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ハナムラジュリ 4

「朗々と広がる蒼穹は――――」


 今日は月に一度の祈りの儀式の日。街の人達が全員来てるんじゃないか……っていうと大げさだけど、礼拝堂を埋め尽くすほどの人が毎回来てくれる。みんなとても信心深いらしい。

 聖典に書かれている祈りの言葉を読み上げながら、私は礼拝堂を見渡した。つい癖で探してしまう女の子がいるのだ。


 ……あ、やっぱり。また来てる。


 私は彼女の事をひそかにベールちゃんと呼んでいる。いつも黒いベールをかけていて、顔がよく見えないからだ。

 彼女は結構見つけやすい。理由は二つある。決まったように最前列のどこかに座っているからと、毎回必ず服装が黒で統一されているからだ。そのスタイルには、これが彼女なりのおしゃれだとか黒が好きだとか、そういった言葉では片づけられないなみなみならないこだわりを感じる。そういった服を着なければいけない、という気迫を感じるという意味では、ただの黒い服ではなく喪服と言ったほうが正しいかもしれない。

 彼女は今日も喪服姿だった。黒いベールがついた黒い帽子、黒いドレス、黒いレース付き手袋、黒い靴、そして黒いハンドバッグ。そんな彼女の姿は、色とりどりの群衆の中では少し浮いていた。まあ、お祈りをしに来てるのに一人だけお葬式に来てるみたいな恰好をしていたらそれも仕方ないだろう。

 そして彼女が浮いているのは服装のせいだけではない。信者の誰もが俯いて手を組んでいるのに対し、ベールちゃんだけ背筋をピンと伸ばして私をじっと見ているからだ。

 祈りの姿勢は強制されるものではないから、ベールちゃんのように振る舞っていても問題はない。だけど、やっぱりみんなやっている事をやっていないというのは目立つ。神官の中には、彼女に対して眉をひそめている人もいるぐらいだ。

 ベールちゃんがいつから礼拝堂に来るようになったのか、私はよく覚えていない。少なくとも去年の今頃にはもういたような気がするけど。

 ベールちゃんはいつも男の人と一緒に来ている。距離感から思うに家族というより従者だろう。いかつくて見るからに堅気ではなさそうな人で、かなり怖い。ちなみにこの人もベールちゃんと同じく、背筋を伸ばしてどっしりと構えている。

 その人はベールちゃんの護衛のようなので、片時もベールちゃんの傍を離れない。つまり彼も最前列に座っている。……目があった瞬間、思わず反射的に目をそらしてしまったのは私が悪いわけじゃないと思うんだ、うん……。

 そう、あの人が怖すぎるのがいけないんだよ! あんな至近距離で睨まれたら、誰だって怖いって!

 ……という私の心の叫びは、今のところ誰にも聞き入れてもらえない。フィデリオからは「オレもその人のように威厳ある護衛になりたいです」とちょっとずれた答えが返ってくるし、テオバルドはぎこちなく笑うだけだ。

 今日も二人は舞台の端にいるけど、護衛の人に恐れをなしている様子はない。……うう、悔しい。これじゃ私だけが怖がりみたいじゃない!


 今日もテオバルド達に護衛の人の怖さをわかってもらえなかった。私は失意のうちに懺悔室に向かう。普段懺悔室にこもって話を聞くのはおばあちゃん神官の役目なのだが、祈りの儀式の日だけは私も担当だ。

 姫巫女様に話をきいてもらえるという事で、毎回結構な人が押しかけて来る。もちろん全員の相手をできるわけがない。あらかじめ神殿のほうに予約して、申請が通った人だけ私と話せるのだ。

 漏れてしまった人はまたの機会にしてもらうか、普段通りおばあちゃん神官に相手をしてもらう。……予約制なんて、私ってば結構プレミアじゃない?

 正直懺悔室で信者達の相手をするのはだるいけど、ふーんへーほーすっごーいそうなんだーで大体片付いてしまうので楽といえば楽だ。なんだお前ら、ただ話したいだけか。懺悔という名の雑談がしたいだけなんだな? 「俺、姫巫女様と話したぜ!」って話題が欲しいだけなんだな?

