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無音の魔術師  作者: 芹沢十嘉
第一章 白き森
21/63

18.蜂蜜色の村

 目の前に、赤い液体が飛び散った。これは、誰の血なのだろうか。


 白い雪に点々と、鮮やかに花を咲かせている。


「メリ……ア……の……?」


 殺された。誰が殺したんだ。

 赤い液体が彼女を染めた。虚ろな左目と、血の溢れ出す右目。


 奴だ。血の如き髪を持つあの男に、みんな、殺される。

 ロテリアの、所為で。


 アリスティが、殺される。


××××××


 飛び起きると、体、特に頭に痛みが走った。思わず額に手を当て、微かにうめき声を上げる。包帯が巻き付いていた。息苦しいと思えば、首にも。

 暫くして顔を上げ、息を飲んだ。

「……」

 ここは何処だ。

 広い部屋ではなかった。今俺がいるベッドと、机と椅子、棚には、本や小物が置いてある。木の床だ。

 窓まで歩いていき、開けると、ふんわりと甘い香りのする風が吹き込んできた。

(村、なのか? でも、何処の……)

 呟いても、声にはならない。それでも口が動いてしまう。

 綺麗な所だった。可愛らしい、と言ってもいいだろう。近くには川が流れ、川向こうに点々と見える建物は、蜂蜜色。レンガ造りのようで、暖かみがある。


「あ、目を覚ましたのね」


 振り返ると、茶色い髪の少女が立っていた。癖毛なのか、毛先がくるくると丸かっている。

 彼女に近付こうとして、力が抜けた。

(え? ……え?)

「だ、大丈夫っ!?」

 へたり込んだ俺に駆け寄り、顔に手を当てられる。

 冷たい。

「まだ熱があるわね。ベッドで休んだ方がいいわ」

 そうか、熱が。

 だからこんなに熱いのか。

 少女は俺の体に手を添えるようにして、支えてくれる。ベッドに座ると、ちょっと待って、と言われる。言うとおりにしていると、彼女の手が額に伸びて、包帯だ、と思った物を取られる。

「うん。化膿もしてない。後は残ってしまうわね……」

 傷があるらしい。

 額に、何かぶつけたのだろうか。白い包帯には、微かに血が滲んでいた。ほとんど止まっていると考えていいだろう。

(白……に、赤い……)

 赤い、赤に染まった。

 そして、赤髪が振り返った。

 俺は立ち上がり、ふらつく体を無視して出口を目指す。

「ちょっと、ゼシカくんっ」

 何をしていたんだ、俺は。あの出来事を一瞬だとは言え忘れたなんて。

 ドアを開けると、そこは明るい世界だった。あの薄暗い森とは違って、包み込むような優しさに溢れていた。

 慰められると泣きたくなるように、かえって惨めな気持ちにさせられた。

 逆に笑いがこみ上げてくる。

「……大丈夫?」

 俺は素直に頷いておく。

(あれ? 片目が緑だ)

 しかし、それを問う力が今の俺には無いのだ。自分の口を指差し、彼女に視線を向けてもらう。

(ありがとう)

 伝わったのか、微かに微笑んでくれた。


××××××


 茶髪の少女は、ベル・マコラと言った。ここはソズの村で、白き森から一番近いらしい。近いと言っても、白き森の周りには村や町は無いから、それなりに離れているらしいが、俺にはよく分からなかった。

「うん、熱も下がったみたい」

 ベルは、どうやら俺の看病をしてくれていたらしい。今は傍らで、リンゴを剥いていた。

『入るわね』

 その時、女性の声がした。

 入ってきたその人は、ベルと同じように茶色い髪で、毛先が丸かっていた。

「リル・マコラです。初めまして」

 反射的に名乗ろうとして、声が出ないことを思い出す。

「もうすぐあの人も帰ってくるわ」

 俺の予想では、ベルは一人娘で、リルさんが母親、あの人と言うのが父親なのだろう。

 ランタンに火を灯している。魔道具は無いのだろうか。そういえば、昼間、遠くに見た人たちも、全てを手作業で農作業をしているようだった。

 暫くすると、

『ただいま』

確かに誰かが帰ってきた。声からして男。予想通りだろう。

 彼も部屋に入ってきた。

「誰もいないと思ったら。起きたんだな、ゼシカ」

 彼を見て、俺は目を見張った。


 緑がかった髪、暗い緑の瞳。誰がどう見ても、彼はハーフエルフだった。


 俺が驚いているのに気づいたらしく、その男は苦笑した。

「デリア・マコラ。ご察しの通り、俺はハーフエルフだ」

「私はクウォーターなの」

 だから、彼女の目が緑に見えたのか。普段は暗い緑だが、光に当たると、瞳が光って、綺麗な緑に見える。

「俺たちはアレクセイ様に頼まれて、お前の面倒を見ていた。彼はしょっちゅうソズに遊びに来ていたからな。仲も良かったんだ」

 それだけで、見ず知らずの俺を匿うなんて、人が良すぎる。苦労するタイプだろう、きっと。

「では、私は夕飯のじゅんびをしてくるわね」

「じゃあ私も手伝うね」

「ありがとう、ベル」

 ベルは剥き終わったリンゴを、ベッドの上に置くと、部屋を出ていった。空腹感はあるが、何となく気が引けて、手を出せない。

「食ったらどうだ」

 丁度、お腹が鳴った。

「正直な腹をしているようだな」

(……うるさい)

