アルレッキーノ
ルチアが生きている? 五年前に処刑されたはずのルクレツィアが?
しかしよく考えてみれば、彼女の処刑は神殿内でひそかに行われたものだ。神殿における罪人の処刑法はすなわち火刑であり、複数の孤児院や救貧院を経営して多くの孤児や浮浪児を抱える神殿ならば遺体の偽装もたやすい。その処刑が偽りであった可能性は否めないだろう。
テオバルドからの密書には、処刑を免れたルチアは奴隷として売られたらしいと書いてある。どこの誰が彼女を買った? どこぞの貴族という事はない、と思う。当時の彼女はまだ八歳だ。彼女を買うなら幼女趣味のある変態貴族だろう。彼らはテオバルドの顧客にもなるため、誰がそういった趣味を隠し持つかはテオバルドなら把握しているはずだ。当時は無関係だったとはいえ人身売買に一枚噛んでいるテオバルドなら、顧客の流れも追えるだろう。そのテオバルドがルチアの足取りを追えないなら、ルチアを買ったのは彼の顧客以外……すなわち貴族や神官ではない層だ。
それに、ルチアは仮にも王太子の婚約者だった。特殊な事情のあったテオバルドとは違い、ルチアは正式に社交界入りする前から多くの貴族に顔を知られている。ルクレツィア・フィオーレの死から数年経った今ならともかく、ルクレツィア・フィオーレが処刑されたのと時を同じくして彼女によく似た奴隷が売られたのなら、誰もが真実に気づくだろう。しかし僕の耳にそんな事情は入ってこない。つまり、彼女の売られた先は貴族社会とは無関係の場所だ。それなら富裕な商人か?
……いや、客人の機嫌を取らせるため、あるいは将来性を見抜いてルチアを買い、彼女の花が開くまでその存在を秘匿していた可能性も否めない。そうであるなら、すべての前提が無に帰る。ルチアを見つける手掛かりはない。ああ、ああ、彼女は一体どこにいる!?
「……ダミアーノ。ダミアーノはいるか?」
狂いそうになる心を押し殺し、ベルを鳴らして忠実な執事の名を呼ぶ。長年仕えている有能な老執事はすぐに現れた。
「どうかなさいましたか、殿下」
「至急内密に探してほしい者がいる。手段は問わないし、どれだけ時間がかかっても構わない。……とにかくルクレツィア・フィオーレを見つけ出すんだ」
* * *
テオバルドの助力とダミアーノの捜索のかいあってルチアの居場所を突き止める事ができたのは、それから一年ほど経ってからの事だった。
“とある娼館に、奇跡の姫巫女とよく似ている人気の娼婦がいる――――”奇跡の姫巫女との顔の類似を謳う娼婦は彼女以外にもいたが、その誰もがみな雰囲気が似ていると言えなくもない、という程度のものだ。だから彼女もそうだと思った。その“ルチア”という名を聞いてわずかに希望が芽生えたが、それだけだ。
それでもダミアーノはしらみつぶしにそういった娼婦を探し、子飼いの者に会いに行かせたという。その果てに辿り着いたのが“ルチア”だったというわけだ。そしてダミアーノは、彼女こそ僕が捜しているルチアである事を突き止めた。
さすがに王子アルフレードが娼館に行くのはまずいという事で、アルレッキーノと名乗り仮面をつけていく事にした。道化師。王子を気取る道化師でしかなかった僕に、これほどふさわしい偽名もないだろう。
大貴族はこうして忍んで来るらしい。それに慣れているからか、女将は僕の奇妙ないでたちを見ても何も言わなかった。そうしたほうがいいとダミアーノに言われたので仮面をつけてきたものの、内心では止められないか心配だったのでほっとした。
六年ぶりに会ったルチアは変わり果てていた。屈託のない笑みはけだるげな微笑に。無邪気さは退廃的な色香に。澄んだ青の瞳は甘い毒をにじませて。熟れた唇は魔性の歌を歌っていた。あの頃の純粋さは見る影もなく、酸いも甘いも噛み分けた妖艶な美女がいるだけだった。
それでも彼女は確かにルチアだ。ジュリエッタの名を借りるだけの他の娼婦とは違う。一目見てわかった。彼女こそ僕が探し求めたルクレツィア・フィオーレだと。
アルレッキーノと名乗った怪しげな客に、ルチアは胡乱げな眼差しを向けた。仮面を外してぎこちなく笑うと、青い瞳が驚きに見開かれる。彼女は僕を覚えてくれていたのだ。