 神官と一緒に懺悔を聞く側として懺悔室に入るのは、護衛騎士と別の神官が一人ずつだ。神官の身に何かあったら困る、あるいは神官と懺悔しに来た人が悪だくみをしていたら困るかららしい。……それだと信者が懺悔した内容が筒抜けだけど、神殿は困らないからね。

 私の場合、テオバルドとフィデリオがついてきてくれる。うん、安心。たまーに懺悔室で私を口説こうとするチャレンジャーがいるけど、そういう手合いは大体二人が相手をしてくれる。よほど面倒な相手は二人に任せていればたいてい何とかなるので、この程度でだるいとか言えないのだ。

 ……言うけど。疲れたーとかもう切り上げていいかなーとかこっそり愚痴るけど。そのたびにテオバルドとフィデリオが優しくしてくれるので、しょうがないから頑張ってあげようって気になってくる。

 逆に言えば、それまでやる気は出ない。まったく、我ながら困った体質だ。ちなみに直す気はない。

 というわけでテオバルド、フィデリオ、思いっきり私を甘やかしてね!


*


「あー……つっかれたー!」


 ようやく一日が終わり、ベッドに飛び込む。ふかふかで気持ちいい。ブランカがきちんと整えてくれるからだろう。

 毎月この日だけは珍しく働かされる。すっかりくたくただ。……働いたといっても、にこにこ笑いながら聖典を読み上げたり信者の話を適当に聞き流してただけだけど。

 ……うーん、この世界に来てからどんどん怠惰さに磨きがかかっている気がする。それで困る事はないから別にいいけど。

 そう、前世が忙しすぎで頑張りすぎだったんだよ。現世は神様からのご褒美なんだから、思いっきりだらだらしないと!


「ジュ、ジュリエッタ様!? おみ足が、おみ足が!」


 フィデリオの慌てた声が降ってきた。その顔がゆでだこみたいに赤くなっているであろう事は容易に想像できる。フィデリオったら、うぶなんだから。

 この世界では生足を人に晒すのはふしだらな事らしい。むやみやたらに人に見せてはいけなくて、そんな淫らな事をするのは商売女だけだそうだ。なんだっけ、貞操観念? がずいぶん厳しいらしい。そういう姿を見せていいのは生涯を誓った相手だけだという。

 私もその慣習に従って、くるぶしに届くほど長いスカートを履かされている。このスカートはちょっと動きにくいけど、これ以外は履かせてくれないのだ。前世でもマキシ丈のスカートは嫌いだったが、こればかりは諦めるしかない。

 ベッドに飛び込んだ衝撃で、その異世界版マキシスカートの裾がめくれてしまったらしい。ふくらはぎチラは純朴なフィデリオ君には刺激が強すぎたようだ。……その隣のテオバルド君は冷静に裾を戻してくれてるけどね。

 フィデリオより二歳も年下のテオバルドのほうが手慣れてるってどういう事? 普通、憧れてる女の子のちょっとせくすぃーな姿にどぎまぎしちゃうのって、どちらかといえば十七歳(テオバルド)のほうじゃない? それでいいの、十九歳(フィデリオ)


「テオバルド、ありがとう。……慌て過ぎよ、フィデリオ」

「当然の事をしたまでです。姫巫女のおみ足を晒すわけにはまいりませんから」

「あっ、明日の予定ですが、いかがなさいますか!? お疲れのようでしたら、欠席の連絡をいたしますが!」


 場に加われなかったフィデリオが、無理やり割って入ろうとして精いっぱい真面目な表情を作る。顔はまだ赤いままだというのは触れないであげよう。


「行く、行くから! 疲れてないわ、ええ。私はとっても元気ですもの」

「そうですか! それはよかったです!」


 ……うう、フィデリオの掌の上でもてあそばれてる気がする。クールなテオバルドならともかく、まさか子犬系男子のフィデリオにいいようにされるなんて。


 明日の予定というのは、ベッラヴィスタ公爵という人が開くパーティーの事だ。国の偉い人……の中でも特に若い人をたくさん集めるらしく、王子のアルフレードや侯爵令息グイドも参加するらしい。そしてその招待状は私のところにも届いている。従者を連れて行ってもいいそうなので、テオバルドとフィデリオも連れていくつもりだ。

