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無音の魔術師  作者: 芹沢桐花
第一章 白き森
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2.お嬢様の勧誘

 屋敷の裏には井戸がある。ここの水はすこぶる冷たい。夏ならいざ知れず、冬の始めだ。

「……チッ、あの野郎が。腐ったにおいが取れないじゃないか」

 花瓶に花を飾れば見た目は美しいが、水のにおいは大変だ。茎やら何やらが腐敗し、どろどろになり、気持ち悪い。

 頭から洗い流していく。ズボンまでが濡れることを免れたのは、不幸中の幸いだろう。

 洗い終え、服を着たときだった。


「あの……ゼシカ、だっけ?」


 振り向くと、窓からの微かな光で金髪が淡く光る。

 そう言えば、メリアの奴がお嬢様が見当たらないとか言っていた。

「…………」

「……えーっ、と」

「見てましたか?」

「な、何を」

「見てましたよね、俺のこと」

 あからさまに動揺している。目が泳ぎっぱなしだ。どう見ても隠し事は苦手なタイプなのだろう。

「あー、えっと、メフィルス伯爵のこと、嫌いなの?」

 俺は思わず微笑んだ。話を逸らそうとしているのがバレバレ。しかも、その会話の内容で見ていたことが伝わってくるし。

 詰めが甘すぎる。馬鹿なのか。

「あの方のお陰で、俺はこの世に存在しています。ここに置いて下さるのも、有り難いことですし」

 なんて心のない言葉だろう。ただの音の羅列でしかない。

 流石のお嬢様でも、それには気付いたようで。

「本音は?」

「すぐさま直ちに、あの人でなしから立ち去りたい、です」

「それ、私に言っていいの?」

 聞いといて言うか。

 俺は、まだ湿った髪をタオルで乱暴に拭きながら彼女に近付いた。

「俺みたいな身分の者が、あなたみたいな高貴な方に本音を聞かれたら答えないわけにはいかないでしょう?」

 多分、今の俺は馬鹿にしたように笑っているだろう。

 お嬢様は一瞬、困った表情を浮かべた。これで彼女が口の軽い女だったら、今後困るのは俺だろうけれど。

「ともかく。腐ってもあの人は、俺の親です。俺に居場所も行き場もない限り、例え何をされても俺はここにいるしかないのですよ。アリスティ」

「な、……呼び捨てって……」

「怒りましたか? ならば、俺を牢に繋ぎますか? ここ以外なら、俺は喜んで行きますが」

 地獄から地獄へ行くのも悪くない。

 タオルを畳み、何故か彼女の言葉を待つ俺がいることに気付く。

「親子なのに、なんで息子に冷たいの」

 気分の悪くなることを無遠慮に聞いてくるな、このお嬢様は。いい加減、どこかへ消えてくれないかな。

 いや、見た目は良いし、静かにしているなら考えてもいいけど。

「……はぁ。俺が人間とのハーフだからですね、多分。それに今は親子ではありませんし」

「みんな、ハーフエルフに冷たい。同じ種族として嫌になるよ。……反吐がでる」

「お嬢様がそんな言葉を使って、良いんですか?」

 小さく呟かれた言葉に問うと、面食らったような顔で俺を見つめてきた。

「あ、……秘密だよ?」

 悪戯をした子供のような笑顔。本当に表情が変わりやすい人だ。

「気が向いたら黙ってます」

 話は終わりだ。もうそろそろ、一人を所望する。折角の気を抜ける時間だ。また地獄に戻るのだから、今だけは人と関わりたくない。


 だが、彼女は一歩も動かなかった。


「…………」

「何ですか、じろじろと。気持ち悪いですよ」

「酷い。……告白して、良い?」

「は?」

 困った時は笑って誤魔化している節があったが、目の前で浮かべているのは今までにない真剣な表情だった。

今から出てくるのが言葉ではなく武器ではないか、と感じてしまう程の。

 アリスティは息を吐くと、真っ直ぐな視線で俺を射抜いた。

「私、あなたが気に入った。私の所に来てみない? その、私には従者とかいなくて。兄様たちの……えっと、あの……」

 突然、ばつが悪そうに目を逸らす。そう言えば、彼女は兄たちの嫌がらせや虐めを受けているという噂があった。そんな所で働くとなれば、俺にも被害や、とばっちりを食う可能性もあるということだ。

