9.ファーストキス
西大陸のノートルロドフ人に土地を奪われて、約七百年が経とうとしている。
ノートルロドフ人の子孫はシャルル帝国を建て、魔術産業により国を発展させていった。いつまた攻め込まれるかと恐れた国王は、急激に機械産業を発達させ対抗しようと考えた。
しかし、事を性急に運びすぎた。
煤煙、汚水により土地は穢れ、多くの人々は、病に苦しめられた。国外に向いていた恨みは対象を、国内、王家へと変えていった。
やがて暴動が起こったのが、一日前。煽り流されるように、各地でも民が武器を取った。
“革命だ”と。
「……で、王家の貴様を信じろと?」
「そう。ま、少し待ってよね。直ぐに分かるからさ」
「何が」
「僕が君の右腕に相応しいって事を、さ」
××××××
外を眺めると、やはり広がっているのは白だった。雪に囲まれた屋敷は、外界から見放されたようにも見える。
春はまだまだ先だろう。
俺は、毎日を彼女たちと過ごしていた。最初ほどの倦怠感もなく、実は楽しんでいるのでは、と自らを疑い始めていた。
今日もまた日が沈み、そろそろ夕食の時間だ。
しかし、アリスティが見つからない。
「お嬢様なら、その……」
「どうしましたか」
「あの、兄上様のところに……」
「え……」
俺は、侍女に頭を下げ、急ぎ足で廊下を歩いていく。彼らの部屋は、三階の西の端。アリスティの部屋は、四階の東側だから、正反対まで行かなくてはならない。
「関係ないのに」
何故、自分は急いでいるのか。
ドアの前まで来て、ノックをしようとして、俺は思わず手を引っ込めた。
中から声が聞こえたのだ。
盗み聞きはいけないと思いながらも、息を殺してドアを見つめた。
「……お前もどうせ、あの道具を好きにするのが目的だろう?」
××××××
「メリアはもう、私の侍女じゃない。なんで酷い事するのっ」
「何故かだって? そりゃあ、彼女はこの屋敷の道具だからな」
リューリクはいつも通り、理不尽極まりない。足を組み替えて、笑っている。
「…………」
アレクセイは心ここにあらずだ。何を考えているのか分からない。
ただ、苛立ってもいるようで、眉間にしわが寄っていた。
「生きているのに道具扱いしないでよ」
私はリューリクに向かって言ったのだが、アレクセイは一瞬きょとんとした顔を浮かべ、私を覗き見た。その後笑いながら私の頭をなでる。
「可愛い妹だなぁ。必死になってさ」
「やめて、そんなこと思ってない癖に」
「どうして君如きに俺の気持ちが分かるわけ? メリアちゃんなら分かってくれるけどね」
「……え?」
手首を捻り上げられる。しかし、正面から覗き込む瞳は以前とは違い、恐ろしいぐらいの煌めきが見えない。やはりまるで、心ここにあらずだ。
「メリアは女の子なんだよ? 見えるところに傷なんて付けて最低だと思わないわけっ!?」
仕方なしに私はリューリクに吠えた。
「思わないな。どうせ屋敷仕事で一生を終えるのだからな」
この屋敷で一番年長の侍女は独り身で、もう60歳になった。その事もあるため、反論のしようがない。
「俺は思うよ? リク兄。だって、メリアちゃんは可愛い顔だし、勿体無い」
アレクセイがいつもと何かが違った。実を言えば、私の手首を掴む手もあまり強くなかったりする。
「それにしても、あの使用人に何かされてたりしないか? この森一の権力者の娘に手を出したら首が飛ぶはずだから、追い出す口実にもなる」
「ゼシカはそんなことしてないっ!」
「まだ、じゃなくて? 男なんてそんな生き物だよ」
「そんな言い方は可哀想だぞ。まぁ、結局は……」
リューリクは、嫌らしく笑う。
「……お前もどうせ、あの道具を好きにするのが目的だろう?」
××××××
