17.別れ道
気を失った方が楽、という程の痛みも、体が麻痺してきたのか、感じなくなっていった。目を開くのも億劫で、このまま寝てしまいたい。
「あ、リク兄みっけ」
「……アレクセイか」
「あれ? ゼシカ死んだわけ?」
知った声が聞こえ、思わず目を開くが、視界が霞み、よく見えない。声を聞く限り、普段通りのアレクセイだ。メリアに会っていないのだろうか。最近、メリアを気にしていたみたいだから、あの事を、彼に言うべきだ。
視界が定まってきて、表情が見えるようになった。
「いや、死んではいない。声を封じただけだ」
「へぇ……、リク兄にしては、甘いね」
微かに上を向く。アレクセイと目があった。口角は上がり、笑みを浮かべているというのに、その瞳からは、怖いくらいに感情が消えていた。
「俺は甘くないよ」
何かが、光を反射した。
「りゅ、リューリク様っ!?」
瞬間、銀髪が正面から金髪にぶつかった。赤い液が勢い良く噴き出し、雨のように降り注ぐ。辺りを染めていく。
動揺した空気が一瞬で広がり、ざわめき出す。
しかし、彼はあくまで静かだった。
「リク兄は嫌いじゃなかったけど、メリアちゃんを殺そうとしたから」
知っていた。
彼は、メリアに会っていた。俺が伝えるまでもなく、分かっていて、ここにやって来たのだ。
アレクセイは俺の傍らにしゃがみ込み、俺に肩を貸して立ち上がる。一気に視界が上がり、前を向けば、呆然としたロテリアの兵士たちが、俺たちを見ている。
「……っ……」
何かを言いたいのに、やはり声は出なかった。パクパクとしているだけでは、まるで魚ではないか。
「ちっ……、ヘンリー、こいつら」
剣を抜いた兵士たちをヘンリーは止め、リューリクを担ぎ上げると、くすぶっていた火を完全に消した。
「こいつとの契約は解消だ。武器はしまえ。俺らロテリア王国が、ここを占拠したのに変わりない」
白き森は、ロテリア王国の手に落ちたのか。リューリクの体を傍らにいた兵士に押し付け、ヘンリーは迷わず歩き出す。
アリスティの逃げた方向へ。
「わ、……ゼシカ、暴れるなって」
駄目だ。奴を行かせるな。
何故だろう、胸がざわつく。奴を行かせたら、何か、取り返しのつかないことになりそうな予感がする。
一緒に、逃げるべきだったのか。
支えの失った俺は、再び地に落ちた。赤髪は振り返ると、冷めた目で、見下ろしてきた。その目を、視線で殺せたら、と思いながら睨み上げた。
「殺す理由はなくなった」
安心感なのか、不安感なのか。
何かが俺を包み込み、俺は闇に落ちていった。
××××××
その知らせは、エルフの戦士たちを集め終えた頃、やって来た。
「イヴァン様っ、リューリク様が……。それに、アレクセイ様も」
「な、リューリクがどうしたっ」
彼の指差す方を向けば、血塗れのアレクセイが兵士と歩いてきた。気絶したゼシカを背負っている。
そして、すぐ後ろをリューリクを担いだ兵士が続いていた。ロテリアの兵士たちは、背筋も凍るほどの殺意を、ゼシカに向けている。
「父さん」
その声は、予想以上に軽く聞こえた。
「何があった」
「色々と。兵士に聞いた方が早いかもね。それよりさ」
彼は、表情を引き締めると、俺の耳に顔を寄せて囁いた。
「俺とゼシカ、メリアは白き森と縁を切る。お世話に、なりました」
そう言って、アレクセイは淡く、笑みを浮かべた。
縁を切る。
運命は共にできない、と言う意味なのだろう。
俺たちがどの道を選んでも、その道では、歩めないということ。
「わかった」
「どうしたのですか?」
アレクセイは、一瞬顔を歪めたが、すぐにいつもの笑みを浮かべ、ソフィアを振り返った。彼の歩いた場所が、微かに赤く色付いていた。
「あ、母さん。ゼシカが酷く頭を打ち付けたみたいでね、ほら、血塗れでしょ? だから、俺が看病するよって」
「……」
ソフィアは目を瞬かせ、それから微笑む。どうやら彼女にはお見通しのようだ。
アレクセイにも伝わっていたらしく、小さくため息を吐き、屋敷の中へ入っていった。必要な支度をしたら、すぐに行くのだろう。三人で、どこまでも逃げていくのだろうか。
そして、もう一人の息子の問題だ。正直この事態は、彼が引き起こしたと見て間違いはないだろう。
「リューリク」
俺が呼んだからだろう。兵士はその場に息子の体を下ろした。喉と腹に、二撃。どちらもナイフだと分かる。
「彼が果物ナイフで、殺したんですよ。自分の兄を」
「……アレクセイが、か?」
しかし、去っていった息子に問うことは、出来ない。俺には、やるべき事が残っている。
ゼシカに殺意を向けていた兵士たちも、俺らと戦う意志は無いようだった。俺はすぐ、仲間たちに武器を下ろすように指示する。
