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無音の魔術師  作者: 芹沢十嘉
第三章 英雄
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エピローグ

 そして、彼は多くを救った。敵味方関係なく救い、戦争で大量殺戮をした悪魔たちを薙ぎ払い、帝国の皇帝を討ち取った男を人々は、赤き英雄と呼んだ。

 彼は戦後も人々の為に駆けずり回り、復興にも貢献した。

 とまあ、これが今、巷に広まっている英雄譚ではあるが、すでに逃げたくて仕方がない。なんだよ英雄って。皇帝だって俺が殺したわけでもないし、まあそういうことになってるけど。毎日毎日働き詰め、彼女と二人旅のあいつが羨ましい。

 僕の所為で名前を捨てる羽目になったのだし、それくらいは許すべきだが、羨ましい。

「ヴィクトル、なに寝ようとしてんだよ」

「あー、っとこれは、そう、クッション! 腰が痛くてなぁ、座りっぱなしだったから……」

「だったら外出ろよ。あんたの権威とか使いたがってる奴ら、いっぱいいるぞ?」

「ライラックさん、まだ怒ってます……?」

 表情ひきつってる。あぁ、もう面倒くさい。大人嫌いだ、まあ、僕もそんなもんだけれど。盗られた僕の枕は、少し離れた場所にあるソファに放り投げられる。一層のことソファで寝るか。

 すると、ノックの音が聞こえた。返事すると予想以上に情けない声が出る。人間、休息と癒しは大事だろう。ライラックは確かに癒しだが足りない。

 扉が開くと、甘い匂いが何より先に入ってきた。続いて、僕と同じ赤髪、そして一つに髪を束ねた少女。赤髪は僕の目の前の机に籠を置く。甘い匂いの源だ。

「差し入れだ」

「ヘンリー」

「……じゃあ、俺はこれで」

 兄とは、気まずいままだ。僕が殴り飛ばしてしまったのもあって、罪悪感と恨みと混ざって、どう接していいかわからない。ヘンリーは微かに目を泳がせ、何か言いたげだったが、そのまま部屋を出ていった。後味悪い、苦い気分の僕は、籠の中のカップケーキに手を付けた。ライラックは甘い匂いに口を尖らせ、甘さ控えめはないのか、と少女に文句を言っている。

「ライラック、ホットドックが入ってたで」

「まじっ!? 俺が食っていいか!」

「ほれ」

 可愛い。

 少女は僕たちを眺めていた。彼女もまた、僕との距離感に悩む一人だ。でも出来ればすぐそばで関われる人であってほしい。僕からは、言わない、言えないが。

「ヴィクトル、ごめんね」

「へ? なんやなんや、急にらしくない」

「私、君に怒ってるみたい」

「あー、まあ当然やんな。気にせぇへんでええわ」

 すると、空気が冷えた。

「え?」

「そういうところに怒ってるの。分かってないね? 英雄様」

「い、イリーナさん……、その手に持ってるものは下してくださいませ……」

 いや、休む理由ができるかもしれない。瞬間、本の角が頭に振り下ろされた。


××××××


「ゼシカ!」

 目の前で店員と話している青年に声をかける。振り返ったその顔が呆れと焦りにひきつっているのを見て、またやってしまったと気づいた。

 辺りがざわついている中、視線を避けようとするかのように深くかぶっていた帽子をわざとらしくかぶり直し、ゼシカは声を荒上げた。

「何度言ったらわかるんですか! 俺を例の悪魔と同じ名前で呼ばないでくださいって言いましたよね!? あぁ、すみません、俺がハーフエルフだからすぐからかってくるんですよ」

 みんな、たち悪い嫌がらせだなぁ、彼女さん怒鳴んないでやってよ、と言い再び生活の中に溶けていく。ゼシカはその度に苦笑するけれど、私はその顔が嫌い。自分の存在を否定して、自らの名すら名乗れない彼を、私はどうしてももやもやした気持ちで眺めてしまう。私もこうなると分かっていて選択した一人だったのに。

 ゼシカは荷馬車の傍らにいる私の傍まで歩いてくると、パンに野菜や肉を挟んだ昼食を差し出した。

「全く、本当に殺されますから」

「分かってるよ、ウォルテ」

 なんか、にやにやとした笑みで私を見てる。ゼシカは、この頃よく笑ってくれる。まあ、言葉がきつかったり、素直ではないのは変わらないけれど、多分、嬉しい。嬉しいはずなのだ、本当なら。

