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フィデリオ

「ジュリエッタ様って超美人だよな! あんなお方に仕えられるなんて幸せだぜ!」

「……」


 当代の奇跡の姫巫女、ジュリエッタ様がオレ達を側近に選んでくださった日、オレは感激に打ち震えていた。奇跡の姫巫女といえば、神の奇跡を体現するお方だ。そして奇跡の姫巫女が体現する『奇跡』とはこの世の穢れを浄化する事だ。具体的に何をどうするのかはわからないが、“そういうもの”として教えられていた。事実、奇跡の姫巫女に選ばれた方がいらっしゃる時代は平穏そのもので、戦争はもちろん流行り病や天災だって起きた事はない。奇跡の姫巫女はどの時代にも必ずいるというわけではないが、いる時代はまさにこの世の春なのだ。

 ジュリエッタ様はもともと高貴な家のご令嬢だったという。そんなお方が平和のために、立派な家柄も、ご自分の記憶も、貴族としての人生もなげうったのだ。顔が綺麗な人は心のほうも清らからしい。そんな彼女にお仕えできるのはこれ以上なく名誉な事だ。それなのにテオバルドは、何故か浮かない顔をしていた。

 思えばあいつは、少し変わった奴だった。周囲に馴染まないよう壁を作って、必要以上に他人とかかわる事を避けて。あいつはいつでも一人だった。

 遠い孤児院から来た奴はあいつ以外にもいたし、粗暴すぎてあいつよりよほど手のつけられない孤児院出身者だって大勢いた。だが、何も言わずにすさんだ顔をして佇むだけのあいつは確かに異質な存在だった。

 神官と護衛騎士は二人一組で行動する事が多い。年が近いという事で、オレの相方にはあいつが選ばれた。それでも、最初はあいつとどう接すればいいかわからなかった。話しかけても睨みつけられるか二言三言の気のない返事が返ってくるだけ。もしかしてあいつはオレの名前すら覚えていないんじゃないか、そう思った事は一度や二度じゃない。

 それでもオレはしつこくあいつに話しかけた。孤児騎士にとって上司の命令は絶対だったし、何よりオレ自身がそこで諦めたら負けだと思っていたからだ。そのかいあって、今でこそ人並み程度の会話はできるようになったが……ジュリエッタ様にお仕えしたばかりのころは、意思の疎通でさえも難しかった。

 ジュリエッタ様と初めてお会いした日、テオバルドはやけに不機嫌そうだった。奇跡の姫巫女であるジュリエッタ様がオレ達を側近に選んでくださった日も、あいつの仏頂面は変わらなかった。むしろいつもより口数も少なく、何かに不満を持っているようだった。


「なあテオ、どうした? 嬉しくないのかよ? 何が気に食わないんだ?」

「……ああ、嬉しいさ。俺はこのために神官になったんだからな」


 そう言った青の瞳はどこか遠くを見ているようで、嬉しいと語る口元は狂気に歪んでいるように見えた――――きっとこの日、オレは初めてテオバルドに恐れを抱いた。


* * *


「――オ、大丈夫ですか、フィデリオ!」

「……ん……」


 目を開けると、そこには心配そうなアルフレード殿下の顔があった。……あれ? どうして殿下がここに……?


「離せっ!」

「おとなしくしろ!」


 寝ぼけ眼のままそんな事を疑問に思ったのもつかの間、漂う血の臭いと喧騒がオレを現実に引き戻す。そうだ、懺悔だ。神殿長が変な女の懺悔の予約を持ってきて。テオバルドがそれを受け入れて。そして黒い女が現れた。テオバルドと黒い女はまるで恋人同士のように睦み合っていて、それで。


「ジュリエッタ様は――ッ!?」

「……見ないほうがいいですよ。君は心から姫巫女様に忠誠を捧げていたようですから」


 殿下は悲しそうにそう言う。しかしそのころにはもう、担架に乗せられて運ばれていく白い布を被せられたものを見てしまった。布からはみ出た艶のある長い金の髪は、あの方のそれとよく似ている。そんな、嘘だろ?


