9.僕の兄
広い屋敷の、庭の隅。そこがいつも僕の特等席だった。特に夏は日陰で涼しい。
「ヴィク、ご飯だよ」
「……」
「どうした?」
「……槍」
「槍?」
彼は僕の隣に座ると、静かに言葉を待っていた。
見上げると、笑顔が自分を見下ろしている。同じ髪の色、同じ瞳の色。三歳上の、僕の兄。
「僕は、槍なんて習いたくない」
「えー? 何でさ。楽しくないの?」
何が楽しいのか、まるで分からない。殺しの道具を振り回すだけでも嫌なのに、こいつみたいに才能のある奴が兄で、いつも比べられる。練習すればそれ以上に伸びるのだから、彼はきっと楽しいのだろう。
しかし、それは僕には当てはまらないのだ。
「…………」
「黙ってたら分からないよ。なぁなぁ、ヴィク。聞いてる?」
「……聞いてるけど」
無視すれば、不安になるのか必死で返事をさせようとする。それが少し嬉しくて、だけど素直に話せない僕は、兄から顔を逸らした。
「しゃあないなぁ」
それは、兄の口癖だった。
彼はそれ以上は何も聞かずに、僕の頭に手を乗せた。それがとても心地いい。
「ご飯だよー。ヴィクトル、ヘンリー」
「あ、兄さん」
「…………」
「ほら、行くよ」
一番上の兄は、僕たちの頭を軽く叩いて、笑顔を浮かべた。
二人がどうしてそんなに笑っているのか、僕にはまるで理解が出来なかった。特別楽しいことがあった訳ではない。
「ヴィク」
「何」
「槍、嫌なら俺から父さんに言っておこっか?」
「え?」
彼はにこにこしながら、言った。そして、小さくウインクする。
「ヴィクは、自分がしたいことを見つけたらいいよ。家は俺らが守るからさ」
ヘンリー・タウフェニスは、僕の憧れの兄で、絶対に越えられない人だった。
××××××
僕はいつでも、兄たちの稽古を眺めていた。勿論僕はやらない。
「わっ」
ばたんっ、と一番上のフェリスが倒れ込む。これもいつもと同じだ。
「うぉわぁああっー!? 兄さんっ!?」
「ヘンリー、うるさい」
「だっ、だだ、大丈夫?」
フェリスは、やはり苦笑いしながら立ち上がる。彼の槍は、特別に長い。一撃必殺、とか言っていたが、当たらなければ意味がない。
「僕、あんまり体力無いからね」
「あぁ、兄さんって、根っからの魔術師だもんね」
「そうそう」
断然、魔術の練習が多いから、体力や筋力もなかなか付きにくいらしい。それもあるが、ヘンリーが化け物クラスに強いんだと僕は思っている。その辺の大人では太刀打ちできないし。
勿論、僕みたいに何もしない奴はもっとダメダメだ。ヘンリーのお陰で、父からも何も言われなくなったけど、相変わらずの劣等感は消えない。
「……そうだ、二人に戦うときに大切なことを教えてあげよう」
フェリスは砂を払いながら、僕に近付いてくる。
「僕はいい」
「良いから」
いつものように逃げ出そうとした僕の肩をフェリスは掴み、逃がさないようにする。僕の隣にヘンリーが座った。
「いいかい。戦う相手が女だったら、尚更油断してはいけないよ。彼女たちには、恐ろしい技がある」
「なになに?」
フェリスは、見るからに顔を青くした。嫌なら話さなければいいのに。しかし、ヘンリーは興味津々だ。
緊張の糸が、張ったような気がした。
「……彼女らは、男の急所を蹴り上げる、という技があるんだ。これはまじでヤバい。死ねる。隙なんていくらでも出来る」
「な……何か、あった訳?」
あまりに熱弁なので、恐る恐る聞いてみる。すると、フェリスは勢い良く首を縦に振った。
「姉さんたちにやられたんだ!」
「たちって、……まさか兄さんっ! 相当まずいんじゃっ……」
「死ぬかと思った。うん。むしろ、死にたかったなぁ、あれは」
何かを悟ったような男の目をして、フェリスは空を見上げた。
「女には分からないからなぁ。あの痛みは。だからあんな残酷なことを出来るんだろうけど。……俺じゃなくて良かった」
確かにあれは痛い。その上、姉たちがやるとしたら、地獄を見るのは想像にやすい。フェリスはかなりの不運だったというわけだ。
「ヘンリー? 今、なんて言ったのかな。まさか、兄の不運を喜んでいる訳じゃあ、無いよね?」
「い、いやいやいや! に、兄さんは本当勇者だよっ。あの姉さんたちと戦ったなんて!」
「そう思う? えへへ。フルボッコだったよ」
二人は、土埃で汚れた槍の刃を拭うと、鞘をはめた。今日の稽古の終了の合図だ。ヘンリーは槍をフェリスに預けると僕に続いて立ち上がる。
