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奇跡の姫巫女ジュリエッタ  作者: ほねのあるくらげ


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15/16

テオバルド

 俺とあの女が初めて会ったのは、神官になって半年も経たない内の事だった。


「あら、綺麗なお花ね。貴方が世話をしているの?」


 花壇に水をやっていた時に、その女は現れた。おろしたての白いローブがやけに眩しい。きっと何も知らなかったら、天使が地上に降りてきたと勘違いした事だろう。


「……いいえ。たまたま俺が今日の水やりの当番だっただけです」


 風になびく金の髪。きらきらと輝く大きな青い瞳。笑った顔はジルそっくりで――――けれど、それはジルのものではない。


「あら、そうなの。じゃあ、明日ここに来ても貴方には会えないのかしら。どこに行けば貴方に会えるの?」

「……貴方が呼べばいつでも貴方の元に参りますよ、姫巫女」

「なんだ、貴方も私の事を知ってるのね」


 少なくともお前よりはその身体の持ち主の事を知っているが、お前自身の事はこれっぽっちも知らない。そんな言葉を飲み込んで微笑む。我ながら少しぎこちない気がしたが、女は気にしようともしなかった。


「それなら話は早いわ。改めて初めまして、私はジュリエッタ・フィオーレ。貴方の名前を聞いてもいい?」


 俺の名前は貴方も知っているでしょう? どうか思い出してください。たとえ今は忘れていても、貴方の心の中に眠っているはずだから――――そう言わなかった自分を、心の底から褒めてやりたかった。


* * * * *


「ふっ。テオバルド、今年も中々の豊作のようだな」

「お褒めに預かり光栄でございます」


 机に乗せられたブリキ缶を見て、神殿長はにやりと笑った。きっと今の俺は、神殿長のそれに負けず劣らず下卑た笑顔を浮かべているのだろう。

 ブリキ缶の中に入っているのはケシの実から作った粉末だった。温室でひっそりと育てていたその花はただの観賞用の植物ではない。人を狂わす薬の原材料となるものだ。俺はそれを神殿長の認可のもと育てていた。

 俺が自分専用の温室を作る事を許可されたのも、ケシを栽培しているからというのが大きい。ケシはまだこの国では認知度が低いので秘匿にそこまで気は使わないが、高値で売れる貴重な商品を扱う者は最低限の人数に抑えたい、という神殿長の考えでケシの栽培は俺に一任されていた。

 ジルと一緒に学んだ園芸の知識がこんな事に使われるなんて、ジルが知ったら驚くだろう。しかし後悔はしていない。これが俺の選んだ道だ。たとえ何をしても復讐すると決めた以上、今さらなりふり構っていられない。

 粉末は神殿長の手によってどこぞの商人に卸される。それはやがて市井に渡り、この国を蝕む事だろう。麻薬はいずれアルが駆逐するだろうが、それまで少しは苦しめばいい。“奇跡の姫巫女”の器になった奴らの犠牲の上で今まで平和を謳歌していたんだ、それぐらいの罰はあってしかるべきだろう。

 人であろうと物であろうと、俺が仲介した“商品”がどういうルートでどこに行ったのかはすべて把握している。俺が捕まれば、どんな悪徳商人も悪徳貴族も芋づる式で暴かれる仕組みだ。今まで神殿が犯してきた罪の数々も、これで白日の下に晒される。

 俺という餌を使って神殿の闇を引きずり出そうとしているアルの制裁から逃げられる奴などいない。いや、取りこぼしなどあっては困るのだ。神殿の悪事を一つ残らず暴くため、俺はこんな事をしているのだから。

 阿片に始まる麻薬栽培だけではない。女衒の真似事、暗殺者の斡旋、権力者への恐喝、神殿の闇に染まるためなら何でもやった。堕ちようと思えば人はどこまでも堕ちていけるらしい。気づけば俺はとっくに後戻りのできないところまできていた。

 機嫌取りにと渡された黒い金はすべて懐にしまったし、奴隷の女は神殿への強い憎しみを植えつけてから売り払った。神殿へ復讐を望む者を増やすためだ。

 神殿を憎む奴が増えれば増えるほど俺の心は満たされるし、神殿を倒すアルの英雄性も高まる。

 神殿を憎め。恨め。神殿に縋ってきた今までの人生を恥じろ。目を覚ませ。神に祈っても救いは与えられないんだ――――それをわからせてやる事もまた俺の復讐だ。


* * *


 アルに身請けされてからというもの、ルチアは月に一度の祈りの儀に欠かさず顔を出すようになった。口がきけないという護衛の男一人を連れ、最前列の席のどこかを陣取るのだ。その時の彼女の服装は、ジルの喪に服している事を示すためか黒一色だった。

