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ハナムラジュリ 2

 え、なにこれなんてファンタジー?


 ――――これが、覚醒してから真っ先に思った事だったとおぼろげながらに記憶している。


 黒髪黒目の喪女が、気づいたら金髪碧眼の美幼女になっていたのだ。まあそれぐらいは思いたくもなるだろう。

 そう、私には前世の記憶がある。花村樹里、それが前世の私の名前だ。自分で言うのもなんだが、結構可愛らしい名前ではないだろうか。なお、顔と中身は伴っていない。完全に名前負けだ。

 そして今の私の名前はジュリエッタ・フィオーレという。やはり自分で言うのもなんだが、可愛らしい名前だ。しかも今度はちゃんと顔立ちも整っている。中身のほうは相変わらずお察しだが、これでもう名前負けだと自虐に走る必要はなくなった……はずだ。

 何のとりえもなく、何の生きがいもなく。死んだように生きていた私は、死んだ事で文字通り生まれ変わった。

 死因はよく覚えていない。多分くだらない理由だろう。酔っぱらって足を滑らせ頭をぶつけ、打ち所が悪くて死とか。酔っぱらって調子に乗って夜の街をふらふら出歩いて、車に轢かれて死とか。とりあえず酒癖の悪さが関係している、と思う。

 とにかく、前世の事はどうだっていい。地味で冴えない花村樹里は、どこから見てもお姫様にしか見えないジュリエッタ・フィオーレになった。これはきっと、前世の嫌な記憶は全部忘れてジュリエッタとして輝かしい人生を歩みなさいという神様からのありがたいプレゼントだ。


 ――――しかし、一つ不思議な事がある。私は、花村樹里としての意識が覚醒する前の記憶がほとんどないのだ。

 私がジュリエッタになったのは、確か十歳ぐらい。それ以前の記憶はすとんと抜け落ちている。前世の記憶と前世での自我がよみがえった弊害で、それまでのジュリエッタとしての記憶がなくなってしまったのかもしれない。

 まったく、迷惑な事だ。みじめな前世より、幸せいっぱい愛され美幼女ジュリエッタのちやほや成長記録のほうを残しておいてほしかったのに。

 ……ただ、私が思っているよりも、前世の意識が覚醒する前のジュリエッタは幸せではなかったのかもしれない、とも思う。幼いころの記憶はないほうがいいと、神様が判断するぐらいには。

 可愛らしいジュリエッタにはよりどりみどりの幸せな未来が広がっていて、悩みぬいた末に選び取った一番甘い人生を心ゆくまで堪能するのは間違っていないはずだけれど、だからといって幼いジュリエッタも幸せである保証はなかった。だって、ジュリエッタの両親は最悪な人達だったみたいだから。

 私が覚えている、ジュリエッタ・フィオーレの家族。さすがジュリエッタの親だと言いたくなるほど美形な両親と、さすがジュリエッタの妹だと言いたくなる可愛らしい妹、だったと思う。両親も妹も、名前は覚えていないけど。

 父は鬼のような形相で私に暴力を振るった。すぐに騎士らしき屈強な男達に取り押さえられて、どこか別の場所に連れていかれたけれど、その間にも私をひたすらにののしっていた。

 母はうつろな目をして私を見つめていた。父を止める事もせず、呆然と立ち尽くしていた。助けてと言って伸ばした手はぴしゃりとはねのけられて、貴方なんか私の娘じゃないと叫ばれた。父が騎士に連れていかれそうになったときは、騎士を止めるために父にすがっていた。そんな母は別の騎士に引きはがされて、やっぱり別の場所に連れていかれていった。

 妹はわんわん泣いていた。当時の私が十歳なら、妹は大体七、八歳ぐらいだろう。お父様とお母様をつれていかないで、ひどい事をなさらないでと泣き叫ぶ小さな少女にはさすがの騎士達も乱暴な真似はできなかったみたいだけど、それでも別の場所に連れていかれた。

