ハナムラジュリ 5
「ジル、森に行かないか?」
そうグイドが提案したのは、公爵家のパーティーから三日後の事だった。
今日神殿に来たのはグイドだけで、アルフレードはいない。彼は王子だから色々と忙しいのだろう。あまり私のところにばかり顔を出しているわけにはいかないだろうし、アルフレードだってそんなに頻繁にここに来るわけでもないので、特に気にする事でもなかった。
「森? 急にどうしたの?」
「素敵な場所を見つけたんだ。ぜひ君を案内してあげたいと思ってね」
森……森かぁ。気分としてはピクニックかハイキングって事かな。最近運動不足だし、神殿にばっかりいるのも飽きてきた。いい気分転換になるかもしれない。
「いいわね。みんなで行きましょう」
「いや、私は君と二人で、」
「そうしましょう、ジュリエッタ様!」
「……賛成です、姫巫女」
グイドが何か言いかけたけど、すかさずフィデリオとテオバルドが割って入る。
ふふっ。抜け駆けを許さないのはアルフレードの親衛隊だけじゃないんだよねー。私の逆ハーも、紳士協定(笑)のもとに成り立ってる。私から誰かを選ばない限り、みんな平等なのだ。あー、たーのしぃっ!
「はぁ……。男をエスコートする趣味はないけど、仕方ないね」
「アルフレードはどうしましょう。グイド、連絡をお願いできる?」
「一応お伝えしてみるけど、殿下は今お忙しいようなんだ。いい返事は期待できないかもしれないよ?」
「構わないわ。無理なら無理でもいいけれど、だからといって一人だけ誘わないのも可哀想ですもの」
ぼっち、ダメ絶対。ハブ、ダメ絶対。
「ごめんねー、誘ってもどうせ来ないと思って最初から誘わなかったよー」とへらへら笑われるのは、私の嫌いな行動ベストテンにランクインしている。そんな手合いと同列になりたくない。
「では、決まりですね。いつにいたしましょう。ジュリエッタ様のご予定は……」
フィデリオがちらりと私を見る。うん、いつでも暇。ほぼ毎日空いてる。
「私はいつでも大丈夫よ。テオバルドとフィデリオも、私が言えば休みになるからいつでも平気よね?」
「……ええ、そうですね」
「もちろん! そもそも、ジュリエッタ様のお供をするのが我々の仕事ですから!」
何やらローテンションなテオバルドとは対照的に、フィデリオはえへんと胸を張る。うん、頼もしいなぁ。さすが私の護衛騎士。……実力のほどはさておき。
「私もいつでも構わないから……では、五日後でどうかな?」
「五日後?」
真っ先に反応したのはテオバルドだった。グイドは不思議そうにテオバルドを見る。
「何か問題でも?」
「……いいえ。お気になさらないでください」
それきりテオバルドは口をつぐんでしまい、ピクニックはなし崩し的に五日後になった。
うーん……五日後って、何かあったっけ?
* * *
ピクニックの日は、神様が空気を読んでくれたのかよく晴れた日になった。ブランカがおいしいお弁当を手配してくれたらしいし、可愛い帽子も出してくれたしで私のテンションは朝から高い。いやっふぅ!
結局アルフレードは来られなかったらしいけど、仕方ない。王子だし、遊んでばかりもいられないんだろう。
グイドに連れてこられたのは、城下町を出てすぐの森の奥深くにある泉だった。おお、確かに素敵な場所。風が心地よくて空気も澄んでいる。けなげに咲いている花も、名前はわからないけど可愛らしい。もちろんお弁当もおいしかった。最高だ。
「いい場所ですねー」
木にもたれて座ったフィデリオが能天気に笑う。その目は眠そうにとろんとしていた。その隣のテオバルドは仏頂面だけど、彼が仏頂面なのはいつもの事だ。内心では楽しんでいるに決まっている。
「アルフレードも来られたらよかったのに。今度は五人で来ましょうね」
「はは。殿下がいらしたら、デッサンに夢中になって日暮れまでいそうだけど」
グイドはそう言って笑い、そっと私の髪に触れた。
ふふ、それはありそう。絵を描いてるときは時間を忘れて没頭しちゃうって、本人もよく言ってるし。
アルフレードの趣味は油絵だ。私は直接アルフレードの絵を見た事はないが、グイド曰く仮にこの国が滅んでもアルフレードなら絵で食べていけるらしい。王子より芸術家のほうが向いてるとも言っていた。それだけうまいという事なのだろう。
せっかくだから私の事も一枚描いてよと前に頼んでみたけど、自分は風景画が専門だからと言われてしまった。残念。
――――その時、どこからか小枝が折れる音がした。
「きゃっ!?」
「誰だ!」
剣の柄に手を伸ばしてフィデリオが叫ぶ。がさがさと茂みをかき分ける音が続いた。
「……何をしているんですか?」
「で、殿下!?」
現れたのは、少しうんざりしたような表情のアルフレードだった。……あれ? なんでここにいるの? その疑問はグイドが尋ねてくれた。
「殿下、どうしてこちらに? 今日はお忙しいと……」
「はぁ……。この近くに、僕の私邸があるんですよ。手狭なうえに散らかっているため、人は招けませんが」
なるほど。つまりアルフレードは、王城での仕事に疲れてこっそり抜け出してきたと。
これは、お宅訪問は許さないという釘刺しだろうか。絶対家には招いてやらないぞというアルフレードの強い意志が感じられる。だけど、そう言われると行きたくなるものだ。……今度探し出してお邪魔しちゃおうかな。
「僕は疲れているので、これで失礼しますが……皆さんも、あまり遅くならないうちに帰ったほうが賢明ですよ」
それだけ言って、アルフレードはすぐに立ち去った。うんうん、休むのは大事だからね。働きすぎは厳禁だ。顔を見られただけでもよかったと思うべきだろう。
やがてアルフレードの背中が完全に見えなくなる。グイドならアルフレードの家の場所、知ってるかな?
