュリエッタ様が殺されたと聞いたとき、私はどこか冷静にそれを受け止めていた。いずれこんな日が来る気がしていたからだ。けれどジュリエッタ様が殺された理由は、私の予想とはまったく異なるものだった。

 その日、私は非番で街に出かけていた。だから知らなかったのだ。神殿で何があったかなんて。

 神殿に帰ってきた私を出迎えたのは、ジュリエッタ様の訃報と城の騎士達だった。私はジュリエッタ様の侍女だという事で騎士に連れていかれ、事の次第を聞かされた。姫巫女暗殺の罪を犯したのはルチアという女で、テオバルド様の情婦だったという。殺害の現場にはテオバルド様も居合わせていたとか。

 これには私も驚いた。テオバルド様といえば、強くジュリエッタ様に想いを寄せていらっしゃるとばかり思っていたからだ。それなのにまさかテオバルド様が恐れ多くも姫巫女暗殺を企て、ルチアとジュリエッタ様を入れ替わらせようなどと考えていたとは。

 テオバルド様の投獄と同時に神殿の闇が次々と暴かれ、私も神殿の人間という事で取り調べを受けた。並べられた罪状はすべて身に覚えのないものだったために知らぬ存ぜぬで通したが、そのかいあってその日には無事釈放された。この十五年間、どれだけ地味でもひたすら真面目に生きていた事が報われたのはその日が初めてだったかもしれない。

 神殿はすぐに封鎖され、王家の監視下に置かれる事になった。私を含めた多くの神殿関係者が、用意された仮設の宿舎―城の人間の目の届く場所だ―で謹慎を言い渡され、逃亡を図った者は容赦なく投獄された。長のつく役職だった方々もほとんどが投獄されたという。もはや神殿は神の家としての威厳を失っていた。

 ほどなくしてルチアとテオバルド様の処刑が行われたが、私はそれを見に行かなかった。たとえ罪人とはいえ人の死で熱狂する感覚がわからなかったし、そんなお祭り騒ぎに巻き込まれたくなかったからだ。

 私からすれば二人は主人の仇ではあるのだが、彼らの死を見届けたところでジュリエッタ様の供養になるわけでもない。それより静かに冥福を祈ったほうがジュリエッタ様のためだろう。痴情のもつれで死ぬだろうと失礼な予想をしていた事への謝罪も含め、私は一日中祈りを捧げていた。


「ブランカ、ブランカ。ちょっと来てくださる?」

「はい、なんでしょう?」


 夜にやってきたのは先輩の侍女だった。大罪人の処刑を祝して酒宴を開いたはいいものの、お酒の飲みすぎでひどく酔ってしまった人が多いから介抱してほしいのだという。どうやら人手が足りないらしく、酒宴に顔を出していなかった私にも声がかかったようだ。

 人の死を喜ぶために催された場に赴くのは嫌だったが、嫌だとは言えない。私は渋々酒宴が開かれたという大部屋に向かった。

 なるほど中は死屍累々と言った様子だ。高いびきをかいて眠る者はまだいいほうだった。酒が入って暴れている者もいて、男手のほとんどはそちらに割かれている。確かに、これならいくら手があっても足りないだろう。


「じゃあ、私達と一緒にフィデリオ様を部屋までお連れしてくださるかしら」

「わかりました」


 私は数名の侍女と一緒に、机に突っ伏して眠る赤い顔のフィデリオ様を担ぎあげた。

 ……うむ、重い。騎士という事もあって体格が立派な事に加え、今のフィデリオ様は意識がないのだ。女四人がかりでもなかば引きずるような形になってしまったが、文句は言わないでほしい。時々うめき声が聞こえて結局途中から自力で歩いていらっしゃったようだが、私達が悪いわけではないのだ。

