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前編

 舞台がはねた後も団員たちは忙しい。景気づけに好き放題まき散らした紙吹雪やリボンを掃き集め、大道具の仕掛けはもう一度仕込みなおす。破損や緩みが見つかれば、修理も必要だ。踊り子たちが出入りのときに、小道具入れに片っ端から投げこんだ羽飾りや鈴やショールは、決められた長櫃に整理して、鍵をかける。もちろん皺や折れ目がつかないよう注意しなければ、明日の興行で困ったことになる。

 疲れていても、団員たちには笑顔が絶えない。今日はなかなかの客入りだった。大きな隊商が街に到着し、砂漠の旅から解放された大勢おおぜいの男たちが、夜の愉しみをもとめて流れてきたのだ。

 杯を重ねて気分も昂揚した彼らは、踊り子の目くばせひとつにやんやの喝采を送り、口笛を吹き鳴らした。客の反応が良ければ、踊り子のほうも気分はいい。拍子(テンポ)は自然と速まり、腕の見せどころとばかり、腰を振る動きも激しさを増す。結果、おひねりは気前よく飛び交い、最高潮の盛りあがりのうちに、舞台を終えることができたのだった。

 客あしらいも芸のうちの踊り子たちは、衣装の隙間にちょっとした小銭を挟ませたりしながらも、名残惜しそうな男たちをうまい具合に追い出して、片づけに加わっていた。

 アイシャは平鼓タンバリンが一つ見つからず、箱を抱えたままうろうろしていたが、舞台袖のほうで、派手な嬌声が上がったのに気をひかれてそちらに向かった。

 行ってみると、いろとりどりの腰布を垂らした踊り子たちが、輪になってなにかを覗き込んでいる。

「これきっとエメラルドじゃない!?」

「ほんと!?本物!?」

「碧い鳥を舞った舞姫へ、だって。わ、箱だってすごい値打ちものじゃないの!」

「いやん、ちょっと、どんな金持なの、楽しみ―――ッ!」

 小鳥のようなさえずりは、盛りあがるととどまるところを知らない。アイシャは這うようにして、踊り子たちの形の良い足のあいだから、人の輪のなかに入り込む。

 中心にいるのはヤミンだ。皆の羨望の眼差しが、ヤミンの高く掲げた右手に集まっている。泡のようにきらめくほそい金鎖が手首を飾り、指先から濃い碧色の滴が垂れ、灯火の光に揺らめいていた。

 アイシャは踊り子たちの甲高いおしゃべりも耳に入らなくなっていた。砂漠の砂ほどにこまかい光の粒。その繊細さはどうやって生み出されるのだろう。

「おいそこ!油売るのはまだはやいぞ!ヤミン、あとでそれを持って私のところに来なさい。アイシャはもう戻っていい」

「はーい」

 踊り子たちの品定めに水を差したのは、アイシャの父である座長だった。踊り子たちはかなり不満げな返事をし、三々五々散って、片づけを再開する。ヤミンも手首から金細工を外して箱に仕舞う。

 アイシャは立ち尽くしたままそれを見届け、ようやく我に返って父を振り返った。座長という立場は忙しくて、なかなかアイシャをかまう暇がない。あれはどういった貰い物なのとか、そういう疑問をぶつけるのは今日も無理そうだった。

 だからアイシャは、いつもそういう話を祖母とすることになる。戻っていいと言われたのだから、もう小屋での用はないのだろう。

 舞台道具を積み込んだ最初の荷車にひっついて、アイシャは城壁の外に張っている一座の天幕に戻った。

「ただいま、おばあちゃん」

 いつものように、編み機の前に座っている祖母のもとにすりよって蹲った。

「おかえり、アイシャ。なんだか元気がないようだね」

 祖母は、獣脂を燃しただけの乏しい灯りでも、支障なく編みつける。もともと視力は弱まっているから、明るさは関係ないのだとか。

 だから今の言葉も、アイシャの声と気配だけでそう察したのだろう。アイシャは膝を抱えて座り、そこに顎を乗せた。

「…ヤミンがね、とてもすごい贈り物をもらってたの。金の鎖が物凄く繊くて、きらきら、淡く輝いてて、・・・エメラルドがついてるって誰か言ってた。……ねえおばあちゃん。私もあんな金細工、もらえるようになれるかな」

