7.行商人
久し振りにハーブティーでも飲もうと思い湯を沸かしていると、俺の部屋のドアを叩く音がした。流石に慣れたようで、虫の鳴くように小さかったノックも、今はうるさい。
「ゼシカっ!」
「なんですか。あなたは俺の休憩をつぶすのが好きなん……」
「行商人に会いに行こう」
「は?」
こんな寒い季節に何を言い出すんだ。しかも真剣な顔でだ。だがこの世には、子供は風の子という言葉がある。アリスティはガキだから、寒いのはなんて事無いのかもしれない。
「貴重なんだから。たまにしか来ないんだよ? 沢山話聞けるし、珍しい物も沢山あるんだよっ」
「…………」
「本とかもあるかもしれないよっ」
「行く」
「釣れたっ!」
「……」
釣られた。
まだ少し元気の無かったアリスティだが、行商人の話をしている今は、本当に楽しそうにしている。仕方がないから、湯は後で沸かし直そう。
俺はコートを羽織ると、アリスティに連れられて、久しぶりに屋敷の外に出た。
××××××
エルフの住む場所は、その名の通り、森だ。一応道もあって、馬車位は通れるようになっている。
行商人は、馬に荷台を引かせてやってくる。一般的な馬車と言うほど豪華でもないが、一応馬車の部類に入るだろう。
「いらっしゃいっ、日用品から掘り出し物まで、たーんきとあるぜっ! 見るだけならタダっ。あ、そこのお前、少し寄っていかないかい?」
叫ぶ声が聞こえた。明るい、ハスキーな声だ。
彼は俺たちを見ると、また例の文句で呼ぶ。なんとなくだが、無視して通り過ぎてやりたくなる。
「おじさん!」
「お、エルフの嬢ちゃん。えーっと、アイスティー?」
「アリスティだからっ」
そう言いながら、アリスティも嬉しそうだ。
男は俺を見上げると、ニヤリと笑う。
「そこの小僧は見ない顔だな。嬢ちゃんの男か? ん?」
人間というものは、皆こんな奴なのだろうか。茶色い髪に同じ色の瞳。鍛え上げられた体をしているのは、厚着をしていても分かるくらいだ。
「俺はただの従者です」
「ただの、ねぇ。ま、いいや」
「それより旅の話聞かせてっ!」
「そーだなぁ……。取り敢えず依頼の話でもするか。あれは確か、流れ星を拾ってこいとかってので……」
彼の話は、ただの行商人にしては壮大すぎる旅の話だった。ドラゴンと戦ったり、盗賊団を潰したり、化石を掘ったり。
アリスティは一部始終を目を輝かせて聞いていた。
「本当に、行商人なんですか」
「ん? 小僧は知らなかったか。普通の行商人は護衛を雇うが、俺の入っている商人ギルドは、自分の身は自分で守れがモットーだからな」
「その、ギルドとは?」
すると、待ってました的な笑顔が返ってくる。暗い色の瞳が煌めく。彼は胸元からペンダントを出した。どうやら双剣を象ってあるらしい。
「ギルド名は《ベルネッド》。ペンダントは創立者が双剣使いだったからだ」
こいつみたいのが沢山湧いていたら、何か嫌だ。
売り物を見てみると、本当に色々とあった。まるで統一性がないけれど。
「ついでに俺の名は」
「そうですか」
「おい、まだ言ってないぜ」
この本は良いかもしれない。西大陸の毒図鑑。この東大陸では見れないやつも結構、載っている。アリスティはというと、赤い模様の入ったの弓を見ている。どこかの部族のものだろうか。
「これで」
「はいはい。話は聞けよな小僧」
「アリスティはどうしますか」
「無視かよっ」
ぶつぶつ文句を言いながらも彼は、俺が差し出した金を受け取った。
俺的にはもう帰って本を読みたい。
ただ、まだアリスティは見ていたいらしい。楽しみにしていたらしいから、仕方ない。