「あら、お目覚めかしら? ふふ、忠義の騎士が聞いて呆れるわね。主の危機にも気づかずぐうぐういびきをかいているなんて」


 嘲笑が聞こえた。騎士に取り押さえられた一人の女のものだ。神殿の騎士とは装備が違うから、殿下が王城から連れてきた騎士だろう。

 神殿内では神殿騎士以外が武装する事は許されないというのに、彼らは平然と帯剣している。今までにない異常事態が起きているのは明らかだった


「テオ、貴方も何か言ってやりなさい。間抜け面を晒しておねんねしていたお友達に、哀れみの言葉でもかけてやったらどう?」


 その女はジュリエッタ様によく似ていた。確か名前はルチアと言っただろうか。刺々しくも退廃的な色香をまとうその佇まいはまるで毒婦のようで、その一点がジュリエッタ様と眼前の女との区別をつけていた。


「それもそうだな。……おい、フィデリオ」


 騎士に取り押さえられているのはもう一人いた。テオバルドだ。綺麗な顔を歪ませて、テオバルドがオレを見ていた。


「俺の相方がお前でよかったよ。あれだけ俺と一緒にいて何も気づかないんだからな」

「テオバルド……?」

「お前の馬鹿さ加減にはつくづく助けられたぜ。どうせお前は、俺が何をしていたかなんてちっとも知らないんだろ?」


 そうだ、オレは何も知らなかった。テオバルドがルチアと通じていた事も、テオバルドがこんな恐ろしい計画に加担していた事も。


「戯れ言は聞き飽きた。……連れていけ」

「はっ!」


 殿下がとても冷めた声で騎士達に命じる。騎士達はテオバルドとルチアを連行していった。


「……彼に言われた事は忘れてください。君は一切の不正に関与していなかった、騎士の中の騎士です。それを誇る事こそあれ、恥じる事はありません」


 殿下は優しくそう言ってくださった。だが、そんな言葉もオレの胸には響かない――――あいつの事を友達だと思っていたのは、オレだけだったのか?


* * *


 奇跡の姫巫女ジュリエッタ様を暗殺した罪でテオバルドとルチアは投獄された。そしてそれと同時に、殿下による神殿の是正が始まった。

 殿下は以前から神殿の腐敗に目をつけていたらしい。そして今回の事件をきっかけに神殿が行っていた罪の数々が次々と公になり、いよいよ本格的な改革に乗り出せるようになったそうだ。

 殿下がジュリエッタ様と親しくなったのも、神殿の内部調査の一環だったというから驚きだ。オレはそんな話は一切聞かされていなかったが、きっとジュリエッタ様も神殿の腐敗には胸を痛めていたのだろう。

 もう少しで決定的な証拠が掴めるというときに、ジュリエッタ様はテオバルド達によって暗殺されてしまった。事態の発覚を恐れたテオバルドが先手を打ったのだ。しかしその判断はすでに遅く、殿下はもう神殿をあと一歩で追い詰められるところまできていた。それがあの、騎士達を連れた強制捜査だ。

 殿下自ら指揮を執って神殿に突入した騎士達は、懺悔室で事切れるジュリエッタ様と血に塗れたナイフを握ったルチアを見つけた。そしてそのままルチアとテオバルドを捕らえ、同時進行で神殿内を捜索したという。

 神殿内からは言い逃れできないほどの不正の証拠がざくざく見つかった。横領、贈収賄、麻薬栽培、人身売買、不法な売買春。ありとあらゆる犯罪の温床、それがオレが今まで信じてきた神殿の本当の姿だった。

 驚くべき事に―いや、今さらかもしれないが―すべての犯罪の中心にいたのはテオバルドだった。あいつが神殿長から温室を賜ったのは麻薬の原料となる植物を育てるためで、あいつは育てた植物から作った麻薬を色々なところに横流ししていたのだ。

 それだけじゃない。お布施を横領して、孤児院から年端もいかない少女達を引き抜いて変態どもに高値で売りつけて、たんまり稼いだ金を神殿長や一部の貴族に渡して様々な便宜を図ってもらって。どこまでも王威を嘲るその行いに、下された判決は死罪だった。

 神殿の腐敗。その言葉をたった一人で体現したテオバルドは、己の罪を否定する事はしなかった。それどころか積極的に顧客の名前や贈収賄にかかわった人物の名前を明かしているという。しかしそれと引き換えに減刑を願い出る節はないらしい。