 そして、それを分かっているから俺に判断は委ねられている。拒否権があるということだ。

「俺に見返りは?」

「三度の食事、衣服、部屋、好きなことをする時間。何よりここから離れられる」

 条件は上等だ。兄の件と考えても、利益の方が多いだろう。

「いいですね。でもあの人が俺を手放すとは思いません。支配欲の強い方ですし、俺、有能ですから」

 正直、今の台詞は半分嘘だ。

 きっと父は、俺がどこで野垂れ死んだとしても、気にもとめないはずだ。有能なのは否定しないが。

 さて、上手く行きそうにないと知って、この女は弱音を吐くだろうか。また笑って誤魔化すか、曖昧な言葉で逃げるのか。

 しかし、思慮に欠けていたのは俺の方だった。

「惚れた男は力尽くで奪うから」

 ただ力強い決意を秘めた言葉。意外にも、頑固なようだ。というか、従者が欲しかったんだよな。微妙に話がずれてきた気がするのは気のせいだろうか。

「へ、へぇ……気に入ってもらえて何よりです」

 俺をどうするつもりだ、この女。


××××××


 使用人の仲間たちは、アリスティに笑顔を向けている。俺は一歩引いて、その様子を眺めながら歩いていた。

「アリスティ様っ!」

「め、メリア……」

「探しました……って、え? ゼシカちゃん!?」

 面倒な人が来た。

 俺は目を逸らすと、止まらずに通り過ぎようとしたが、服を掴まれた。さて、どうやって賺してやろうか。

「……ゼシカちゃん、知らないって言ってたよね?」

「では、やはり知っていました」

「はぁ!?」

「嘘です。先程その辺で拾いました」

「んな、無責任なっ」

 無責任なら放置してるから。

「俺などに聞かずとも、アリスティ……様に聞けばよいのでは」

 危うく、呼び捨てにするところだった。しかしいつから名前で呼んでいたのか。きっかけは、冗談半分で呼び捨てたあの時だろうけれど。

「あれ? もしかしてメリアとゼシカって仲良しなの?」

 俺と俺の胸倉を掴んで揺さぶるメリアを見て笑うアリスティは、どこか寂しげで諦めの色を覗かせているようで、それを見たメリアも目を伏せた。

「あの、アリスティ様……」

「同年代で仲良しな子がいないから羨ましいなって、ちょっと思っただけだよ」

 メリアは違うというのか。二人はどうにも情けない顔で互いを見合っている。

「メリアとは仲良く出来ないのですか」

 問い掛けると、メリアの蹴りが飛んできた。腹に命中して空気が押し出され、一瞬終わるかと錯覚した。

「わわっ、ゼシカ大丈夫?」

「……この程度、何ともありません。それより、どうなんですか」

 俺としては、答えが重要なのではなかった。ただ、散々俺個人のことを聞いてきた仕返しをしてみただけだ。

 つまりこの時点ですでに満足だった。

 しかしメリアがそう捉えるはずもなく、拳を握り締め、構えの姿勢を取っている。アリスティが止めていなければ、避けるつもりはないから殴られているだろう。

 アリスティは、メリアから俺に視線を移すと、小さく微笑んだ。


「無理だよ」


 いつも、無邪気で脳天気な笑顔を浮かべている人だと思っていた。理由も事情も良く知らない俺が口出しすべきでは無かったのだ。

 こんなアリスティは見たくない、なんて思う自分がいた。

「俺、あなたの従者になりますので」

 俺は話を逸らした。もうあの話は終わった事にしよう。

「いいの?」

「俺に無益になる話でもないですし。というか、既にその気でしたよね」

「アリスティ様、やはりこんな男のどこが良いんですか?」

 指を差すな。

 メリアの言葉に少し首を傾げていたアリスティは、納得といった顔で頷いた。

「猫事件の時の、素と仕事中のギャップが良くて。それにメリアが良い奴っ……」

「うわあぁぁあっ! それは禁句ですからっ」

「俺も買われたものですね」

 俺の本音は俺の中に。

 どう見ても二人は仲良しだ。それならば敢えて指摘する必要はない。


××××××


 俺は母が亡くなった年から、この屋敷で使用人として働き続けてきた。

 ハーフエルフは戦時には兵士として前衛部隊に入るのが一般的だが、それは人間の血を持った体がエルフのものより、丈夫だからと言う理由がある。

 実際、使用人仲間と並ぶと俺が一番体格がいいだろう。周りが華奢だ、とも言えるが。

 エルフは普段から狩りをするが、弓などを好んで使い、剣などは握らないために華奢でも構わないらしい。また、魔術師も多いく、シャルル帝国の上級魔術師はエルフの血が混ざっていることが多いと聞く。

