後編
その後、ナディーンはアルムードという商人と結婚した。イスキアの都で織物を主に扱い、遣り手と噂のある新参の若者だった。
そんな男だけあって、ナディーンをただ側妻とするためだけに迎えたのではない。彼は彼が考案した新しい商売を始めるためにナディーンを選んだのだ。
王宮の有力者や裕福な商人たちは、夜ともなればお互いを招いて宴を催す。山のような料理にたっぷりの美酒、名うての踊り子に流行の歌姫、見目麗しい奴隷。それらを手ぬかりなく揃え、己の財力や教養を誇示したり、有形無形の賂を差し出して何某かの見返りを得たりするのだ。もちろん、いい気分にさせて、高価い品を売りつけることもある。
だがそんな手間も金もかかる宴を、行きずりの隊商や駆けだしの商人が準備するのは難しい。
そこでアルムードは自分の屋敷を改装して、そういった饗宴をできる場所として貸し出したのだ。そしてナディーンは、座興の目玉だった。
この商売は、なかなかうまくいった。イスキアの都には、幾つもの隊商が行き交っている。最初はアルムードの取引相手が主な客だったが、口伝えに話が広まり、そのうちイスキアの都の饗宴の館として知られるようになった。
ナディーンはこの商売に大きな役割を果たした。街道一の舞姫といっても、それだけではすぐにも飽きられる。踊りに奇術を組みこんだり、影絵と踊りを戯れさせてみたりと、目新しい趣向を次々と考案した。また、容姿や才能の優れた踊り子を集めて一座を成しもした。そのうち、楽士や語り部、軽業師などから、売り込みにくるようになり、ますます名は広まった。
そうして、3年が過ぎたころである。
アルムードの館の噂は、とうとうイスキアの都を治める国王サアダナフの耳に届き、王が客として饗宴を愉しみたいという報せがもたらされた。
もちろん快諾し、準備に奔走する日々が始まった。二人は財貨を惜しまなかった。床のモザイクを貼り替え、柱には細密な彫刻をほどこした。壁掛けも垂れ布も新しいものに取り替え、客人の主座には金箔を圧した。酌をする女奴隷や少年奴隷も、市場を回って見目良い者を選びぬいて買い足す念の入れようだった。
屋敷を美々しく整えるのがアルムードの役目なら、座興はナディーンの持ち分だ。踊りや奇術や軽業をどのように見せ、愉しませるか。衣装や筋立てはどうするか。短い期間に、最高の出来のものをつくらねばならなかった。
前日、アルムードとナディーンはすべての準備に目を通すために、出迎えから見送りまで予行演習をした。燈火の明るさ、くゆらせる薫、楽人の配置、奏でる音楽、料理を運ぶ女たちの動き、装身具の揺れかたまで。座興は本番通りに、火薬を使った仕掛けも、発条を使って水中から跳びだす軽業もすべて通しで行った。
アルムードは満足したようで、屋敷の者たちを労い、今夜はよく休んで明日に備えるよう伝えた。
しかし、ナディーンは納得のいかないものを感じていた。さすがに選び抜いた者たちが訓練を重ねただけあって、みな素晴らしい動きをみせている。けれども、新味に欠ける。強烈な印象を残す何かを感じないのだ。
ナディーンは鬱屈したものに唇を噛んでいたが、アルムードには言えなかった。アルムードは夫というよりも事業の相棒であり、そんな弱みを見せる気には毛頭なれなかった。
ナディーンはいてもたってもいられず、屋敷を抜け出した。
あたりはもうすっかり暗く、壁に架けられた炬火がぼんやりとした明るさで通りを照らしていた。男たちはその影で雑談に興じ、暗がりではその筋の女たちが艶っぽい視線を送っている。ときおり、あたりを省みないけたたましい笑い声があがり、路傍で串焼きを売る胴間声が響く。
ナディーンには、それらすべてがわずらわしく感じられた。イスキアの都、最初は人の多さと洗練された都会の匂いに戸惑ったこの街も、これだけの人間が居ながら、一人としてナディーンの悩みを打ち明けられる相手はいないのだ。
ナディーンは闇雲に歩き回った。できれば見知らぬ街にこのまま彷徨いこみたかったが、3年も暮らせば勝手知ったる道筋、どこもかしこも、見慣れた街かどだった。
「おおこれは、アルムード殿のところの舞姫ではあられぬか」
水煙管の靄がゆらぐ小路で、ナディーンを呼び止めるものがあった。ひょろりとした体躯、縦皺の刻まれた頬と鷲鼻が特徴的な、老年の男だ。たっぷりした長衣とターバンが、ゆったりとした風格を与えている。
「ジャファル卿、……御機嫌よう」
ナディーンはそれどころではなかったが、出来る限り優雅に腰をかがめた。男は、織物商の組合の長老だった。新参で若手のアルムードが頭角をあらわすにつれ、関係は微妙なものになっている。だからこそ礼を失するわけにはいかない。
ジャアファルはしたたかな商人らしく、本心などおくびにも出さない和やかな笑顔で、身振り手振りも加えて話しはじめた。
「国王のおもてなしの件、つつがなきかな?手伝えることがあれば何なりと言ってくだされよ」
肚の底では失態を望んでいるくせに、のうのうと言ってのけるふてぶてしさを鬱陶しく思いながら、ナディーンはしとやかに応じる。
「ありがとうございます。アルムードともども深く感謝申し上げますわ」
老人は好々爺の風情を崩さず、目元に笑みを湛えたまま言を継いだ。
「織物商の組合の一員として、まことに誉れこのうえない。お出迎えはどなたが出られるかお決まりかな、よろしければ私の妻を遣わしてもよいが」
ナディーンの眦がキッと上がった。踊り子風情が。そう侮られているのだ。
「ありがたいお申し出ですけれど、もう明日にせまっておりますから。お気づかい感謝いたします。失礼」
言い捨ててショールをひるがえした。背後から嘲笑が追ってくるようだ。早く姿を消したいと、ナディーンはわざと人混みにまぎれこんだ。
ナディーンは踊り子であることにも、だからこそアルムードの商売の成功に一役買えていることにも誇りを持っている。
絶対に成功して見返してやらなければならない!