ルチアの無事はテオバルドにも伝えたし、テオバルドと僕の現在もルチアに伝えた。僕らのしようとしている事も、彼女には知ってもらうべきだと思ったからだ。
彼女は言った。自分も復讐がしたいと。神殿と姫巫女に報復できるなら死んでも構わないと。僕らの復讐計画は、彼女を受け入れた事によってようやく完成した。
それからは毎日のように彼女の元に通った。彼女の身体が僕の知らない男達に穢されたかと思うと今でも怒りで目の前が赤くなる。ルチアの客をすべて殺してこようと思ったのは一度や二度ではない。それをしなかったのは、ダミアーノやルチアの制止があったからだ。もっとも、ルチアを買った貴族や商人についてはそれなりの制裁を加えたが。
けれど僕自身が彼女を抱く事はできなかった。彼女をこんなところに堕としてしまったのは、僕に力がなかったせいだ。果敢に神殿の闇に立ち向かったフィオーレ公爵とは違い、王家が弱腰だったせいだ。それなのに僕が客と娼婦という立場をいい事にして彼女に迫るのは何かが違う気がした。
だって仕方ないじゃないか。少し手を伸ばしただけで、彼女は怯えた眼差しで僕を見上げたんだから。その柔らかな頬に触れようと思っただけで、それ以上の事はしようとも思わなかったのに。それなのに、彼女の青い瞳にはわずかな恐怖が宿っていた。
彼女のその反応を見て悟ったのだ。ああ、少なくとも僕だけはルチアを抱いてはいけないと。彼女は他の男達に穢されきって心をすり減らしてきた。そんなルチアにとっての僕を、今まで彼女をもてあそんできた有象無象の男達と同列に堕としてはいけないと。どれだけすれて男慣れしたように見せかけても、その本質は怖がりなあどけない少女なのだと。
王太子の―はりぼてとはいえ―権力は僕のものだし、それを僕が行使するのは当然だが、ルチアが娼婦として振る舞うのは奴隷の義務でありルチアの枷だ。その義務を逆手にとって彼女に行為を強要するのは、王子の権利を用いて彼女をものにするのとは似ているようで異なっている。
ルチアの心は他の男のところにはないようだ。だが、それでもルチアが嫌がるのなら、僕もそれにならうべきだろう。ルチアの心のよりどころが自分自身と今は亡き家族、そして失った過去の幸せな記憶にしかないなら、壊しようがないのだから。
結局ルチアに指一本触れる事のできなかった僕は、代わりに数えきれないほど絵を描いた。客として彼女の時間を買えば、他の男が彼女に触れる事はできない。僕は客としての権利を行使し、彼女を独占している。それだけで十分だ。
その静かな時間はルチアを傷つける事はなかった。僕が何も言わずとも、ルチアは色々なポーズを取ってくれた。僕は彼女のすべてを記録する勢いで筆を走らせ、その淫らな肢体をあます事なくキャンバスに閉じ込めた。
そんな生活を続けながら、僕は個人の資産を集めていた。ルチアを身請けするためだ。国庫に手をつけるわけにはいかないので資金集めは少し難航したが、テオバルドの協力もあってなんとか身請けする事ができた。ルチアと再会して二年が経ってからの事だった。
ルチアは森の奥にある僕の屋敷に住まわせた。彼女を誰の目にも触れないようにするために。ダミアーノを含めた必要最低限の使用人と護衛の男だけ屋敷に置いて、あとは彼女の自由にさせた。外に出る事だけはある程度制限させてもらったが。
*
「お姉様の名誉を傷つける事だけはできないわ。民衆の印象として、姫巫女はあくまでジュリエッタ・フィオーレなのよ。“奇跡の姫巫女”の真実を暴いたところで、余計な混乱を招くだけじゃないかしら」
「そうだな。神殿を貶めるだけじゃ姫巫女の評判まで下がっちまう。イセカイジンがどうなろうと知った事じゃないが、ジルの名前に瑕がつくのはごめんだ」
「でも、私はこの手であの女を殺したいの。もっともらしい理由をでっちあげて、そのために姫巫女を殺した事にすれば、神殿の腐敗と姫巫女は無関係って事にできないかしら」
ルチアとテオバルドの頭にはジュリエッタの事しかない。彼女達が考えているのはあくまでジュリエッタ・フィオーレの名誉であり、イセカイジンの事ではないのだ。
