ハナムラジュリ 3
私ことジュリエッタ・フィオーレは今日も今日とてのんびりごろごろしています。国家公認ニート生活最高。
八年間食っちゃ寝生活を続けているものの、体型が崩れたり肌がぶつぶつしてきたりといったトラブルには見舞われていない。それどころか出るところは出て引っ込むところは引っ込んでいるうえに、手足の長いすらっとしたモデル体型だ。肌も真っ白ですべすべ。きっとこれが姫巫女パワーなのだろう。我が身体ながらほれぼれしてしまう。鏡に映る自分の裸身を見るたびに、ねーちゃんええ身体してんなぁとおっさんみたいな感想を抱いてしまうくらいだ。
とはいえ少し周りを見渡せば、おなか周りがだらしなかったりニキビや吹き出物に悩まされている人がすぐに見つかる。異世界人だから健康状態完璧、スタイル抜群だというわけではないようだ。
案外こういうのが『奇跡』なのかもしれない。しょぼい、しょぼいよ『奇跡の姫巫女』。確かにすごいけどさ、もっとこう……!
私の身体で欠点があるとすれば、ちょうど心臓にあたる部分にある傷ぐらいだろうか。自分で言う事ではないけど、およそ女性として完成された美しさをもつジュリエッタの身体の中で、そこだけが歪な存在感を放っていた。
まるで何か鋭いもので一突きされたような、不気味な傷跡。当然ながらその傷に覚えはないし、そもそもそんな場所に傷があったら死んでしまってもおかしくない。実際はこうしてぴんぴんしているから、傷跡だけ大げさで命に別条があるような怪我ではなかったはずだけど。
この世界に魔法の類はない。しいて言うなら、神の御業というものぐらいだ。
神の存在が信じられているこの世界は、その信仰を裏づけるかのように神が残した数々の痕跡がある。神の御業もその一つで、文字通り神様だけが使えるすごい事らしい。らしいというのは、私は実際にその御業とやらを見た事がないので、どんなものかわからないのだ。
『奇跡の姫巫女』も神の御業だというが、一般の人々にとってありがたみは特にないだろう。だっておいしい思いしてるの、私だけだし。そりゃ転生は神様の仕業だろうけど、私なんかを転生させていったい何の意味があったのか。そもそも、私が転生者だっていうのは私以外知らないはずだし。
……それはともかく、魔法がないこの世界には当然回復魔法もない。あまり文明レベルが発達しているわけでもないこの国の医療で治るほど、この怪我はしょっぱいものだという事だ。
身体に自分の知らない傷があるというのは不気味だけど、寝ているうちに体をぶつけて青あざを作る事と同じようなものだと思えばまあなんとか受け入れられる。
――――それに多分、これは虐待親の仕業だろう。虐待の痕跡はほかにないけど、きっとこの傷跡だけ消えなかったのだ。
だから私はこの傷の事を覚えていない。花村樹里だったジュリエッタ・フィオーレが幸せになるために、ジュリエッタ・フィオーレとしての不幸な記憶は必要ないのだから。そう、私はこれ以上、不幸な思いをする必要はない。
「姫巫女様。紅茶のお代わりはいかがですか?」
「ありがとう、いただくわ」
メイドのブランカが淹れる紅茶はおいしい。……テオバルドのほうがおいしい気がしないでもないけど。
ブランカはそばかすがチャームポイントの女の子で、二年前から私に仕えてくれている。年は今年で十五歳。この世界は前世と違って子供も学校になんて行かず働く場合が多いらしく、ブランカもその手合いだそうだ。
「……そうだ。ジュリエッタ様、庭園のスターチスが見ごろを迎えたそうですよ。ご覧になりますか?」
「すたーちす?」
なんだっけ、それ。聞いた事があるような。庭園って事は植物か何かだろうけど……。
「ええ。テオバルド様がそうおっしゃっていました。ジュリエッタ様に見ていただければ、テオバルド様も喜ぶのではないでしょうか」
思い出した! テオバルドが育ててる花の名前だ!