……でも、グイドは変なところで義理堅い。知っていても教えてくれなさそうだ。それどころか、私が家の場所を知りたがっているという情報をアルフレードに流して彼を警戒させてしまうかもしれない。グイドには内緒で調べたほうがいいだろう。
テオバルドにも内緒だ。テオバルドはアルフレードと仲が悪いが、それ以上に真面目で私に対して過保護で心配性なところがある。アルフレードのお家探索を持ちかけたところで止められるのは目に見えていた。
となると、頼れるのはフィデリオだ。フィデリオは結構いたずら好きなところがあるので、誘えば乗ってくれる……と思う。ふふん、また新しい楽しみができちゃった!
* * *
「ジュリエッタ様! 殿下のお屋敷、見つかりましたよ!」
「本当? さすがフィデリオね!」
一週間後、テオバルドの目を盗んでフィデリオがそう報告してくる。予想よりも早くて驚いたが、それだけフィデリオが有能だという事だろう。
アルフレードの森の屋敷は本当に個人的な場所らしく、あの森は王子の領地でもないのに建てられているらしい。ただしアルフレードの土地ではないのはあくまであのあたり全体の事で、森の中に一か所だけアルフレードの土地があるそうだ。そこが屋敷の場所だったという。
さっそく突撃お宅訪問に行かなければ。もちろんテオバルドには秘密なので、決行は彼が休みの日になる。怪しまれてはいけないのだ。
急にお休みにすると怪しまれるかもしれないので、最初から決まっていた休みが来るまで待たなければいけない。けれど幸いな事に、テオバルドが休みでフィデリオはいる日が三日後に来るらしい。ラッキーだ。というわけで、お忍びで王子の屋敷に行くのは三日後になった。
三日後、こっそり神殿を抜け出して森に向かう。フィデリオは森の地図なるものを持っていて(城下町の雑貨屋で普通に売ってるらしい)、そこにアルフレードの屋敷の場所をきちんと印をしてあったので、迷う事なく辿り着いた。
確かにアルフレードが言ったとおり、王子の屋敷というほど大きくて立派な家ではない。だが、一般家庭の家だと思えばそこそこ上等な部類に入るのではないだろうか。少なくとも、森の奥深くに平然とあっていい建物ではないだろう。
ドアノッカーを叩く。ドアを開けたのは執事らしいおじいさんだった。
「どうなさったんですか? アルフレード様は――ッ!?」
私を見て目を丸くしている。……あー、そりゃ『奇跡の姫巫女』がアポなしで現れたら驚くよね。
「……あの、お名前をお伺いしても?」
「ジュリエッタ・フィオーレ。こちらは従者のフィデリオよ」
名乗ってあげた途端、執事はわずかに顔を歪める。どうしてここに、そんな呟きが聞こえた気がした。
「……申し訳ございません。アルフレード様はただいま外出中でございます」
「やだ。アルフレードったら、いらっしゃらないの?」
なーんだ。もう王城に帰っちゃったのか。……でも、それならそれで好都合かも。家主がいないときに家を漁るのは気が引けるけど、好奇心には抗えないんだよねぇ。
「ねえ。中で待っていても構わない?」
「そ、それは、」
「約束したの。今日、ここで会うって」
嘘ですごめんなさい。こうでもしないと門前払いくらいそうだったので、思わず出まかせ言ってしまいました。
でもほら、可愛いは正義だから! 美少女なら何やっても許されるから!
「私を追い返したら、貴方は後でアルフレードに怒られてしまうんじゃないかしら」
「ですが、」
「どうして中に入れてくれないの? まさか私の言葉を疑っているわけじゃないでしょう?」
「……」
うう、執事の疑惑の眼差しが痛い。フィデリオも少し驚いているのか不思議そうな目をしている。その間、私はずっと姫巫女スマイルを浮かべていた。
「……では、中でお待ちください」
永遠に続くような茶番めいた問答の果て、どうあっても私はここを動かないと悟ったらしい執事は苦み走ったような顔でそう言った。よっしゃ! 執事が折れてくれた!