その決意を強くして、雑踏をひたすら突き進んでいるうちに、どん、と肩が何かに当たった。
「イタッ、…」
ナディーンもバランスを崩したが、ぶつかった物も地面に落ちて転がり、ビィーン、と鳴った。大きな卵を半分に切った形の胴に、首のついた弦楽器。
「ご、ごめんなさい!」
ナディーンは反射的に謝った。わき目もふらずに歩いていたのは自分のほうだ。
「……ナディーン?」
聞き覚えのある、夜空に溶けるような柔らかな声音が耳朶を打った。
驚いて視線を上げる。全身を覆う、朽ち葉色の外套。旅人らしく陽射しに晒された浅黒い膚に穏やかなはしばみ色の瞳。
「サダルメリク!」
ナディーンは人目もはばからずに首筋に抱きついていた。ここ数年身長が伸びて、同じくらいの背丈になったナディーンを受け止めきれずに、サダルメリクは蹌踉ける。
「ナディーン、ナディーン、……、ちょっと、」
宥める口調に、ナディーンはハッとしてウードを拾う。
「ごめんなさい、壊れてない?」
地面に転がったウードは、少し砂をかぶっていたが、弦も切れておらず、表板に傷も入っていなかった。サダルメリクは砂を払い、弦を指ではじく。ウードの音は人々の背中に吸い込まれて消えた。
「大丈夫だよ、問題ない」
そう云って、再び背中に担ぐ。ナディーンは肩の力が抜けて、ホッと頬が緩んだ。
「よかった、……折れてたら、どうしようかと思った」
「もしかしたら、壊れてたほうがよかったかな?君に新しいウードを買いなおしてもらえて」
思わぬところで冗談を言われて、ナディーンは一瞬言葉に詰まり、吹きだす。
「もう、何言ってんの。そんな高いもの買えるわけない」
「そうかな、君はもう一介の踊り子じゃない。噂は耳に届いているよ。イスキアの都一豪奢な、アルムードの屋敷の奥方どの」
悪戯っぽい言い草に笑いが滲む。今のナディーンには、ウード一つ弁償するのは訳無いだろう。それでもこれは軽口の範囲内だ。
サダルメリクは懐かしそうに眸を細めた。
「久しぶりだね。本当に、見違えたよ。立派に、綺麗になったね、ナディーン」
阿諛追従は受けなれてしまったナディーンだったが、サダルメリクの称賛には面映ゆい思いがした。少し視線を彷徨わせて、礼を言う。
「ありがとう、でも、全部サダルメリクのおかげ。……そう!あの舞踊大会のとき、舞台の上から探したんだけどわからなくて、終わった後も探したけど、やっぱり見つからなかった。ほんとにいつも、すぐ行方をくらませるんだから」
「…人が多かったからね、でも、ちゃんと僕はナディーンの踊りを見たよ。とても素晴らしかった。……もう、見る機会が無いのは、残念だけれど」
最後に付け加えられた言葉に、ナディーンの表情が一瞬で曇る。自分の踊りが、アルムードの館の呼び物となっている今、大勢の前で踊りを披露することはきつく戒められている。そしてアルムードの館を訪れるのは、一部の有力商人や大臣だけだ。
「そんな、サダルメリクのためなら……いつでも……、そう、他の人が見てなければ、大丈夫、だから……」
保証のない言葉をぽつりぽつりと紡ぐナディーンに、サダルメリクは首を振った。
「それは難しいんだろう?仕方のないことを云って悪かった。……ところで、ずいぶん急いでたみたいだけど、いいのかい?」
問われて、ナディーンは再会の喜びから急に現実に引き戻され、途方に暮れた表情になった。明日の大仕事を、成功裡におさめなければならない。だがそのためには決定的な何かが欠けている。その解決策を見出せなくて、その思いの遣り場に困って、街を彷徨っていたのだ。
ナディーンはサダルメリクを盗み見た。故郷の集落に来ていたころと変わらない、悠然とした表情。思えば、いつも行き詰ったとき、サダルメリクが風のように現れて、背中を押してくれた気がする。
