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ハナムラジュリ 6

 意味がわからない。この絵は一体なんなんだ。

 明らかに私をモデルにしてあるのに、私はこの絵の存在を今まで知らなかった。つまりこれは、私には秘密で描かれたという事だ。

 そういう視点でよく見れば、確かに細かいところが実物とは異なっていた。記憶を頼りに描いたからだろう。そのせいか、雰囲気まで若干違っていた。神聖系美少女ジュリエッタちゃんが、邪悪系美少女ジュリエッタ様ぐらいになっている。

 ……悔しいけど、色気は肖像画のほうが上だ。肖像画の私もちゃんと露出度の欠片もないドレスを着ているのに、何故こうもなまめかしいのだろう。画家のリビドーがなせる業なのだろうか。これを描いたのは恐らくアルフレードだろうから、少し複雑な気分ではある。

 この部屋も生活感のある寝室だった。私の絵がかかっているという事は、まず間違いなくこっちがアルフレードの部屋だろう。だけど、愛人を生活させている屋敷で本命の女の子の肖像画なんて、普通飾るだろうか。


「……ん?」


 絵の隅に何か書いてある。なになに……『美しき毒の花に愛を込めて』? ……毒の花って言われちゃったよ。

 これでこの絵は完全に悪女を意識して描かれている事がはっきりした。そうか、アルフレードは私の事をそんな目で見ていたのか。ちょっとショックだ。

 不思議な事はまだある。……アルフレードって、風景画が専門じゃなかったっけ?

 風景画専門、というのはグイドから聞いた、アルフレードの自己申告だ。だからアルフレードは風景画しか描けないというのは私の先入観に過ぎない。その証拠にほら、アルフレードは私に内緒で人物画を描いていた。アルフレードがグイドに隠していたのか、あるいはグイドが私に嘘をついたのか。そのどちらかだ。

 肖像画がかかっていた壁とは反対側にもドアがあった。まだ突き当りまでは廊下に余裕があるのにドアがないと思ったら、この部屋が続き部屋になっていたらしい。……あのドアの向こうには、何があるんだろう。

 漠然とした不安を感じた。どうしよう、この感じ。見なかった事にして帰ったほうがよさそうだ。だけど、湧きあがる好奇心は――もう、止められない。


 隣の部屋は少し薄暗かった。闇に目が慣れるのを待ってから室内を見回し――――


「――ッ!」


 息を飲んだ。

 何なの、この部屋。


 壁を埋め尽くすほどの絵、絵、絵。題材はどれも同じ少女――――そう、私だ。


 手で顔を隠しながら、一糸まとわぬ姿で寝台に寝そべる“私”のタイトルは、そのまま『彼女』だった。

 寝台に腰掛け、誘うように淫靡に笑いながら白い布で胸元を隠しているものもある。そっちのタイトルは『咲き誇る夜』。

 『花の一生』と銘打たれた絵では、赤い花びらが舞い散る中で“私”が踊っている。

 白百合の花束を抱きながら、眠るように死んでいる“私”もいた。タイトルは『解放』。……死ぬ事で何かから解放されるって事?

 『無題』というタイトルが一番多くて、窓際に佇んで切なげに外を見つめる“私”もいれば、森林浴を楽しむ『私』もいる。このタイトルの場合、背景はどうやらこの屋敷の中や屋敷の周辺らしかった。

 『誓い』『葬送の夜』『光の乙女』……他にも多くの“私”がアルフレードによって生み出されていた。数々の絵の中で“私”は殺され、生かされている。まだイメージが定まっていないときに描いたのか、少し幼く見えるものもあった。