 祖母は、白い毛糸をとって、経糸の間に通した。紺碧の編み地に星が現れる。今編んでいるのは、巨大な壁掛け(タペストリ)だ。

「エメラルド?そりゃ、豪勢だねえ。……アイシャはそういう踊り子になりたいかい?」

「うん!」

 アイシャは眸を輝かせた。踊り子は一座の花形だ。華やかな衣装をまとい、装身具をあるだけ巻きつけて踊る。そのうえ、あんな宝石細工まで贈られるのだ。単純にアイシャが惹かれるのも無理はなかった。

「じゃあね、アイシャ、このお話を覚えておいで」

 


 *


 ナディーンという娘がいた。

 彼女はイスキア湖の湖畔、乾いた大地に丈の低い草がこびりつくように生える、平原の村に生まれた。村では皆羊を追って暮らしており、ナディーンも物心がついたころには、親を手伝って羊の番をしていた。

 ある年、旱魃が平原を襲った。イスキア湖は極度に狭まり、乾いた大地は照りつける陽光に()をあげてひびわれ、草は茂みにならぬまま大地と同じ色になった。羊たちは餓えて(たお)れ、またその群れを養うことで生計(たつき)をたてている人間たちも困窮に瀕した。

 ナディーンの両親は、食い扶持を減らすため、5人いる子どもを上から順に働きに出すことにした。一番上の娘であるナディーンもまた、家を出されることになった。街道に出て2日歩いたところにエズルという街があるから、そこで仕事を探せというのだ。両親はそこまでの食料と、わずかばかりの金を持たせてくれた。

 エズルへの道すがら、ナディーンは考えた。できることといえば、羊を追うことと家事をすることぐらいだ。羊を追って暮らそうにも羊は減って仕事はない。とすれば、下働きの口を探して、お金を持っていそうなお屋敷をあたるしかない。

 けれども、せっかく街へ出るというのに、それが選ぶべき途なのだろうか。

 ナディーンは、踊りが好きだった。祭のときだけでなく、ウード弾きや唄歌いが流れてきて、村の皆で火を囲んで騒ぐときも、気がつけば先頭を切って踊りだした。踊り子の一座が訪れた時には、羊の番を放り出して小屋に入り浸り、踊りを覚え、両親には散々に叱られたものの、座長から誘いが来るほどには上達したのだ。

 どうせなら、踊り子の一座で働けないだろうか。たとえ下働きでも、踊りに近いところで働きたい。

 エズルはイスキア湖畔に幾つかある交易都市の一つで、街を拠点として周辺の街道を回遊する舞踊団があった。ナディーンは団長に直訴して頼みこみ、下働きとして置いてもらうことに成功した。

 しかし、毎日踊り子たちに接していれば、嫌でも踊りを覚える。ナディーンは覚えの悪い踊り子に足拍子ステップを教えていたところをみとがめられ、団長のまえで踊ってみせて、下働きから踊り子になることができた。ただ、その一座では、舞姫と呼ばれる特別の踊り子を除き、荷物運びも洗濯も自分たちでしたから、生活にあまり差はなかったのだが。

 晴れて踊り子になることはできたものの、ナディーンは群舞の一人から抜け出ることがなかなかできなかった。練習のときは抜きんでた出来を見せるものの、舞台では委縮してしまうのだ。ナディーンは、いつも群舞の端っこで目立たないよう踊っていた。

 あるとき、3人いる舞姫の1人が団を抜けることになった。商人の妾として身請けされたのだ。新たな舞姫を決めるため、団長は試演会をすると発表した。

 踊り子たちの気分は一気に盛りあがった。舞姫になれば、給金も跳ねあがるし、衣装も装身具も豪勢に変わる。下働きも免除だ。

 彼女らは、踊りもそっちのけで、わいわいと騒ぎたてながら、ありったけの首飾りや耳飾り、少しでも華やかな衣装をひきずりだしてきた。わずかでも美しく、審査者の眸をひくためだ。

 一方ナディーンはそのお祭り騒ぎを他所目に、イスキア湖のほとりにある棄てられた神殿で、踊りの練習をしていた。棄てられた神殿、というものの、真偽は定かでない。皆がそう呼んでいるだけだ。丈高い草の生い茂るなかに、朽ちた列柱とモザイク張りの床が残っている。あまり人は近付かないから、1人で踊りをなぞるには、おあつらえむきの場所だ。