こんなふうに、また、甘えていいのだろうか。
けれどもナディーンは、他に術をもたなかった。
「ねえ、サダルメリク、聞いてほしいことがあるの」
ナディーンは落ち着ける場所を探した。3年前、舞踊大会の時にサダルメリクが教えてくれた場所は、いまは王宮の兵舎が近くに立ち、使えなくなっている。
けれども、サダルメリクはナディーンより界隈の事情に通じているらしかった。住宅の建てこんだ一角を抜け、井戸のある広場に出た。昼間は女たちでにぎわうが今は灯火一つなく、降るような星空の天蓋に覆われている。
ナディーンは、イスキアの都を治める国王サアダナフがあす屋敷を訪れること、鮮烈な印象を灼きつけられるように、斬新な演出を考えてみたが、何か物足りないことを、順を追って話した。
サダルメリクは静かにそれらを聞き終えると、ゆっくりと言葉を選んで云った。
「君の館の噂は街道に広まっている。イスキアの都に贅を尽くした饗宴の館があると。その奥方は踊りの名手で、それだけにとどまらず、奇術や軽業師の妙技が矢継ぎ早に披露されて、全く新しい驚きの連続だったと、みんな手放しだった。その君が知恵を絞って工夫を重ねたんだ。全く心配する必要はないと思うよ」
「でも、何かこう、最後の決め手に欠けるのよ。だって、踊りも、奇術も軽業も、見たことのあるものの組み合わせでしょ?全く見たことのない、本当に目新しい何かがなきゃ……」
ナディーンは苛々と爪を噛んだ。
サダルメリクは困ったように苦笑する。
「ちょっと神経質になっているだけなんじゃないのかい?国王は初めて観るんだろう?」
「そうよ!だから最初に印象付けなきゃ。サダルメリク、何かいい知恵はない?私が困っている時、いつも援けてくれたじゃない」
ナディーンは両手をついて、ずい、と身を乗りだした。勁い意思を宿したその瞳。
それは、サダルメリクの穏やかなはしばみ色の瞳にうけとめられて、急に勢いが萎んだ。ナディーンはばつが悪そうに尻でいざり、視線を下げた。
「…ごめん、そういうつもりじゃ、なかったんだけど……」
広場の端に口をあけた、細い路地の深い闇から、小さな猫が跳ねるように転がり出た。と思うと鈴をつけた猫がそれを追い立て、じゃれあうようにして二匹とも別の路地の闇に走り去っていく。
ナディーンは必死で言葉を探した。
国王に鮮烈な印象を残すにはこれでは駄目だというもどかしい思い、焦り。自分の才能の限界を見せつけられる忸怩たる思い、それらが錯綜して綯交ぜになって、先刻の言葉として迸ったのだ。
けれども謝らなければ。サダルメリクはこれまで自分の窮地を救ってきてくれた、それに感謝するべきで、要求するべきじゃない。
「……ナディーン、この前の紗は、まだ持っている?」
唐突な問いに、ナディーンはビクッと身を震わせた。
「……あ、あの、ごめんなさい、サダルメリク。あれは……、前の一座に置いてきてしまったの。だから、手元になくて………」
しどろもどろに言訳しながら、膝のあいだで重ねた手を、何度も組みなおす。
「……そう、それは仕方ないね」
サダルメリクは深く追求しなかった。ナディーンは衣の前をかきあわせ、胸元をぎゅっと握りしめた。
ふわりと、ひそやかな風が、銀砂をこぼしたかのような蒼穹から舞い降り、冷たく二人の膚を撫でる。そして、髪の幾筋かを揺らしたかと思うと、急に風鳴りをともなって逆巻き、サダルメリクの外套をはためかせた。
風の精霊が俄かに降臨したかのように、竜巻のような風が躰をなぶって、ナディーンは思わず両目を瞑った。その耳に、サダルメリクの言葉が小さなつぶやきのようにこぼれおちてきた。
「……ナディーン、君は、踊るのかい?」
なぜ、そんなことを?