 ともかく、俺のようなハーフエルフは前衛で捨て駒という認識が、純血のエルフたちに強く根付いている。


「私はゼシカを従者にしたい」


 はずだった。

 メリアなどもそうだが、何故か俺を差別視しない。

 それが異様に不快だ。

「族長の娘ともあろうお方が従者にするような物では御座いませんよ、これは」

 父は、あくまで笑顔のままだ。俺を見ることはない。

 彼の言葉は暗に、お前は屑だ、と言っている。

 しかし、アリスティは言い放った。人見知りのはずの彼女がだ。


「ぜっ……ゼシカは道具じゃないっ!」


 本当に止めてくれ。そんな事を言っても否定される分だけ惨めになる。

 微かな期待も、俺には毒でしかない。


「ゼシカは良い男なのっ」


「……」

 思考停止。

 何の話をしているのか、分からなくなってきた。隣を見れば、苦笑しながらため息を付くメリアがいた。

「ゼシカちゃんのギャップに見事はまったみたいね」

「……嬉しくないです」

 出会ったばかりだし、アリスティの事だって分からない。

「褒めてません」

 俺たちは視線を、アリスティと父に戻した。アリスティは集まってしまった視線にあたふたしている。

 仕方がない。

「僭越ながら申し上げると、俺がこの屋敷にあろうと無かろうと、誰にも害は及ぼしません。それでもお嬢様の小さな望みを叶えて差し上げないのですか」

 いつもは出しゃばらないのに。

 彼女を射抜いていた視線は、代わって俺を貫いた。

「……要らなくなれば、そちらで処遇は決めていただいて結構です」

「じゃあ……」

「ゼシカは差し上げます」

 アリスティは、今にも飛び跳ねそうな笑顔を浮かべた。どうしてそんなに嬉しそうなのか、まるで分からない。

 その時、イヴァン様が父の部屋に入ってきた。

「アリスティ、帰るぞ……って、何? 皆で大集合して」

 多くの使用人たちが騒ぎを聞きつけ、集まっていた。

 きょとんとしたイヴァン様は、アリスティと父の様子を見比べて呟く。

「喧嘩中だったのか? ゼシカ、邪魔したかなぁ」

「あ、いえ……そうではなく……」

「ん?」

「……俺のことで」

「ゼシカのことで?」

 オウムかよ。

 どう言うべきか悩み、背筋に冷や汗が流れていくのを感じた。

「少し……」

「少し?」

 少しの内容は聞かないで欲しい。新種の嫌がらせですか。

 流石は親子。アリスティと似ている。

 俺は視線を逸らすと、頭をフル回転させる。自分の事を貶して言うのなら楽なのだが、イヴァン様は良い顔をしないだろうから。

「では、私が説明いたします。簡潔に申せば、二人はゼシカを取り合っていたのですよ」

「ゼシカを、ね……」

 どうして誤解を招く言い方をするんだ。メリアは黙ればいいのに。

 イヴァン様は顎に手を当て、吟味するように俺の頭から爪先までを眺める。彼だけでなく皆が俺を見つめていた。

 逃げたい。むしろ殴ってくれた方が楽なのに。

 しばらくの後、彼は満足げに頷くと、父と向き合う。

「で、くれるのか?」

「えぇ。自由にお使い下さい」

「良かったな、アリスティ」

「え? あ、はい」

 イヴァン様は、正直に言えばかなり変わっている。楽天的に物事を捉えるのが得意らしい。全くもって、俺とは別の種類の生き物だ。

 アリスティは俺の前に来ると、はにかんだ。

「ゼシカ」

「何ですか」

「えへへ」

「……」

 すこぶる心配になってきた。

 こんな所で道具として使い捨てられるのは御免だから、良かったとも言えるが、流される気楽さを知った俺は、既に救えないくらい腐っているのではないだろうか。

 父を見ると、俺を見ていたらしく目があったが逸らされた。

 オリガとの約束、守れなくなるな。

 ともかく、俺の変化のない毎日は、突然に現れた少女にぶち壊された。しかし、その破壊音は、今まで聞いたどの音よりも小気味良く、俺の中に響いた。


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