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無音の魔術師  作者: 芹沢十嘉
第一章 白き森
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5.魔術

 今日は曇りで、屋敷内もいつもより冷え込んでいた。俺たちは、廊下や部屋の室温調節器に魔術で火を入れる。これは、帝国では一般的な、魔道具だ。

「……汝舞い、我が魂を前に灰と帰すだろう」

 魔力を抑えているため、赤く光る小さな魔法陣が現れる。そこから、申し訳程度の火が吐き出されることで、室温調節器を起動できる。

 ただ俺には、今使っているこの呪文がどうしても攻撃用のものだとしか思えない。単語が妙に物騒だ。

 他に炎の呪文があるのかは知らないけれど。

「あ、ゼシカ」

「何ですか」

「魔術だよね」

 アリスティは俺の目をじっと見つめる。何だか嫌な予感。彼女は、厄介者だ。

 今までなら確実に無視する類の。

「私に魔術、教えてっ!」

「面倒くさい」

 第一エルフなんだから、俺に聞くまでもなく使えるはずだ。エルフのほとんどは魔術師。

 弓なども使うが、どちらかと言えば補助的な意味で、だ。

 アリスティは、冷たい俺の言葉にもへこたれず、ニコニコと笑う。

「私、魔力が少ないから、教えてもらえなかったんだ」

「え?」

「自分が出来なくたって、知りたいことってあるよね」

「……」

 明るく隠しているが、つまりは、区別されているということだ。差別と言っても良い。周りはただ必要に迫られなかったから、あえて言わなかっただけかもしれない。それでも、つまりはそういうこと。

 そして、エルフのハーフエルフに対する偏見と同じ様に、俺もエルフに対する偏見があったということだ。

 アリスティの方を向きにくい。

「あなたは、怒らないのですね」

 俺は偏見に満ちた目で見られるたびに、不愉快な気持ちで相手を睨み返すというのに。

 これでは、まるで立つ瀬がないではないか。

 そんな俺の中の状態を知らない彼女は、少し首を傾げた。

「私が何に怒るの?」

 口元に浮かんだ微笑に、全てを見透かされた気分になる。

 それが、不安。俺の中の均衡が崩れそうな不安定感。

 実際、馬鹿な彼女に分かるはずもないけれど。聡いアリスティは、少し嫌だし。

「……昼食後、教えて上げます」

 己の悪いところを取り繕うかのようで、気分が悪かった。


××××××


 外は、雪が降っていた。まだ積もるとなると、雪下ろしに道の整備もしなくてはいけない。

「で、どこまで知っていますか」

「呪文を唱える」

「……だけ?」

「だけ」

 良く分かった。

 つまり何も知らないということだ。

 人を避けているだけあって、魔術を見聞きする機会さえなかったようだ。

 照れ笑いのアリスティを一瞥し、俺は紙とペンを机の引き出しから取り出す。

「呪文を唱える、は正解ですよ。そうすることで魔法陣が現れ、そこから魔術は放たれます」

 紙に魔法陣を書いてみせる。二重の円に、四方の小さなひし形。アリスティは食い入るようにそれを見つめていた。

「真ん中だけ違うんだね」

「えぇ。これは氷を意味する古代文字。こっちが雷で、こっちは水」

 つまり、ベースの魔法陣は同一で、中心の古代文字のみが違うということだ。

「基本は呪文を唱えれば、魔法陣が現れます。しかし、魔法陣を覚えておけば、描くことで陣魔術が使えますよ。実際は呪文を使わないと申し訳程度の魔術になってしまいますけど」