「ええ、」
気まぐれな風の精霊は存分に暴れまわったかと思うと、吹き始めと同様不意に力尽きて、そっと天に還った。ようやく眸を開くと、立ち上がって天を仰ぐサダルメリクの、髪を後ろにかきやる姿が見えた。
おのずと虚空を仰のいた頤、肘のところで折れて三角を描く腕が、漆黒の影絵のように星の海を切り抜いていた。
「わかったよ、ナディーン。最後の贈り物をあげよう。僕は、君の踊りが好きだから」
ナディーンは己の耳を疑った。
サダルメリクはナディーンにむきなおった。けれども朽ち葉色の外套に身を包んだ青年の表情は、星灯りを背にして暗く、よみとることはできなかった。
「でも、ナディーン、覚えていてほしい。これが最後の贈り物だ。君はもう自分で自分の運命を切り拓ける。だから、これが最後だ」
「サダルメリク…!……ありがとう、」
ナディーンは朽ち葉色の外套のうえから、サダルメリクを抱きしめていた。サダルメリクの言葉にどこかひっかかるものはあったが、心の底に届いていなかった。ただ、わだかまっていた不安が払拭された喜びが、砂粒のような違和感を押し流していた。
サダルメリクはそっとナディーンの腕を外した。
「今日は、邸に帰って、よく休むといい。もうこんな時間だから、贈り物はぎりぎりの時刻になるだろう。でも、必ず贈るから、僕を信じて待っていてほしい」
「ええ、ええ、わかった。ごめんなさい、無理を云って。お礼は必ずするからいなくならないでね。ありがとう」
サダルメリクが何をどうするつもりなのか、ナディーンには全く見当もつかなかった。しかし、それを問うことはしてはならないと、本能的に悟っていた。
路地の入口で振り返ったそのとき、朽ち葉色の外套の青年の姿はもう、一個の漆黒のかたまりとなっていた。
その夜、ナディーンはまんじりともせず一夜を過ごした。
灯りを落として横になると、漆黒の闇がじわじわと心の隙をむしばんできた。不意に、穏やかな、まろやかな声音が、耳朶に甦った。
『わかったよ、ナディーン』
サダルメリクはああ云ったけれど、本当に想像のつかない何かが起こるのだろうか。
『……ナディーン、この前の紗は、まだ持っている?』
見抜かれている。咄嗟に云い繕ったものの、サダルメリクはすべて見抜いているのではないだろうか。
かつて、エズルの街でサダルメリクから贈られた、星の破片をつないだような手甲。あれは本当は無くしたのではなかった。団長に差し出したのだ。ナディーンは絶対にあの機会を逃したくなかった。
効果は覿面だった。否、サダルメリクから贈られたあの手甲を渡さなくても、結果は変わらなかったのかもしれない。今となってはわからない。けれども、あのときはそうすれば必ず選ばれると思った。
星屑をちりばめたような紗も、同じ運命を辿った。贈り先は、舞踊大会の費用のほとんどを出資している大臣だった。
『僕は君の踊りが好きだ』
サダルメリクが云うたび、ナディーンの胸はえぐられるように痛んだ。
(違う!金目のものと引き換えに手に入れただけ……、)
努力をしなかったわけではない。踊っていれば寝食を忘れるほどだ。だが、現実社会に生きていくなかで、金がどれだけ物を言うかも、よくわかっていた。
(ごめんなさい、サダルメリク)
謝って赦してもらえることではないだろう。欺瞞と詐り。おめおめと顔を合わせることなどできない、そう思っていたのに、なぜあのような願いを厚顔にも口走っていたのだろう。
『わかったよ、ナディーン』
これまでと同じように、サダルメリクはそう云ったけれど、本当はすべて知っているのではないだろうか。本当に何らかの援けを、してくれるのだろうか。
痛いほどの胸の動悸と罪悪感に苛まれながら、ナディーンはひたすら、空が白むのを待った。
翌日は早朝から忙しかった。アルムードは彼にしては珍しくかりかりと、あちこちに指示を飛ばした。一番の被害者は料理番だった。前日から仕込んでおけるものもあるが、さすがにその日イスキア湖から何が水揚げされるかは誰も予測できない。
使用人が桶を持って港に走り、まだ跳ねている魚を水を張ったそれに入れて抱えて戻り、また港に走るを繰り返すのだった。
ナディーンは、まず共演の奇術師から体調を心配された。それほど、やつれていたのだ。ナディーンは大丈夫と答え、演出のための火薬や導火線などがきちんと配されているか、最後の確認をしてから衣装の準備に入るよう伝えた。
