15.逃走
屋敷内を走っていると、アリスティを見つけた。呆然と一点を見つめていた彼女は、俺を見ても動かない。
その表情は固い。
「ゼシカ……」
「とりあえず逃げましょう」
彼女に近付くと、爪先に何かが当たった。見下ろすと、無造作に投げ捨てられたかのような弓と矢があった。行商人から買った物だ。
真っ青なアリスティを見て、自分まで血の気が引いていく。
慌てて彼女が見ていた方向を向くと、男が二人倒れていた。両方が手に武器を持っていたのが見て取れる。気絶しているのか、矢が刺さっているが息はしていた。
「わ、……私……人、を……」
「アリスティ、逃げますよ」
彼女を狙ってきたと言うことはつまり、すぐに次の敵が来る。今、ここに俺とアリスティしかいないのが不思議な位だ。
「私はっ……」
いつもなら、困ったように笑うはず。しかし、声を震わせ、足に根が生えてるかのようにビクともしない姿に、無償に腹が立ってきた。
誰の為に逃げようとしてるのか、理解して欲しい。
「アリスティっ、いい加減にしろっ!」
「……っ!」
動こうとしない彼女の手首を捻り上げ、怒鳴りつけた後で、後悔した。
人を射たんだ。動揺するのは当たり前だ。その上急かして脅したのでは、本末転倒ではないか。
メリアの事で気が立っていたが、彼女を言い訳にはしたくない。
「ごめん……なさいっ……私が、悪いんだっ……」
身を竦ませ、固くなったアリスティの体をそっと抱き寄せる。早く逃げたいが、このままでは逃げられるものも、逃げられない。背中に回した手のひらで、出来るだけ優しく、子供を宥めるかのように叩く。
「すみません。あなたは悪くない。自分を守ってくれて、良かった」
作り笑いを浮かべる余裕も無い女の子に辛く当たるなんて、酷い奴だな。
そう心の中で自分を罵倒しつつ、彼女の手を引いて歩き出す。
「殺されるかと、思った……」
「大丈夫です。俺がいますから」
俺は、守るつもりなのか。
自分よりも他人を優先出来るのか。
「私は大丈夫。もう、大丈夫だから」
仕事だから。そう割り切っていないと、何かが怖い。
「だから私の為に、無理しないで」
心の奥底で、見捨てないで、と何かが泣いた。
××××××
今日が吹雪でなくて良かった、と思う反面、吹雪なら見つかりにくかっただろうに、とも思う。
「ゼシカは、上手くアリスティを連れ出したようだな」
「えぇ、そうですね」
俺は、彼らが逃げ去った森の方を一瞥し、再び前を向く。屋敷内で足音が響く。外で待ち伏せている俺は、傍らの妻に笑いかける。
「お前は逃げないのか」
「どうしてですか?」
きょとんとした顔で首を傾げられると、緊迫感が薄れる。まぁ、そこがソフィアの良いところでもあるのだが。
武器である弓を構える。
「危ないぞ」
「大丈夫ですよ。信頼してますから」
「……責任重大だな」
思わず苦笑で顔がひきつった。いざと成れば自らの身を守る術が彼女にはあるが、やはり守りたいと思うのが男心か。
「こっちに逃げたぞっ」
窓から這いだしてくる人間共を射抜いた。次々と地面に落ちていく。
「ぐわぁああっ! か、痒いぃっ」
「当たり前だ。そういう毒だからな」
それでも立ち上がる者は足を射抜く。狩りをやれば、まず外さない程の実力は有るつもりだ。
「くそっ……」
「死にたくなければ転がっていろ」
屈強な兵士共が、痒みで転がる様子はかなり滑稽だ。
何人転がった頃だろうか。
二階の窓から勢い良く飛び出す人影を見つけた。
「……っ!」
慌てて矢を放つが、槍で弾かれた。まさか二階から出る奴がいる訳無いと思い込んでいた俺の失態だ。
「逃げた二人も終わりだな」
「何?」
未だに痒そうに、そして痛そうに体を掻いたり抑えたりしながら、一人の兵士が笑みを浮かべた。
「ヘンリーが行けば、あっという間に追いつかれる」
「そのヘンリーとは何者だ」
