4.嫌いだ
あの後、夕食だと呼ばれ、時間も無くなってしまったため、朝起きてから片付けることになった。
前と同じように、机の上に植物の鉢、うさぎの置物を置く。
「何でうさぎ?」
「何か文句ありますか」
「無いけど……好きなの?」
「好きですよ。奴らは健気ですから。猫とは違って」
「……そ…そう」
「それに、か弱い。猫とは違って」
俺は木彫りのうさぎを指で撫でる。別に良い思い出など無い。ただ、俺が小さいときに父がくれたという、思い出とも呼べない事実があるだけだ。
きっと、ただの愛着なのだろう。
アリスティは、俺の部屋を見回した。
「本ばかりだね」
「ええ、まあ。つまらない奴なので」
「そういう意味じゃないからっ」
「分かってますよ」
この部屋は広いので全部が全部上手く収まりきり、倉庫にならなかったのがありがたい。
しかし、棚の上から下までをぎっしり本で埋めてしまったのを見ると、苦笑が零れる。これだけの量を持っていた自分にも驚くが、これを持って来た人にも驚く。
あと少し本が残っていたはずだ。取りに行こうとドアを開けると、そこにはメリアがいた。手には本を乗せている。
「これで最後です」
「……? ありがとうございます」
「では、私はこれで」
メリアは俺に本を押しつけると、部屋を出ていこうとする。
何故かメリアが冷たい気がしてならないのだ。いつもは、うざったい位だと言うのに。
メリアは奥様、つまりアリスティの母の侍女だ。
「メリア、どうしたんですか」
「…………」
「ゼシカ」
アリスティは、俺の手から本を取ると奥の本棚まで持っていった。
「メリア、もう下がって良いよ」
視線すら向けず、アリスティはそう言い放った。メリアは一礼すると、無言で出て行った。
俺は、本棚に本を入れようと奮闘するアリスティを眺めていた。
しばらくして、諦めたらしく俺の方を向いた。
「私がね、頼んだのよ」
「冷たくしろと?」
「親しくしないでって。兄様の嫌がらせは、私の親しい人にまで降りかかるから」
だったら何故俺は側に置くのですか。
俺の中に生まれた疑問は、言葉になることを拒んだ。
「でも、やっぱり少し寂しいね」
そう、彼女は笑った。
××××××
数日後の夜、丁度誰もいない廊下で、とうとうゼシカちゃんと会ってしまった。
あんな態度をしておいて、どう接すれば良いのかを悩んでいる。
「メリア」
「な、何よ」
「仕事は上がりですか」
しかし私の悩みとは裏腹に、彼の態度には露ほどの変化も見当たらなかった。
「ソフィア様ももう寝たし、一通り見て回ったら寝るわ」
ゼシカちゃんはまだ終わりではないらしい。手には何かの植物を持っている。
「俺も一応終わっています」
「え、終わっているの?」
「これは趣味です。冬でも咲く植物の種類を調べていました」
そう言われてみれば、ゼシカちゃんは小さい頃から毒に興味があるようだった。そこから派生して来たのだろうか。
「……仕事、慣れた?」
「それなりに」
「アリスティ様とは、上手く仕えていけそうなの?」
「……まあ、一応」
煮え切らない。ゼシカちゃんは、少し不満そうに呟いた。その様子が可愛いと思ってしまったのは秘密だ。
「ゼシカちゃんはアリスティ様を、どう思ってるのよ」
「どう、と言われましても」
「好きなの?」
「……何故」
ゼシカちゃんは顔をしかめた。聞かれたくない内容だったのか。もしくは、質問責めが嫌なのか。
「正直、嫌い寄りかも知れません。憎くはありませんが」
「……しっかり仕えなさいよ。苦手だからって手は抜くな」
私は、アリスティ様が彼に一目惚れしたのを知っている。あの子は、人見知りなのではなく、意識的に人を遠ざけているだけだ。傷つけないように。
そんなアリスティ様が、それでも一緒にいたいと思ったのが、ゼシカちゃんだ。
しかし、ゼシカちゃんにそんな事は分かっていないだろう。
「問題無いです。俺は有能なので」
「妙にイラッとくる。このナルシスト」
「黙れ馬鹿が。自己陶酔ではありません。事実ですから」
「馬鹿ってなによ」