テオバルドは植物が好きらしく、庭園の一角にある自分専用の温室でよく植物の世話をしている。勝手に温室なんて作っていいのかはわからないけど、一応神殿長の許可は取ってあるらしいので平気だろう。
そういえば毎年、この時期になるとスターチス(らしき花)が植えてある花壇が鮮やかに色づく。せっかくだし、見に行ってもいいかもしれない。
「そうね。行きましょう」
テオバルドいるかなー。急に行ったら驚くかなー。もしいなくても、次会った時の話題ぐらいにはなるだろう。楽しみだ。
*
「……姫巫女?」
「テオバルド!」
予想的中。テオバルドは温室の中にある一つの花壇の前に立っていた。
黄色、ピンク、青、紫、白。花壇には色とりどりの花が咲き乱れている。これがスターチスの花らしい。
「今年も綺麗に咲いているわね」
「お褒めにあずかり光栄でございます」
テオバルドは嬉しそうに笑った。すぐに普段の冷酷そうな印象が霧散して、とろけるような表情になる。そこにいつものぎこちなさはどこにもない。
彼がこんな顔を見せるのは私の前だけだ。クール系イケメンを掌の上で転がしているようで、なんともいえない優越感がある。
「スターチスは気高い花です。たとえ花弁が散っても、がくは美しいまま残りますから――ジュリエッタのように、ね」
「?」
どこか遠い目をしながら、テオバルドはうっとりと呟く。さすがイケメン、そのさまはとても絵になった。……とはいえ。
私、花弁散ってないけど。ジュリエッタ・フィオーレは花も恥じらう十八歳の乙女なんだけど。まだまだ花盛りですよ?
「……ああ、失礼いたしました。姫巫女はお年を召されてもきっと美しいのでしょう、と申し上げたかったのです」
無言のまま抗議の眼差しを向けていると、テオバルドははっとしたように目を見開く。けれどその焦りめいた表情は一瞬で消えて、テオバルドはすぐにぎこちない笑みを浮かべた。
「そう? うふふ、ありがとう」
なーんだ。そういう事か。テオバルド、ちょっと未来に目を向けすぎ!
……まあ、そう言われて悪い気はしないけど。テオバルドはたまーにずれた事を言いだすから面白い。
「ところで、姫巫女はスターチスの花言葉をご存知ですか?」
「えっ!? えー……っと」
そんなものは知らない。そもそもスターチスが花の名前である事だってすぐに思い出せなかったぐらいだ。
「『変わらぬ心』、『この心は永遠に』、『愛の喜び』……ほかにもいくつかありますが、有名どころを挙げるとすればこんなところでしょうか」
「へえ。テオバルドは博識なのね」
私には答えられないと悟ったのか、テオバルドの口からすらすら花言葉が出てきた。雰囲気から察するに恋愛系の花言葉なのだろうか。
彼に花言葉を教えられた記憶はないので、彼が花言葉に詳しいのは少し意外ではあった。日常的に花の世話をしているだけの事はあるらしい。
育て方の知識とかを教えてもらってもところてん状態の私だったので、花言葉を教えてもらってもうっかり忘れただけかもしれないけど。だってしょうがないじゃない。花言葉とか、興味ないんだもの……!
