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無音の魔術師  作者: 芹沢十嘉
第二章 学園
33/63

9.僕の兄

 広い屋敷の、庭の隅。そこがいつも僕の特等席だった。特に夏は日陰で涼しい。

「ヴィク、ご飯だよ」

「……」

「どうした?」

「……槍」

「槍?」

 彼は僕の隣に座ると、静かに言葉を待っていた。

 見上げると、笑顔が自分を見下ろしている。同じ髪の色、同じ瞳の色。三歳上の、僕の兄。

「僕は、槍なんて習いたくない」

「えー? 何でさ。楽しくないの?」

 何が楽しいのか、まるで分からない。殺しの道具を振り回すだけでも嫌なのに、こいつみたいに才能のある奴が兄で、いつも比べられる。練習すればそれ以上に伸びるのだから、彼はきっと楽しいのだろう。

 しかし、それは僕には当てはまらないのだ。

「…………」

「黙ってたら分からないよ。なぁなぁ、ヴィク。聞いてる?」

「……聞いてるけど」

 無視すれば、不安になるのか必死で返事をさせようとする。それが少し嬉しくて、だけど素直に話せない僕は、兄から顔を逸らした。

「しゃあないなぁ」

 それは、兄の口癖だった。

 彼はそれ以上は何も聞かずに、僕の頭に手を乗せた。それがとても心地いい。

「ご飯だよー。ヴィクトル、ヘンリー」

「あ、兄さん」

「…………」

「ほら、行くよ」

 一番上の兄は、僕たちの頭を軽く叩いて、笑顔を浮かべた。

 二人がどうしてそんなに笑っているのか、僕にはまるで理解が出来なかった。特別楽しいことがあった訳ではない。

「ヴィク」

「何」

「槍、嫌なら俺から父さんに言っておこっか?」

「え?」

 彼はにこにこしながら、言った。そして、小さくウインクする。

「ヴィクは、自分がしたいことを見つけたらいいよ。家は俺らが守るからさ」

 ヘンリー・タウフェニスは、僕の憧れの兄で、絶対に越えられない人だった。


××××××


 僕はいつでも、兄たちの稽古を眺めていた。勿論僕はやらない。

「わっ」

 ばたんっ、と一番上のフェリスが倒れ込む。これもいつもと同じだ。

「うぉわぁああっー!? 兄さんっ!?」

「ヘンリー、うるさい」

「だっ、だだ、大丈夫?」

 フェリスは、やはり苦笑いしながら立ち上がる。彼の槍は、特別に長い。一撃必殺、とか言っていたが、当たらなければ意味がない。

「僕、あんまり体力無いからね」

「あぁ、兄さんって、根っからの魔術師だもんね」

「そうそう」

 断然、魔術の練習が多いから、体力や筋力もなかなか付きにくいらしい。それもあるが、ヘンリーが化け物クラスに強いんだと僕は思っている。その辺の大人では太刀打ちできないし。