 顔に熱が集まる。平気な振りをしていたから、余計に。

 俺は、綺麗に剥かれたリンゴを口に入れた。酸味が強めだ。美味しいが、甘い方が好きだったりする。

「ここのリンゴは酸っぱいだろ? だからみんな、ジャムやパイにしちまうんだ」

 デリアさんは、皿からリンゴを取り、口に放り込んで、酸っぱそうに顔をしかめた。俺は食べられてしまう前に、もう一つ取った。

「一体、白き森で何があったんだ?」

 暫く、リンゴを食べていたが、話しかけられて、顔を上げた。

 俺と同じ、ハーフエルフ。きっと、白き森に住んでいたのだろう。故郷が心配というわけだ。

「……」

「あ、悪い。紙と、ペンな」

 立ち上がったデリアさんは、棚からメモ用紙とペンを持ってきた。

 何を書けばいいだろうか。


『一、ロテリアの軍人

 二、リューリクと手を組む

 三、アリスティが追われる

 四、戦う        』


 こんな感じだろうか。

「どうだ、と言われてもなぁ」

 言ってはいない。

 しかし、デリアは紙を見ている。細かいことも追加で書き足していき、紙が文字だらけになった頃、デリアは聞いてきた。

「白き森は、ロテリア側に付いたのか」

 恐らく、そうなのだろう。逆に、付かないことを選んだのなら、彼らは捕らわれたか、殺されている。

 俺は静かに頷いた。

 デリアは一言、そうか、と呟いただけだった。

 ランタンの炎が揺れる。

 まるで隙間風が吹いているかのような寒さに、俺は震えないよう、身を固くした。


××××××


 マコラ家の三人は優しかった。

 彼女たちだけではない。村の人たちも優しかった。俺が話せない為に、コミュニケーションが取りづらくても嫌な顔ひとつせず、手帳をくれる程だ。


 居心地が良かった。


 白き森よりずっと、気が楽で、暖かくて、何か、物足りなかった。

「ゼシカくん」

 ベルと村を歩いていれば、また話し掛けられる。パン造りの上手なおばさんだ。

「柵が壊れちゃったもんだから、手伝ってくれない?」

 俺は頷く。いつでも使ってくれ、と頼んでおいたのだ。初めは遠慮がちだった村人も、俺が使えると気付いたのだろうか。

 とにかく、ただ世話になるだけというのは非常に後ろめたいから、助かる。

「日曜大工が得意で料理も出来て、格好いいなんて。おばさん、お嫁に欲しいわ」

 どうやら俺は、おばさんの好みだったらしい。

「それを言うならお嫁に行きたい、じゃないんですか?」

 ベルまで調子に乗って、俺をからかいに入る。俺はため息を吐いてトンカチを片手に修理を始める。地面を見れば雪も溶けてきて、蕾が覗いていた。

 ふと振り返ると、ベルの周りにはやはり、人が集まってきていた。彼女はこの村の太陽のような人だった。

 自分から周りを照らしてしまう清々しいまでの笑顔。

「ゼシカくんっ、ちょっと来て!」

 ベルの手招きに、人集りへ近付くと、彼らは俺に物を差し出してきた。


 食べ物は勿論、服から靴。


「手入れしといたからよ、今度俺がみっちり銃について教えちゃる」

 磨かれた二丁の拳銃。


「額の傷、隠したいだろ? 息子が沢山持ってたからな」

 幅の広いヘアバンド。


 彼らを見れば、にこーっと、笑みを浮かべる。優しさが、不安だった。

「ゼシカくん。私に着いてきて」

 ベルは自然と俺の手を取り、歩き出す。村人たちは冷やかしてくるが、彼女は気にする様子もなく。


 俺の傷はもう、治っていた。


××××××


 連れてこられたのは、花畑だった。

「この辺りはね、雪が溶け始めた頃に咲き始めるのよ」

 隅にあるベンチに俺を座らせ、ベルは空を見上げた。

「ゼシカくん、言ってたよね。会わなきゃいけない人がいるって」

 アリスティの事だ。

 一度、前の暮らしについて教えたことがあった。

 俺を見下ろしたベルは、どこか寂しげだった。太陽に雲がかかったようだ。

「きっと、辛いことがあったんだよね」

「……」

 風が、彼女の髪を揺らす。太陽が本当に陰り、ベルの瞳が黒に戻った。

「それでも、自分を疎かにしないで。今は、今だけでも自分を大切にして。自分を愛することを忘れないで」

 ベンチで、一人分空けて、隣にベルが座った。いつも隣にいたのに、どうしたというのか。

「あなたの隣に私は相応しくないもの。もう、あなたには分かっているでしょ?」

 ベルはスカートの上で手を握りしめながら微笑んだ。

(どうして、辛そうなんだ)