テオバルドはよく私に花をくれる。リンドウとか、アジサイとか、アザミとか、スイセンとか、マツムシソウとか、その他名前の最初の文字すら出てこない花とか。それも全部テオバルドが温室で育てているらしい。何者だこいつ。園芸大好きすぎだろ。
今までもらったなかで一番のお気に入りはスノードロップだ。テオバルドがくれる花はどれも育てた人の愛情がひしひしと伝わってくるけど、その中でも一番スノードロップが輝いていた気がするから。それだけテオバルドが感情をこめて大切に育てたものなのだろう。
そしてそれはスターチスも同じだった。風に揺られるスターチスは幸せそうに佇んでいる。
……スターチスをもらった事はないはずだし、せっかくだから欲しいかも。
テオバルドは私の逆ハー要員だし、花言葉が恋愛の花なら贈る相手は当然私だよね。今までもたくさん花をくれているから、たまには私からおねだりしてみようかな。
「ねえ、このスターチス、一房もらっても構わないかしら? 部屋に飾ったらとっても素敵だと思うの」
「……申し訳ございません。このスターチスは、姫巫女に差し上げられるようなものではないのです」
「こんなに綺麗なのに?」
残念。くれないならしょうがないけど……スターチス、欲しかったなぁ。
どうしてだめなのか、テオバルドは理由を教えてはくれなかった。ぎこちなく笑うだけだ。仕方ないし、今度他のもので埋め合わせしてもらおうかな。
――――ふふん。まだまだだね、テオバルド君。神聖系美少女ジュリエッタは倍率高いんだよ? ちゃんと貢いでくれないと、ポイント稼げないじゃん。うかうかしてたらライバルに取られちゃうよー? ……なーんてね。
現状、私の逆ハーメンバーに対する好感度はテオバルドとフィデリオが一番高い。二人は私が姫巫女になったときからの知り合いだし、何かとかかわる機会が多いからだ。
グイドはちょっと肉食系すぎで、アルフレードは草食系すぎ。がっつかれても、おとなしすぎても困るのだ。あと、二人とも王侯貴族という事で神殿関係者より会える機会が限定される、というのも大きいだろう。しかも、グイドと知り合ったのは、実は三か月前なのだ。彼の事はまだちょっとよくわからない。
前世の私なら、グイドみたいなタイプは一番苦手だっただろう。軽薄なグイドの振る舞いを受け入れられるのは、ひとえに現世の私が超絶美少女だからだ。そうでもなければ、引いちゃって会話にならなかったはずだ。というか、現世にしたって姫巫女スマイルを浮かべながら脳内で爆笑してる事も多々あるし。
ま、ぶっちゃけ全員好きだけどね! プレイボーイなグイドも、まめなテオバルドも、なんでも言う事を聞くフィデリオも、落ち着いたアルフレードも。それはやっぱり、彼らの好意のベクトルが私に向いているからだと思う。
それでもあえてランク付けするなら、上からテオバルド、フィデリオ、アルフレード、グイドといったところだろうか。
だけど、今のところ私は誰のものになる気もない。姫巫女は結婚していいのか、それとも処女を貫くべきかなのかは知らないけど、逆ハーを作ってても何も言われないから結婚しても別に問題はない、と思う。それでもしばらく結婚しないでいいやと思うのは、複数の男達が私を巡って水面下で争うさまを眺めるのが快感だからだ。
建前は「私のために争わないで!」だけど、本音は「いいぞもっとやれ!」って感じ。この余裕も、現世の私が行き遅れる心配のない美少女だからだけど。前世だったら無理無理。速攻でアルフレードとくっついて人生安泰ルート突入するに決まってる。
とりあえず今のところは、愛され独身時代をぞんぶんに堪能してからアルフレードと結婚しようと思う。アルフレードは奥手すぎるからか、あるいは王子の自分が好意を露骨にあらわにすると他の男達の勝ち目を軒並み潰してしまって申し訳ないと思っているからか、私に「好きだ」「愛してる」に該当するような言葉を言った事は一度もない。だけど、逆ハーメンバーって事は彼も私に気があるという事だ。私が彼にだけ好意を示せば、アルフレードも乗ってくるだろう。
奥手な彼をその気にさせるために、いずれ私から告白する。アルフレードが断わるわけがない。実は障害が一つだけあるけど……まあ、アルフレードが黙らせてくれるはずだ。
そして私は王子妃になって、ゆくゆくは王妃になる。そうすれば、たとえ『奇跡の姫巫女』の『奇跡』が得体のしれないものであろうとも、私を脅かすようなものはなくなるというわけだ。
いやー、薔薇色の人生設計があるとこうも人の心は軽くなるものか。前世だと、したくもない勉強に縛られたり学歴に悩んだり、人間関係の袋小路に陥ったり安月給に苦しんでゼロが少ない通帳とにらめっこしたりしてたのに。今じゃそんな心配なんてしなくていい。まったく、現世さまさまだね。