 ……アルフレードの中で、私は一体どんな存在だったんだろう。


 どの絵も想像で描いたものだからか、やっぱり本物の私とは少し違う。そして、その中でも決定的に違う箇所があった。

 絵の中にはヌードもセミヌードも、ヘアヌードもある。この違いは、そういった胸元が露出している絵でだけわかる事だ。

 私は左胸のあたりに刺し傷がある。何年経っても消えなかった古傷だ。そして肖像画の“私”は、左胸に赤い薔薇の刺青がある。

 これは多分、何かの理由で傷跡を描き込みたくなかったアルフレードの代替案だろう。確かに、傷跡よりは薔薇のほうが見栄えがする。だけど私は――――胸の傷の事を、誰にも言っていない。

 アルフレードが知っているわけがないのだ。知らない以上、こんな場所に薔薇なんて描くわけがない。だけど、肖像画の私にはこうして胸に薔薇が咲いているわけで。それならどうして、アルフレードは知っているのだろう。


 怖くなった。誰も知らないはずの秘密を知っている事も、私に内緒でたくさんの絵を描いていた事も。

 前世で見たドラマで、ストーカーが部屋中に好きな女の子の写真を飾ってほくそ笑んでいるというシーンがあった。アルフレードは、まさにそれではないだろうか。

 気づいた時には駆け出していた。急いで客間に戻る。私を見て、フィデリオはほっとした顔をした。帰りが遅かったから心配したのだろう。私もほっとした。大丈夫、フィデリオはいつものフィデリオだ。


「帰りましょう、フィデリオ」

「え? よろしいんですか?」

「ええ。もうここにはいたくないから」


 困惑するフィデリオを無理に立ち上がらせ、玄関へと向かう。様子を見に来た執事が怪訝そうにしていたけれど、構うものか。


「今日、私達が来た事は、絶対にアルフレードに言ってはだめよ。他の使用人にもそう伝えておきなさい」


 帰り際、執事にそう言ったけれど、その約束が守られるかどうかはわからない。彼らの主人はアルフレードだ。アルフレード相手に嘘の片棒を担いでくれるだろうか。

 それでも牽制はしておきたかった。打てる手は打ちたい。理由は簡単、怖いからだ。アルフレードの事が、今は誰より怖い。


 森を抜けてから馬車に乗った。フィデリオは事情を聞かない。私が何を見たのか、気にしている風ではあるけど無理に聞き出そうとはしない。

 それがありがたくて、だけどもどかしかった。言ってしまえば、この恐怖を分かち合えるだろうか。アルフレードを見る目が変わるだろうか。言いたい。言って楽になりたい。……だけど、本当に言っていい事なの?

 ばちが当たったのかもしれない、と思った。美少女だからって男達を侍らせていい気になっていたから、病ませてしまったのかもしれない。草食系のアルフレードは実は、いわゆるヤンデレ枠だったに違いない。だから妄想で絵を描いたり、それを部屋中に飾ったりするんだ。大切に大切に、高そうな額縁まで用意して。

 

「……大丈夫ですよ、ジュリエッタ様」

「?」

「ジュリエッタ様はオレが守りますから。怖がる事なんて何もありません」


 神殿について馬車が止まった瞬間、フィデリオはそう言ってニッと笑った。

 どうやら無自覚のうちに震えていたらしい。このぶんだと顔色もかなり悪くなっていそうだ。フィデリオに恐怖が伝わるくらいには、怯えてしまっていたらしい。

 ……うん、さすが私の護衛騎士。今はフィデリオの事が誰より頼もしかった。


* * *


 アルフレードの屋敷で見たものは、テオバルドやグイドには話せなかった。そもそもこのお宅訪問は二人に内緒でやった事だ。言えるわけがなかった。

 言えるとしたらフィデリオくらいだったけど、仮にも相手はこの国の第一王子。そんな人物がストーカーなんて言ってしまったら、フィデリオが消されはしないだろうか。それがたまらなく怖い。

 結局、あれは私が胸にしまっておくのが一番いい気がする。あの肖像画の山は私一人が知っている事だから、秘密を知ったからという理由で消される人はいないだろう……多分。


 あの日以来、アルフレードからの音沙汰はまったくなかった。グイドはちょくちょくやってくるけど、アルフレードは特に変わらず城で政務をこなしているとしか言ってくれない。それ以上の事はグイドも知らないらしかった。