ジュリエッタに対する強い想いを少しぐらいイセカイジンにもわけてやれとは思うが、聞き入れてもらえるはずがないので黙っていた。そもそも、この世界の住人ですらないイセカイジンがどうなろうと僕の知った事でもないが。
「それなら、こういうのはどうですか? 当然ですが、ルチアとジルはよく似ています。雰囲気こそ異なりますが、それらしい化粧をすればルチアが“奇跡の姫巫女”になり替わる事は可能なはずです。それに目をつけたテオバルドが、娼婦ルチアを身請けして……という筋書きを作るんです」
「いいわね。姫巫女と入れ替わるために殺した事にして、それをアルが暴くのはどう? そうすれば私もダヴィデも捕まって、神殿の腐敗も暴けるわ」
「それだ。それなら神殿を潰したアルは王権を回復できるし、俺とルチアも最高の形で復讐できるな」
イセカイジンは巻き込まれただけかもしれない。ジュリエッタ・フィオーレになったのは彼女の意志ではないかもしれない。
だが、彼女がジュリエッタ・フィオーレの亡骸を乗っ取り、この七年間好きなように生きてきたのは事実だ。そうである以上復讐に酔うルチアとテオバルドを止める事はできないし、僕も止める気はさらさらない。
「俺とアルは似たような背格好だから、俺がアルの代わりに“アルレッキーノ”を名乗る事もできるはずだ。全部終わった後に“アルレッキーノ”は俺だった事にすれば、アルが疑われる事もないだろ」
ルチア、テオバルド、アルレッキーノ。三つの偽名があれば復讐者は三人という事になるが、テオバルドは“アルレッキーノ”も背負って死ぬという。これで表向きの罪人は二人。テオバルドの提案を拒む理由はなかった。元から彼は復讐のために生きていて、すべてが終われば死んでもいいと言っているような男だ。ありがたくその偽装に乗らせてもらおう。
――――これがルチアとテオバルドによる“奇跡の姫巫女ジュリエッタ”暗殺事件が起きる、一年前の話だった。
* * *
ベッラヴィスタ家の夜会の招待状が僕とカテリーナの元に届いた。姫巫女も出るというそれに僕はあまり気乗りしなかったが、カテリーナは乗り気のようだ。姫巫女が参加すると知ってカテリーナは少し顔を曇らせたが、大きな夜会の魅力には抗えなかったのか結局参加する事に決めたらしい。
彼女は姫巫女をことのほか嫌っている。理由はよくわからないが、子供のうちは色々と敏感だというからそのせいかもしれない。
幼いころはまれにカテリーナも交えて遊んだものだが、その時のカテリーナはルクレツィアはもちろんジュリエッタに苦手意識を抱くどころか懐いていたはずだ。無意識のうちに、今の“ジュリエッタ”はあのジュリエッタではないとわかっているのだろう。
二番目の妹、第二王女カテリーナはいつの間にか当時のアリーチェの年を追い越していた。大きくなったカテリーナを見るたびに思う。彼女をアリーチェの二の舞にはさせないと。アリーチェの分まで幸せにしてやらねばと。それが二人の兄としての使命だろう。
そんなカテリーナが乗り気な以上、僕も嫌だとは言ってられない。王太子が行くならより警備も厳重なものになるだろうし、王家の騎士を複数人連れていく理由にもなる。カテリーナを守るには少し神経質なぐらいがちょうどいいだろう。
どうせならルチアも連れていきたかったのだが、さすがにそれは自重した。カテリーナはルチアと面識があるが、他の者はそういうわけにはいかない。復讐が終わったときに、王太子アルフレードと娼婦ルチアの関係を疑われるような事があってはいけないのだ。今は僕が所有している屋敷に彼女を住まわせているが、いずれその痕跡ごと別の場所に移す必要があるだろう。
それに、ルチアの容姿は目立つ。人々の視線はきっと彼女に釘づけになるだろう。美貌という意味でも、姫巫女と瓜二つという意味でも。今回の夜会に招かれるのは若者ばかりだというが、僕とルクレツィア・フィオーレが婚約していた事を知る者は多い。そこから余計な詮索をされるのはごめんだ。