 風がさわさわと草をなびかせるなか、ナディーンはモザイク張りの床に立ち、最初の姿勢ポーズをとった。

 「ティ、ティ、タ、タァリヤ、タ・・・・・」

 口三味線でリズムを刻む。そうすれば耳にはすぐにも音楽が蘇ってくる。蛇が頭をくねらせるようななめらかな動きが指先から始まり、爪先が一歩踏み出したときから意識は踊りにとりこまれていく。

 練習しているのは、明日の試演会の課題だ。

 風の精(ジンニー)が宴の音楽に誘われて屋敷に入り込み、若者と踊り戯れる。すると、突然盗賊が襲撃してきて、風の精と若者は(つるぎ)をとって追い払う。そういう筋立ての踊りだ。風の精(ジンニー)のそよ風のような柔らかな身軽さと、戦いの場面での俊敏さ、そのメリハリが問われるだろう。

 ナディーンは片足の爪先で柳の若木のようにまっすぐ立ち、半月の弧を描くようにもう片足を頭上まで上げた。躰をぐらつかせることなく、剣で断ち切るように足を下ろし、独楽のように回転し、香炉からあがる薫煙のようにやわらかに躰をなびかせる。

「ティ、ティリ、タ、タ、タ、」

 曲が後半になると、ナディーンの真骨頂だ。剣をとって戦う素早い動きは、ナディーンの最も得意とするところだった。最後は若者との寄り添いと別れ。

 再び風となって去りゆくところまで踊って、ナディーンはかっくりと肩を落として、ため息をついた。列柱の一つに、背を預けて座り込む。

 ふわりと膚を撫で漂っていく風に、突然、拍手が混ざった。

「?」

 音は近付いてくる。ナディーンは身構えて、周囲を見回し、列柱の向こうに朽ち葉色をした外套に身を包んだ若者を見つけた。

「サダルメリク!!」

 ナディーンは反射的に立ち上がっていた。若者は(こぼ)たれた石段をのぼり、両腕を広げて微笑んだ。

「久しぶりだね、ナディーン」

 ナディーンはあたりを憚らず若者に駆け寄った。風に絡まりあう落ち葉のように二人の影がもつれあった。

「すごい、もう会えないと思ってた!まさかこんなとこで会えるなんて!」

 ナディーンはサダルメリクの首筋に両腕で抱きつき、ぴょんぴょんと跳ねまわった。あまり体格の良いほうでないサダルメリクは、振り回されて苦笑する。

「うん、君は旱魃の年に集落(むら)を出ただろう?エズルの街に行ったまでは教えてもらえたけど、その先がわからなくてね」

 サダルメリクは流れ者のウード弾きで、よくナディーンの集落に立ち寄っては、村の集会を盛り上げていた。ナディーンはもちろん、彼のウードに合わせて夜を徹して踊ったものだ。

「その様子じゃ、本当に踊り子になったみたいだね。すごい、感動したよ。」

「やだ、見てたの?」

 やだぁ、ともう一度くちびるだけで呟いて、ナディーンは急に背を向けてサダルメリクから離れ、その場に座りこんだ。

「ごめん、悪かったかな?でもとても素晴らしかったから、声をかけ難くて。……浮かない顔だね」

 ナディーンは膝を抱いてうつむき、タイルの割れ目から生えた草を、戯れにぷちっと千切った。

「だめよ、全然うまくいかないの。明日、新しい舞姫を選ぶ試演会があるんだけど、みんなものすごく盛りあがっててね。少しでも目立つよう豪華な衣装を出してきたり、装身具(アクセサリー)をつけてみたり。……でも、私は、考えるだけで憂鬱になる」

 だから、そのはじけそうに高潮した空気を避けるように、一座の小屋を抜け出して、この棄てられた神殿で踊っていたのだ。踊っていれば、気分が落ち着いて、自分を取り戻すことができる。