「じゃあ、使えないんだ」

「巨大な魔法陣を描けば、威力はでます。もしくは化け物並の魔力を持っていれば使えますね」

「すごーいっ」

 お伽話の主人公でも無ければ、まず無理だろう。

 アリスティはまさに、お伽話でも聞いているような顔で俺の話を聞いている。それ程彼女には魔術は慣れ親しまないもの、と言う訳なのだろう。


「でしたら、暗殺者アネッサ。陣を背中に彫り込んでいた陣魔術の使い手ですわ」


 会話が途切れたとき、後ろから女性の声がした。

「音もなく近づき、声もなく魔術が発動する。人々は、彼を“無音の魔術師”と呼んだのです」

「母様っ!」

 アリスティに呼ばれて微笑んだ女性。彼女は、ソフィア・アサラベル。

 アリスティの母親で、メリアの仕える相手だ。

 しかし、部屋には勝手に入ってこないで欲しいと切実に思う。

 心臓に悪い。

「その、アネッサと言うのは?」

「実在の人物です。おそらく今はお爺さんですね」

 四、五十年くらい前の話だろうか。

 体の中で一番広いのは確かに背中だ。しかし陣魔術を使うには、魔法陣が小さいのに変わりはない。

 だからその話がが本当なら、アネッサという人物は、絶大な量の魔力を持っていたことになるだろう。

「よく、みんなにはお伽話のように聞かせました。良い機会ですし、アリスちゃんにも聞かせて上げましょう。セイくんは結構気に入ってましたね」

 ソフィア様は、俺が勧めた椅子に腰掛け、話し出した。


××××××


 少しだけ昔の話。どんな依頼も成功させる、凄腕の暗殺者がいました。

 名はアネッサ。

 いつも通り、依頼を遂行しました。今回も誰一人としてアネッサに叶う者などいませんでした。


「みんな弱すぎる」


 アネッサは一人呟きます。いやいやあなたが強すぎるのです、と言ってくれる相手もいませんでした。


 いつも通りに依頼を受けます。

 今日の標的は貴族の少女でした。しかしこの日はいつもと違っていました。

「お前がアネッサだろう?」

「そうだけど」

 彼は少女の兄でした。暗殺者を前にして笑顔を浮かべる彼に、アネッサは顔をしかめました。

「君も俺と戦いたいの?」

「喧嘩なら受けて立つけど、生憎、決闘はしない主義なんだ」

 アネッサには分かりました。彼が強いことを。

 腰に提げた飾り気のない二本の剣が、見栄で持ち歩いているのではないと、告げていました。

「暗殺者なんて止めてさ、一緒に冒険しようよ」

 アネッサに手を差し出して、彼は続けます。

「夜の世界も良いけど、太陽の下の世界を見たくはない?」

 アネッサには、笑顔を浮かべる彼こそ、太陽のように見えました。


××××××


 話し終えたソフィア様は微笑を浮かべた。

「どこまでが本当か分からないけれど。これは、この後、アネッサが少女の兄と旅をする物語なのです」


 旅。

 まるで自由の代名詞のような言葉。微かな痛みを胸に感じたが、無視した。


 アリスティは、俺を見上げる。きっと、また言い出す。

「ゼシカは陣魔術使えるの?」

「使ったことはありませんが」

 ほら、やっぱり。

 彼女は瞳を煌めかせた。

「やってみてっ!」

「ですが……」

「やってみて下さい」

「…………」

 何故、あなたまで目を輝かせるのですか、ソフィア様。子供ではあるまいに。

 流石は親子。

 仕方なく、俺はさっきの陣を描いた紙を取り出す。

 そして、水の古代文字が描かれた物に触れ、魔力を込める。

「あ、上にまた魔法陣」

 手書きの上に、青い魔法陣が現れた。原理はよく分からない。

 魔術の強さによって、魔法陣の大きさは変わるらしい。つまり通常、陣魔術を使うときは描いた陣より小さな魔法陣が現れるはず。


 だが俺は、青く光る魔法陣を見て、言葉を失いかけた。


「同じ大きさですわね」

 ソフィア様には、俺が困惑している理由が分かったらしい。

 しかし、もはや止めることは出来ず、すぐ魔術は発動した。

 勢い良く吹き出た水流は、天井に当たり、降ってくる。

「本が濡れちゃうよっ」

 それだけは何としてでも防がなければならない。

 息を吸い込む。

「汝裏切り我が雫に落とす凍てし囁き」

 噛まずに一息で言い切る。

 水流は凍り付いた。氷のかけらは、床にパラパラと落ちた。

「……助かった」

「くしゅっ」

 小さなくしゃみが聞こえた。見やると、ソフィア様だ。

 屋敷内、特に室内は温かくしてあるため、基本薄着でも平気なのだ。ただ今は、寒さに拍車をかける要因になっている。

「か、母様?」

「何でしょうか」

「今、くしゃみ……」

「何でしょうか?」

「いえ、何でもないです……」

 アリスティはかけらを一つ、拾い上げた。魔術で出来た氷は、人の体温程度ではなかなか溶けない。

「霜焼けになりますよ」

「ね、これってさ」

 アリスティが見つめる氷を見ると、俺の暗い緑の瞳が見えた。


「ゼシカの魔力の結晶だよね」


「え? まぁ、そうですね」

 氷は氷だと思うが、その発想はなかった。

 アリスティはもう一つ拾うと、大事そうに握り締めた。

 霜焼けになると、言ったはずだが。

 しかし、何やら嬉しそうだし、良いとしよう。

「……」

「ゼシカ?」

「いえ、何でもありません」

 何故か、不可思議な心地よさを感じた。

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