「よーし、じゃあ俺はヴィクと町に行ってくるよ!」
「お前ら本当仲良いよなぁ。ヴィク、お土産忘れないでね」
「分かってる」
週末は、いつもヘンリーと町に行くことになっていた。町では、本屋や喫茶店、露天商を冷やかしたり、ヘンリーが武器屋に寄ればなかなか次に行けなかったり。
ヘンリーは僕には甘くて、最後にはお菓子を一つ買ってくれるのだった。
××××××
ヘンリーは、僕に色んな事を教えてくれた。歴史や、政治、魔術の知識も。
その中に、呪いがあった。
「いいか。これは昔に使用を禁止された、危険なやつなんだ。絶対に触れちゃいけない。いくら肉親でも、庇いきれない。庇うけど」
「どっちだよ」
ヘンリーに言うと、にこにこと笑顔を向けられた。
彼は、実物を見せて教えてくれた。
「まずは呪いの内容かなぁ。これは、魔術師を呪う事しかできない。呪った相手の魔力を使うんだよ。本当、質悪いよなぁ」
つまり、魔力が強ければ強いほど、呪いは強く、解けにくくなるらしい。他にも解く方法や、使われていた頃の歴史などを教えて貰った。
「とにかく、これは使うのも、誰かの手に渡すのもいけない。タウフェニスが代々守るしかないんだ」
「……でも」
理屈は分かる。
ヘンリーがそうしようとしているのも分かる。
「ん?」
「その所為で、家に、縛られるのは……なんか嫌だ」
一瞬、ヘンリーの表情が曇ったのを僕は見逃さなかった。しかし、彼はすぐにいつもの笑顔を浮かべた。
「大丈夫。末っ子のお前くらい自由気ままにしてても困らないさ」
だが、その笑顔が無理やりなのは僕には分かる。ヘンリーはそうやって、自分にかかる重荷を増やしているように見えた。
ヘンリーは、確かに強かった。彼が負けるところを見たことがなかった。
いつも、僕は彼に甘えすぎていたんだ。
だからだろうか。
野盗狩りから帰ったヘンリーが血まみれで怪我をしているのを見たときは、激しい衝撃に襲われた。
恐怖に似た動揺。それでもヘンリーは、僕に笑顔を向けた。
「ちょっと油断しただけだよ。何ともないって」
このままでは家も彼も壊れる。
僕はそれから、影で槍の稽古を始めた。倉庫に行けば、兄や姉たちの槍が沢山あったから、それには困らなかった。ヘンリーが父に頼んでくれたのだから、今更やる、とは言い出せなかった。家に縛られたくない、と言ったのに、結局槍を握った自分が忌々しい。
バレないように、夜遅くに起きて倉庫の槍を手に、屋敷から少し離れた廃屋の影で見様見真似の技にアレンジを加え、何度も練習した。
やがて、誰にも言えない稽古を始めてから二年近くが経った。いつまでも一人で稽古していても上達しない、と気付き始めた頃だった。
槍の稽古の事を、打ち明けようと考えていたのに。
ヘンリーは、父と共にシャルル帝国を裏切り、ロテリア王国側についた。
××××××
「そう言えば、僕の槍、もともとヘンリーの槍なんやなぁ」
自分の槍で心臓を貫かれるのは、どんな心地なのだろうか。
僕は、傍らに眠るライラックとゼシカを眺める。二人の頭をそっと撫で、ため息を吐いた。
「兄の心情なんて、知りたくもなかったわ。今更、どうにもならん」
国を守る大切さ、家族を守る幸福を語っていた兄は何故、自らすら裏切って、向こう側に行ってしまったのだろう。
ただ一つ分かることは、ヘンリーは、僕が槍を手にしていることを知らなかったから、何も教えてくれなかった、ということだ。知っていたら、きっと教えてくれた、なんて思ってしまう。
「……?」
むくり、とゼシカが起き上がった。訳が分からない、と言うような顔で辺りを見回して、僕を見た。
「おはよう、ゼシカ」
「……」
彼はじっと僕の顔を見つめると、前に倒れるように寝てしまった。
彼は本当に寝起きが悪いようだ。
「う、ぐぐ……」
ライラックの苦しそうな声が聞こえた。僕はゼシカをライラックの上からどかすと、思わず笑みがこぼれた。苦しそうだったライラックは、解放されて幸せそうに丸くなった。
「かわええなぁ。……ライラック。僕は物心ついた頃から武器は握ってないで」
二人の頭を撫でると、立ち上がり、投げ捨てられた服を着る。部屋を出ようとして、僕は振り返った。
誰も身じろぎ一つしない。僕は彼を見つめた。
「……自分が恥ずかしいんやけど」
僕はドアを閉めた。