 そんなルチアを、姫巫女はこう呼んでいた。ベールちゃん、と。それを伝えると、ルチアはけらけらと笑った。


「もうちょっといい名前はなかったのかしら。漆黒の令嬢(ラガッツァネーロ)のほうが可愛いじゃない」

「知るかよそんな事。呼び名なんてどうでもいいじゃねぇか。……それよりいいのか? 姫巫女に存在を知られてるみたいだが」

「何の問題もないわ。私が毎月祈りに行くのは、あの女への宣戦布告みたいなものだもの」


 アルがルチアの居場所を突き止め、さらにルチアを自分の私邸に住まわせるようになってから、俺は何度もそこに顔を出してルチアと言葉を交わしてきた。

 だが、いつまで経っても信じられない。あの馬鹿みたいに能天気だったルクレツィアが、ここまですごみのある笑みを浮かべられるようになったなんて。……いや、それはお互い様か?


「変な女が来るって笑っていられるのも今のうちよ。いずれあの女の胸に、私の存在を刻みつけてやるんだから」


* * *


「……ベッラヴィスタ家の夜会か」

「ジュリエッタ様は乗り気みたいだし、オレ達も連れてってくれるんだってさ。あー、今から緊張してきた……」


 貴族社会に慣れていないフィデリオは憂鬱そうにため息をついた。しかし行かないという選択肢はないらしく、何を着ていけばいいさっぱりわからないと言いながら衣装棚をひっくり返している。大惨事が起きる前に神殿騎士の正装を取り出して押しつけ、自分用の礼服を取り出した。これに袖を通す事などめったにないが、支給されていて助かった。

 テオバルドとして神殿に足を踏み入れて以来、ベッラヴィスタ家に近寄った事はない。神官テオバルドとして夜会に参加する事はアルを通じてこっそり伝えてもらうつもりだが、果たしてうまくいくだろうか。

 できる事なら仮病でも何でも使って休みたいが、姫巫女は俺も連れていきたがるだろうし、フィデリオが縋るような目でこっちを見てくる。欠席なんてしたら長い事恨まれそうだ。……仕方ない、緊張しているフィデリオを利用して乗り切るか。


*

 迎えた夜会の当日、フィデリオを無事に人目のないところへ誘導する事ができた。

 助かった、これで俺が目立たない場所にいてもおかしくないと姫巫女に思わせる事ができる。案の定、俺がフィデリオに付き添う事に対して姫巫女は何の疑問も抱かなかったようだった。


「ほらフィデリオ、水を持ってきてやったぞ」

「おお、ありがとな」

 

 あの日から八年経っているせいか、使用人のほとんどは見かけない顔だった。遠目でも顔のわかる使用人を見つけた時は焦ったが、急いで顔をそむけたため向こうは気づかなかったようだ。

 なるべく周囲に気を配りながら、俺は観葉植物の陰に隠れて息を殺していた。フィデリオはしきりに「こんな場所でも溶け込めるジュリエッタ様はすごい」だの「オレもまだまだだぜ」だのと言っている。今回は目立ちたがりの姫巫女に悩まされた分フィデリオのあがり症に助けられたので、俺は何も言えなかったが。


「姫巫女様の従者殿とお見受けするが……清貧を美徳とする神殿の方々にとっては、俗世の乱痴気騒ぎは退屈だったかな?」


 その男が話しかけてきたのは唐突だった。アルやグイドとはまた違う、上流階級の空気にあてられてフィデリオが顔を蒼くする。

 その男が誰かに気づいた俺は舌打ちをこらえながらにこやかに微笑んだ。


「めっそうもございません。……我々は卑しい身分、とてもこのような華やかな場には似つかわしくない故にこうして壁の染みに徹している次第でして」

「しかし今宵は無礼講、そのようなつまらない事は気にせずともいいさ。夜はまだ長いんだ、君達も楽しんでくれたまえ」


 男の浮かべる笑みは上っ面だけのもので、瞳は俺を値踏みするように細められている――――なんで話しかけてきたんだよ、兄上!