 家族について私が覚えているのはその光景だけだ。虐待親と愛玩子の妹、それから搾取子のジュリエッタ。それがジュリエッタ・フィオーレの家族だったのではないだろうか。そう結論づけるのはたやすかった。

 確かに、ジュリエッタが歩むべき輝かしい未来にこんな家族の記憶は必要ない。そして幸いな事に、その日以来家族は私の前から姿を消した。その後家族がどうなったかは、詳しくは知らない。「フィオーレ公爵家は姫巫女に対する無礼を働いた罪で取り潰しになり、一族はみな処刑された」と、偉い人が言っていたのを小耳に挟んだぐらいだ。

 本音を言ってしまえば、あんなひどい家族なんかに興味はなかった。あの人達がどうなろうと正直どうでもいい。ざまあみろと思えるほど、あの人達から受けた仕打ちを記憶しているわけでもないし。もっとも、私が私になる以前のジュリエッタならそう思えたかもしれないけど。

 それはともあれ、こうして身寄りのなくなった私は、神殿に引き取られた。奇跡の姫巫女、それが私に与えられた役職だ。

 どうやら私は、『奇跡の姫巫女』という地位につくのにふさわしい資質を持っていたらしい。私が見た光景は、私が奇跡の姫巫女として神殿入りする日の事だったのだと。きっとあの鬼のような両親は、搾取子にすぎないジュリエッタが奇跡の姫巫女として薔薇色の人生を歩む事が許せなかったに違いない。

 姫巫女の仕事は特になかった。神殿の最中にある白亜の塔でのんびりだらだらしたり、たまに形だけのお祈りをしたり、適当に人の悩みを聞いたり、人前に出てにこにこ手を振っているだけでいい。これで衣食住のすべてが保証されているのだから、これほど素晴らしい仕事はないだろう。

 奇跡の姫巫女。私がそう呼ばれるようになって早くも八年が過ぎた。けれどその地位がいったい何なのか、私自身もわかっていない。いるだけでいいと周囲から言われているからだ。『奇跡の姫巫女』は、その存在をもって奇跡を体現しているのだと。

 しかしあいにくな事に、私はそんなたいそうな事をした覚えはない。人と違う点といえば、転生者で前世の記憶もちだという事ぐらいだ。

 だけどその事を誰かに話した覚えはないし、そのあたりの事を悟られている様子もなかった。私が示す『奇跡』とは、一体何の事なのだろう。

 誰かに聞きたい。けれどできない。私に奇跡を起こしている自覚がないと知られれば、姫巫女として不適合だと思われてしまうかもしれない。それどころか、本当は何もしていないと気づかれてしまう恐れだってあった。何もしていないのだから、自覚がないのも当然だろう。

 そうなってしまえば、この生活はなくなってしまう。そんな事になっては困る。だからそれとなく尋ねるぐらいしかできないけれど、それだと要領を得ない回答しか返ってこない。結局答えはわからなかった。


「ジュリエッタ様!」


 そんな感じにアンニュイな気分で中庭の泉を眺めていたら、背後から声がかかった。振り返ると、護衛騎士のフィデリオがぱたぱたとしっぽを揺らしながら近寄ってくる。いや、彼にしっぽは生えていないんだけど。それなのに、たまーに犬の耳としっぽが生えている幻覚が見えるのだ。きっと彼の忠犬(わんこ)属性がそうさせるのだろう。

 フィデリオは私の専属の護衛騎士だ。だけど護衛といっても、つねに私に張りついているわけではない。神殿の敷地内、それも中になればなるほど警備が厳重になる。わざわざ護衛騎士をつけなくても、私の安全は保障されていた。それに私だって、たまには一人になりたい時ぐらいあるのだ。


「どうしたの、フィデリオ」

「アルフレード殿下とグイド様がお見えになっています。どうなさいますか?」

「そう。通してちょうだい、私もすぐにいくわ」


 アルフレードはこの国の王子で、グイドは侯爵家の嫡男だ。二人とも、ちょくちょく神殿へ足を運んでくれる。表向きは奇跡の姫巫女への敬意を称して、本当の理由は私に会いたくて。そう、二人は私のいい()()なのだ。