「どういうおつもりですか、お兄様! あのような女に近づかないでくださいと、お願いしたでしょう!」
姫巫女と義理程度に数曲踊った後に現れたカテリーナは、ひどく憤慨した様子で僕を人気のない場所に連れてきた。
姫巫女が嫌いな彼女は、僕が姫巫女と仲良くしている事も嫌がっている。僕も好き好んで姫巫女に侍っているわけではないのだが、その事情はカテリーナに説明しないほうがいいだろう。……しょうがない、適当にごまかすか。
「お兄様には、」
「何度も言うけれど、僕が愛しているのは彼女だけだよ。たとえ貴方にどう思われようとも、それだけは変わらない」
ルチア様がいらっしゃるでしょう。そう言われるのはわかっていた。だから先手を打つ。カテリーナもそれを察してくれたのか、怒りが別種のものに変わっていった。
「そんな事、信じられません! それなら何故、お兄様はこのようなふるまいをなさるのですか!?」
「今は言えない事情があるんだ。……どうかわかって、カテリーナ」
それを明かせたら楽なのだが、彼女をこの復讐に巻き込む事はできない。沈黙するしかなかった。
カテリーナの言う通り、僕にはルチアが……ルクレツィアがいる。たとえ姫巫女との関係をカテリーナにどう思われようと、僕のルチアを愛する心は変わらない。
彼女以外の人を愛する気など毛頭ないし、彼女以外の人を王妃に迎える気もなかった。そもそも、僕の血など後世に残さないほうが賢明だ。僕の次に王になるのは、カテリーナの子供のほうがいいだろう。
「……お兄様はいつも、わたくしには大事な事を教えてくださらないのですね。そうやって、なだめすかしてはぐらかすだけ。わたくしだって、お兄様達の役に立ちたいのに……」
「貴方はそれでいいんだよ、カテリーナ。貴方が笑ってくれるなら、僕は安心してやるべき事に集中できる」
そう言って頭を撫でると、カテリーナはふるふると首を横に振った。そんな子供騙しの言い訳には騙されませんと訴えて、涙を湛えた青い瞳が僕を見る。
「お兄様。お兄様は、わたくしが何も知らないとお思いなのでしょう? 確かに当時のわたくしはまだ幼くて、今ではもうそのころの記憶などほとんどありません。……ですけれど、ぬくもりは覚えているんです。お兄様はわたくしの頭を撫でてくださいました。ルクレツィア様はわたくしを抱きしめてくださいました。ジュリエッタ様も、わたくしの手を引いてくださって。……ダヴィデ様はわたくしの頬を引っ張ったりつついたりなさるので、少し苦手でしたけど」
カテリーナは少し笑った。……よく覚えているな。確かに、四人で遊ぶときにカテリーナが混じると、全員でカテリーナを構いだして収拾がつかなくなる事が多かった。そうこうしているうちにダヴィデがカテリーナを泣かせ、ジュリエッタに怒られ、青い顔のルクレツィアが乳母を呼びに行き、僕がカテリーナをなだめる……八年前のそんなやり取りが、今ではとても尊いもののように思えてくる。
「わたくし、知っているんです。ルチア様はルクレツィア様だって。テオバルドはダヴィデ様だって。あの女はジュリエッタ様の偽物だって。何故、大人は嘘をつくのです? 何故、お兄様達は変わってしまわれたのですか?」
ルチアを森の中の屋敷に住まわせてからテオバルドを家に招いて三人で話し合っていたとき、カテリーナが急に訪問してきた事があった。
そのせいでカテリーナにルチアの存在とテオバルドの事を隠しきれなかったのだ。カテリーナはその事を決して口外しないと約束してくれ、今に至るまでその約束は守られていたのだが、どうやらそれは彼女が真相を察していたかららしい。
……ルクレツィアを崇拝している彼女がルチアに噛みつかなかったのはそれが理由か。
“ジュリエッタ”である姫巫女を嫌っているのに、彼女によく似たルチアには嫌悪を示さなかった理由がやっと確証を得られた。
まさかそんなわけがないだろうと思ったが、やはり当時を覚えている者からすれば二人を結びつけるのはたやすいのだろうか。……断罪の時にルクレツィアとルチアを等式で結ばせる者がいたら、王太子の権限を使ってでも黙らせないといけないな。