 前世の私は、そういった華やかな場が苦手だった。他人の視線が嫌だし、空気やら何やらがきらきらしすぎて眩しいし、どこの輪にも加われないからだ。

 けれど今は違う。向けられる視線は称賛や羨望がほとんどだし、黙っていても誰かが声をかけてくれるし、今の私は周囲と同じくらいきらきらしている。花村樹里ならともかく、ジュリエッタ・フィオーレならそういった行事にも気後れせずに参加できた。むしろ楽しみなくらいだ。


「二人とも、今日はもう下がっていいわよ。ちゃんと明日の準備をしておいてちょうだいね」


 私の支度は全部ブランカがやってくれる。でも、二人に従者はいない。孤児院から神殿に入った二人は、自分の事は自分でやらないといけないのだ。

 ちゃんと忠告してあげると、二人は笑いながら部屋を出ていった。……私も明日に備えて早く寝ようかな。


* * *


「あら、結構大きなお家なのね」


 馬車から降りて屋敷を見上げる。結構大きなっていうか、大豪邸があった。庭も広いし家も広い。やばい、迷子になりそう。


「……ベッラヴィスタ家は国で一、二を争うほどの名門公爵家でしたからね」


 ぼそっと呟いたのはテオバルドだ。なるほど、国中の若い有力者を集めるだけの事はあるらしい。私と同じくここまでの大きな家だと思っていなかったらしいフィデリオは顔をすっかり青くしている。

 いやフィデリオ、ちょっと大げさでしょう。貴方、いつもこの国の王子を出迎えてるよね? 公爵家ごときでしり込みしてどうするの。

 ……公爵家、か。そういえば、私の生家もそんな地位にあったような。今はもう取り潰しにあったらしいから、どうだっていいけど。


「『でした』? どうして過去形なんだ?」


 青い顔のまま、フィデリオが問う。そういえば、確かに不思議だ。これほど立派な家なら、没落したというわけでもあるまいに。


「今はベッラヴィスタ家が一番だからな。もう国内でベッラヴィスタと並べる貴族はいない。今、力でベッラヴィスタ公爵家を上回れるのは王家か神殿ぐらいだそうだ」

「へー」


 なるほど。ベッラヴィスタ家じゃなくて、その対抗馬だったほうが没落したのか。

 残念ながら、フィデリオはよくわかっていなさそうだった。孤児院育ちだから世俗に疎いのだろう。テオバルドも孤児院育ちだが、彼は何気に情報通だ。神官として出世するには、神殿の外の事情にも通じていなければならないらしい。神殿内部に精通する必要のある騎士のフィデリオとは着眼点が違うのだ。


 雑談もそこそこに、出迎えてくれたベッラヴィスタ家の使用人の案内に従って大広間に向かう。招待客の多さに面食らったのか、フィデリオとテオバルドはほとんど同時に足を止めた。


「……どうしよう、テオバルド。ジュリエッタ様が行くっていうから来たけど、よく考えればオレってこういう場所でどうしてればいいか全然わからねぇ」

「お前という奴は……。いいか、こういう場が苦手なら、とりあえず人目につかないところでじっとしていろ。なるべく他人に顔を見せないようにして、ただひたすらに空気に徹しながら時間が過ぎ去るのを待つのが一番いいんだ」

「でも、それだとジュリエッタ様を護衛できないじゃんか!」


 聞こえてる。聞こえてますよー、二人とも。

 うーん、確かに孤児院育ちの二人にこの空間はきつかったかもしれない。アルフレードとグイドで王侯貴族の高貴さにも慣れたと思ったら、世の中そう甘くはないらしい。

 ……いや、あの二人は結構フランクな部類に入るだろうだから、そのギャップのせいもあるかも。王子と侯爵令息っていっても、基本私の事しか見えてないみたいだし。細かい礼儀作法は言ってこないし。

 とりあえず、さらに真っ青な顔になってしまったフィデリオには無理をせず目立たないように言い含めた。念のためテオバルドもついていてくれるそうなので、フィデリオについては心配いらないだろう。テオバルドなら、フィデリオをロックオンした令嬢達を軽くあしらってくれるって私信じてる。

