10.あの日の傷跡
頭が痛い。気分も悪い。
起き上がるのも怠くて、俺は天井を見上げた。
いつもより高い天井。
当たり前だ。床で寝ていたのだから。
「……うにぁ」
隣で、猫が鳴いた。
目を閉じて寝てると、釣り目だ。なおさら猫みたい。
昨日の夜、途中から記憶が飛んでいた。どうやら酒を飲んでしまったらしい。
「大丈夫か」
ジノの声だった。
そう言えばジノはもう成人だ。童顔の所為で、昨日まで年下だと思っていた。
「俺が、飲ませた、のは覚えている」
無理やり起き上がると、同じように頭を押さえていたジノを見る。すると、彼と目があった。
「……ゼシカ」
「……?」
「聞いても良いか」
何を、と問いかけようとして、その術がないことに気付いた。部屋を見回すと、ライラックとミキナが気持ち良さそうに寝ている。
俺は頷いた。これならどんな話でも、聞かれることも無いはずだから。
ジノは立ち上がると、部屋の隅にあるベッドに座った。手招きするので、クラクラする頭を押さえつつ、彼の隣に座る。
「お前さ、ハーフエルフだよな」
今更な問いに頷く。確認とはいえ、わざわざ聞くなんて、いつものジノらしくない。
「……何故、ここにいるんだ」
その問いに、俺は固まった。ジノが何を聞きたいのかがまるで分からない。
「何故、エルフのお前が仲間を裏切ってここにいるんだ」
「…………」
何を言わせようとしているのか。
俺がここにいる理由か。
俺が向こうにいない理由か。
「悪い言い方をすると、エルフは国境、つまり常に戦場に近い場所にいる。家族が心配ではないのか」
つまりジノは、心配してくれているのだろうか。
だが、俺にとっては、考えないようにしていた一つだ。成り行きでここにいるとしても、選択したことに変わりはない。
(それに、向こうは家族なんて思っていないだろうし)
「手に入れた魔法陣で魔術を使って、家族も殺せるのか」
「…………」
答えは出ている、つもりだった。
なのに、頷くことはできなかった。
「……無神経に聞き過ぎた。でも、大切なことだから考えて欲しい」
ジノは、下を向いた。視線の先には彼の妹がいる。きっとジノには、家族を守ることが、答えなのだろう。
「考えた上でもし、向こうに行きたかったら、俺に言って欲しい。何とかする」
(何とか……って、どうして)
「……大丈夫。亡命者でも伝手はある」
ジノは珍しく笑みを浮かべると、俺の頬に軽くキスをした。
「……っ!?」
「ロテリア式の挨拶だ。本当は両頬にする。元々は親しいもの同士の挨拶だったらしいが、今は信頼を意味する」
シャルルに、というかエルフにそんな風習はない。俺は頬を手で押さえると、彼を睨み付けた。
「政治家や、軍人、王族は、この挨拶で信用信頼を表すんだ。だが俺はどうにも苦手で」
ジノが自らのことを語るのは、これが初めてではないだろうか。
(俺だって、話したことはないのに)
「小さい頃、王子に迫られたんだ。付き合いが悪い、評判も悪い、無愛想だ、キスしろって。一時期、王子は男色家だとか噂が広まって大変だったな」
ジノは、見た目だけなら可愛いからな、などと思った。別に俺の好みではない。当たり前だが。
「…………」
「あ……悪い。まぁ、彼にはもう会えないだろうな」
王族、と言うことは、革命で殺されているのではないだろうか。ジノがいつシャルルに来たのかは知らないが、その王子と会うことは、不可能なのだろう。
俺は、立ち上がると部屋を出た。ジノは俺を止めはしなかった。
××××××
ゼシカが出て行って、すぐ俺も立ち上がった。
彼は、甘いと思う。このまま周りに流されようとしている。
「お兄ちゃん。ゼシカさんはどうするのでしょうか」
「……出来れば、俺に助けを求めて欲しいが」
そして、家族の下へ行けばいい。
ミキナは起き上がると、ライラックにかかっているタオルケットをかけ直した。
外は明るくなってきた様だが、カーテンの閉まったこの部屋は薄暗かった。
「信用させておいて、意地悪です」
「……知ってる」
それでも、やっと出来た彼の居場所を、俺は守りたかった。
笑顔の裏に押し殺した孤独を知っているから、二度と闇の中に引きこもらないように。例え、他の何かを裏切るとしても。
「お兄ちゃんは本当に彼が大切なんですね。ちょっと妬けますよ」
「な、あいつはただの親友だ」
「つまり、お兄ちゃんに、ただの親友と言わせる程の人なんでしょ?」
あいつを闇に堕とす原因は、排除しなければいけないのだ。
この、俺が。
××××××
浴場から出ていつもの食堂に行くと、ヴィクトル先輩が手招きした。
「ゼシカ、前に喉怪我したって、言うとったよな」
急に何の話だろうか。
俺は一応頷いた。
「その傷、浅かったやろ」
何故、分かるのか。いつの怪我とも言っていない。何で怪我したのかも言っていない。
彼は、何を知っているのか。
「え? ちょ、待ってぇな! 殺意怖いから落ちついたって、な?」
何故か俺にココアを押し付けて、わたわたとしている。
(いつもの先輩だ)
別人でも無いらしい。
周りは、俺が騒いでいるのには既に慣れているらしく、見向きもしない。
「その……、悪かった。額の傷、見てもうたわ」
「…………」
どうやら俺が何かを隠しているのには気が付いていたらしい。
情けない。
こんな傷を見られるなんて、自分が恥ずかしい。
「で、その傷、治したいと思わへん?」
(え?)