 本当に忙しいだけなのか。それとも私が屋敷に行った事を知っているから来ないのか。判断が難しい。どちらであれ、アルフレードが来てしまったらうまく追い返すか決して二人きりにならないようにしなければ。 


 ――――と、気を張り詰めていた私の労力は完全に無駄になった。

 あれからもうすぐひと月が経つのに、アルフレードからは何の音沙汰もないからだ。ここまで何もないと、逆にものすごく不気味ではある。アルフレードは今何をしているんだろうか。


「ご気分が優れないのですか?」


 部屋でぼーっとしていると、テオバルドが心配そうに声をかけてきた。

 優れないといえば優れないけど、休んでどうにかなるものでもないので大丈夫だと答えるしかない。……王子に怯えてますなんて、言えるわけがないし。


「それならよいのですが……。姫巫女、明日は大切な日ですから、あまりご無理はなさらぬよう」

「え? 明日?」


 はて、何かあっただろうか。今月のお祈りの儀式はとっくに終わっている。もうめぼしい仕事はなかったはずだけど。


「ええ。特別に、祈りの儀以外の日で姫巫女に懺悔をする許可が下りた者がいるのですが、その者が懺悔に来るのが明日なんです。以前に申し上げたはずですが……」

「……ああ、そうだったわね。ごめんなさい、うっかりしていたわ」


 アルフレードの事に気を揉んでいたせいか、すっかり忘れていたらしい。……でも、本当にそんな予定なんてあったっけ? いやいや、あったはず。私の予定を管理しているテオバルドがそう言うんだから間違いない。

 アルフレードに気を取られすぎていて忘れてただけ、だよね?


*


 お祈りの日以外で私が懺悔室に入る事はない。それなのに許可が下りたという事は、今日来る人はそれだけ特別な人なのだろう。ちょっと緊張してしまう。一応いつも通りテオバルドとフィデリオがいてくれるので、そう心配する事はないはずだけど。

 私が懺悔室に入ってからしばらくして、ついたての向こうから音がした。向こう側のドアが開く音、足音、そして椅子に座る音。


「姫巫女様、いらっしゃいますか?」


 聞こえたのは可愛らしい少女の声だ。特別に許可が下りるなんてどれほどの権力者が来るんだろうと身構えていたので、少し意外だった。少なくともカテリーナの声ではない。王族にカテリーナ以外の若い女性はいないはずなので、彼女は王族ではないだろう。

 王妃の声がめちゃくちゃ若々しいなら別だけど、声の主は王妃でもないと思う。私と王妃は数えるほどしか喋った事はないから断言はできないけど、王妃はもう少し年相応に落ち着いた声だったはずだ。


「ええ。準備ができたのならば始めましょうか」

「わかりました。……私はルチア。平民のため、姓はありません」


 えっ!? いきなり名乗っちゃったよこの子!?

 確かに許可を出したり護衛騎士と神官を連れてきてる時点で匿名性は皆無だけど、それでも体裁ってものがあるような……。

 ついたてには小さなテーブルも備えつけられていて、ちょうどそのあたりに声を聞き取りやすくするために、小さな穴がたくさん空いていて円形になった箇所がある。前世に観た刑事ドラマでよく見かける、面会室にある仕切りガラスのぶつぶつ・木製ついたて版だ。仕切り自体はガラス製ではないし窓の類もないので、相手の顔は完全に見えない。

 ついたてといいつつドアノブがついているので実は開くらしいけど、掃除する時ぐらいしか開けないらしい。まあ、掃き掃除のためにいちいち出たり入ったりするよりはついたてをどかしてしまったほうが楽だろう。それに、普段は施錠されているし、鍵も別室で管理しているので、このついたてという名のドアを開けて相手の顔を確認する事はできないのだ。