 本音を言ってしまえば、テオバルドやフィデリオと行動できないのは少し残念だ。でも、仕方ない。アルフレードとグイドもどこかにいるだろうし、彼らと一緒にいよう。



 グイドと何曲か踊り、ちょっとへとへとになったころ、ようやくアルフレードを見つけた。グイド一人といるのも飽きたので、アルフレードのところに行く事にする。

 グイドは名残惜しそうにしてたけど、いつまでも私一人がグイドを独占しているわけにはいかないだろう。ワタクシ名門貴族の令嬢ですのオホホホとでも言いだしそうなお嬢さんがたがちらちらグイドに視線をやっていたのを私は知っているのだ。私が奇跡の姫巫女でなかったら、彼女達に絡まれていたに違いない。

 アルフレードは一人だったが、これはいつもの事だ。なんというか、女の子達は彼に対して淑女協定(笑)みたいなものを結んでいるらしい。頬を染めてアルフレードを遠巻きに見る子は多いが、その眼差しはどこか遠慮がちだった。きっと抜け駆けはできないのだろう。アルフレードはこの国の第一王子なので、水面下では争いが熾烈そうだけど。

 だけどごめんね、アルフレードの結婚相手は私に決まってるようなものだから。

 少し踊り疲れたので休んでいたいと言うと、アルフレードは私をベンチまで連れて行ってくれる。給仕のところまで行って飲み物を持ってきてくれるというおまけつきだ。さすが王子、超優しい。


 ――――だけど、そんな楽しい時間はすぐに終わってしまった。


「何をなさってらっしゃるの?」


 小さな子供特有の甲高い声。この声の主は、おそらくこの世界で唯一私に対する敵意をむき出しにする存在だ。まさかこいつも来てたなんて……。


「……ごきげんよう、カテリーナ殿下」


 萎えるわぁ。若いって言っても限度があるでしょう、限度が。十歳は社交界デビューの年でもあるとはいえ、いくら王女様でもこんな子供なんて呼ばなくていいのに……とは思うものの、この世界の十歳児は前世の十歳児とは違う。前世の意識がある私からすれば十歳なんて小学生にしか思えないが、前世基準で言えば中学生ぐらいに相当するはずだ。

 ……どちらにしても、生意気な事に変わりはないか。むしろこざかしさが加わっているぶん、こっちのほうがタチが悪いかもしれない。


「お兄様。もう一度伺いますけれど、何をなさってらっしゃるのかしら?」


 うわ。このガキ無視しやがった。こっちは挨拶したのに、私の顔を見ようともしない。ほんと、むかつく。

 この生意気なおちびちゃんの名前はカテリーナ。アルフレードの二番目の妹で、この国の第二王女だ。一番目の妹、第一王女は私がアルフレードと知り合うより前に病死したらしいのでそっちについては知らないが、どうせならカテリーナのほうが死……ごにょごにょ。

 アルフレードと結婚する最大の障害。それはこのカテリーナに他ならなかった。何を隠そう、このちびっこは私の事が大嫌いなのだ。どうしてここまで嫌われているのか、私には心当たりがまったくない……けど、一応推測はできる。


「カテリーナ、まず姫巫女様にご挨拶するのが先だろう?」

「……申し訳ございません、お兄様。ごきげんよう、奇跡の姫巫女……様」


 アルフレードの言葉に素直(?)に従い、カテリーナは社交辞令百パーセントの笑顔を浮かべながら優雅に一礼する。そんな事したって今さら遅いけどねっ。

 そう、カテリーナはブラコンだ。七歳年上の兄、アルフレードの言う事は大体聞いている。だからこそ、アルフレードが熱を上げている私の事が気に食わないに違いない。


「はぁ……。姫巫女様、どうかお許しを。カテリーナはまだ何もわからない子供なんです」

「ええ、お気になさらないで。カテリーナ殿下はまだ十歳ですもの、仕方ないわ」


 ぷぷ。自分のせいで大好きなお兄様が謝らなきゃいけなくなって、嫌いな女の寛容さを見せつけられて、どんな気持ち? ねえ今どんな気持ち?