それは、疑問ではなく質問だった。選択肢だった。
「呪いさえ解ければな、傷も完全とはいかないが良くなるはずや」
『呪い?』
この額のは、呪いだったのか。そう言えばリューリクが何かを言っていた気もするが、良く覚えていない。
ベルの話では治癒魔術が効かなくて大変だったという。呪いだったのなら、理由も分かる。
「僕は呪いの解き方を知っとる。声を取り戻したいと思わへんか?」
俺は反射的に頷いて、動揺した。俺は、この傷を失ってもいいのだろうか。
「どないしたん?」
ヴィクトル先輩は俺の答えを待ちながら、カフェオレを飲んで少し固まった。砂糖が足りなかったらしい。
『あの日を、忘れそうで怖い。皆でいると、思い出さない時がある。薄れていきそうで、不安になる』
「……平気や。傷はな、そう簡単に癒えてはくれん。自分が治す気が無いなら、余計治らん」
俺の目を真っ直ぐに見据える紫の瞳が、彼の真剣さを伝えてくる。
「安心し。傷なんか無くても、ゼシカは苦しめられるで。……ん? ちょっと言葉が変やった」
苦笑いを浮かべたヴィクトル先輩は、俺の頭に手を置いた。ぐりぐりと撫でてくるのが、鬱陶しい。子供扱いは、しないで欲しい。
「苦しみに負けないくらい、僕らといると楽しいって思わせたるからな」
苦しい位に泣きたくなって、俺は俯くと唇を噛み締めた。どうして優しくしてくれるのだろう。
不安になる。
「あー! ゼシカ、まだ酔ってんのか? ……泣いてんの?」
「ライラック、しぃー、やで」
「何だよ。怪我か? 二日酔い?」
「……それは僕や」
「マジで?」
ライラックが来て、騒がしくなって、余計に顔が上げられない。
するとライラックは叫んだ。
「おい、こいつ今二日酔いで苦しんでんだから、じろじろ見るなよ! バカっ」
馬鹿は余計だ。
しかし、ライラックはそれ以上俺に何か聞くことはなく、隣に座って朝食を食べ始めた。
「二人のミートボール、食って良いだろ? 二日酔いだもんな!」
それが目的か。この猫野郎め。
ヴィクトル先輩の笑い声が聞こえて、ライラックはやはりうるさくて。
居心地が良すぎるのだ。
「……ん?」
『呪い、解きたいです』
「了解やで」
その声で、微笑んでいるのが伝わった。良い兄、というのは彼みたいな存在なのだろうか。俺は、自分が良い兄では無かった自信はあるけれど。
「え? 呪い? 悪魔の!?」
「悪魔は……、ちゃうと思うで」
「ちぇ、つまんねー」
「不謹慎なやっちゃなぁ! このっ」
「ひぎゃあああっ! 耳はやめろっ」
「うぉぉっ、気持ちええなぁ! もふもふやぁ」
ただ、少し変な人だ。悪く言えば、変人だろうか。俯いた俺の頭上で、何かが繰り広げられている。
変態までは、いかないと思う。多分。
××××××
呪いを解くには、治癒魔術の得意な魔術師が数人必要らしい。雇うのも簡単ではないので、代わりに雑用を引き受けることになった。
「で、何を手伝うんだ?」
ライラックが何故か、寮の俺の部屋の机の上に座って俺を見下ろして言う。
「沢山あるんやろ?」
だから、何故いるのだ。
先生に話した後、何を手伝うか話していた頃には二人はいなかったのに、帰ってきたら何かいる。
二人は黙って俺を見て答えを待っている。なんだか、どうでも良くなってきた。
『図書室の本棚の整理、壊れた机の修理、外のベンチ作り、草取り、壁のペンキ塗り、研究材料の採取、皇族の双子の話し相手、蜂の巣の駆除』
「…………何やそれ」
「多すぎねぇの? 俺だったらやらないぜ!」
この程度なら、白き森でやっていたので苦ではない。強いて言うならば、皇族の双子は苦手だ。特に男の方。
「先生も鬼やなぁ。ここぞとばかりに、ためまくった貯金を押し付けとるし」
貯金ではなく、借金だ。だが、そこまで多くはないと思う。俺的には、もっと山のような仕事を任されて、寝る間もなくなるかと思っていたから。
ライラックは、窓の外を眺めている。興味がなくなったのだろう。
「……呪い、か」
「ライラック?」
「あ、何でもないんだからな!」
「……?」
やけに慌てた様子のライラックが気になった。
「あんた、日曜大工出来んのかよ」
むしろ好きだ。
頷くと、二人が目を丸くした。お前たちは、一体俺を何だと思っているんだ。
きっと、何だとも思っていないか。