 勿論、僕みたいに何もしない奴はもっとダメダメだ。ヘンリーのお陰で、父からも何も言われなくなったけど、相変わらずの劣等感は消えない。

「……そうだ、二人に戦うときに大切なことを教えてあげよう」

 フェリスは砂を払いながら、僕に近付いてくる。

「僕はいい」

「良いから」

 いつものように逃げ出そうとした僕の肩をフェリスは掴み、逃がさないようにする。僕の隣にヘンリーが座った。

「いいかい。戦う相手が女だったら、尚更油断してはいけないよ。彼女たちには、恐ろしい技がある」

「なになに?」

 フェリスは、見るからに顔を青くした。嫌なら話さなければいいのに。しかし、ヘンリーは興味津々だ。

 緊張の糸が、張ったような気がした。

「……彼女らは、男の急所を蹴り上げる、という技があるんだ。これはまじでヤバい。死ねる。隙なんていくらでも出来る」

「な……何か、あった訳?」

 あまりに熱弁なので、恐る恐る聞いてみる。すると、フェリスは勢い良く首を縦に振った。

「姉さんたちにやられたんだ!」

「たちって、……まさか兄さんっ! 相当まずいんじゃっ……」

「死ぬかと思った。うん。むしろ、死にたかったなぁ、あれは」

 何かを悟ったような男の目をして、フェリスは空を見上げた。

「女には分からないからなぁ。あの痛みは。だからあんな残酷なことを出来るんだろうけど。……俺じゃなくて良かった」

 確かにあれは痛い。その上、姉たちがやるとしたら、地獄を見るのは想像にやすい。フェリスはかなりの不運だったというわけだ。

「ヘンリー? 今、なんて言ったのかな。まさか、兄の不運を喜んでいる訳じゃあ、無いよね?」

「い、いやいやいや! に、兄さんは本当勇者だよっ。あの姉さんたちと戦ったなんて!」

「そう思う? えへへ。フルボッコだったよ」

 二人は、土埃で汚れた槍の刃を拭うと、鞘をはめた。今日の稽古の終了の合図だ。ヘンリーは槍をフェリスに預けると僕に続いて立ち上がる。

「よーし、じゃあ俺はヴィクと町に行ってくるよ!」

「お前ら本当仲良いよなぁ。ヴィク、お土産忘れないでね」

「分かってる」

 週末は、いつもヘンリーと町に行くことになっていた。町では、本屋や喫茶店、露天商を冷やかしたり、ヘンリーが武器屋に寄ればなかなか次に行けなかったり。

 ヘンリーは僕には甘くて、最後にはお菓子を一つ買ってくれるのだった。


××××××


 ヘンリーは、僕に色んな事を教えてくれた。歴史や、政治、魔術の知識も。

 その中に、呪いがあった。

「いいか。これは昔に使用を禁止された、危険なやつなんだ。絶対に触れちゃいけない。いくら肉親でも、庇いきれない。庇うけど」

「どっちだよ」

 ヘンリーに言うと、にこにこと笑顔を向けられた。

 彼は、実物を見せて教えてくれた。

「まずは呪いの内容かなぁ。これは、魔術師を呪う事しかできない。呪った相手の魔力を使うんだよ。本当、質悪いよなぁ」

 つまり、魔力が強ければ強いほど、呪いは強く、解けにくくなるらしい。他にも解く方法や、使われていた頃の歴史などを教えて貰った。

「とにかく、これは使うのも、誰かの手に渡すのもいけない。タウフェニスが代々守るしかないんだ」

「……でも」

 理屈は分かる。

 ヘンリーがそうしようとしているのも分かる。

「ん?」

「その所為で、家に、縛られるのは……なんか嫌だ」

 一瞬、ヘンリーの表情が曇ったのを僕は見逃さなかった。しかし、彼はすぐにいつもの笑顔を浮かべた。


「大丈夫。末っ子のお前くらい自由気ままにしてても困らないさ」


 だが、その笑顔が無理やりなのは僕には分かる。ヘンリーはそうやって、自分にかかる重荷を増やしているように見えた。

 ヘンリーは、確かに強かった。彼が負けるところを見たことがなかった。

いつも、僕は彼に甘えすぎていたんだ。

 だからだろうか。

 野盗狩りから帰ったヘンリーが血まみれで怪我をしているのを見たときは、激しい衝撃に襲われた。

 恐怖に似た動揺。それでもヘンリーは、僕に笑顔を向けた。

「ちょっと油断しただけだよ。何ともないって」

 このままでは家も彼も壊れる。

 僕はそれから、影で槍の稽古を始めた。倉庫に行けば、兄や姉たちの槍が沢山あったから、それには困らなかった。ヘンリーが父に頼んでくれたのだから、今更やる、とは言い出せなかった。家に縛られたくない、と言ったのに、結局槍を握った自分が忌々しい。

 バレないように、夜遅くに起きて倉庫の槍を手に、屋敷から少し離れた廃屋の影で見様見真似の技にアレンジを加え、何度も練習した。

 やがて、誰にも言えない稽古を始めてから二年近くが経った。いつまでも一人で稽古していても上達しない、と気付き始めた頃だった。

 槍の稽古の事を、打ち明けようと考えていたのに。

 ヘンリーは、父と共にシャルル帝国を裏切り、ロテリア王国側についた。


××××××


「そう言えば、僕の槍、もともとヘンリーの槍なんやなぁ」

 自分の槍で心臓を貫かれるのは、どんな心地なのだろうか。

 僕は、傍らに眠るライラックとゼシカを眺める。二人の頭をそっと撫で、ため息を吐いた。

「兄の心情なんて、知りたくもなかったわ。今更、どうにもならん」

 国を守る大切さ、家族を守る幸福を語っていた兄は何故、自らすら裏切って、向こう側に行ってしまったのだろう。

 ただ一つ分かることは、ヘンリーは、僕が槍を手にしていることを知らなかったから、何も教えてくれなかった、ということだ。知っていたら、きっと教えてくれた、なんて思ってしまう。

「……?」

 むくり、とゼシカが起き上がった。訳が分からない、と言うような顔で辺りを見回して、僕を見た。

「おはよう、ゼシカ」

「……」

 彼はじっと僕の顔を見つめると、前に倒れるように寝てしまった。

 彼は本当に寝起きが悪いようだ。

「う、ぐぐ……」

 ライラックの苦しそうな声が聞こえた。僕はゼシカをライラックの上からどかすと、思わず笑みがこぼれた。苦しそうだったライラックは、解放されて幸せそうに丸くなった。

「かわええなぁ。……ライラック。僕は物心ついた頃から武器は握ってないで」

 二人の頭を撫でると、立ち上がり、投げ捨てられた服を着る。部屋を出ようとして、僕は振り返った。

 誰も身じろぎ一つしない。僕は彼を見つめた。

「……自分が恥ずかしいんやけど」

 僕はドアを閉めた。



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