18.蜂蜜色の村
目の前に、赤い液体が飛び散った。これは、誰の血なのだろうか。
白い雪に点々と、鮮やかに花を咲かせている。
「メリ……ア……の……?」
殺された。誰が殺したんだ。
赤い液体が彼女を染めた。虚ろな左目と、血の溢れ出す右目。
奴だ。血の如き髪を持つあの男に、みんな、殺される。
ロテリアの、所為で。
アリスティが、殺される。
××××××
飛び起きると、体、特に頭に痛みが走った。思わず額に手を当て、微かにうめき声を上げる。包帯が巻き付いていた。息苦しいと思えば、首にも。
暫くして顔を上げ、息を飲んだ。
「……」
ここは何処だ。
広い部屋ではなかった。今俺がいるベッドと、机と椅子、棚には、本や小物が置いてある。木の床だ。
窓まで歩いていき、開けると、ふんわりと甘い香りのする風が吹き込んできた。
(村、なのか? でも、何処の……)
呟いても、声にはならない。それでも口が動いてしまう。
綺麗な所だった。可愛らしい、と言ってもいいだろう。近くには川が流れ、川向こうに点々と見える建物は、蜂蜜色。レンガ造りのようで、暖かみがある。
「あ、目を覚ましたのね」
振り返ると、茶色い髪の少女が立っていた。癖毛なのか、毛先がくるくると丸かっている。
彼女に近付こうとして、力が抜けた。
(え? ……え?)
「だ、大丈夫っ!?」
へたり込んだ俺に駆け寄り、顔に手を当てられる。
冷たい。
「まだ熱があるわね。ベッドで休んだ方がいいわ」
そうか、熱が。
だからこんなに熱いのか。
少女は俺の体に手を添えるようにして、支えてくれる。ベッドに座ると、ちょっと待って、と言われる。言うとおりにしていると、彼女の手が額に伸びて、包帯だ、と思った物を取られる。
「うん。化膿もしてない。後は残ってしまうわね……」
傷があるらしい。
額に、何かぶつけたのだろうか。白い包帯には、微かに血が滲んでいた。ほとんど止まっていると考えていいだろう。
(白……に、赤い……)
赤い、赤に染まった。
そして、赤髪が振り返った。
俺は立ち上がり、ふらつく体を無視して出口を目指す。
「ちょっと、ゼシカくんっ」
何をしていたんだ、俺は。あの出来事を一瞬だとは言え忘れたなんて。
ドアを開けると、そこは明るい世界だった。あの薄暗い森とは違って、包み込むような優しさに溢れていた。
慰められると泣きたくなるように、かえって惨めな気持ちにさせられた。
逆に笑いがこみ上げてくる。
「……大丈夫?」
俺は素直に頷いておく。
(あれ? 片目が緑だ)
しかし、それを問う力が今の俺には無いのだ。自分の口を指差し、彼女に視線を向けてもらう。
(ありがとう)
伝わったのか、微かに微笑んでくれた。
××××××
茶髪の少女は、ベル・マコラと言った。ここはソズの村で、白き森から一番近いらしい。近いと言っても、白き森の周りには村や町は無いから、それなりに離れているらしいが、俺にはよく分からなかった。
「うん、熱も下がったみたい」
ベルは、どうやら俺の看病をしてくれていたらしい。今は傍らで、リンゴを剥いていた。
『入るわね』
その時、女性の声がした。
入ってきたその人は、ベルと同じように茶色い髪で、毛先が丸かっていた。
「リル・マコラです。初めまして」
反射的に名乗ろうとして、声が出ないことを思い出す。
「もうすぐあの人も帰ってくるわ」
俺の予想では、ベルは一人娘で、リルさんが母親、あの人と言うのが父親なのだろう。
ランタンに火を灯している。魔道具は無いのだろうか。そういえば、昼間、遠くに見た人たちも、全てを手作業で農作業をしているようだった。
暫くすると、
『ただいま』
確かに誰かが帰ってきた。声からして男。予想通りだろう。
彼も部屋に入ってきた。
「誰もいないと思ったら。起きたんだな、ゼシカ」
彼を見て、俺は目を見張った。
緑がかった髪、暗い緑の瞳。誰がどう見ても、彼はハーフエルフだった。
俺が驚いているのに気づいたらしく、その男は苦笑した。
「デリア・マコラ。ご察しの通り、俺はハーフエルフだ」
「私はクウォーターなの」
だから、彼女の目が緑に見えたのか。普段は暗い緑だが、光に当たると、瞳が光って、綺麗な緑に見える。
「俺たちはアレクセイ様に頼まれて、お前の面倒を見ていた。彼はしょっちゅうソズに遊びに来ていたからな。仲も良かったんだ」