ゼシカちゃんは自分の指を眺めている。彼はいつからかは分からないが、余り感情が表情に出ない。
まるで、冷たく他人を拒絶するように、凍り付いている。
言葉にはでるが。
逆にアリスティ様は、山の天気みたいに表情がころころと変わる。
だが、私が見ていない所ではどうなのかは、分からない。
「アリスティは……あなたと話したがっていますよ」
呼び捨てなんだ。
少なくとも、アリスティ様は、ゼシカちゃんが猫をかぶる必要が無い人、ということなのだろう。
「うん。知ってる」
「夜のうちだけでも、話せる機会を設けたらいかがですか」
「………」
「ま、俺には関係ない話ですが」
そう言いながら、興味も無く、面倒くさそうな事に首を突っ込んでくる。
アリスティ以上にお人好しなのかもしれない。
もしくは、嫌い寄り、ではなく距離感が分からないだけなのかもしれない。
少なくとも、彼の言動から、嫌いという感情は見えなかった。
「じゃあ、少し考えとく」
ゼシカちゃんは、やはり無表情だ。
××××××
朝日が雪に反射して、より一層の輝きをもって辺りを照らしていた。
俺は、馬車が来たな、とか思いながらも目は向けずに庭掃除をしていた。
掃除と言っても、雪によって覆われているため、特に掃き掃除などはない。片付け程度だ。
屋根の上からは、スリリングな雪下ろしを楽しんでいる使用人たちの声がする。
「エミル、おかえりーっ!」
すると屋敷からアリスティが飛び出してきた。
「おねーちゃんっ」
そう言えば妹もいるという話を聞いていたような気がする。
エミル、と呼ばれた少女はニコニコしながらアリスティに駆け寄る。笑い方が少しアリスティに似ていた。
しかし彼女とは違い、肩上で切り揃えられた髪。瞳や髪の色は同じだけれど。
「私ね、弓が上手になったよ」
「じゃあ、教えて欲しいな」
「どうしよっかな」
何故か、オリガを思い出した。今頃どうしているだろうか。
約束を破った俺を、どう思っているだろうか。
「あ、ゼシカっ!」
「何ですか」
「私の妹」
それはいくら何でも簡潔すぎだろう。まあ、確かに分かりやすい紹介だ。
「エミル・アサラベルです。よろしくね、おにーちゃん」
××××××
アリスティの部屋まで来た俺は、持ってきたお茶とお菓子をテーブルに置く。
「おにーちゃん、イケメンだね。どこで落としてきたの?」
「……イケメンなどではありませんよ」
「えー、じゃあ、可愛い顔?」
「……」
嬉しくない。
「ん……? 連れてきただけだよ」
こっちはこっちで問題だろう。
エミル・アサラベル。
“子供に必要なのは、勉学である。”がモットーの、帝国立アスパティ市学園初等部に在学中の児童だ。
町一つを丸々学園としてあるらしい。
「でね、レグルスとリースが実は皇子様と皇女様だったの」
「確か中等部に入ったらパーティー組むとか、約束した、双子ちゃんだよね」
「うん!」
「なんか、凄い人と知り合いだなぁ」
エミル様は、一年に一度帰ってくるらしい。いつもは独りぼっちで、少し情けなくて、馬鹿なアリスティが、姉の顔をしていた。
「……へぇ」
「ん? 何か言った?」
「別に、何も」
こんな風にも笑えるんだ。
××××××
数日後、エミル様は学園に帰って行った。毎回のお茶会に付き合わされたのは言うまでもない。
「どんどん大きくなってくなぁ」
「まだ子供ですからね」
アリスティは小さく笑う。その笑顔に違和感があったが、それが何なのか、俺には分からなかった。
「私がね、無理やり学園にぶち込んできたんだ」
「……はい?」
「兄様たちから遠ざけたくて」
どうして、自分が苦しむ環境を作るのだろうか。
一人で笑うアリスティは、作り笑いの俺に少し、似ている。
「あのね」
「はい」
「私ね、あの子の為なら、人だって傷つけられる」
彼女は時折、曖昧に笑う。まるで何かを諦めたような笑顔で、俺はその笑顔が嫌いだった。
しかしそうは思っても、アリスティの為に俺が動くことはない。
「そんな顔しないで。ゼシカには、関係ないから」
その言葉が、何故か突き刺さって抜けない。