昼過ぎには、アルムードは王宮に出向いて、国王に拝謁し、同席する侍従長や大臣に挨拶をしてまわった。こまごまとした段取りの確認をし、ついでにこれがうまくいった際の少々の商売上のめこぼしなどを抜け目なく頼む。
そうして、太陽が西の地平線に没し、薄蒼い闇がそっと支配の手を伸ばし始めるころ、国王サアダナフの輿が、ゆるゆると王宮の階段を離れ、アルムードの邸に向かったのだった。
ナディーンは水の精を擬した装束を纏って一行を迎えた。独特のぬめやかな薄絹は光の加減で神秘的に色合いを変え、面紗で顔を隠したナディーンは、水の精そのもののように軽やかに舞いながら邸内に誘う。甘い弦楽器の響きは絶え間なくいずこからか洩れ聞こえ、大理石の床には水草のなかを戯れる魚が映し出された。
国王サアダナフはその仕掛けに興をそそられたようだった。アルムードは滑り出しがうまくいったことに内心安堵しながら、賓客を丁重に御座所まで案内する。
御座所は、回廊に囲まれた中庭を眺める露台に設えられていた。御座所には、羽毛を詰め緞子で覆ったクッションを敷きつめ、金糸銀糸で縫いとりをした紗幕が垂れる。
王が着座すると、回廊の列柱を螺旋にたどるように、いっせいに火が立ちのぼった。アルムードは饗宴の始まりを告げ、踊り子たちが華やかな衣装をひるがえしながら、螺鈿細工もきらびやかな大卓を運びこんだ。続いて、様々な料理を盛りつけた彫金の見事な銀の大皿を次々と並べる。紅い葡萄酒で満たされた玻璃の水差しが置かれ、瑪瑙の杯が添えられる。大きな白瑠璃碗には、氷室で冷やされた瑞々しい葡萄や瓜が盛られていた。隣に侍るのは、この日のためにアルムードが買いいれた美しい奴隷たちだ。
太鼓の音とともに座興が始まった。回廊の屋根から、あるいは中庭の池のなかから、白い衣装を纏った軽業師たちがとんぼをきって現れ飛び交う。あらかじめ渡してある黒い綱を利用して跳躍を重ねるので、それはまさに縦横無尽の動きだった。
続いては、奇術師と講釈師との共演である。講釈師の面白可笑しい話を、逐一奇術で実演してみせる。
ひとしきり笑わせた後は、ナディーンが育てあげた舞踊団の出番だ。踊り子たちは燈火を手に現れ、幾何的なつながりを見せながら踊る。高らかに燈火が抛られ、それが頂点に達した時、曲調が変わると同時に、燈火は長い深紅の帯に早変わりして踊り子の手元に戻った。
ナディーンは植え込みの陰で自分の出を待ちながら、途切れなく演目が進むのをみつめていた。視界の奥では、御座所で国王が陽気に拍手しているのが見える。
もう、後が無い。
成功を確信していいはずなのに、ナディーンは逆に追い詰められていた。サダルメリクからそれらしい動きは無い。やはり自分の厚かましい物言いに愛想を尽かし、このイスキアの都から去ってしまったのだろうか。
旋律は次第に、ナディーンの出番が近付いていることを告げていた。
来た!
ナディーンの躰が黒縄で宙に吊りあげられた。衣装を風になびかせ、庭園の中央、池に舞い降りる。足場はあるのだが、薄く水を張っているため、夜目遠目には水上に立っているように見える。
イスキアの湖に棲むという伝説の、水の精の踊りがはじまる。月夜にしか現れない水の精、それが人間の若者と邂逅い、触れあえないことに苦悩する。しかし、若者が海賊に襲われ、水の精はその本性である大蛇の姿を現し、海賊を追い払うが、恐れをなした若者の眼差しに耐え切れず、水に溶けてしまう。そういう筋書きになっている。
ナディーンはもう他のことは考えなかった。ただひたすら、奏でられる旋律と自らの躰の動きに集中した。
その踊りが終盤にさしかかったそのとき、わずかな旋律と拍子の乱れがナディーンを狂わせた。不快を露わに楽士を見る。彼らは、楽を奏しながらも、しきりと天穹を気にかけていた。
そればかりか、見ればサアダナフ王も、アルムードさえ、同じように眸を瞠って空をみているではないか。
ぽちゃん、と足元で水が跳ねた。
雨?
振付けの隙をついて、天を仰ぐ。夜空は蒼く果てしなく透きとおり、白く輝く星の河が横切っている。そこに、見慣れない幾条もの光の筋が奔る。
何?
疑問に思いつつも、確認する暇はない。音楽は佳境に入り、最も激しいステップとターンが繰り返されるところだった。足元の池は雨粒に打たれたように時折り水飛沫をあげ、植え込みや大理石のタイルには小さな光の粒が転がるのが見えた。
思い切り躰を反らせる。
数多の星がさんざめく、蒼い星の海。そこから気まぐれな星屑がこぼれ落ちるように眩き、数知れずアルムードの邸に降りそそいでいる。
流星雨が………!