「何、変な顔してるんですか。いつもみたいにへらへらしたらどうですか?」

「そのいつもっていつのことよ」

「…………念願の行商人になれたっていうのに、いつまでも辛気臭い人ですね」

 言い終わると同時にパンにかぶりつく。これはもう話すことはないという意味だ。彼は食べながら話すことが少ない。

 仕方なく私もパンに口を付けた。あ、美味しい。顔を上げてパン屋の方を見ると、先ほどの店員が手を振ってくれた。大きく振り返し、この辺りに来たらあのパン屋に寄る、と決めた。

 あの日、倒れたゼシカを癒したのはオリガ、運んだのはライラックという半獣の少年、騒ぎを抑えたのは帝国の双子の皇族と貴族の少女。私は、何もできなかった。ヴィクトルさんは、君はゼシカの傍にいるだけでいい、と言っていたけれど、情けなかった。そのあと私は馬鹿みたいにあちこち走り回り、ヘンリーとロイゼンの補佐に明け暮れた。

「アリスティ」

「な、なに?」

「名前なんて、ただの言葉だから」

「うん? まぁ、そうだけど」

「だから」

 ゼシカと再会したのは一週間ほど前。目を覚ましたという話を聞いてから半月後。彼は、遅い、と私を睨んで、その後ため息交じりに微笑んだ。

「だから、別に気にすることありませんから。第一俺はあんな女みたいな名前嫌でしたし」

「……ゼシカ」

「だから! 聞かれたら……」

 でも、私が名前を呼んだ時の顔がずっと素敵で、また見たくて。

「分かってるよ。誰もいない時だけね」

「分かってるなら守ってください。まだ死にたくない」

「二人きりの時だけ、でしょ?」

 頷きながらゼシカは私を見て、真っ赤になった。うん、可愛い。私、ゼシカは可愛いのだと思うようになっている。

「ふざけるなよこの鈍感……あー最悪だ、俺もう逃げたい……」

 とか言いつつ手を握ってくる。それだけで、今度は私が守ってあげたいと思う。


××××××


 本当は、体中痛くて、怠さが抜けきらない。でも、だから何だというのだろうか。俺の体が痛まない日があったか、苦しくない日が、今までの人生で、あったか。

 完全な幸せなんて、未知な世界の不可解なもの、俺はいらない。

 でも、アリスティは、彼女には幸せであってほしいと、思える。不可解なものの中でも、彼女は彼女であれると思う。

 臆病な自分、臆病な自分。遠くこんな場所まで来て、結局変われなかった自分。俺に幸せなんて不要だ。でも彼女の幸せのためになら幸せという世界に一人、俺みたいなやつが混ざってもいい。

 罪悪感、焦燥感、優越感、俺が忘れてはいけない罪。

「アリスティ、ほらこれ。昨日のハーブティーの」

「へぇー、かわいい!」

「耳元で叫ばないでくれますか。やかましい」

「わ、ひどい」

 膨らんだ頬を指で押すと空気の抜ける音がした。

 ああ、苦しい。どうしてこんなに苦しくなるのか。

 戦争は終わった。シャルル帝国はロテリア王国の属国として、魔術の知識や道具を提供し、街中は少しづつ機械化していく。自然が美しい国は、消えていく。でも血は流れない。俺たちがやってきたこととはなんだったのだろうか。俺がしたことは、無意味だったのか。

 あの子が死んだことも、あの人たちの勇気も、俺に命を預けた人の決意も、無意味だったのか。

 そんなことを考え、彼らの気持ちを俺なんかが理解してはいけないという結論にたどり着きつつ再び思考は巡る。

「ゼシカ」

「なんですか」

「あなたは、もう一人の英雄だよ」

 彼女の瞳は青い。

「あなたが、戦争の悪を全て背負った」

「いや、全てではありませんし、それをいうならシャルルの皇族たちですよ」

「あなたが英雄を生み出した」

 俺は、確か濁った緑の瞳だったか。

 ここまで言われて、それでも素直に言葉を受け取れない俺は相当なひねくれ者だ。それでも、嬉しいと思う。嬉しすぎて、一層のことあの時死んでいればよかったと思えるほどだ。もしくはあの時死んで、ここは天国だったりするのかも。

 いや、俺は天国には行かないか。

 彼女の金色の髪を指で掬った。だいぶ伸びてきたが、まだあの頃ほどではない。唯一見た目で気にいっているところだから、元に戻ってほしい。

「慰めなくて、いいですよ」

「な、慰めてるんじゃなくて、事実を……」

「幸せですよ、ちゃんと」

 痛み続ける心と体だって受け入れる。

 俺は立ち上がると、荷馬車に乗って、手綱を握った。慌てて追いかけてきたアリスティも俺の隣に座る。まだ美しい森は残っているし、生き残ったし、アリスティもいるし、なんとかなるだろう。

 いつか、心から幸せでありたいと思える日まで、ひとまずはこの少女からもう離れないように、と誓った。


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