「状況の提示を願いたい」
「現在、白き森に我が軍の一小隊が向かっている。抵抗はせず、ロテリアの指揮下に入ってもらいたい」
つまり、シャルルを裏切るか、皆殺しにされるか、だ。アレクセイの行動で想像はしていたが、どうするべきか。
「イヴァン様。我々は、まだ戦えますよ。肩の力を抜いて、落ち着いてください」
「すまない」
誰もが俺の決断を待っていた。
エルフを盾にしてきたが、生活を保障してくれたシャルルと、白き森に攻め込んできたが、共に戦おうと言うロテリア。
どちらを選んだとしても、戦うことには変わりない。
「アリスティは、どうなった」
「ヘンリーが探しに。恐らくロテリアに連れて行くはずだ」
ゼシカは、アリスティを先に逃がしたらしい。傷だらけだったのも、追って来た兵士たちを一人で相手にしたから、と言えば納得がいく。
だが、どうして確実に守り抜いてくれなかったんだ、と言う思いがあるのも確かだった。
「……」
ここで抵抗すれば、エルフ族も、アリスティもただでは済まされないだろう。
「白き森のエルフ族は、ロテリアに下る。一応異論は聞くが、分かって欲しい」
俺は、見ず知らずのシャルル人より、仲間たちをこそ、守りたいのだから。
××××××
屋敷に入ってまず、ゼシカの部屋に行くと、メリアちゃんが待っていた。彼女は大きめの袋を持っている。
「取り敢えず、着替えて下さい」
さっきまで血塗れだったが、今はさっぱりとしている。お風呂にでも入ったのだろうか。
いつものメイド服ではなくて、シンプルなワンピースだ。胸元には、小さな花がデザインされたペンダント。
それを、手のひらで包み込んだ。
「……それは?」
「アリスティ様がくれた、仲良しの証」
「証、ね」
不安だ、という気持ちが伝わってくる。何かに縋っていたいのだろう。
証、の様な物に。
何だか、妬ける。
「ゼシカはどうしよっか」
「時間がないので、着替えは諦めましょうか」
メリアちゃんは、赤く染まったゼシカを見て、真っ青になっていた。
当然だろう。好きだった人だ。簡単に想っていた事を忘れられないはずだ。
メリアちゃんに応急手当を頼み、俺は彼女が持ってきてあった服に着替える。
これも、貴族の豪華な服ではなかった。俺の部屋を漁りまくったらしい。白き森の外に遊びに行く時に着る服だから、探すのが大変だったはずだ。
「あ、アレクセイ様っ」
「ん?」
「ゼシカちゃんに魔術が使えないっ!」
見ると、治癒の魔法陣がゼシカに展開されずに魔力ばかりが零れ落ちていた。慌てて彼女をゼシカから引き剥がす。
「ちょっと、何すんのよっ」
「君、馬鹿? このままじゃ、メリアちゃんまで倒れるでしょ」
血は止まっているようだ。だから、もう少し我慢してもらおう。不服そうなメリアちゃんは、せめて、とゼシカの額に包帯を巻いた。
「ゼシカちゃん、頑張って」
「……行こう。彼なら、ゼシカを良くしてくれるはず」
取り敢えず、早くメリアちゃんとゼシカを離したい。どうせ、後一日か二日後にはお別れするわけだから、口には出さないけど。
それに、そんな事を言ったら、また蹴られる。
窓から外を見れば、父さんとロテリアの兵士が何やら話し込んでいた。
ゼシカを背負い上げ、荷物はメリアちゃんに持ってもらうと、父さんたちを東として、廊下の端の南側の窓を開けた。
空は、濁った青。
きっとすぐに暗くなるだろう。
「汝聞き、我が言霊に惑い狂うことを」
小さく風を生み、その上にメリアちゃんと飛び乗ると、ゆっくりと地面が近付いてきた。そしてそのまま、森の中に飛び込む。ある程度急いで屋敷を離れてから、少しペースを落とす。
向かうのは、ソズの村だ。一日あれば、着くはず。
「辛かったら早めにね」
「これくらい、平気です」
しかし、ふらついている。
当たり前だ。絶対的に貧血を起こしていて、その上彼女の片目は、完全に失明しているのだから。
「やっぱり、馬、盗んでくか」
「はあっ!? ……って、何にやついてるんですかっ」
「スリリングだからね」
もっと早く、傷付ける前に、彼女を連れて逃げれるだけの度胸と決断力が欲しかった。
「ま、最低限の安全さえあれば、何でも良いですよ」
メリアちゃんは、俺が人殺しだと、まだ知らない。
「ゼシカちゃんをソズの村に連れて行ったらどうするの、……ですか?」
「取り敢えず、北の方にいく。川を渡って、グレイスまでは行きたいかなぁ」
あそこなら、山も高く、ロテリアもなかなか攻めてこないだろう。しかもルートヴァルツ七都国の近くだ。
「ゼシカちゃんは、連れていけないのですか」
俺は頷く。正直、俺はメリアちゃんと自分だけで精一杯だ。
メリアちゃんは、それ以上は何も聞かなかった。