異様な昂揚のなか、楽人が最後の一音をひびかせた。
踊りが終わると、ナディーンは王の御前に伺候し、深々と平伏した。座所に向かう途中、植え込みの葉陰にも、大理石のタイルにも、朝露の雫がそのまま凝固したようなきらめきが幾つも転がっていた。
王は満面の笑みでナディーンを迎えた。
「全く見事な踊りであった。アルムードよ、これなるは汝の奥方と聞いたが」
「さようでございます、閣下」
アルムードは落ち着いた声音で答えた。王は真鍮の杯を掲げ、そばに控えた女奴隷に葡萄酒を注がせる。
「いや見事見事。存分に愉しませてもらった。話にきいた以上だ。顔を上げよ。杯を取らす」
ナディーンは平伏したまま膝ですすみ、ありがたくそれを押し戴き、一息に飲み干す。その飲みっぷりの良さも、王を興がらせたようだった。二人の間で数語が取り交わされた。
アルムードは、御座所の近くに転がっている光の粒に気づいて拾いあげ、血相をかえた。彼は和やかに言葉を交わすナディーンを盗み見て、そっと席をはずす。
ナディーンは王の即位5周年の祭で街道一の舞姫の称号を得たこと、アルムードと結婚し、いろいろと工夫を重ねてこの館の座興の名をたからしめていることなどを話した。国王は、奇術や軽業について尋ね、それらに感嘆の声をあげていたが、満足げに頷いてこう言った。
「噂には聞いておったが、正直どれほどのものかと疑っておったのだ。趣向の凝らされた演出で大いに堪能した。特に、あれほどの流星がひと時に虚穹を奔ったのには、驚嘆したぞ。よもやあれも、アルムードの邸お得意のまやかしではあるまいな。できればもう一度見てみたいものだが」
それまで、礼を失さぬようにうまく話をあわせていたナディーンも、一瞬言葉に詰まった。当のナディーン自身、終ぞ知らなかった出来事だ。
「あの、…それは……」
ナディーンは答えに窮して視線を彷徨わせ、アルムードを探した。なんでもそつなくこなす夫は、こんなときにも巧く切り抜けられるはずだ。
しかし、視線の先にアルムードはいなかった。眉をひそめると、光の粒を山のように盛った高杯を捧げ持って、中庭から露台へと上がってきた。
「おお………」
明るさがにわかに増した気がした。山と盛られた輝石は、光の入り具合でキラキラと輝きを変える。
「国王サアダナフ、今宵の記念でございます。どうぞお納めを」
アルムードはしかつめらしく言上した。サアダナフは、さすがに言葉を失い、息をのんでその輝石の山から一粒の石をつまみあげた。
しばらくそのまま、燈火に透かして眺めた後、緊張をほぐすように腹の底から嘆息した。
「いや、なんとすばらしい。このような饗宴は初めてだ」
アルムードとナディーンは並んで平伏し、賛辞をうけた。ナディーンは横目でアルムードを盗み見たが、アルムードは涼しげな顔で額づいていた。
サアダナフは、輝石の山から最も大きな一粒だけをとり、あとは本日の褒美としてつかわすと、鷹揚に言った。
このようにして、イスキアの都を治める国王サアダナフの饗応は成功裡に終わった。
ナディーンはその夜サダルメリクを探して、街中を歩き回ったが、旅籠を一軒ずつしらみつぶしにあたっても、サダルメリクを見つけることは出来なかった。
不思議なことはまだあった。流星雨はイスキアの都のどこでも見られたが、輝石がこぼれおちていたのは、アルムードの邸だけだった。この出来事は、王の口から巷間へ広まったが、輝石はアルムードがあらかじめ準備したもので、流星雨は幸運な偶然だろうということで落ち着いた。アルムード自身はそのほうが好都合と、煙に巻いて口をつぐんだし、人々はそれで納得した。
*
順風満帆の日々が過ぎていくかに見えた。アルムードの館での饗宴に呼ばれなければ、一流でないと囁かれるようになっては、評判はあがる一方だった。
そうして5年がたったころ、またひとつの、新しい朗報がアルムードの館に齎された。教主の巡察使がイスキアの都を訪れる、そのときの饗応を頼みたいと、王宮から使いが来たのだ。
二人に否やはなかった。安息の都に比べれば、イスキアの都は地方都市の一つにすぎない。世界に冠たる教主の大いなる都、安息の都に、名前を売り込める絶好の機会だ。
前回同様、否それ以上にきらびやかに、豪奢に屋敷は飾りたてられた。ナディーンは交易路に、最も腕の良い奇術師や軽業師に声をかけ、また彼女が教えたものの独立してしまった踊り子なども呼び戻した。
これまで以上に、豪華で意表をついた座興にしなければならなかった。国王の前で二番煎じを見せるわけにはいかなかった。新たな、観る者の度肝を抜く何かが必要だった。ナディーンは連日連夜、構想を練った。
ナディーンは、交易路に人を遣ったついでに、アルムードには秘密で、サダルメリクを探させた。今度ばかりは、彼の援けが必要だった。ただ彼は、全く目的を定めない流浪の旅人で、いつ頃どの街にいるか予測もつかない。見つからないかもしれない。しかしナディーンは祈るような気持ちで待った。