再び品物に目を戻すと、何かに目に留まった。
「これは、確か拳銃、ですか」
「それはロテリアから仕入れてきた」
俺は思わずそれに手を伸ばしていた。黒く輝く二丁の拳銃を持つと、驚くほど手に馴染んだ。本で見た銃はもっと小さそうだったが、これは気持ちゴツイ気がする。
「銃拳術用のだから重いぞ。インドアな小僧には使えないと……」
「あぁ?」
その瞬間、辺りが静まりかえった。
反射的に睨みつけていた行商人と暫し見つめ合う。誰だってつい、口が滑ることだってある。
俺だって、完璧ではないんだ。
「ゼシカ今……素が」
「何の事ですか」
「素が出……」
「何の事ですか」
「な、何でもない……です」
俺はアリスティが持っていた弓、何かのアクセサリーと、二丁拳銃分の金を渡すと立ち上がった。
やはり、人と関わるのは面倒くさい。
一人の方が断然楽だ。
「小僧。俺の名は、カノープスだ」
「へぇ」
「お前、氷かよ」
その問いに、笑うだけで答えた。氷というのも冷え切った俺には、あながち間違いではないだろう。
「氷って、余計に寒くなる。ゼシカ、冷えるから溶けてお湯にでもなってよ」
「意味が分からないんですけど」
アリスティは、話が聞けて満足なようだった。俺は疲れた。一応買い物はしたけれど。
「またいつか話聞かせてね」
「おうよ。……小僧、ゼシカってのか」
「まあ、そうです」
「意外に可愛い名じゃねぇか」
だから言いたくないんだ。
久々に、密度の濃い時間を過ごした。
彼らは自由なんだろう、きっと。俺は、帰るべき屋敷が籠に思えてきた。
××××××
アリスティの部屋にいる俺は、待ちきれずに本を読んでいる。本来ならば構ってあげなければいけないが、アリスティはどうやら、会話が無くても平気らしい、と言うことが分かってきた。
「いいなぁ」
「何がですか」
「行商人」
それでも話し出したら返事をする。
アリスティは、ソファーに座って弓を眺めながら呟いていた。本は閉じずに俺は彼女の方に視線を送った。
「私ね、行商人になるのが夢なんだ。おじさんみたいな冒険できる行商人」
そうですか、とは言えなかった。叶うはずのない、幻だ。アリスティはきっとそれを分かっていて、俺に話している。証拠に、あの諦めきった表情で笑っている。
「沢山薬草摘んで、狩りでお肉を手に入れて、あちこちで珍しい物を手に入れて」
「アリスティ」
「……私じゃなくても、いいのに」
今のアリスティは酷く脆い気がする。儚いと言っても良いだろう。
俺は立ち上がると、アリスティの隣に座った。
「……」
俺は顔を逸らすと、もう一度本を読み始める。視線を感じたが、無視。
「ゼシカって、薬草詳しいよね?」
「一応、植物は」
「じゃあ植物の種類を教えてっ」
仕事を増やすなよ。
不満の一つでも吐いてやろうと思ったのに、彼女の笑顔はいつも通りのものだった。瞳が煌めいていた。
「春に、芽吹く植物は多い。そしたら教えましょう」
「やった! 早く春が来ないかなっ!」
そしてアリスティは立ち上がった。手には例のアクセサリー。あれはネックレスだろうか。
「メリアに会いに行く」
「え?」
「いつまでも逃げてちゃ駄目だよね。ゼシカとだって上手くやれるようになったし、きっと大丈夫」
ここで俺が教えないと言ったら、メリアに会いに行くなんて言わなかったのだろうか。
俺の言葉も待たず、決意が揺らぐ隙も与えず、アリスティは勢い良くドアを開け放った。
そして、固まった。
「あーーうーー」
「えっと」
「……あ、アリスティ様っ!?」
そこには、いつかのようにメリアがいたのだ。