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すべてが終わった、そのあとで

 この世界に神はいるのだろうか。もしも誰かにそう問われたら、私は是と答えるだろう。この世界に何か特別な存在が干渉しているのは事実なのだから。

 『それ』が真実神であるかは私にもわからない。しかし神という名称以外に『それ』を言い表す適切な単語もないのだから、やはり『それ』は神と呼んで差し支えないだろう――――だが、神の実在と神の必要性は別の話だ。


「アルレッキーノ、後の事はよろしくね。それから、今までありがとう。あいつにもそう伝えておいて」

「……」


 ああ、そんな顔をしないで。

 ごめんなさい。ごめんなさい。私、やっぱり嫌な女。自分で道を踏み外して突き進んで、どんどん堕ちていって。悲劇のヒロインぶって、貴方の手を振り払って。八つ当たりよろしく勝手な事ばかりして、後始末は貴方達に押しつけて。 

 だけど貴方も悪いのよ。私に優しくするなんて。どれだけ甘い夢を見せたって、私にはもう復讐以外の道は残されていないのに。


「ねえ、知ってた? 私……貴方の事、嫌いじゃなかったのよ」

「ええ。そんな事、はじめから知っていましたよ。そうでなければ、傍にいさせてくれないでしょう?」

「……よく言うわ。そっちが無理やり押しかけてきたくせに」


 傍にいたかった。傍にいてほしかった。見つけてくれて、手を差し伸べてくれて嬉しかった。だけどもう、貴方の傍にはいられない。貴方の隣にいていいのは、私ではないのだから。幼いころのように貴方に触れるには、私はもう穢れきってしまっている。

 私が選んだ人生が、間違っていたとは言わない。でも、神様さえいなければ。きっと私は、今よりもっと幸せだった。もし別の道が選べていたら、私は――――いや、後悔してももう遅い。掴めたかもしれない最後の幸せを捨ててこの道を選んだのは、ほかならない私自身だ。

 

「さようなら、私の愛した道化師さん。屍の上に築かれたこの国で、せいぜい踊り狂ってくださいな」

「……さようなら、僕の愛しい悪の華。多くの男を魅了し続けた貴方なら、その散り際もさぞ美しいのでしょうね」


 ――――この世界に神は要るのだろうか。もしも誰かにそう問われたら、私は否と答えるだろう。


*


 この世界に神は要るのだろうか。もしも誰かにそう問われたら、僕は是と答えるだろう。この世界は何か冷たく残酷なもので覆われているのだから。

 『それ』から人々を救い、『それ』に脅かされないよう人々を導いてくれるような存在が、この世界には必要だ――――僕が誰より愛した人は、『それ』こそ神だと断じたが。


「後の事はよろしくね、今までありがとう……だそうです」

「じゃあ、俺も同じ言葉を言わせてもらおうか。後は頼んだぜ、アルレッキーノ」


 牢の向こうの親友は、ただ笑っていた。それは狂気すら感じるほどに純粋な、晴れやかな笑みだ。

 それに比べて僕はどうだろう。果たして僕は、うまく笑えているだろうか。浮かべた笑みは、ひきつっていやしないだろうか。


「なあ。これで最後になるだろうし、少し俺の話に付き合ってくれないか?」

「……ええ。僕でよければ、いくらでも」


 最後だなんてとんでもない、なんて事は言えない。こうして彼と顔を合わせて話ができるのは今日で最後、それは揺るがない現実だった。次に彼の姿を見るのは処刑台の上になるだろう。僕はそれをよく知っていた。彼への処遇を決めたのはこの僕なのだから。

 彼はもぞもぞと動いて居住まいを正した。じゃらり、じゃらり。足枷から伸びる鎖が耳障りな音を立てる。彼にそれを嵌めたのも、他でもない僕なのだけれども。


「俺はきっとこの世界で一番あいつの事を愛してた。きっとあいつも、俺の事が好きだった」


 彼は得意げに言い切った。その自信はどこから来るのやら。……二人の事をよく知る者としては、それについて否定はしないが。

 そう、確かに二人は愛し合っていた。そしてそんな二人の仲は、世界のすべてに祝福されていた――――はずだった。


「……どうしてうまくいかないんだろうな。俺はあいつが好きで、あいつも俺が好きで、それでよかったはずなのに。どうして俺のジルが、あんな事になったんだ?」


 彼は僕との対話を望んではいない。彼が僕に求めているのは気の利いた返事ではなく、黙って話を聞いている事だ。

 それでももし相槌を打つとしたら、そんな事は僕に聞かれてもわからないと言うだろう。僕だって、同じ事を尋ねたいぐらいだ。あの悪夢のような一日さえ来なければ、僕らは幼い時と変わらずにいられたかもしれないのに。

 僕と彼、そして愛らしい二人の少女。僕ら四人の関係は、政略的なものだった。それでも僕らは幼馴染みとして信頼を築き上げ、それぞれ幼いながらに愛情と呼べるだけの絆を生んでいた。その結果がこれだ。もう、乾いた笑いしか出てこない。


「考えてもわからなかった。俺はお前や兄上と違って、頭がいいわけじゃないからな。……で、理由なんて考えるだけ無駄だって気づいたんだよ。考えても答えが出ないんだからな。だから全部壊してやった。俺からあいつを奪った奴から、全部奪ってやった。お前にも見せたかったぜ、あいつらの間抜け面!」