 そんなテオバルドが捕まった事で、今まで陛下や殿下ですらうかつに手を出す事ができなかった暗部が芋づる式に明るみになっていった。テオバルドが喋れば喋るほど新たな埃が出てくるため、あいつの罪はより重くなっていくばかりだ。そしてそれと同時に神殿の権威は失墜し、かつては王と並ぶと謳われていた神殿長さえ今では罪人として牢に繋がれている始末だった。

 神官長や神殿騎士長をはじめとした神殿内の権力者も次々と捕らえられている。オレのように何も知らなかった者も、神殿関係者だという事で白い目で見られてしまっていた。もっとも、投獄されるよりはましだろうが。

 ルチアは元娼婦だったらしい。奇跡の姫巫女たるジュリエッタ様によく似ているため、もといた娼館ではかなりの売れっ子だったそうだ。

 テオバルドはルチアの情夫で、アルレッキーノという偽名を使って娼館に通い詰めていたらしい。そして一年ほど前、多額の金を払って彼女を身請けしたという。数多くの悪事に手を染めて荒稼ぎをしていたので、人気の娼婦を一人身請けする程度の事はテオバルドにとって造作もない事だったのだろう。

 テオバルドは語った。ルチアとジュリエッタ様を入れ替わらせるためにジュリエッタ様を殺したのだと。

 ジュリエッタ様はテオバルドを信頼していたが、決してテオバルドの言いなりになるようなお方ではない。テオバルドがジュリエッタ様を操るのは無理だろう。しかし自分の情婦が“奇跡の姫巫女”になるなら、今まで以上に派手にやれるに決まっている。そうなればいよいよテオバルドの天下だ。殿下と一緒になって不正を暴こうとしているジュリエッタ様が死ねば、悪事が露呈するのを遅らせると同時に殿下に対する牽制にもなる。まさに一石二鳥だった。

 ルチアもテオバルドと同じ事を言った。奇跡の姫巫女ジュリエッタになって思うがままに権力を振るうつもりだったのに、予定がすっかり狂ったと。けれど後悔はしていない、愛するテオと堕ちるところまで堕ちる事ができたのだから――――熱に浮かされたようにそう言って笑うルチアの目には、強い愛執と深い狂気が感じられた。



「フィデリオ、ちゃんと休んでいますか? 目の下にくまができていますよ」

「殿下……」


 テオバルドとの最後の面会をしようと足を運んだ牢獄で殿下に会った。テオバルドを取り調べした帰りだと言う。取り調べのため、殿下は自ら牢獄に何度も足を運んでいるらしい。

 単純に事の真相を知りたいがため、そしてテオバルドとの友情の幻想に縋っていたいがためにテオバルドとルチアのもとに通っていたオレとは違い、殿下は仕事熱心なお方なのだ。暗殺事件が起きる数か月前から、殿下は神殿の罪を暴くために身を粉にして働いていらっしゃったというから頭が下がる。


「まさか、まだ取り調べの時の苦痛が尾を引いているんですか? ……君には申し訳ない事をしました。結局君は無関係だったというのに、まるで罪人のような扱いをしてしまって……」

「いえ、大丈夫です。ご心配なさらないでください」


 テオバルドの相方で、神殿騎士の中でもそこそこ高い地位についていたオレも疑惑の目を向けられた。そのせいで、騎士達によって数日間かなりきつい取り調べを受けていたのだ。

 しかしテオバルドが言ったというオレを馬鹿にしたような証言の数々や、どれだけ叩いても埃一つ出てこなかった事から、オレは神殿の腐敗には無関係だと結論づけられ、今はもう釈放されていた。オレが疲れているように見えるというなら、それはジュリエッタ様を喪った事と親友だと思っていた男に裏切られた事による精神的な疲労だろう。

 殿下に会釈をしてその場を離れ、面会の手続きをしに牢番の詰め所に向かう。あらかじめ予約はしてあるので、特に止められる事もなくテオバルドがいる牢まで行く事ができた。テオバルドは満身創痍といった様子ではあるが、不遜な態度を崩していなかった。


「ん? 今度はお前か、フィデリオ。どいつもこいつも暇人だな。もっと他にする事はないのか?」

「今日お前に会う事以外に、重要な事があるのかよ?」


 姫巫女の暗殺という大罪を犯したルチアは明後日処刑される。ルチアが死んだら、次はテオバルドの番だ。

 テオバルドは遅くとも一週間後には処刑されるだろう。部外者でしかないオレがテオバルドと会えるのは今日が最後だった。


「はっ。なんだ、俺の命乞いでも拝みに来たってか? 残念だったな、俺はもう生きる事に未練なんざないんだよ。やりたい事は全部やってきたからな。最後は潔く締めるのも悪くないだろ」


