第壱話 ー 其の参
やっと呪鬼登場。
だいぶ日が落ちてきた。つまりそれは、帰宅までの制限時間が近づいているということ。
もし呪鬼が存在しない世界ならば、夜という時間はさぞかし賑やかなのだろう。
仕事帰りの会社員が、酒を飲み交わし、蛍光色のネオンは大人な雰囲気を漂わせる。
「……どこ、行った?」
携帯が繋がらない。遙音の家に尋ねても、出たおばさんはまだ帰ってきていないと言う。
「おかしい……」
不自然だ。あいつが携帯の電源を切っているなんてそうそうない。
いつも一緒にいた悠太だからこそ分かること。電源が切れているとしたら、バッテリー切れだろう。だが、あの用意周到な遙音がそんなことになるとは思えなかった。
「……くそっ」
焦っていた。悠太の顔には余裕が見られなかった。
もう、夜はそこまで来ている。
「あなたが天河 遙音?」
「……誰?」
目が覚めた。一度ブラックアウトした視界が徐々に光に慣れ、遙音は周りを少しずつ把握し始める。
目の前に見えたのは屋根の上に座っている女性。なんとも言えない、ただ恐怖を感じる。身体の中で警報が鳴り響くような、そういった危険の類。
「まずはこっちの質問に答えてくれる?これで持ってきた奴が違った、とかになると割と本気で私、危ないのよ」
こっちの発言にはまるで興味を持たない。そういう振る舞いに、自分の立場を理解する。気づくと自分は紐で縛られている。
「というか、そもそもなんで私なのよ。私、捕縛系の呪術なんて使えないのに。そこはダングールあたりに任せればいいじゃない……」
何を言ってるのか、理解できなかった。ただそれでも、推測であるが分かったことがあった。
「……呪鬼なの?」
「ん?なに?今まで分からなかったの?」
推測は確定に変わる。
「そっか。ただの人間は、呪鬼のことをほとんど知らないって本当なのね。情報規制が厳しいのか分からないけど、なんか可哀想ね〜。知らぬが仏ってやつ?」
明らかに見下した態度。馬鹿にされていると嫌でもわかるが、実際自分は呪鬼に関してまるでなにも知らないことは事実で、反論などなにもできなかった。
「それで?あなたは天河 遙音なの?」
「……答える理由がない」
「思ったより度胸あるのね。けど、今そういうのいらないから」
数メートル離れていた遙音と呪鬼との距離は一瞬で無くなり、呪鬼の手は遙音の首を掴んでいた。
「ぐっ…!」
宙に浮いている。その握力になす術はなく、足をばたつかせたところでなにも意味を成さない。
「…がっ…はっ……!」
空気が入ってこない。目眩がし始める。
「言っておくけど、私そんな馬鹿力じゃないからね?まだか弱い方よ」
「がはっ!」
急に手が離され崩れ落ちる身体。突然流れてくる空気の奔流に思わずむせる。
「……やっぱり天河 遙音じゃない。最初からそうだって言ってくれればいいのに〜。別に手荒な真似がしたかったわけじゃないんだからさ?」
その真面目さが仇になったとでも言うのか、常時携帯している生徒手帳が他ならぬ証明となった。
「あなたを殺したって、こっちにはなんの得もないもの」
「信じ、られるか……」
「…ホント、大したものね。普通はそんな喧嘩売れないと思うのだけれど。いや、私もこんなことしたことないから知らないけど」
それはそうだ。呪鬼が人を誘拐するとか拷問するとか、聞いたことがない。自分の知識で分かっていることなんて微小なものだが。
「安心して?今は殺さないから」
「…今は?」
不可解だ。
なぜ自分は生きている?喰うためならば、わざわざ生かして縛るなんてまねはしないだろう。
遙音は考える。だとしたら、なんらかの目的があるはず。こういうシチュエーションで一番ベタなのは……、
「……人質?」
だとしたら、誰をおびき出すため?自分の身の周りに、呪鬼が求めるような者はいるか?まるで覚えがない。
「あなたはいったい……?」
「おっと、そこまでよ。お客さんが来たみたい」
「えっ…?」
その女が見た先には、遙音にも見覚えのある少年がいた。
「はぁはぁはぁ………いた」
「悠太!」
他ならぬ幼馴染み、刻城 悠太だった。
詳しいことは追い追い明らかになると思います。