 サダルメリクの穏やかな声音が、肩越しに問う。

「どうして?僕は、君の踊りが好きだよ。たくさんの踊り子たちを見てきたけれど、君の踊りは群を抜いていると思うけれど」

 ナディーンは心臓を掴まれたように、胸の痛みを覚えた。そう在りたい、そうであると心のどこかで思っている、けれど。

「……だって、私はもとをただせばただの羊飼いだもの。どうやっても垢抜けない田舎者よ」

 すっかり意気消沈して、力なく笑む。

「1人で踊ってれば、そんなの気にしなくて済む。だから………」

 イスキア湖の湖面にうつる姿を相手に、観る者のいない踊り。

「そんなことを気にする必要は、全くないと、僕はおもうけれど」

 湖を渡る風が二人の元にとどき、幾筋かの髪を揺らした。

 ビィーン、と、低い弦の震えが、静寂(しじま)を破った。その響きは水紋のように広がり、ざわめきを呼び起こす。

 サダルメリクは折れて横たわる柱に腰かけて、ウードを前に抱えなおし、張り具合を整えていた。指がバランと勢いよくすべての弦を(はじ)き、和音が旋律の始まりを告げる。

 朗々とした深みのある先唱が、サダルメリクの喉から流れいでる。それはナディーンにとって忘れもしない、“ガラテアの息子”。交易路をゆく者たちの悲喜こもごもを歌った陽気な曲だ。集落(むら)での夜、篝火を囲んだ集まりで、この曲が鳴れば誰もが踊り歌いはじめた。

 ナディーンは立ち上がるが早いか、裾をひるがえしてくるくるとターンし、ポーズをとった。

「踊ってくれるかい、ナディーン。あの頃みたいに」

 返事など、待つ必要はなかった。ナディーンはサダルメリクが生み出す旋律に、自然に躰をのせていた。


 “俺たちゃ愉快な大地の女神(ガラテア)の息子 今日も街道を西へ東へ

  褥は大地で星空が屋根 吹きっさらしの心地よさ

  俺たちゃ気軽な大地の女神(ガラテア)の息子 風の向くまま西へ東へ

  うまい話にゃだまされろ きれいな女にゃだまされろ

  俺たちゃ身軽な大地の女神(ガラテア)の息子 大地の女神(ガラテア)さまの加護がある……“


 即興(アドリブ)を効かせたナディーンの動きは、村の祭の賑わいを彷彿とさせるほど愉しげに活き活きとしていた。

 サダルメリクは曲を弾き終えるとウードを脇に置き、高らかな拍手を響かせて、踊りを称えた。ナディーンは嬉々としてサダルメリクに抱きつく。

「ありがとう、サダルメリク!こんなに愉しかったのは久しぶり。」

 水を得た(うお)のように、気の赴くままに鼻歌にのせてステップを踏む。表情は明るく、こころなしか肌も艶めいてみえる。

 サダルメリクは目を細めてそれを見守る。

「よかった、やっと笑顔になったね。……ねえ、ナディーン。君の踊りは、人に力を与えるものだ。僕が保証する。だから、堂々と踊ってほしい」

 とたんに、ナディーンの表情が曇り、動きが固まった。うつむいて、組んだ指先をこすり合わせながらつぶやく。

「うん、そうしたい……、そうしたいけど…、私、やっぱり田舎者で、皆みたいに装身具や衣装もないし……」

「そんなに心配なら、僕が贈り物をするよ。明日の朝までに、届けよう。試演会を見に行けないけれど、僕だと思って、お守り代わりに身につけてほしい」

 サダルメリクはナディーンの手をとって、力強く見つめた。

 時は夕暮れ。地平線を朱に染める残照が、天を覆い始める蒼い(とばり)と、激しくせめぎあう時刻。

 ひときわ明るい星が、西の空で輝きを放ちはじめていた。



 ナディーンは半信半疑だったが、翌朝はやく、届けものがあった。掌に載るほどの麻布の小さな包みだ。掃除をしていた、下積みの少年が受け取った。朽ち葉色の外套に、ウードを背負った青年が、ナディーンに渡してくれるよう言ったという。

 ナディーンは荒い麻布の包みを、恐る恐る開いた。

 鋭い輝きが眸を射抜いた。

「わあ…ぁ…、」

 歓声は、ナディーンの口からではなく、周囲からあがった。踊り子仲間がいつの間にか集まり、ナディーンの手元を覗きこんでいた。

「なによそれ、どうしたの!?」

 それは、輝石の小さな粒をつないだ、美しい手甲だった。輝石をつなぐ黄金の鎖も繊細なつくりで、たおやかな美しさを醸しだしている。透明な石なのだが、細かな切削が虹色の輝きを生んでいる。