 本当の事を言ってしまうと、フィデリオ様が酒宴にいらしていたというのは少し意外だった。フィデリオ様はテオバルド様と特に親しかったお方だ。フィデリオ様もジュリエッタ様を強く想っていたという点では二人は恋敵だし、仲がよかった反動でジュリエッタ様を殺された怒りがさらに強い憎しみに変わってしまったのだろうか。

 そんな疑問が顔に出ていたのか、侍女の一人がこう語った。フィデリオ様はやけになったように酒を呷っていたのだ、と。本当は酒瓶だけ持っていって一人で部屋で飲みたかったようだけど、他の者によって強引にその場に残らされたのだと。ようするにフィデリオ様は、テオバルド様の処刑を祝して行われた酒宴に参加したかったわけではないようだ。もしかすると、やけ酒でも飲まなければやっていけなかっただけなのかもしれない。

 フィデリオ様の部屋として与えられた四人部屋に、他に人はいなかった。どうやら他の住人は酒宴に参加しているか、死刑が執り行われる日に出る屋台を見て回っているようだ。侍女達はフィデリオ様を寝台に寝かせ、次の酔客を運ぶべく早々に部屋を後にした。私も当然彼女達の後を追い――――扉を開けたところで立ち止まってフィデリオ様を振り返った。


「フィデリオ様。これから私達、どうなってしまうのでしょうね。もう神殿はありませんし、ジュリエッタ様もいらっしゃらないんです。……私達は、一体どうやって生きていけばよいのでしょう?」


 フィデリオ様は気さくなお方だが、だからと言って特別親しいわけではなかった。フィデリオ様の友好的な態度は誰にでも平等に接する事の裏返しだ。互いにそう割り切っているし、私達の間には主人を同じくする者という以上の関係はない。

 フィデリオ様は私ともそれなりに会話をしてくださっていたが、それはあくまで世間話の領域を出ないものだ。私的な事などお互いに話した事はなかった。だからこの時、何故私がその場に残ってフィデリオ様にそんな質問を投げかけたのかは私自身にもわからなかった。


「……ぶらん、か?」


 フィデリオ様はわずかに顔を上げた。立ち去らない私を訝しげに見るわけでもなく、フィデリオ様は悲しそうに顔を歪める。


「殿下が、この国、変える、と。テオ……が、言って、いた。お前が気にする、事ではない……さ」

「……さようですか」


 それだけ言うと、フィデリオ様はすぐに寝入ってしまった。私もすぐに部屋を出て、酒宴の開かれている大部屋に小走りで戻った。

 小耳に挟んだのだが、アルフレード殿下は神殿から差し押さえた財を貧しい者達に分配しているらしい。もともとそれは神殿が不法に巻き上げたものだとおっしゃって、積極的に社会的弱者の救済に使用しているとか。

 その行いは素晴らしいものだ。殿下のお心は、神と……いや、神殿とともにあったこの国のありようを変えるだろう。殿下はきっと、腐敗した神殿によって弱まった国を神殿を切り離す事で生まれ変わらせるおつもりなのだ。

 テオバルド様の言う通り、殿下はこの国を変えてくださるに違いない。神殿とともに生きていた私のような人間も、それに伴い変化していく。正義の名のもとに神殿の闇を暴き、苦しめられていた人々を救った殿下なら、きっと私達の受け皿も用意してくれるだろう。

 地に堕ちた神の力などに頼らずとも、殿下ならば生まれ変わったこの国をまとめる事ができるはずだ――――けれど何故だろう、私はあの方が信用できない。

 殿下に不信感を抱いたのは、果たしていつのころからだっただろう。しかしあの方の空色の瞳を恐ろしいと思うのは私だけのようで、私は誰にもその疑念を打ち明ける事ができなかった。言ったところで笑い飛ばされるか、不敬だと眉をひそめられるのがせいぜいだとわかっていたからだ。


 それとも、すべて私の勘違いで――――私達は何も考えず、殿下に身を任せていればいいのだろうか?

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