 彼はげらげらと笑った。楽しそうに、面白そうに。

 彼はもう、狂ってしまっているのだろうか。それなら彼をそこまで追い詰めたものは一体なんだろう。

 すべてを失ったあの人の気迫か、そんな彼女に傾倒する僕か、今はもうどこにもいない少女の幻影か、それとも彼自身の恋心か、姫巫女に群がる民衆か、姫巫女そのものか――――あるいは、この世界のすべてか。


「ざまあみろ! 何が姫巫女だ、何が奇跡だ、何が神殿だ! 立派に飾り立てられちゃいるが、ふたを開けてみれば腐ったものの吹き溜まりじゃないか!」


 哄笑が響き渡る。彼の頬は熱に浮かされたように火照っていた。それはきっと倒錯的な愉悦と、身を灼きつくすほどの怒りからくる熱量だ。

 彼の目はすでに僕を見ていなかった。今頃、どろどろとした甘く昏い記憶を噛みしめているに違いない。それは彼から大切なものを奪った醜い豚の絶望に歪んだ顔だ。それは彼が何より憎んだものの末路だ。その記憶を抱いて、彼は悦びに身を震わせながら処刑台の階段を上るのだろう。彼への裁きは彼が自ら望んだものであり、彼は己の死をもって人生をかけた復讐を終えるのだから――――そしてそれは、彼だけではない。

 僕が唯一恋い焦がれた人も、彼と同じ選択をした。その事が少し妬ましい。僕にはできない事を、この二人は共有しているのだから。

 それが子供じみた嫉妬だというのはわかっている。僕には僕の、二人には二人の役割がある。僕の役目は、自分勝手な復讐に走った二人の後始末をつける事だ。二人を歴史の陰に追いやり、虚構の栄華を生み出す事だ。醜く腐ったものの仲間入りをして、過去の汚点を清算する事だ。それこそがこの国に……いや、この世界に生まれてしまった僕の復讐だった。

 復讐。それが僕らを結びつける新しい絆だ。彼が今日まで生きていたのも、すべては復讐のため。愛する少女を奪った者達への報復こそ、彼の存在意義だった。

 復讐は何も生まないと、死んだ者はそんな事を望んでいないと、かつて誰かが言ったらしい。だけど、僕はそれに異を唱えよう。復讐、してもいいじゃないか。

 理不尽に奪われた命は理不尽に奪う命で贖わせてこそ平等だ。罪人を裁いても死人が生き返るわけではないが、罪人を生かしていても死人が生き返るわけではない。

 死者の事ばかり考えていないで、未来に目を向けなさいと人は言うかもしれない。貴方達は生きているんだから、と。だけど、この世に罪人達がいる限り僕らに未来はない。何のしがらみもなく未来とやらに向かうためには、あの腐りきった連中を一掃しなければ。

 だから僕達は、今こうしてここにいる――――復讐は、すでに完成していると言っていい。あとは、僕の贖罪の時間だ。

 

「……そうだ。実家にあいつの肖像画があるんだ。ほら、昔もらったやつ」


 不意に思い出したように告げられたのは、彼が世界で最も大切にしていた絵画の話だった。確かあれは全部で三枚あったはずだ。

 彼が恋した少女が一人で描かれているものと、彼と彼女が二人で並んでいるものが一枚ずつ。どれも彼が少女に頼み込んで画家に描かせたものらしい。彼女もまんざらではなかったようで、自分の分の肖像画を渡す事と引き換えにちゃっかり彼の肖像画も要求していたのをよく覚えている。


「あれ、全部燃やしておいてくれよ。これ以上埃を被せていても仕方ないしな。兄上も、とやかく言いはしないだろ」

「お安いご用です。灰はどうしましょう?」


 画家を気取る者として、絵画を燃やすなどできるわけがない。だが、彼があの絵を損ないたいと思うのは予想できた事だ。そして彼の親友である僕が、その意を汲まないわけにはいかなかった。

 独占欲と嫉妬心の強い彼が、後世にあの絵姿を残したいと思うはずがない。あの絵の中の少女は、彼のためだけに微笑みかけていたのだから。


「ん……そうだな。あいつ一人のやつは、あいつの家の墓に撒いてやってくれ。俺と並んでるやつは、俺の墓に……って、俺は墓を作ってもらえるのか?」

「少し難しいかもしれませんね……」


 普通なら、彼が埋葬されるとしたら神殿の共同墓地だろう。だが、彼は大罪人だ。きちんと葬られるわけがない。処刑後は、死体を荒れ野に捨ててそれで終わりに決まっている。

 僕としては手厚く埋葬したいところだが、さすがにそこまでの権限は今の僕にはない。無銘の墓を作るので精いっぱいだろう。


「まあ、そのあたりはどうにかしますよ。素人仕事でよければ、僕が作りますから」

「……悪いな。じゃあ、それで頼む。そこに撒いておいてくれ」


 遠くから鐘の音が響いてきた。牢番のものらしき固い靴の足音も聞こえる。どうやらもう面会時間が終わるらしい。


「……僕はそろそろ行きましょう。もしも彼女達に会えたなら、よろしく伝えておいてくれますか?」

「おう。あいつらと一緒に、冥府でお前とこの国の未来を見物してやるよ」

「それはそれは。では、僕がそこに行った暁には、ぜひ感想を聞かせてくださいね」


 ――――この世界に神はいるのだろうか。もしも誰かにそう問われたら、僕は否と答えるだろう。この世界に、人々を守り導いてくれるようなものはいないのだから。

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