それだけで、見ず知らずの俺を匿うなんて、人が良すぎる。苦労するタイプだろう、きっと。
「では、私は夕飯のじゅんびをしてくるわね」
「じゃあ私も手伝うね」
「ありがとう、ベル」
ベルは剥き終わったリンゴを、ベッドの上に置くと、部屋を出ていった。空腹感はあるが、何となく気が引けて、手を出せない。
「食ったらどうだ」
丁度、お腹が鳴った。
「正直な腹をしているようだな」
(……うるさい)
顔に熱が集まる。平気な振りをしていたから、余計に。
俺は、綺麗に剥かれたリンゴを口に入れた。酸味が強めだ。美味しいが、甘い方が好きだったりする。
「ここのリンゴは酸っぱいだろ? だからみんな、ジャムやパイにしちまうんだ」
デリアさんは、皿からリンゴを取り、口に放り込んで、酸っぱそうに顔をしかめた。俺は食べられてしまう前に、もう一つ取った。
「一体、白き森で何があったんだ?」
暫く、リンゴを食べていたが、話しかけられて、顔を上げた。
俺と同じ、ハーフエルフ。きっと、白き森に住んでいたのだろう。故郷が心配というわけだ。
「……」
「あ、悪い。紙と、ペンな」
立ち上がったデリアさんは、棚からメモ用紙とペンを持ってきた。
何を書けばいいだろうか。
『一、ロテリアの軍人
二、リューリクと手を組む
三、アリスティが追われる
四、戦う 』
こんな感じだろうか。
「どうだ、と言われてもなぁ」
言ってはいない。
しかし、デリアは紙を見ている。細かいことも追加で書き足していき、紙が文字だらけになった頃、デリアは聞いてきた。
「白き森は、ロテリア側に付いたのか」
恐らく、そうなのだろう。逆に、付かないことを選んだのなら、彼らは捕らわれたか、殺されている。
俺は静かに頷いた。
デリアは一言、そうか、と呟いただけだった。
ランタンの炎が揺れる。
まるで隙間風が吹いているかのような寒さに、俺は震えないよう、身を固くした。
××××××
マコラ家の三人は優しかった。
彼女たちだけではない。村の人たちも優しかった。俺が話せない為に、コミュニケーションが取りづらくても嫌な顔ひとつせず、手帳をくれる程だ。
居心地が良かった。
白き森よりずっと、気が楽で、暖かくて、何か、物足りなかった。
「ゼシカくん」
ベルと村を歩いていれば、また話し掛けられる。パン造りの上手なおばさんだ。
「柵が壊れちゃったもんだから、手伝ってくれない?」
俺は頷く。いつでも使ってくれ、と頼んでおいたのだ。初めは遠慮がちだった村人も、俺が使えると気付いたのだろうか。
とにかく、ただ世話になるだけというのは非常に後ろめたいから、助かる。
「日曜大工が得意で料理も出来て、格好いいなんて。おばさん、お嫁に欲しいわ」
どうやら俺は、おばさんの好みだったらしい。
「それを言うならお嫁に行きたい、じゃないんですか?」
ベルまで調子に乗って、俺をからかいに入る。俺はため息を吐いてトンカチを片手に修理を始める。地面を見れば雪も溶けてきて、蕾が覗いていた。
ふと振り返ると、ベルの周りにはやはり、人が集まってきていた。彼女はこの村の太陽のような人だった。
自分から周りを照らしてしまう清々しいまでの笑顔。
「ゼシカくんっ、ちょっと来て!」
ベルの手招きに、人集りへ近付くと、彼らは俺に物を差し出してきた。
食べ物は勿論、服から靴。
「手入れしといたからよ、今度俺がみっちり銃について教えちゃる」
磨かれた二丁の拳銃。
「額の傷、隠したいだろ? 息子が沢山持ってたからな」
幅の広いヘアバンド。
彼らを見れば、にこーっと、笑みを浮かべる。優しさが、不安だった。
「ゼシカくん。私に着いてきて」
ベルは自然と俺の手を取り、歩き出す。村人たちは冷やかしてくるが、彼女は気にする様子もなく。
俺の傷はもう、治っていた。
××××××
連れてこられたのは、花畑だった。
「この辺りはね、雪が溶け始めた頃に咲き始めるのよ」
隅にあるベンチに俺を座らせ、ベルは空を見上げた。
「ゼシカくん、言ってたよね。会わなきゃいけない人がいるって」
アリスティの事だ。
一度、前の暮らしについて教えたことがあった。
俺を見下ろしたベルは、どこか寂しげだった。太陽に雲がかかったようだ。
「きっと、辛いことがあったんだよね」
「……」
風が、彼女の髪を揺らす。太陽が本当に陰り、ベルの瞳が黒に戻った。