ルンルン気分で中に入る。確かに家の中はこじんまりとはしているけど、それはあくまで貴族基準だ。言うほど汚いわけでもない。
「……あの、ジュリエッタ様。本当に大丈夫なんでしょうか」
「今さら何を言っているの? もともとここに来るために家の場所を探したんじゃない。たまたまアルフレードと入れ違いになっただけよ」
Q.嘘までついて上がり込んでよかったんですか?
A.奇跡の姫巫女は可愛いから許されるのです。……許されるといいなぁ。
まあ、アルフレードの家を探し出したうえ、今日のお宅訪問にも同行した時点でフィデリオも共犯だ。それを命令したのは私だけど、ここはフィデリオも同罪だという事で。怒られるときは一緒に怒られようね。大丈夫、二人で怒られれば怖くないよ。
客間に通される。ほどなくしてメイドがお茶を持ってきてくれた。そのメイドも無言で一礼して去っていったので、客間には私とフィデリオしかいない。
耳を澄ませたけど、屋敷の中は静まり返っている。どうやらここには必要最低限の使用人しかいないらしい。さっきの執事と今のメイド、それにプラスして一人か二人といったところだろうか。……これならいける!
「ジュリエッタ様? どちらに向かわれるんですか?」
立ち上がると、フィデリオはきょとんとしていた。
毒を食らわば皿まで。どうせなら、家主不在の間にアルフレードの恥ずかしい一面でも見つけてあげようと思って。ほら、そういう家探しってドッキリの基本でしょ。……もちろん、さすがにそこまであけすけに言えるわけがない。ちょっとお花摘みに、でごまかした。
当然私はアルフレードの部屋の場所なんて知らない。使用人達に見つからないように片っ端から調べるだけだ。
私の経験則から言って、寝室は二階にある事が多い。廊下を歩いていたメイド(さっきお茶を持ってきたメイドとはまた別人だった)をやりすごし、素早く階段を上がる。……よし。二階に使用人の姿はないようだ。
目に着いたドアを静かに、素早く開けていく。書斎、客室、客室。ドアはあと二つだ。このどちらかがアルフレードの部屋に違いない。
「ここは……」
二つのドアのうち、最初に開けたドアの向こうにあったのは、出窓に置いてある赤い薔薇の一輪挿しと天蓋付きのベッドが目を引く部屋だった。甘ったるい匂いがわずかにする。……この匂い、たまにアルフレードからする匂いだ。
書斎はともかく、他の部屋は客室だと一目でわかった。日常的に使われている様子がないからだ。だけどこの部屋には生活感がある。誰かが寝泊まりしているのは間違いない――――それがアルフレードか、あるいは別の誰かかはわからないけれど。
何この部屋。女の部屋? 個人的な屋敷って、まさか愛人を囲うための屋敷なの?
気になるので中に入る。薔薇は造花のようだった。部屋の主は読書家なのか、本棚にはぎっしり本が収まっている。本棚についていたガラス戸にはしっかり鍵がかかっていたので、手に取る事はできなかったけど。背表紙から察するに、小説から何かの専門書まで幅広くあるようだ。
読めた本は、机やベッドサイドテーブルに積まれた本の山だけだった。ちなみに、内容は私には難しくて一ミリも理解できなかった。この部屋の主、頭よすぎ。
ふと、いつかのパーティーの事が思い出された。カテリーナが言っていた「このような振る舞い」ってまさか、私がいながら愛人を囲っていたって事?
……うわぁ。これは好感度急落もやむなしだよ。浮気はよくないね、うん。
残念ながらほかにこの部屋からわかる事はなかった。部屋の主が相当神経質なのか、いたるところに鍵がかかっているからだ。クローゼットも、机の引き出しも、とにかく開けられそうなところは全部。メイドも几帳面な性格らしく、髪の毛一本落ちていない。
これだと、本当にここが愛人の部屋かどうかわからない。世の中には男性用香水だってあるし、男は部屋に造花を飾ってはいけないなんて事はないし、男だって天蓋付きベッドを使うかもしれない。もう一つの部屋を見るまでは、ここがアルフレードの部屋である可能性を捨ててはいけないだろう。うん、私はアルフレードを信じてるよ!
――――という私の期待は、一瞬で打ち砕かれた。
「なに……これ……」
次の部屋のドアを開けた途端、目に飛び込んできたのは大きな肖像画だった。
黄金に輝く絹のような髪。すべてを溶かすほどに深い青の瞳。薔薇色に色づいた頬。鮮烈な紅いドレス。口元に挑発的な笑みを浮かべて額縁に収まっている少女は、まるで生きているようで。
「今すぐ額縁から抜け出してもいいんだけど、私がいなかったら絵の持ち主が悲しむでしょう? だから、しょうがなくここにいてあげてるの」……そんな声が聞こえてきそうだった。
平時であれば、私は感動したかもしれない。この世界にカメラはないけど、これだけ生き生きとした絵が描けるならカメラなんていらないじゃん、と。
だけどそんな気分にはなれない。感動よりも、称賛よりも、まず真っ先に思い浮かぶものがある。この心に渦巻くものがある。
「これ――私、だよね……?」
肖像画の少女は、私にとてもよく似ていた。
私は絵のモデルになんて、なった事がないというのに。