「まさか金剛石(ダイヤモンド)じゃない、よね……?誰がこんなの……?」

 誰かが叫んだ。

「本物なの?本物?贈り主は?………」

 さざなみのような仲間のざわめきも、遠く聞こえていた。

 贈り物の主は、間違いなくサダルメリクだ。けれど、サダルメリクは一介のウード弾きだ。豪奢な生活とは無縁の、漂泊の民。こんなものを手に入れられるわけがない。

 ナディーンはそれを右手に着けてみた。試しに肘から先を動かしてみるだけで、その効果が抜群なのは瞭かだった。星屑をつないだように、ほんのわずかな動きにも小さな宝石(いし)の粒はくるめいて、きららかな輝きを放つ。うねうねと手首をめぐらせれば、幻妙な手の動きに小さな光の粒は追い縋り、流れ星のような軌跡を眼裏に残す。

(僕だと思って、お守り代わりに身につけてほしい)

 サダルメリクの言葉が耳に谺して、ナディーンは手甲をぎゅっと握りしめた。


 試演会はうまくいった。手の甲を覆った煌めきの粒が目に入るだけで、ナディーンはサダルメリクの言葉と、踊りの愉悦が指先までゆきわたる感覚を思い出すことができた。

 団長は手放しの誉めようで、「おまえは踊りそのものは出来てるんだから、あとは客への訴求力だけだったんだ。よくそこに気付いたな」と満足げだった。もちろん舞姫にみごと選ばれ、興行では、群舞の前で踊りを披露するようになった。



 さてその翌年、イスキア湖を中心に幾つかの街にわたって領土を持つ国王スルタンサアダナフが即位5周年を迎え、イスキアの都で盛大な祭りが催されることになった。剣闘試合や戦車競走の大会が数多く企画され、そのうちの一つとして、舞踊大会も開催されることになった。優勝者への褒賞としては、金貨千枚が与えられる。その報せはエズルの街にももちろん届き、ナディーン達はイスキアの都に向かうことになった。

 イスキアの都は、湖上貿易の拠点であり、そこから平原へ伸びていく交易路の出発点でもある。このあたりでは最も大きな都市で、しかも国王の即位5周年の祭典とあって、街は人でごったがえしていた。宿泊所は全く足りず、ナディーン達は街の外に天幕を張った。同じように収容しきれない旅芸人や商人、拝謁に来た領主の随伴などの天幕が、市壁の外に延々と広がり、イスキアの都は二倍にも膨れ上がったようだった。

 ナディーンは到着後すぐに、天幕の設営を皆にまかせ、団長と市壁のなかへと向かった。王宮の典務官に到着の報告と、大会出場の登録確認、それに興行の許可を得るためである。生まれて初めて足を踏みいれる都の活気に、ナディーンは圧倒されてしまった。してや、今は国王の即位5周年を祝う祭の最中。裕福な金持の屋敷は色とりどりの垂れ幕を下げて街を彩り、諸国から集められた品物が店先をにぎわせ、貴人の行列がゆきかう。こんなところで、イスキアいちの舞姫の地位をかけて争うのかと、ナディーンはいまさらながら憂鬱になり、脚が竦み、気力が萎えていくのを止められなかった。

 舞踊大会の登録確認と、興行の許可はまた別の部署で、そちらも部屋から行列があふれているのを知った団長は、ナディーンに先に天幕に戻っていいと告げた。また、都に来るのは初めてだろうから、見物して帰ってもいいぞと、鷹揚に許可を与えた。

 煩瑣な手続きに嫌気がさしているのが(あきら)かな団長に、ナディーンは丁重に礼を述べて、王宮を離れた。半ば逃げるように、足は自然と速くなる。

 大通りは着飾った人々の群れで埋まり、駱駝さえもとりどりの刺繍を施された絹をかけられて、ナディーンは自らの格好とひきくらべて、恥ずかしさのあまり姿を眩ませたくなった。

 早く、早く、この場から立ち去りたい。一刻も早く………。

 ナディーンは人目を避けるように、脇道に入った。白い壁が左右に続く。甘く涼やかな弦楽器(カーヌーン)の響きが、頭上から忍び寄る。見上げると、花頭窓の窓辺で、男女が睦言を囁きかわしていた。慌てて路地を走り抜ける。くすくす、ふふふ、とひそやかな忍び笑いが追いすがる。

 行き当たった通りは、人気ひとけもなく静かだったが、邸宅の裏口が多いらしく、黒人の大男が門兵として立っているのが眸についた。警備のためなのか、男の視線は険しくねばりつくようで、おどおどとしながら、その間を通り抜けていく。