俺は、ノックもせずにドアを開ける。アリスティは驚いて俺を見ていた。
どくどくと、音を立てているのは心臓だろうか。それとも、傷口から血の流れ出る音か。
「聞いていたのか」
今の俺には、あなたが分からない。
少しずつ、アリスティとの距離が縮まって、不快感も消えていった。好感すら、抱き始めていたというのに。
不安定感が均衡を崩していく。
「あなたにとっても、俺は道具なんですか?」
都合良く、解釈しすぎではないか。
そんな心の声は、無視した。
「え? ちょっと待って……」
「失望しましたよ」
俺は彼女に何を期待していたのか。所詮、俺は彼女を信じていないんだ。きっと、好ましいと錯覚しただけで嫌いなんだ。
自分の中に生まれた、ドロドロとした感情が液体のように、体中に染み渡っていくのを感じた。
××××××
「アレクセイ。どうした」
「何が」
「いつもと様子が違うようだからな」
「んー、そうかな」
リク兄は鋭い。
俺はメリアちゃんを傷つけるのに、今更ながらに罪悪感を抱き始めていた。
そしてあろうことか、リク兄がメリアちゃんを傷つけるのが、吐き気がするほど腹が立つ。
「ねぇ、リク兄」
「なんだ」
その時、閉じられたドアが勢い良く開け放たれた。袖から覗く痣。頬に張り付けられたガーゼ。
酷い目にあったのは一目で分かる。
リク兄が、どんな事をしたかも想像に易い。
「アリスティ様を傷つけるのはやめて下さい。私で、充分でしょ」
震える拳を押さえつけ、メリアちゃんは俺たちを睨み付けた。
怖いくせに。強がりは、弱い証拠だ。
「続けても良い?」
「いいぞ」
無視をされたメリアちゃんに歩み寄る。投げられた疑惑の視線に、俺は笑みを返した。
「メリアちゃんを、俺にちょうだい」
「……は?」
二人は呆然と俺を見つめる。いつも強気な彼らのこの光景は見物だ。額縁をつけて晒してやりたい。
俺は、彼女の手を掴んだ。
「と言うわけでメリアちゃん、友達から始めませんか」
まるで火を噴き出すんじゃないかと言うくらいに赤い顔。
「お、おおお断りいたしますっ!」
手を振り払われて、逃げられる。手首を掴んでおくべきだったか。
「振られたな」
「その方が燃えるでしょ」
「アリスティはいいのか」
俺は答えなかった。
これでリク兄に対する牽制になっていれば成功だ。俺は笑みを浮かべて、リク兄を見た。
××××××
俺は、アリスティを部屋に連れ込むと、両方の二の腕辺りを掴む。
「いたっ」
「………………」
その体を壁に叩きつけた。
「……っ!?」
「あなたは俺に何をさせたいんですか」
鼻先が触れ合う程に顔を寄せる。アリスティは体を固くし、俺を押しのけようとした。
吐く息が熱い。
「何故、抵抗するのですか」
黒い感情が渦巻き、笑みが零れた。このまま全てを奪って傷付けたら、どんなに心地良いだろうか。
「俺が好きなんでしょう? だったら良いじゃないですか」
「っ、う……」
俺の指が彼女の腕に食い込む。感情が、外に閉め出されていた。まるで、木彫りの人形になった気分だ。余りに滑稽、余りに無様。
『お前は、道具だ』
父は、俺を愛してなどいなかった。
父は、俺なんか嫌いだった。
そんな事を呟いて、そんな俺自身に苛立って、自分を嫌いになっていった。俺には“誰か”なんて必要ない。
俺は、独りでいい。
そうやって、大切な何かを箱にしまって鍵をかけた。なのに、仕舞い込んだ箱をぶち壊そうとした。
それが、ずっと不安で。
「だって……」
その声に、俺の関心は目の前のアリスティに戻される。顔を赤い林檎のように染め、アリスティは俺を見つめた。
「ゼシカは、私なんかっ……!」
嫌いだから。
同じ言葉を他人から、聞きたくない。まるで、自分を見つめてしまうようで。
怖い。