前日の夕方のことである。北東の交易路を探索していた遣いの男が、サダルメリクを見つけて戻ってきた。サダルメリクは体格の良い数人の男たちに囲まれ、朽ち葉色の外套にウードを担いだ姿で館に連れてこられた。
「久しぶりだね、ナディーン。こんな形で会うとは思ってもみなかったけれど」
サダルメリクは柔和な微笑みを崩さなかったが、率直な皮肉がナディーンの胸を貫いた。ナディーンは腹が据わるのを感じた。
「ごめんなさい、サダルメリク。どうしても、会わなきゃいけなかったの」
ナディーンは使用人たちに手振りで示して、部屋から下がらせた。モザイクタイルや細密な彫刻に飾られた部屋には、ナディーンとサダルメリクだけが残り、彼らは向きあって対峙した。
街の喧騒は、屋敷の奥まではとどかなかった。陽射しも、廂の奥深くまでは入り込まず、ここちよい湿度と冷気が保たれていた。
ナディーンは敢然と切り出した。
「サダルメリク、お願いがあるの。この前、星を降らせてくれたのは、あなたでしょう?もう一度、あれをやってほしいの」
視線は真っ向からサダルメリクをとらえ、揺るがなかった。サダルメリクは嘆息とともに首をかしげた。
「……どうして?僕は君が気弱になっていたときに、応援したくて贈り物をしてきた。君はもうたくさんの使用人に囲まれた、立派なこの館の女主人じゃないか。これ以上何を望むんだい?」
ナディーンは太腿に爪をたてるように、服の裾をぎゅっと掴んだ。滑りの良い絹の感触。平原で羊を追っていたあの頃には、想像もつかなかった。
「安息の都から、教主様の使いが来るの。私たちは、その饗応を行う栄誉を、国王から与えられた」
正面から見据えたまま語るナディーンの声音は、感情というものがすべて大理石の床や柱に吸いとられたごとく、乾ききっていた。サダルメリクは波一つない湖面さながらにあくまで穏やかだったが、それは生き物の棲めぬ塩の湖の静けさかもしれなかった。
「ここが正念場なの。安息の都に打って出られるか否かの。だから、サダルメリクにも協力してほしい」
「あのね、ナディーン……」
サダルメリクは呆れて語気強くナディーンを遮った。それでも忍耐強く、冷静な言葉を重ねる。
「さっきも言ったけれど、僕は君が弱気になっているとき、応援したいから贈り物をした。それを君はいま、僕に要求するのかい?」
「図々しいお願いなのはわかってる。でも、私困ってるのよ。砂嵐の話は知ってるでしょう?中央砂漠を根城に周辺の交易路を荒らしてる砂漠の民。絹の国へ向かうアルムードの隊商も砂嵐に襲われて全滅した。荷はすべて風塵と消え、負債だけが残ってる。東方の荷が動かないから、景気が悪くて、館の客足も減るばかりよ」
中央砂漠に砂嵐という盗賊が現れ、隊商を襲うだけでなく街に火をかけ掠奪を繰り返しているという話は、交易路を震撼させ、交易に携わる人々を暗澹とさせていた。
「私たち、イスキアを離れて安息の都で商売を始めたいの。今回のことは、とてもいい足がかりになる。だから、絶対成功させたい。私、困ってるのよ、サダルメリク」
それは、懇願というよりも血を吐くような叫びに近かった。交易路に人を遣って、無理やり連れてこさせ、こんな手前勝手な頼みを聞かせる。それがどんなに横暴で見苦しいことか、解らないほど良心を失っているわけではない。
「ナディーン……。この館には、君の私兵ともいうべき男たちがいる。そんな状況で頼みごとをするのは、どういうことかわかっているのかい?」
「……ええ。」
ナディーンは真っ直ぐに立ち、肯定した。どんな非難をされても蔑みをうけてもいい。それでもサダルメリクの流星雨の奇跡が必要だった。
サダルメリクは、緊張をほどくように、表情を緩めた。
「君は、強くなったね。そして、美しくなった」
女性にしては少し上背のある、けれども見事なまでに均整のとれた、弦月のようにしなやかな肢体。煙水晶の髪がその背を覆う。もはや乾いた平原で、あるいは棄てられた神殿で、自信が無いと含羞んでいた少女の面影はない。
「ほかならぬ君の、その勁さに免じて、僕から、最後の餞に贈り物をあげよう。だけど、一つ条件がある。」
サダルメリクの申し出に、ナディーンは自分の耳を疑った。席を蹴って出ていかれるのが当然と、我ながら思っていたのだ。
窓を背にして立つサダルメリクの姿が、さながら永遠の笑みを灼きつけられた、モザイク画の男のように感じられた。
「必ず、君が踊ってほしい。それが唯一つの条件だ。……僕は、君の踊りが大好きだったから」
彼は、もう用は無いとばかりに、戸口に向かった。
「サダルメリク!」
呼び止めると、ナディーンの声に気付いたのか、使用人たちが戸口をふさいだ。彼らはナディーンの表情をうかがったが逡巡してとどまる。サダルメリクは肩越しに振り返り、苦笑して言った。
「僕にも、準備というものがあるんだよ」