 この二人にプラスして神官のテオバルドと護衛騎士のフィデリオが揃えば、私の逆ハーレムが完成だ。四人の男達に囲まれるなんて、前世ではありえなかった。これも転生さまさまだろう。ジュリエッタ万歳。

 四人はそれぞれタイプの違う優良物件だった。この中から一人選ぶなんて私にはできないわ、なんて言いたくなるぐらい。それでもみんな私にぞっこんだから、優柔不断にも四人全員侍らしていても文句ひとつ言わない。なんてできた男達だろうか。

 しかもこの四人以外にも、私に言い寄ってくる男は多い。そう、モテモテで困っちゃうのだ。そのぶん同性からは嫉妬の視線を向けられる事も多いが、彼女達も『奇跡の姫巫女』には手出しできないらしい。異性にモテるうえに、同性のいじめにあわないで済むなんてここはまさに理想郷だ。ビバ、異世界。

 るんるん気分で白亜の塔に向かう。白亜の塔は奇跡の姫巫女(わたし)のためにある場所だ。神殿の中にある、奇跡の姫巫女の家とでもいえばいいんだろうか。まず大きなロの字型の神殿があり、中庭があり、さらにその中に白亜の塔がある。ロの字型の神殿の四隅にあたる部分にはそれぞれ塔があって、その中に礼拝堂があったり高位聖職者が仕事をしたりする場所がある、らしい。月に一度行われる祈りの儀式で礼拝堂に行く以外はほかの塔に行く事なんてないから、詳しくは知らないけれど。


「ご機嫌麗しゅう、ジル」

「……グイド、姫巫女様がお困りですよ。さあ姫巫女様、こちらへ」


 白亜の塔の応接間につくと、グイドが跪いて私の手にキスをした。ジルというのは“ジュリエッタ”の愛称だ。アルフレードはさりげなく私達の間に割って入り、私をソファに誘導する。アルフレードからはわずかに甘い匂いがした。

 アルフレードは和やかな笑みを浮かべているが、グイドに向けた空色の目はあまり笑っていない。彼はグイドのように積極的になれないぶん、行動力のあるグイドに嫉妬しているのだろう。アルフレードは王子といえど、かなりの奥手なのだ。

 前世では彼氏いない歴イコール年齢だった私だが、今では男を侍らせる歴イコール年齢(花村樹里の意識が戻ってきてから数えているので、間違ってはいない……と思う)になっている。まさか私がこんなおいしい思いをできるなんて、前世だったら到底信じないだろう。というか、前世ならまず起こりえない。まさに異世界さまさまだ。本当、異世界ってすごい。


「失礼します。お茶をお持ちしました」


 ノックの音とともにやってきたのは神官のテオバルドだった。ティーセットとお茶請けのケーキが載ったカートを押している。テオバルドの淹れた紅茶は絶品だし、確かあのケーキは最近王都で流行りの人気店のものだったはずだ。楽しい昼下がりになりそうで、思わずテンションが上がった。

 テオバルドは慣れた手つきでお茶の準備をしてくれる。本当は、こういったこまごまとした仕事はメイドに任せればいい。だが、テオバルドがどうしても自分がやりたいと言うので任せているのだ。客人が男だった場合は特にその傾向が強くなる。

 きっとお茶汲みをする事で自然にその場に溶け込み、来客を牽制することが目的なのだろう。そんな私の予想を裏づけるように、壁際に佇んだテオバルドはアルフレードとグイドに迷惑そうな眼差しを向けていた。お茶請けのおかわりを頼んだら、二人のぶんだけぶぶ漬けにしそうな勢いだ。この国、主食はパンだけど。お米はほかの国からお取り寄せしないとないみたいだけど。