「それでも、自分を疎かにしないで。今は、今だけでも自分を大切にして。自分を愛することを忘れないで」
ベンチで、一人分空けて、隣にベルが座った。いつも隣にいたのに、どうしたというのか。
「あなたの隣に私は相応しくないもの。もう、あなたには分かっているでしょ?」
ベルはスカートの上で手を握りしめながら微笑んだ。
(どうして、辛そうなんだ)
ベルはいつも明るい、みんなの太陽だと言うのに。つまりベルが辛ければ、みんなも自然に暗くなる。
「あなたは、どうしたいの?」
このまま、流される訳にはいかない。アリスティを探さなければならない。しかし俺には、力がない。
「私はここにいても良い、と言っておきます。でも、会いたい人がいるのよね? だから私は止めない」
優しく微笑んだベルに、励まされていたのだと、今、気づいた。
その日俺は、アスパティ市学園に行く、とマコラ家の三人に告げた。
××××××
空気が不味く澱んでいる。黒い煙を吐く路面列車で通り過ぎる人のほとんどが、ゴーグルを付け、口から鼻までを布で覆い、マントを羽織りフードを被っている。
ゴーグルは、こまめに拭かないと暫くして、小さな塵で見えにくくなった。
「ここが、ロテリア王国の首都……」
首都、レーメブルク。
とは言っても、私はシャルルの首都も知らないけれど。
「ここからは歩く」
私は、ヘンリーと名乗った赤髪の青年に連れられて、ロテリアに来た。いわゆる、捕虜というやつだろうか。
ゼシカに会いたい。
あの後、後ろから物凄い音が響いてきて、凄く不安になった。
結局、彼には会えなかった。
「王城だ」
きっと、美しい城だったのだろう。白い壁は黒く霞み、庭も木の半分が、伐られていた。
だが、中に入ると私は思わず固まってしまった。マントを脱ぎ、ゴーグルを外す。開けた視界に映り込んだのは、洗練された、内装だった。
「ついて来い。ロイゼンが待っている」
外よりはマシだとは言え、室温調節器が無いのか、城の中も肌寒い。入り組んでいて何処にいるのかも分からないが、上っているのは分かった。
やがて、ヘンリーはあるドアの前で止まった。
『入りなよ、ヘンリー』
ノックも聞かずに部屋の中から声がする。なんか凄い人なのだろうか。
部屋に入ると、ソファーに寝転んでいる青年。顔は帽子で見えない。だが、あまり凄い人には見えなかった。お腹の上には、白い雲みたいな綿の塊が乗っていた。
「おかえり。上手くやってくれたようで、助かったよ。細かい話はもう聞いた」
「アサラベルの娘だ」
「君が、ね」
帽子を白い綿に乗せ、彼は立ち上がる。すると白い綿はぴょんぴょんと跳ねながら近付いてきた。よく見ると、羊みたいだ。手と足はないけど、可愛い。
「この子は綿花。初めまして、アリスティ嬢。僕はロイゼン・ウィンドミルと申します」
あまりに優雅な物腰に、呆然としてしまう。近くで見たロイゼンは、目つきが鋭い事を除けば、それなりな容貌だ。
あくまで、それなり。
これは、ゼシカと比べて私の好みでは無いと言う意味だ。
「こいつは、前の王家の生き残りだ」
「え……?」
「というか、僕が潰したんだけどね」
と言うことは、三日革命の首謀者の一人なのか。
父様に話は聞いていた。しかし、どこか遠い異国の話だと思っていた。すぐ近くが、ロテリアだと言うのに。
「突然だが、君には二つの道がある」
ロイゼンは、私の顔の前に指を二本立てて、突き出した。そうだった。私が何故連れてこられたのか、理由をまだ聞いていなかった。
「一つ目の道は、ここで僕らの仲間として共に戦う道。もう二つ目の道は、捕虜として牢屋で生かされるだけの道」
シャルルを裏切った反逆者として生きるか、シャルル人の捕虜としてロテリアの牢屋で生きるか。
「……私に得なんて、無いじゃん」
「いや、ある。共に来れば、白き森の奴らと共にあることも可能になるだろう」
「父様は、シャルルを裏切ったの?」
しかし、父様らしかった。
一族の体面より、一族の命を選んだんだ。例え、シャルルと敵対するとしても、父様は一族を守った。
きっと、そうだ。
「分かった。アリスティ・アサラベルは、一族の意志に従う」
でもきっと、一族の中にゼシカはいないんだ。ゼシカは、きっと、エミルのいる、あの学園に向かうはずだ。
その後は、約束通りに、私を探しに来てくれるだろうか。
ゼシカは、私に会いたいと、思ってくれるだろうか。