彼は、使用人の壁をおしのけるでもなく、邸を出ていった。
教主の巡察使は、王宮さしまわしの輿で、王とともに屋敷に到着した。道中は左右に赫々と篝火が灯り、王宮と屋敷を光の川が繋いだ。
饗応の座には、王宮そのものが移ってきたような錚々たる顔ぶれが連なった。宴が始まれば、王みずからが葡萄酒の酒瓶をとり、巡察使の玻璃の杯にそそぐ。螺鈿の大卓といい、水晶に金彩を施した薔薇水の水入れといい、饗応は、以前サアダナフ王をもてなしたときよりも、遙かに壮麗な、贅をつくしたものとなっていたが、巡察使の表情を窺っていたナディーンは、愉しませているものの、驚嘆させるには至っていないと見抜いた。
やはり、比類なき教主の都、世界の中心たる安息の都で山海珍味に埋もれ、様々な興趣を愉しみ尽くしてきた賓客を満足させるのは一筋縄ではいかないということなのか。
アルムードの表情にも焦りが見えた。
ナディーンは意を決して申し出た。
「巡察使様、サアダナフ王、最後に私の踊りをお楽しみくださいませ」
ナディーンは踊りの衣装に着替え、念入りに化粧をした。そして、太鼓とともに庭にしつらえた舞台に立った。
蒼い天鵞絨に銀砂を刷毛で掃いたような、こぼれんばかりの星空が頭上にあった。
ウードが静かに鳴り響いた。ナディーンは全身全霊を踊りに集中させた。
息の詰るような、気迫のこもった踊りに、貴人たちは次第に引きこまれていくようだった。やがて、踊りが佳境に入ったとき、虚空に光の筋が走った。
サアダナフ王が手を叩いて喜び、巡察使に天を指し示した。巡察使は口に運んでいた杯をそのままに、唖然と硬直した。半開きの口のまま、驚愕に眸を瞠っている。
ナディーンは心の中でサダルメリクに感謝した。サダルメリクは約束を果たしたのだ。ナディーンの踊りはますます峻烈に、鬼気迫るものとなっていった。
不意にナディーンは、座所の様子に異変を感じた。
何か、慌てている。天を指し示しているものの、その表情は美しさに打たれたものではなく、恐怖におびえ、口の動きから何事か喚きたてているのがみてとれる。今にも逃げ出さんばかりに腰を浮かせ、アルムードがそれを何とか抑えようとしている。
何が、起こっているというのだろう。
たまらず、ナディーンは天を振りあおいだ。
炎に包まれた小さな太陽のようなものが、頭上を通過していた。次の瞬間、名状しがたい激しい衝撃と揺れが、屋敷をつんざいた。
ナディーンは足をもつれさせて、地面に倒れ伏していた。小さな揺れが地面から伝わり、悲鳴が、轟音で麻痺した耳にかろうじて届く。パラパラと、石の破片が地面をころがってきたが、ナディーンの視界に入ってきたそれは、かつてのような美しい煌めきを放つ輝石ではなく、ただの石塊だった。
ナディーンは四つん這いになりながら、天を見上げた。崩れて、朦々と煙をあげる屋敷が眸にとびこんできた。転がっている小石は、館の石材の、なれの果てだ。風を切る鳥よりも疾く、眸を射るほどの明るさを放ちながら、光の矢が屋敷の其処此処にふりそそいでいた。
「あ、…あ…」
星屑が、落ちる。
悲鳴がまた上がった。腰を抜かして、這うように逃げ惑う人々が見える。しかし、所詮人間の足では逃げ切ることはできない。
わたしは、神の怒りに触れたのだ。
巨大な火の玉が頭上に迫っていた。轟音が再び大地を揺るがした。ナディーンの耳に、サダルメリクの柔らかな声音がよみがえっていた。
――「ほかならぬ君の、その勁さに免じて、僕から、最後の餞に贈り物をあげよう。だけど、一つ条件がある。」
「必ず、君が踊ってほしい。それが唯一つの条件だ。……僕は、君の踊りが大好きだったから」
*
「それで、どうなったの、おばあちゃん」
アイシャは、あくび一つして言った。ずいぶんと長い話だった。祖母は残り糸をまきつけながら答えた。
「イスキアの都は跡形もなく燃え尽きたというよ。深いえぐれができて、そこに水がながれこみ、イスキアの湖が倍になったともいうね」
「ふうん。で、おばあちゃん、サダルメリクって、何者だったの?」
「おやおや、」
ほほ、と快活に祖母は笑った。まだアイシャには早い話だったのかもしれない。
「サダルメリクという名前はね、古い言葉で、星の王、星を牧する者、という意味なんだよ」
アイシャは、またも、
「ふうん、」
と呟いた。贈り物に甘えちゃいけないってこと?と、問おうとしてやめた。星々のあまねく夜空から、流星が降りそそぐさまはどんなに綺麗なことだろう。そう想像するほうが、胸がときめく。
編み機にかけられた壁掛け(タペストリ)には、星空と人間の、図案化された模様が描き出されている。これはナディーンだろうか、それともサダルメリクだろうか。
このまま眠りにつけば、美しい星空の夢がみられそうな気がした。
長くなったので、掲載にあたり、前後に分けました。
隕石が落ちれば、そんなレベルじゃ済まないのはよくわかっていますが、
フィクションとしてお見逃しください。