プロローグ
シャルロ領東端の山岳地帯。
そこにある小さな洞窟は見た目に反して、中は非常に複雑な構造をしている。
亜人追放令が出されてから早三百年。
町から追放されたドワーフたちは長い時間をかけて地下に向けて町を築いていた。
そんな町の住民の一人であるドワーフの青年ヤレイはその整った眉を八の字にして顔をしかめていた。
彼の目の前には自身より少し大きいぐらいの人間の少女が横たわっている。とはいえ、ドワーフは人間よりも小柄なため、おそらくその人間はまだ子供とみて間違いない。
しかし、問題は他にある。
亜人追放令。ここは都市部ではないとはいえ、人間は亜人を意味嫌う傾向がある。
だが、だからといって目の前に倒れている少女を放っておくのもどうかと思うのだ。
ヤレイは小さく息をついてから、少女を抱き上げる。
「まったく。なんでこんなところに倒れているんだか……」
普段であれば、人間がこのあたりに訪れることはない。
この洞窟の周辺は非常に険しい地形で気候も厳しい。
ここから少し離れた場所にシャルロ東街道が通っているのだが、そこすらあまり人が通っているのを見たことがないぐらいだ。
それがどうしてこんなところに行き倒れていたのか。それを聞くのは重要なことのように思えた。
まもなくドワーフの最大の祭りである百年祭だ。
それに水を差してしまうような気もしたが、こればかりは仕方ない。
さすがに行き倒れているであろう子供を放置するほど心を鬼にできなかったのだ。
ヤレイはその子供を抱きかかえたまま洞窟の奥へと進んでいく。
最初はごつごつと岩がむき出しのままとなっていた洞窟の壁はやがてきれいに整備された地下道へと変わっていく。
ある一定の間隔で設置されているランタンが暗い洞窟内を照らしていて、足元の位置は非常になだらかに整備されている。
岩がむき出しだった壁は岩が取り除かれ、そこにあいた穴は土で埋められている。
そのほかにも落盤を防ぐための魔法などもかけられていて、かなり安全に過ごせるような作りとなっている。
この辺りは洞窟の出口に近いということもあり、あまりほかのドワーフの姿はヤレイは慎重をきして、近くにあった台車に少女を乗せてその上から布をかぶせて前に進む。
「よう。ヤレイ。石でも取ってきたのか?」
「あぁそんなところだ」
とりあえず、今台車に乗っている少女が家に帰るまでに目を覚まさないことと誰かがこの台車の中身について怪しまないようにと願いながら自宅へと向かう。
この構図、一歩間違えば人間を誘拐してきたと言われても言い逃れできないような状況だからである。
しかも相手は幼い少女。いろいろと変な疑惑をつけられたらたまったものではない。
ヤレイは適当に会話を済ませてそそくさとその場を後にする。
地下五階にあるヤレイの家まであと少しだ。
表層階層と呼ばれる比較的浅い階層を行き来するためのエレベーターに乗ったヤレイはつかの間の休息と小さく息を吐いた。
このエレベーターは地下のより深い場所を探索できるようにとドワーフの英知を結集して作られた装置で紐に重りをつけたり外したりして調整することにより物体を移動させることができる。
そのバランスをとっているドワーフに時々連絡しながら高さを調整してもらい、地下五階に到達した時点で停止、エレベーターを降りた。
エレベーターからヤレイの自宅までは距離はあまりないため、ヤレイは再び安どの息をつく。
「よう。ヤレイじゃないか。どうしたんだ?」
そのまま自宅へと入れるかというぐらいのタイミングでヤレイに声がかかった。
いやというほど見知った声にヤレイは恐る恐る振り向いてみる。
そこに立っていたのはヤレイの古くからの知り合いであるアレイだ。
彼は片手を上げた後にすぐに台車へと視線を移した。