焦りのようなものが吹き出してくる。ゼシカは使用人だ。戦う術を学んだことなど無い筈だ。あって精々護身術位だろう。
俺の動揺を読んだかのように、兵士は早口に捲し立てる。
「ヘンリー・タウフェニスだよ。シャルル人なら知らないはずがないだろ? 裏切り騎士の一族だ」
タウフェニス家。シャルル帝国の伯爵家、代々当主が騎士団長を務めていたが、二年前、突然ロテリア王国側に寝返ったと聞いている。
シャルルとロテリアは、停戦、休戦中でも、互いを敵国と見做していた。騎士団が一時期起動しなくなり、軍内が荒れたという噂も届いていた。
「あれは次男だよ。現在タウフェニス家で最強だとか言われている。少し冷めているのが玉に瑕だけどなぁ」
ここで敵の足止めをせずに共に行くべきだったのだろうか。
「リューリクは何をしているんだ」
賢い奴と思っていたのに。何かをしていると気付いた時点で止めるべきだった。
メリアとあの赤髪が楽しそうに話しているのを見て、警戒が薄れたのは事実。
だが、アサラベル家の当主として、多大な失態、罪だ。
「あなた、あれ」
「ん?」
言われた通り、兵士が出て来なくなった窓の中を見る。赤く染まった息子がこちらを見ていた。
「セイくんではありませんか?」
「アレクセイ、何があったんだっ!?」
しかし、彼は微かに笑って歩き去っていった。
「まさか、アレクセイまで」
考えられることだ。彼とリューリクはほぼ常に一緒にいた。結託している可能性だってある。
子供を疑うことしかできないなんて、アサラベル家当主以前に、父親として失格だろう。
「アレクセイは、さっきまでお前といたんだろう?」
「はい」
「なら、信じよう」
これが、これ以上誰かを疑いたくないという、己の利己的な感情だということを、ソフィアには隠した。
××××××
覚悟を決めたと言っても、この状況は最悪としか言いようがない。続く雪の道の所為で、足跡が残ってしまっている。
時々追い付いてきた兵士には、魔術をぶち込み近寄らせないようにするが、それでも飛んでくる弾丸に、少なからず傷を負わされていた。
このままでは、追いつかれるのも時間の問題だ。追っ手の足が途絶えた所を見計らって、俺は前を走らせているアリスティを呼ぶ。
「少し、良いですか」
「え?」
彼女が唐突に振り返り、立ち止まる。ぶつかりそうになり、慌てて両足に力を込めた。確かに呼んだが、呼び止めたつもりは無かった。止まっている場合では無いというのに。
普段なら彼女のこの行動に辟易していただろうが、生憎、今の俺に余裕はない。
「先に行って下さい」
「え、でも、ゼシカは?」
「ここで粗方止めておきます」
アリスティは、俺の袖を掴んで、引っ張った。
「それじゃ、ゼシカが危ないでしょっ」
危ない所ではない。下手したら、この世から、おさらばだ。
俺はため息を吐ききると、袖を引く彼女の手を、掴んで剥がした。
「面倒くさい。必ず迎えに行きますから、先に行って下さい」
「……嫌、だよ。私だって戦える」
だとしても、逃げて欲しかった。
俺は、独りになりたかったのだろうか。それとも、目の前で失うのが嫌なだけなのだろうか。
「エミル様に、会わなければいけません。俺か、アリスティが。同じように逃げれば、会えない可能性が上がります」
「でも」
もう、時間が無い。
俺はアリスティの頬を両手で包み込み、額に額をくっつけた。
思い出したかのように、彼女の顔が熱くなっていく。
「命を狙われているのは、あなただけです。俺は、あなたに死んで欲しくない」
「……っ……ゼシカも、死なないで」
アリスティは、俺から逃げるように身を引くと、また走り出した。
白い光が降ってくる。いつの間にか黒い雲が、空を隠していた。もう、雪が溶けるばかりだと思っていたのに。この雪が、彼女の足跡を消してくれたら良いと思う。
空を見上げ、何となく、出会った日を思い出していた。