 そうやって、体面的には匿名性が保たれているようになっている。それなのに、あっさり名乗っちゃっていいのだろうか。思わず後ろを振り返る。テオバルドはいつもの仏頂面だったけど、フィデリオが少し困ったような顔をしていた。……ああ、やっぱりまずかったんだ。


「私は多くの罪を犯しました。生きるために春を(ひさ)ぎ、男達を惑わし、人の心を弄びました。私のために、多くの男が身を持ち崩しました。この手はすでに血に穢れ、道を踏み外したこの身はただ奈落へと堕ちていくばかりです」


 ついたての向こう側で私達が頭を抱えている事も知らず、ルチアという少女は懺悔を続ける。……ハルヲヒサギって何? 


「今でこそ罪に穢れた私ですが、そんな私にも純粋だったときがありました。そのころにはまだ家族がいました。真面目な父と美しい母、そして優しい姉。私の世界は、彼らによって守られていたのです。……その世界は、彼らがいなければ……いえ、より強大な力におびやかされればあっけなく崩れ去るほど弱くてもろいものだっただなんて、当時の私は気づきもしませんでした」


 ふむふむ。ようするに、ルチアが転落人生を歩む事になったのは家族がいなくなったからか。

 可哀想だけど、ありふれた悲劇ではある。私のように、家族がいなくなったおかげで薔薇色人生を歩める人ばかりではないのだ。


「私はもともと、高貴な家で生まれました。私達姉妹はまだ幼かったけれど、当時すでに許嫁がいました。年の近い、幼馴染みの少年達です。姉は彼らのうちの一人の少年を婿に取り、私はもう一人の少年のもとに嫁ぐ事になっていました。……もちろん、それは親同士が定めた政略上のものです。それでも私達は幸せでした。それは幼い恋でしたが、私達は確かに愛し合っていたのです」


 おっと、衝撃の告白。あー、お金持ちのお嬢様だったのかぁ。具体的にルチアが何をしていたのかはよくわからないけど、それなら普通の庶民の暮らしですらきついかもね。平民と名乗ったはずの彼女が特別待遇を受けた理由もなんとなく察せられた、かもしれない。きっと昔のコネを使ったんだろう。


「けれどある不幸な出来事により、私が幼いころに家は没落しました。一夜にして、私はすべてを失いました。大切な家族も、暖かな家も、穏やかに過ぎる幸福な時間も、恋した許嫁も、人間としての尊厳も、女としての矜持も、私にはもうありません。……そして私は復讐を決意したのです。私のすべてを踏みにじったものに、思い知らせてやると」


 ……だんだん話がブラックになってきた。そんな事、私に話しちゃっていいの? いくら懺悔室って言っても、なんでも喋っていいってわけじゃないんじゃ……?


「私は復讐の事だけを考えて生きてきました。この心には常に、私からすべてを奪ったものに対する復讐心がありました。この恨みを晴らせるのならば刺し違えても構わないと、今は亡き家族に誓ったのです」


 すごい覚悟だなぁ。私には無理だと思う。まずその、家族のために、って感覚がわからない。私の家族なんて、虐待親と愛玩子の妹だったし。自分を犠牲にしてまで復讐を果たす気なんてないし、そもそも何に対して復讐すればいいものやら。

 そんな私とは違って、ルチアは家族に愛されて大切にされていたのだろう。それがうらやましいとは思わない。今の私は十分に幸せだから。

 ……家族がいなくなって不幸になったルチアと、家族がいなくなったから幸せになれた私。ついたて越しのこの出会いは、ずいぶんと皮肉なものだった。


「けれど、その不毛な日々に終止符を打つときがやっと訪れました。今日のこの素晴らしき日に、私は今まで犯してきた罪のすべてを……」


 ルチアの懺悔はこれで終わりらしかった。

 いくらルチアが懺悔を始めて早々名乗るような子でも、締めの文句は知っていたらしい。あとは彼女が神に懺悔しますといって、私がそれに答えれば――――


「懺悔する気は欠片もございませんし、赦されたいとも思いません」

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