 次の角から、6人担ぎの輿が現れた。孔雀模様の縫いとりもあでやかな垂れ布を四方にかけ、揃いのお仕着せの奴隷がそれを担いでいる。脇によけなければやり過ごせない。

 ナディーンは壁に背をつけて、一行が来るのを待った。輿はしずしずと、乗り手に揺れを感じさせないように進む。くらりと目眩がするほどの麝香の香りが漂った。先導の女性は漆黒の、涼しげな絽のヴェールで全身を隠し、目元だけを露わにしている。鴉の濡れ羽色の睫毛がくっきりと縁取る切れ長の眸、それがナディーンの姿を映し、くすりと、笑んだように見えた。

 一行は何事もなかったようにそのまま通り過ぎ、幾つ目かの門扉を潜って消えた。

 残り香というにはあまりに濃厚な麝香の香りが鼻腔に充満し、ナディーンはがくりと膝の力が抜け、その場にへたりこんだ。

「おい、あんた大丈夫か?」

 陽射しが陰って、ナディーンは門兵がかがみこんで見ているのに気付いた。男は輿が去ったほうをふりかえって、

「上等な麝香っていっても、ありゃ()()めすぎだなあ」

 と困ったように言う。

 ナディーンはずるずると後退っていた。

「いえ、ええ、もう、大丈夫」

 言い残して、後ろを見ずに脱兎のごとく走り去る。息を切らして辿り着いた先は、またもとの大通りだった。人また人の山。うんざりして立ち尽くしていると、

「おら、ぼーっとすんじゃねえよ!」

 乱暴な胴間声と同時に突き飛ばされて尻もちをついた。呆気にとられて、抗議する気力もおきない。

 人々はがやがやと、そんな小競り合いにも満たない面倒事には目もくれず、己の用事を済ませている。だから、仕方なく立ち上がろうとしたとき、

「大丈夫?怪我はない?」

 すっと差し出されたその手に、ナディーンは天の助けに似たものを感じたのだった。

 ありがとう、と感謝の言葉を口にしようとしたとき、ナディーンは息を呑んだ。

「サダルメリク!」

 朽ち葉色の外套にウードを背負った、穏やかな表情の若者は、ナディーンのよく見知ったサダルメリクその人だった。サダルメリクはナディーンの腕をとって立ち上がらせ、

「絡まれなくてよかった。人が多くなるとどうしてもああいう手合いが増えて困るな。……持ち物はちゃんとあるか、確認してごらん」

 と促した。ナディーンははっとして懐を探る。案の定、小銭入れがなくなっている。

「やられた……。どうせ、そんなに入ってないけど。団長に釘を刺されたのに。街中はスリが多いから、絶対に大金は持ち歩くなって。その通りね」

 情けなくて、さっきの男を探す気も、役人に訴える気も起きない。サダルメリクも、そうせよとは言わない。これはもうこの都の、日常茶飯事なのだ。奪われるほうが不注意、そういうことだ。

「サダルメリクはどうしてここに?祭で稼ぐため?」

「もちろん、僕も旅芸人のはしくれだからね。……ここは騒がしいから、少し静かなところへ行こうか」

 サダルメリクはナディーンの手をひいて、雑踏をかきわけ、路地裏のほうへ抜けていった。もう何度も、イスキアの都に来ているのだろう、足取りはよどみなく、幾つかの界隈を抜けて、喧騒から離れていく。

 ナディーンは自分の方向感覚というものに、全く自信を持っていなかったが、王宮のほうに向かっているということだけは、穹隆型の屋根が近付いていることから理解できた。イスキア国王の宮殿は、ピラミッドのように小高い丘の上にあり、幾つも重なる丸屋根と尖塔は、都のどこからでも確認できる。

 急に街並みが切れて、緑に恵まれた静かな湖畔に行きあった。王宮が聳える城壁の脇、切り立った壁の下に、そこだけ取り残されたような緑地があり、アカシアがこんもりと茂り、涼しい木陰をつくっている。細い水路が湾曲して、それに囲まれた土地に、誰が置いたのか、長椅子まであった。