 下品な笑い声が響く。冷静沈着、鉄仮面。そう謳われていたはずの、大人びていて落ち着き払ったテオバルドはどこにもいなかった。あるいはその性格すら作られたもので、これこそこいつの本性だったのだろうか。


「テオ。ジュリエッタ様は、お前の事を最後まで信じてたと思うぜ」

「違うね。あの女は顔さえよければ誰だっていいんだ。その証拠に、お前やグイド、それからアルフレードにも媚を売っていやがっただろ? あいつは俺の顔しか見ちゃいないのさ。だから俺は、あいつに取り入るためにこの顔を利用したんだ」


 テオバルドはそう言うが、それでもやはりジュリエッタ様に一番好かれていたのはこいつだったと思う。オレは永遠に二番手だった。ジュリエッタ様を想う気持ちは誰にも負けない自負があるが、きっとジュリエッタ様にとって俺はいい友達でしかなかっただろう。


「確かにジュリエッタ様は恋多きお方だったかもしれない。でも、ジュリエッタ様のお気持ちはお前に向いていたはずだ」

「じゃあ仮定しようか。お前の言ったとおり、あの女が俺を愛していたとして。それでも俺はあの女を愛さない。俺が愛するのは世界でただ一人、この世にはもういない女だからな」

「……ルチアの事か?」


 ルチアはまだ処刑されていないが、こいつがそこまで言う相手なんてジュリエッタ様によく似たあの娼婦しか思いつかなかった。

 テオバルドは、ルチアがジュリエッタ様に似ていたから彼女を身請けしたのではなく、ジュリエッタ様がルチアに似ていたからジュリエッタ様の傍に侍っていたのか? それなら二人はいつ知り合った? オレの知らないときに、すでに崩壊の予兆は始まっていたのか?


「まあそう思ってくれて構わないさ。たとえ見た目が同じだろうと、あの女はあいつにはなりえない。中身が別人なんだからな。あの女があいつと同じように甘えてくると思うと虫唾が走るぜ」


 テオバルドは唾を吐く。薄い唇が嘲笑に歪み、闇に飲まれて濁った瞳がオレを捉えた。


「ああ、お前は本気であの女に惚れてたんだったか? 悪かったな、お前の気持ちを踏み躙っちまって」

「正直、それについては許そうとは思わねぇ。お前がオレ達を裏切ってジュリエッタ様を手にかけたのは事実だからな。それでもオレは――お前の事を、友達だと思ってる」

「は?」

「お前、わざとオレを馬鹿にするような事を言ってたんだろ? そうやって自分との縁を切って、オレは汚職とは無関係だって宣伝したかったんだろ?」

「……何言ってんだ、お前」

「オレはお前の言う通り馬鹿だから、難しい事なんてわからねぇ。馬鹿だからこそお前のそれをオレの都合のいいように解釈するし、お前がオレの事をどう思っていようとオレはお前の友達だと思う事にしたんだ」

「ずいぶんとおめでたい野郎だぜ。俺はお前を利用しただけだし、お前については本当の事を言っただけだ。お前が投獄されようが釈放されようが、俺の知った事じゃないな」

「お前がそう言うならそれでもいいぜ。オレは自分の考えを信じるからな。今さらお前が何を言おうと、オレの考えは変わらねぇよ」

「……そんなんだから、お前は利用されるんだよ」


 この国には馬鹿しかいないのか。うんざりと呟かれた言葉の真意を問うにはすでに遅く、硬い靴の音が響いてきた。牢番だ。


「これからはせいぜい騙されないように気をつけるんだな、フィデリオ。この国はアルフレードの手によって生まれ変わるんだ。神殿の事も奇跡の姫巫女の事も、俺の事も忘れちまえ」


 それがテオバルドの最期の言葉だった。結局テオバルドの真意がどこにあったのか、自称親友にすぎないオレにわかるはずもなく。


 ――――そしてその五日後、オレの親友は大勢の人に礫を投げられながら処刑台の上に立ち、その首を斬り落とされた。

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