 確かに相手はおこちゃまだ。あまりカテリーナに目くじらを立てるのも大人げないだろう。ここはアルフレードに免じて許してあげようっと。命拾いしたわねカテリーナ。おこちゃまはおとなしくジュースでも飲んでなさいよ。 


「……お兄様、お話があります。奇跡の姫巫女様、お兄様をお借りしても構いませんよね?」


 ドレスの裾をぎゅっと握りながら、カテリーナが低い声で言った。拒否権はないと言いたいようだけど、残念ながらそんな権限はこんながきんちょには――――


「申し訳ございません、姫巫女様。僕は少し席を外させていただきます」

「えっ、ちょっ、」


 なんという事でしょう! 止める間もなくアルフレードが立ち上がっちゃった!

 カテリーナは得意げな顔でアルフレードの腕をぐいぐい引っ張っていく。……アルフレードってシスコンだったんだね。ちょっと好感度下がっちゃったよ。


 ――――でも、ここでじっとしていてくださいなんて言われてないし。こっそりついていっちゃいますかー。


 アルフレードを物陰に引っ張る事に成功し、カテリーナはきゃんきゃんわめきはじめる。私はそっと聞き耳を立てた。


「どういうおつもりですか、お兄様! あのような女に近づかないでくださいと、お願いしたでしょう! お兄様には、」

「何度も言うけど、僕が愛しているのは彼女だけだよ。たとえ貴方にどう思われようとも、それだけは変わらない」


 あのような女とはまたずいぶんな言われようだ。だけどアルフレードはきっぱり私への愛情を宣言する。きゃー、恥ずかしい。


「そんな事、信じられません! それなら何故、お兄様はこのようなふるまいをなさるのですか!?」

「今は言えない事情があるんだ。……どうかわかって、カテリーナ」


 そうだそうだ。人の恋路を邪魔する奴は馬に蹴られて死んじまえっていう言葉、カテリーナちゃんにはまだちょっと難しすぎたかなー?

 ……で、このような振る舞いってどんな振る舞い?


「……お兄様はいつも、わたくしには大事な事を教えてくださらないのですね。そうやって、なだめすかしてはぐらかすだけ。わたくしだって、お兄様達の役に立ちたいのに……」

「貴方はそれでいいんだよ、カテリーナ。貴方が笑ってくれるなら、僕は安心してやるべき事に集中できる」


 洟をすする音が聞こえた。どうやらカテリーナは泣いているらしい。大好きなお兄様にすげなくあしらわれるのはブラコンにとって相当こたえるようだ。


「お兄様。お兄様は、わたくしが何も知らないとお思いなのでしょう? 確かに当時のわたくしはまだ幼くて、今ではもうそのころの記憶などほとんどありません。……ですけれど――――――」


 カテリーナの声はよく聞こえない。声量を抑えているうえ、嗚咽混じりだから余計に何を言ってるかわからないのだ。もっとはっきり喋ってほしい……というのは、盗み聞きしている私が言えた事じゃないね、うん。


「わたくし、知っているんです。ル――――――――――――って。――――――は――――――様だって。あの女は――――――。何故――――――? ――――――――変わって――――――――ですか?」


 訴えがついに意味のある言葉でなくなった。……これ、アルフレードはちゃんと聞き取れてるんだろうか。多分できてない気がする。

 思わず覗き見る。アルフレードはカテリーナを抱き寄せて、背中を優しくさすりながら耳元で何かを囁いていた。おお、お兄ちゃんすごい。あの泣き声の中から意味のある言葉を抽出できたのか。でもその話し方だと、今度はアルフレードの声が聞こえないんだよね……。


「……わかりましたわ。あの方にはわたくしからお話してまいります」


 しばらくして落ち着いたのか、カテリーナがアルフレードから離れる。アルフレードに頭を撫でられながら、カテリーナはハンカチで目元をぬぐっていた。

 おっと、呼び名が柔らかくなってる。あのような女からあの方だって。どうやらブラコン小姑はお兄ちゃんの恋に納得してくれたようだ。いやー、よかったよかった。これで一安心。

 私はそそくさとその場から離れた。さすがに盗み聞きがバレるとまずい。少し離れた場所でそっぽを向きながら立っていると、カテリーナがやってきた。様子をうかがっていると、ばっちりと目があってしまう。

 カテリーナは私を力強く睨みつけた。軽く手を振ると、ふんっと目をそらされた。


 お話ししてくれる気、ゼロじゃないですかやだー。

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