「おい。その台車、何か乗っているのか?」
「大したものじゃない。そういうわけで俺は帰るからな」
とにかく、自宅は目の前だ。
それまでこの台車の布の下を見られるわけにはいかない。
ヤレイは適当な返答をして自宅に入ろうとするが、アレイはそれを許さなかった。
「どうしたんだ? おぅ! そうか、珍しい鉱石でも見つけたんだな! だから、こそこそしていやがるんだろ! 俺とお前の付き合いじゃないか! 少しぐらい分けてくれないか?」
めんどくさいのに捕まっていしまった。
この状況はいかにして打破するべきだろうか? ヤレイがその結論を出す前にアレイは台車の布を持ち上げて中を覗き込んでいた。
アレイはその体制のまま、凍り付いたように固まり、そしてゆっくりとヤレイの顔を見る。
「……ヤレイ。お前……」
「ちっとにかく事情は話すから家の中に入ってくれ」
今にも叫びだしそうなアレイの口元を抑え、ヤレイは自宅の中へと入っていく。
ここで気づかれたらすべてがおしまいだ。ヤレイは周りの様子を確認してから扉を閉じると、小さくため息をつく。
「おい! ヤレイどういうことだよ! しかも、こいつ人間じゃねぇか!」
台車の上にある布を取り払ったアレイがヤレイに詰め寄る。
ある意味予想通りの反応だ。
ヤレイはアレイを押しのけて人間の少女をベッドに寝かせる。
「少し落ち着け事情は説明するといったはずだ。そこに座ってくれ」
ヤレイが落ち着いた態度で接していると、アレイは小さく舌打ちをしてからベッドの近くにある椅子に座った。
「それで? どうして人間の子供がここにいるんだ? 事情によってはお前もろとも衛兵に突き出すぞ」
「まぁまぁそんなんじゃないよ。この子は行き倒れたらしくてね。洞窟の入り口で気を失って倒れていた。さすがにこのまま放っておくのは気が引けたから連れてきたのさ。なに、目を覚ましたらこの場所がわからない程度のところに置いていけばいい」
ヤレイの説明にアレイはあきれたような表情を見せながら小さくため息をつく。
「おいおい、今は百年祭の準備中だぞ? こっそりと洞窟の外に送り返せるわけないだろ。せめて、祭りが終わるまではこいつはお前の家に置いておくしかないぞ。隠し通せるのか? ばれたら一巻の終わりだ」
「まぁそうかもしれないが、ドワーフ以外の種族が立ち入ることは禁止されていないからな。最悪、その子に危害が及ぶことは避けられないかもしれないが、命まで奪われることはないと思っている。それにその子がドワーフに対して悪意ある存在とは限らないだろ? さすがに屈強な人間の兵士が倒れていたら俺だってここまで連れてこないさ」
アレイはふんっと小さく鼻を鳴らして立ち上がる。
「そうかい。まぁ俺とお前の仲だ。黙っておいてやるよ。ただし、兵士に踏み込まれたところで俺は助けないからな。そのときは素直にそいつを差し出せよ」
「わかっているよ。まぁ大丈夫だと思うけれどね」
アレイは比較的楽観的な態度をとるヤレイのことが許せなのか、不機嫌さを隠すことなく、乱暴に玄関扉を開ける。
「じゃあな。祭りが終わるまで頑張れよ」
彼はそういうと、勢いよく扉を閉めて出ていった。
その後ろ姿を見送ったヤレイは小さく息を吐く。
「やれやれ。どうして、この程度のことも許容できないのかねぇ。困っている誰かがいたら種族なんて関係ないだろうに」
亜人追放令のせいで人間という種族に対しての感情があまりよろしくないのは事実だが、こんな子供にまで嫌悪を向けるというのはいかがなものだろうか?
ヤレイはそんなことを考えながらベッドに横たわる少女の頭をなでていた。
家の外では一週間後に開催される百年祭の準備でにわかに活気づき、外の喧騒が分厚い壁すら抜けて家の中まで聞こえてきていた。