「なかなかいいだろう。僕のとっておきの場所なんだ」

 木漏れ日がサダルメリクの顔をまだらに照らし、彼ははしばみ色の眸を細めた。ナディーンは水路の傍に膝をつき、両手で水をすくって口に運んだ。

「おいしい……、ありがとう、やっと落ち着いた。」

 振り返ったナディーンの表情は、生き返ったように満面の笑みで、溌溂と輝いていた。

「この水路は、湖の水を宮殿にひきこんでいるんだ」

 サダルメリクは、褐色の石を積みあげたピラミッドの上に立つ宮殿を指ししめす。見上げると、庭園に植えられた木々の梢が、頭上遥か高みでさわさわと揺れるのがみえた。

「よくこんなとこ知ってるのね」

イスキアの都(ここ)には何度か来たことがあってね。……僕もちょっと、人が多すぎるのは苦手だからね」

 サダルメリクはウードを傍らに置いて、長椅子に片膝をたてて腰かける。そのたたずまいは、ナディーンの故郷の集落(むら)で、倒木に腰かけてウードを弾くときと変わらなくて、ナディーンはつい嬉しくて声がはしゃいだ。

「あ、そうだ、あのときはありがとう。全くお礼も言ってなくて。おかげで試演会はうまくいって、舞姫になることができた。まだ、何人かの1人だけど。サダルメリク、あなたのおかげよ。感謝してる」

「僕は君が自信を持って踊れるように背中を押しただけだよ。すべて君の実力だ。でも、イスキアの都に来てるのは、今回の舞踊大会に出場するためなんだろう?」

 言われるなり、綿(わた)に水をかけたように、ナディーンはしょんぼりと(しぼ)んだ。悄気かえってうつむき、両手を後ろで組み、爪先で下草をいじくる。

「うん、そうなんだけど……、でも駄目。今度こそ駄目。団長には申し訳ないけど、とても優勝なんてできっこない。好い面の皮よ。笑いものになるのが落ち」

「……どうして、そう思うんだい?」

「だって私は、全く垢抜けない田舎者だもの。イスキアの都ここに来てホントに痛感した。道往く人誰もが皆おしゃれで、洗練されてて。さっきも……」

 ナディーンはつい先刻の出来事を話した。

 雑踏を避けて入りこんだ細い路地で、頭上から聞こえてきた、甘いカーヌーンの響き。囁きかわされる睦言。慌てて逃げ出した先で行きあった輿。妖しいほどに美しい女人の、濡れたように艶やかな睫毛、くらりとするほど濃厚な麝香。

「ほんとに息が抜けないの。いつも、どこかで笑われてるんじゃないかってドキドキしてる。なのに、街道一の舞姫なんて、身の程知らずもいいところよ」

 くるりと背を向けて、きらきらと光を遊ばせる水路を見つめる。

いつかも聞いたことのある口吻に、サダルメリクは僅かに苦笑した。この前も同じようにナディーンは、引っ込み思案の陥穽おとしあなに自ら落ち込んでいたのだ。

「そんなことは無い、と、僕は思うけれど」

 可笑しみをこめて、サダルメリクは反駁した。うまく励ましさえすれば、ナディーンはいつもの溌溂さを取り戻し、見事な踊りを見せることができるのだ。

 けれどもサダルメリクは、ナディーンのその気持ちの弱さも好もしく感じていた。

「ねえ、ナディーン。君はとてもきれいになったよ。僕はあれ以来君に会ってなかったけれど、噂はたくさん聞いた。エズルに素晴らしい舞姫がいる、その踊りは見る人の気持ちを昂ぶらせ、いつの間にか引きこまれて立ちあがって共に踊っているって。だから、臆することはないよ」

 力強く、サダルメリクは断言した。

 湖から吹き寄せた風が、アカシアの梢を揺らし、ナディーンの淡い煙水晶の髪を、ひとすじふたすじ、揺らした。小鳥が一羽、梢から下生えの茂みに降りて、ちょん、ちょんと地面をつつき、何かをついばんで、再びぱたたと羽をばたつかせて梢に戻る。

 ナディーンは半身をひいて、サダルメリクを振り返った。情けなさそうな、ばつの悪い表情かお

「ありがと、サダルメリク。もう決まってる話だし、逃げ場なんてもう無いのはわかってるんだけど、弱気の虫が出ちゃって」

「……まだ、気がかりがありそうだね」

 看破されて、ナディーンはちょっと肝を抜かれたように驚き、サダルメリクの傍ら、長椅子の反対側の端に腰をかけた。

「鋭いのね。……、舞踊大会の課題が、本当に柄じゃなくって、」

「何て曲?」

「月の滴の媚薬」

 ああ、とサダルメリクはすぐに思い当たった。清楚な媛君のふりをしていた魔女が、王子の持つ魔法の薬を手に入れるために妖艶な正体を露わにして誘惑するという筋書きの有名な踊りだ。