 ベルはいつも明るい、みんなの太陽だと言うのに。つまりベルが辛ければ、みんなも自然に暗くなる。

「あなたは、どうしたいの?」

 このまま、流される訳にはいかない。アリスティを探さなければならない。しかし俺には、力がない。

「私はここにいても良い、と言っておきます。でも、会いたい人がいるのよね? だから私は止めない」

 優しく微笑んだベルに、励まされていたのだと、今、気づいた。

 その日俺は、アスパティ市学園に行く、とマコラ家の三人に告げた。


××××××


 空気が不味く澱んでいる。黒い煙を吐く路面列車で通り過ぎる人のほとんどが、ゴーグルを付け、口から鼻までを布で覆い、マントを羽織りフードを被っている。

 ゴーグルは、こまめに拭かないと暫くして、小さな塵で見えにくくなった。

「ここが、ロテリア王国の首都……」

 首都、レーメブルク。

 とは言っても、私はシャルルの首都も知らないけれど。

「ここからは歩く」

 私は、ヘンリーと名乗った赤髪の青年に連れられて、ロテリアに来た。いわゆる、捕虜というやつだろうか。

 ゼシカに会いたい。

 あの後、後ろから物凄い音が響いてきて、凄く不安になった。

 結局、彼には会えなかった。

「王城だ」

 きっと、美しい城だったのだろう。白い壁は黒く霞み、庭も木の半分が、伐られていた。

 だが、中に入ると私は思わず固まってしまった。マントを脱ぎ、ゴーグルを外す。開けた視界に映り込んだのは、洗練された、内装だった。

「ついて来い。ロイゼンが待っている」

 外よりはマシだとは言え、室温調節器が無いのか、城の中も肌寒い。入り組んでいて何処にいるのかも分からないが、上っているのは分かった。

 やがて、ヘンリーはあるドアの前で止まった。


『入りなよ、ヘンリー』


 ノックも聞かずに部屋の中から声がする。なんか凄い人なのだろうか。

 部屋に入ると、ソファーに寝転んでいる青年。顔は帽子で見えない。だが、あまり凄い人には見えなかった。お腹の上には、白い雲みたいな綿の塊が乗っていた。

「おかえり。上手くやってくれたようで、助かったよ。細かい話はもう聞いた」

「アサラベルの娘だ」

「君が、ね」

 帽子を白い綿に乗せ、彼は立ち上がる。すると白い綿はぴょんぴょんと跳ねながら近付いてきた。よく見ると、羊みたいだ。手と足はないけど、可愛い。

「この子は綿花。初めまして、アリスティ嬢。僕はロイゼン・ウィンドミルと申します」

 あまりに優雅な物腰に、呆然としてしまう。近くで見たロイゼンは、目つきが鋭い事を除けば、それなりな容貌だ。

 あくまで、それなり。

 これは、ゼシカと比べて私の好みでは無いと言う意味だ。

「こいつは、前の王家の生き残りだ」

「え……?」

「というか、僕が潰したんだけどね」

 と言うことは、三日革命の首謀者の一人なのか。

 父様に話は聞いていた。しかし、どこか遠い異国の話だと思っていた。すぐ近くが、ロテリアだと言うのに。


「突然だが、君には二つの道がある」


 ロイゼンは、私の顔の前に指を二本立てて、突き出した。そうだった。私が何故連れてこられたのか、理由をまだ聞いていなかった。

「一つ目の道は、ここで僕らの仲間として共に戦う道。もう二つ目の道は、捕虜として牢屋で生かされるだけの道」

 シャルルを裏切った反逆者として生きるか、シャルル人の捕虜としてロテリアの牢屋で生きるか。

「……私に得なんて、無いじゃん」

「いや、ある。共に来れば、白き森の奴らと共にあることも可能になるだろう」

「父様は、シャルルを裏切ったの?」

 しかし、父様らしかった。

 一族の体面より、一族の命を選んだんだ。例え、シャルルと敵対するとしても、父様は一族を守った。

 きっと、そうだ。

「分かった。アリスティ・アサラベルは、一族の意志に従う」

 でもきっと、一族の中にゼシカはいないんだ。ゼシカは、きっと、エミルのいる、あの学園に向かうはずだ。

 その後は、約束通りに、私を探しに来てくれるだろうか。

 ゼシカは、私に会いたいと、思ってくれるだろうか。


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