「今日はどんなご用件かしら?」


 そう尋ねながら、お嬢様っぽく上品に紅茶を口に運ぶ。おいしい。紅茶ってこんなにおいしいものだったんだとつくづく思う。自分で自分のために作るものより、誰かが私のために作ったもののほうが絶対においしい、という私の持論はきっと間違っていないだろう。


「君に会いたい。ここに足を運ぶ理由など、これで十分じゃないかな?」

「やだ、グイドったら」


 浮いた台詞もグイドのような気障な貴公子が言うとさまになっている。アルフレードは何も言わなかったけど、それはつまり彼も同意見だという事だろう。本当に、私は彼らに愛されている。


「……お前達と違って、姫巫女は暇ではないんだがな?」


 暗黒微笑と呼びたくなるような笑みを張りつけながら、テオバルドがぼそりと吐き捨てる。発言を拾ったのはアルフレードだった。


「おや、それは大変な失礼を。ですが、たまの息抜きも必要ではありませんか? 神殿などという閉鎖的な空間に押し込められていては、姫巫女様もさぞ退屈でしょう。代わり映えのしない、君のその辛気臭い仏頂面を毎日見せつけられていればなおさらね」

「ふん。平和ぼけしたその締まりのない顔を眺める羽目になるよりはましだと思うぞ」


 二人の間でばちりと火花が飛び散る。……この二人、ちょっと仲が悪いんだよね。私の取り合いとは関係なく、単純に相性が悪いのかもしれない。

 ……ごめん、すごく暇です。奇跡の姫巫女、ぐうたらするのが仕事みたいなものですから。


「おいテオバルド、地が出てるぞ」

「……すまん」


 フィデリオがぼそぼそとテオバルドに何か囁く。まあ、確かに今のは一神官が王侯貴族に向けていい発言ではない。私はもちろん、アルフレードとグイドも気にしてないけど。

 身分的に考えれば、この場で一番偉いのは私とアルフレードだ。この国では王権と神権は別物として見られていて、国王と神殿長が同格の扱いを受ける。だから第一王子のアルフレードと、神殿長の次に偉いらしい姫巫女の私も同格扱いだった。

 上級神官や神殿騎士も、位によっては貴族に並ぶほど尊い存在として扱われる。ただし孤児はその限りではなく、孤児のテオバルドとフィデリオの地位は神殿内でも低かった。だけど、可哀想だったので私が昇進させてあげたのだ。理由はずばり、孤児の生まれだと姫巫女(わたし)の側近になれないからというひどく不純なものだったけど。だって二人とも、囲わずにはいられないほどの美形だったんだもん……。

 とはいえ生まれが出世を阻んでいただけで、二人のもともとのスペックは結構高いようなので問題もないだろう。私の口利きのおかげか、今のテオバルドとフィデリオはその若さや出自ではありえないほど出世している……らしい。どれだけ偉いのかは、正直私にはよくわからないけど。

 それでも孤児というハンデはきついらしく、生粋の上級貴族には敵わないらしいので、身分は上から私とアルフレードに続いて侯爵令息のグイド、神官テオバルドと護衛騎士フィデリオと並んでいく。でも実際にはアルフレードとグイドは親しい友人だし、テオバルドとフィデリオは幼馴染みだ。それに私もアルフレードも、公の場ならともかく私的な場所であまり細かい事はぐちぐち言いたくない。だから私達の間には、身分だなんだと煩わしいしがらみはなかった。

 それでも気になるものは気になるらしい。いや、姫巫女(わたし)の前では猫をかぶっていたいというテオバルドのささやかな見栄だろうか。好きな女の子の前ではかっこよくありたいもんね。うんうん、わかるわかる。前世でそんな振る舞いされた経験ないけど。


「気にしないで、テオバルド。ほら、テオバルドもフィデリオも座ってちょうだい。せっかくだから、みんなでお茶しましょう?」


 ふんわりと微笑んで見せれば、四人の男達はほんのり顔を赤らめて熱のこもった視線を向けてくる――ああ、奇跡の姫巫女、超楽しい!

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