「本当に柄じゃないの!だって所詮は羊飼いなんだもの、それが王子を誘惑するなんて滑稽じゃない!」

 また振り出しに戻りそうになるのを、サダルメリクは咄嗟に止めた。

「そんなことはないと思うけれど。……ねえ、ナディーン。この前あげた手甲、あれをつけてみたらどうだい?ナディーンは手の動きがきれいだから、きっと清楚さも妖艶さもうまく際立つと思うよ」

「……、」

 ナディーンは言葉に詰まり、サダルメリクの双眸を凝視した。サダルメリクは訝しげに視線を返す。

「あの、ごめん、それが……、」

 ナディーンは頭の中で何かを整理するように言い澱んだ。サダルメリクの視界から逃れるように、左手を腿の横について躰をねじり、視線をそらせたまま小さく続ける。

「せっかくもらったのに、街から街へ移動してるうちに、無くしてしまったの。だからもう手元にないのよ」

 ナディーンの視線の先で、再び小鳥が草むらに舞い降りた。水路の水面(みなも)を滑る羽虫を待ち構えている。陽射しは幾分か傾いていて、黄金色に熟れた光の矢で葉の繁みをつらぬいた。

「………、そう、それは仕方ないね」

 狙いあやまたず、小鳥が羽虫を捕え、嘴に咥えたまま水飛沫を散らして舞いあがった。水路を泳ぐ魚が二匹群れ、つ、と向きを変える。

 ナディーンは驚いて振り返った。

 サダルメリクはこのうえなく穏やかだった。夜の底で砂漠の砂が冷えきってしまう前の、じんわりと熱を残した暖かさ。

「舞踊大会は、いつ予定されているんだっけ?」

「あ、明後日。日没から王宮前の広場で」

「君が素晴らしい踊りを披露できるよう、僕から贈り物をあげる。君の宿所に届けるから。それを身につけて踊ってほしい」

 サダルメリクはウードを取って立ちあがった。

「サダルメリク、でも………!」

涼風(すずかぜ)がたってきた。そろそろ戻ろう」

 

 翌日の午後、ナディーンに贈り物が届けられた。今度も、受け取ったのは雑用をこなしている少年だった。届けてきた青年は、ナディーンに知らせようとするのを固辞し、足早に去った。ひどく疲れているようだった、と、少年はナディーンに伝えた。

 粗末な麻布に包まれたそれを拡げると、するりと蜻蛉の翅のように軽い紗が、手からすべりおちた。どんな糸を使っているのだろう、独特の光沢と透明感のある紗に、大小さまざまな輝石がちりばめられている。ところどころに藍色の石や紫水晶アメジストがあしらわれ、高貴ながらも華やかな印象を与えている。

 あたいなど想像もつかない品だった。こんな品は、安息の都バグダッド教主カリフの媛君でもなければ手に入れられないのではないか。

 ナディーンは魂を奪われたように、放心したままその紗を指にかけて、ゆっくりと舞い始めた。輝石をちりばめた軽やかな紗は、ナディーンの動きによく映えた。

 誰の口からもため息が漏れた。

 団長は驚きを呑みこめないまま、言った。

「夜の篝火のもとでは、よりなまめかしく、妖しく輝きを放つだろう……一体、どんな後援者がついてるんだ」

 最後は独り言のようだった。

 ナディーンは茫然と、硬質の輝きを放つ紗を見つめ続けた。


 その夜開催された舞踊大会は、ナディーンの優勝に終わった。

 舞台に現れたそのときから、観客が息を呑むのが、聞こえてくるようだった。躰をくねらせ踊る動きにあわせて、捲きつけたり風を孕ませたりと自由自在にあやつれば、星屑のような輝石は、篝火をうけて気まぐれに瞬き、光の軌跡となってナディーンの踊りをなぞった。

 ナディーンは褒賞として金貨千枚を賜り、イスキア一の舞姫の称号を手に入れた。その後の一座の興行も大入りで、一躍有名になった。

 ナディーンは舞台の合間を縫ってサダルメリクを探した。大会の直後も、サダルメリクの姿をもとめて人混みのなかを駆けずり回ったのだ。しかし、全く見つけることができなかった。唄歌いや音楽士が集まる界隈にも足を運び尋ねてみたが、朽ち葉色の外套をまとったウード弾きの姿を見たものは、ついぞいなかった。



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