「な、なあテオバルド、挨拶とかしたほうがいいのか? てかお前、この人が誰か知ってるか?」

「ベッラヴィスタ公爵家の次期当主、ミケーレ・ベッラヴィスタ様だ。挨拶なんてしなくていい。高貴なお方の耳を下賤な者の名前で汚すのは不作法だからな」


 貴方と話す気はないと遠回しに伝えるために、わざとミケーレにも聞こえるようなぎりぎりの声量で告げる。ミケーレはわずかに眉をひそめた。


「言っただろう、無礼講だと。……そこの神官の君は不作法と言ったが……こういった場では、私が君達に名を教えてくれるよう言えばきちんと作法にのっとった事になる。そうしたほうがよかったかね?」

「……私の名はテオバルド、こちらはフィデリオと申します。姫巫女にお仕えする身ではありますが、平民ゆえに姓はありません」


 さっさと名乗れと言われてしまえば逆らえない。一体何がしたいんだ、ミケーレは。不可抗力でこの家に来てしまったが、姫巫女のお供という大義名分がある以上テオバルドとベッラヴィスタ家の繋がりを証明するものにはならない。しかしここでミケーレとテオバルドが親しげに会話していれば、どこかで誰かに何かを勘づかれてしまうかもしれないのに。


「そうか、そうか。……時に、私には弟がいてな。今はもう神の御許に召されてしまったが……生きていればテオバルド、君ほどの年齢だった。つい懐かしさから話しかけてしまったよ」

「弟君?」


 ダヴィデの死が偽装である事も、俺がテオバルドとして生きている事もミケーレは知っている。ミケーレはテオバルドという通りすがりの神官を通してダヴィデに話しかけているのだろう。真実を知らないフィデリオは目を丸くしているだけだったが。


「弟は優秀な奴でな、父上と母上の嘆きようは見ていられないものだった。……私は今でも思うよ。弟が生きていたらどうなっていただろう、と。叶う事なら帰ってきてほしいとね」


 それでは二人とも、いい夜を。ミケーレはそれだけ言って去っていった。一体何だったんだ? ――――なんて、とぼけるのはやめておくか。

 愚かな義弟(おとうと)で申し訳ございません、兄上。八年前のあの日から、俺はもうベッラヴィスタ家には戻らないと決めているんです。


* * *


「五日後?」

「何か問題でも?」

「……いいえ、お気になさらないでください」


 姫巫女のお気に入りの一人にしてチェルーティ侯爵家の長男、グイド・チェルーティが森への日帰り旅行を提案したのは、ベッラヴィスタ家の夜会から三日後の事だった。

 王都近くの森といえば、アルがルチアを囲っている屋敷がある森しかない。確かその日、アルは執務の関係で一日中城にこもりっきりになるはずだ。しかしその前日は屋敷でルチアと過ごすつもりだと言っていた。

 ……下手に仕事を持ち帰って、大事な書類を屋敷に忘れていかないといいんだが。


*


 そんな俺の心配は的中してしまった。城にいるはずのアルがわざわざ森の屋敷に帰る理由なんて忘れものぐらいしかない。休むだけなら城の仮眠室で十分だし、ルチアに会って癒されたいなんていう理由で仕事を投げ出す男ではないからだ。

 あらかじめ言っておいたにもかかわらず、本当にそんな失敗を犯すなんて。どれだけ疲れがたまっているのだろうか。……神殿の調査と宗教改革の根回しのせい、だろうな。落ち着いたらゆっくり休んでもらいたいものだ。


*


「姫巫女とフィデリオが?」

「はい。僕も驚きましたよ。まさか屋敷に上がり込んでくるなんて」


 本格的に忙しくなったのか、アルはとんと神殿に顔を見せなくなった。代わりに俺が忍んで屋敷に足を運んでいるのだが、表情に濃い疲労の色を残したアルはため息とともにそう吐きだした。

 どうやら森の散策の後、姫巫女とフィデリオはアルの屋敷の場所を探し出したらしい。執事のダミアーノは、やってきた姫巫女の事をルチアが忘れものでもしたのかと思って開けてしまったらしい。アルとルチアは二人して出かけていたというのが不幸中の幸いだが……何をしてるんだ、あいつらは。


「大丈夫か?」

「ルチアの肖像画は見られてしまったかもしれませんが、どうせ姫巫女は殺してしまうでしょう? 姫巫女はルチアの事を知りませんから、絵に描かれているのは自分だと思うはずです。せいぜい、僕が姫巫女に異常な執着心を燃やしていると思われるだけですよ。肖像画自体は後々別の場所に移す予定ですので、フィデリオの口からこの屋敷の事が漏れてしまっても問題ないかと」