「え……」
言葉を封じるために俺は、自分の唇で、彼女の唇を塞いた。
アリスティは驚いた拍子にあがってしまったらしい手で、俺の腕を掴む。柔らかな感触に、理性を失いそうになった。
「……ん」
俺は、なんでこんな事しているのだろう。凄く苦しい。彼女も同じ苦しみを味わうのなら嫌だなとか。嫌いな筈なのに。
俺はそこまで考えて慌てて身を引く。
「……どう、して」
「何が」
動揺がばれないように俺は心を変換する。あの言葉はアリスティのような恵まれた奴が使うようなものではないから、と。
アリスティみたいに愛されている人間が言って良い言葉ではなかったんだ。
そんな風に俺は、ぐるぐると頭の中で言い訳を並べ始めていた。
「……っ」
アリスティは、俺の頬に手を添えた。いっその事、貶して欲しい。最低だ、呆れた、と。
「どうして、泣きそうなの……?」
「そんな、こと……。アリスティこそ」
本当に泣きそうな顔。俺が、そうさせたんだ。だがアリスティは、その顔を一瞬で笑顔に変えてみせた。
「ありがと、……ごめんね」
「え?」
何故、優しい言葉を吐くんだ。それは、痛々しい笑顔だった。泣き顔の方がましだと思えるほどの。
アリスティはそのまま部屋を飛び出していく。そのとき落ちた一滴が、吸い込まれるように床に落ちた。
残された俺は、まるで燃えた後の灰のように、もの寂しく冷たくなっていた。
追いかけるべきだったのか。しかし、もう遅い。
「泣いていますね、きっと」
優しさなんて、俺には無いのかも知れない。だって、笑みが零れるんだ。
余りにも、自分が馬鹿馬鹿しいんだ。
××××××
夕食後も、アリスティと俺は顔も合わせずにいた。俺はそれでも、いつも通りに仕事を終わらせていく。些細なことなのだ。この世界から見ればこんな事は。
そうやって、廊下を歩いているときだった。
「ゼシカちゃんっ!」
「メリア、どうかしましたか」
「どうかしましたか、じゃないわっ」
どう見ても、本当の本当に怒っている。こんなメリアを見たのは初めてだった。そして顔にはガーゼが張り付いていた。隠しきれない腕の痣も、アリスティの兄達の嫌がらせが酷いと、物語っている。
俺は、小さく溜息を付くと、動揺と不安を心に押し込めて鍵をかける。
「忙しいので、手短にお願いします」
メリアは俺の目の前まで来ると、手のひらで俺の頬を叩いた。俺はされるがままになっていた。
「アリスティが、泣いていたわ」
「知っています」
「……最低」
メリアは、血が出そうなほどに唇を噛み締め、俺を見る。敵意しかないように見えた。
「ゼシカは自分を嫌っているのに、嬉しいと思ってしまう自分が恨めしい。ゼシカをここまで追いつめた自分が嫌いだ、って泣いているのよ?」
俺の事ばかりだ。薄々気づいていた。彼女は俺をしっかり俺として見てくれていると。
俺はそれを疑おうとして、綻びを必死に探していただけなんだ。
「謝りなさい。そして、責任をとりなさい。ゼシカちゃんは私が出会った中で、一番まともな男って、信じているから」
そして、俺の頭を撫でると笑った。
「相談は二人の姉さんに、ね?」
「ひとつ、良いですか」
「ん?」
「同じ年ですから、俺が兄です」
「い、良いじゃないっ。面倒見てるのは私なんだし」
「良くありません」
良くないのだ。彼女“達”を守るのは、面倒だが、俺の義務。
「女性が顔に傷を作ってどうするんですか。馬鹿ですか」
「……」
本当は、アリスティなんて目じゃない程に傷ついているくせに。
「……私は……ゼシカちゃんが、気にしてくれただけで……充分よ」
「そう言うもんですか?」
「そういう人がいるだけで、そう言うもんだよ」
いつもの不敵な笑顔。
なんでここの女性は強いんだか。