 もし姫巫女が肖像画の事を吹聴しても、俺が握り潰せば問題ない、か。それもそうだな。うまくいけば、アルに怯えた姫巫女が俺やフィデリオへの依存を強めてくれるかもしれない。そうなれば暗殺もより簡単になるだろう。


* * * 


「ほう。姫巫女様に懺悔をしたい者か、いいだろう」


 神殿長に多額の賄賂を渡してルチアの懺悔の許可を求めると、神殿長はあっさり頷いた。金の亡者め。いや、金で簡単に動く人物で助かったと思うべきだろうか。

 計画はいよいよ大詰めだ。特別に姫巫女を懺悔室に引っ張り出し、ルチアが姫巫女を刺し殺す。目撃者はフィデリオだ。俺とルチアが共謀しているという事を印象づけてから、余計な邪魔をしないように眠らせる。使うのは……そうだな、温室で育てている毒花がいいだろう。あれで神経に作用する薬が作れたはずだ。一時的に意識を奪う毒針でも用意しておくか。貴重な目撃者を誤って殺さないよう、分量を調整しないとな。

 俺とルチアが捕まらなければ意味がない。目撃者(フィデリオ)の存在は重要だ。フィデリオが眠ったらルチアが姫巫女を殺し、それと同時にアルが神殿に踏み込んでくる。強制捜査の始まりだ。

 アルが来る時間は決まっている。正午の鐘ちょうど。それに間に合うよう、計画を進めなければ。

 筋書き通りに事を運ばせるためにフィデリオが俺とルチアの関係を誤解するよう恋人らしく振る舞わなければいけないのが憂鬱だが、そこはアルも我慢してくれるだろう。……してくれるといいんだが。


*


「うふ、うふふふふ……あはははははははははっ! お父様、お母様、お姉様! ルクレツィアはやりました! 貴方がたの命を奪い、お姉様の亡骸をもてあそび、私のすべてを蹂躙し、フィオーレ家を没落に追いやった元凶を、ルクレツィアがこの手で殺めたのです!」


 胸を一突き、そうしてジュリエッタは殺されたという。それとまったく同じやり方をしたルチアは、地に倒れ伏した姫巫女などには目もくれずに天を仰いで哄笑した。

 遠くで誰かの叫び声と怒鳴り声が聞こえる。アルが率いる王家の騎士達が到着したのだろう。懺悔室の扉もすぐに開かれた。


「お前達、よくも姫巫女を……! 捕らえろ!」


 険しい顔のアルがそう命じると、アルの背後に控えた騎士達が一斉に動き出した。少し抵抗する振りはしたものの、俺達はあっさりと拘束された。視界の端でアルがフィデリオを起こしたのが見える。ルチアの煽りに合わせて俺もフィデリオを嘲笑ったが、何も知らなかったフィデリオは可哀想なほどに顔を蒼褪めさせるだけだった。

 騎士達はすぐに俺とルチアを懺悔室の外に連れていく。そこには騒ぎを聞きつけてやってきた神殿長がいた。


「な、なんだ!? これは一体どういう事だ、無礼者どもめ! いくら城の――ッ!? テオバルド、まさか貴様……!」


 俺は何も言っていない。しかし浮かべた笑みですべてを察したのか、神殿長は顔を醜く歪めて喚き始めた。腐っても神殿長の地位に上り詰める程度の勘のよさはあるらしい。だが、もう何もかも手遅れだ。

 王家の騎士達はそんな耳障りな声には耳も貸さず、神殿長を取り押さえる。金と権力にしがみつき、もはや何の意味もなさなくなった名声を笠に着るぶくぶく肥えた豚は、間抜け面を晒しながらあっという間に連行された。


*


 処刑台の上からの眺めはとても美しかった。“テオバルド”になって初めてだ。俺が景色に感動するなんて。

 誰もが憎しみに満ちた目で俺を見ている。俺を通して神殿への憤りをぶつけている。もうこの国の民は神殿なんかに頼らないだろう。これで二度と神殿は権力を持てないし、新たな“奇跡の姫巫女”が生まれる事もない。そう、人柱はジルで終わりなんだ。

 ジル、お前がいる天の楽園はさぞ綺麗なんだろうな。俺は同じ場所に行けないから、お前が見たものは共有できないけど……でも、俺はこの景色を見られただけで満足だ――――ああ、なんて素敵な眺めなんだろう!

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