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第五章

 満月(プルニマー)の夜のたびに催される宴を、テージャスは苦手にしていた。満月(プルニマー)の宴だけではない、王の生誕祭、ランカー国の祖であるクベーラ神を祀る祭儀(プージャ)も、あのように仰々しいものでなければいいのにと思う。

 しかしテージャスは王子で、となれば儀式に参加しないわけにもいかない。クベーラ神に感謝を捧げ、その威光を知らしめる祭儀(プージャ)の重要性はわかっているつもりだが、さりとて華やかな場は苦手だ。

 もっとも、祭儀(プージャ)ならいい。厳かな祭儀(プージャ)で必要なのは祭詞(ヤジュス)をなめらかに唱える口で、社交術ではない。

 しかし宴となると話は別だ。出席者と言葉を交し、淀みなく会話をつなぐ技術が必要だ。それはテージャスのもっとも苦手とすることで、考えるだけ頭が痛くなる。だから迎えの女官も来ないうちから赴くなど、今までのテージャスにはなかったことだ。

「まぁ、テージャス様……」

 現れた第三王子に、女官は大きな目を見開いて驚いている。いつもなら迎えの従者がやってきてもなお腰を上げないテージャスが、宴の始まりを知らせる鐘の音もまだ鳴らないうちにやってくるとは驚くのも無理はない。

「ラーヴァナ兄上は、いらっしゃってるのかな」

 テージャスが話しかけると、女官はますます驚いた顔をする。

「……わたくしは、存じ上げません」

 その口調はどこか強ばっていた。彼女の言葉は丁寧ではあるが、どこか恐れているようだ。テージャスは、果物の載った大皿を運び込む女官のほうを、見るともなく見やる。目が合ったように思ったが、彼女は目を逸らせる。まるでテージャスを見ていたことを悟られないようにというようだ。それは彼女ばかりではなかった。

 王子の席に案内され、円座に腰を下ろすと女官が盆に載った杯を捧げてくる。果実酒(マディラー)を注がれ、馥郁とした香りを吸い込みながらあたりを見回すと、たくさんの視線にぶつかった。それらは皆さりげない視線で、そうと意識しなければ気づかないものだろう。しかし今日のテージャスは、気がついてしまった。そしていったん意識すると、どうしようもなく居心地が悪い。

 宴の間には、着飾った男に女、たくさんの者が集まっている。王族の席を取り囲むように並んでいる藩侯の席を埋める者たちにそっと目をやると、彼らは視線を逸らせた。先ほどの女官ほどではないが、彼らもやはりテージャスを見ているのだ。そしてその理由に、心当たりがないわけがなかった。

 来なければよかった。後悔するテージャスの耳に、鐘の音が聞こえた。王がやってきたのだ。皆その場にひれ伏し、テージャスもそれに倣う。

「おお、テージャス」

 王は、円座に腰を下ろすと真っ先にテージャスに声をかけた。頭を起こすように言われて、顔を上げる。ヴィシュラヴァスの嬉しげな表情にテージャスも微笑む。父が喜んでくれるのなら、来てよかったと思った。

「お前が進んで、満月(プルニマー)の宴に顔を見せるとは。嬉しいことだ」

「あの……、はい」

 テージャスは、満月(プルニマー)の宴そのものを喜んでやってきたわけではない。しかしテージャスが宮中の祭事に積極的に出席することを喜ぶようなヴィシュラヴァスの前では本当のことは言いかねて、テージャスは口の中で曖昧につぶやいた。しかしヴィシュラヴァスはテージャスの返事を期待していたわけではないらしく、なおも微笑んだままテージャスを見つめている。

 テージャスの前には、王妃たち、第二王子、第三王子の席がある。しかし求めてきた姿はなく、テージャスは声を上げた。

「父上……」

 ラーヴァナのことを尋ねようとしたテージャスの声をさえぎって、広間がざわめいた。テージャスは庭園に面した柱廊のほうを振り返り、思わず声を上げた。

「ラーヴァナ兄上!」

 そこにいたのはラーヴァナだった。彼は黒い馬に乗っていた。馬の蹄が石の柱廊を蹴って、荒々しい音楽のように響く。乾燥した風を受けたラーヴァナは短い髪をなびかせ、彼の濃い緋色の上衣(クルター)も同様だった。

 彼は、まるで風のように現れた。広間の誰もが、唖然と彼を見た。

 馬から飛び降りたラーヴァナは、編み(クハラーウ)の音を立てながら広間に入ってきた。誰もが彼に道を譲る。

 満月(プルニマー)の宴に、このように荒々しい現れ方をした者は今までにいなかった。皆があっけにとられてラーヴァナを見る中、テージャスの横をやはり風のように早足で抜けたラーヴァナはヴィシュラヴァスの前にひざまずく。厳しい表情を彼に向け、言った。

「今日が宴だなど、私は聞いておりませんが」

「そのように、恐ろしい顔をするな」

 驚いていたヴィシュラヴァスだが、さすがに王の貫禄は失わず、鷹揚な笑みを浮かべたままラーヴァナに席を指し示した。

「皆が驚いているだろうに。まぁ、席を取れ」

「『第一王子』を差し置いて、何のご相談だったのです」

 皮肉な物言いでラーヴァナは言った。その口調は自分が招かれなかったことではない、もっとほかのことを示しているように感じられた。ヴィシュラヴァスは顔色を変えたわけではなかった。ただ恐れるような色が走ったことを、テージャスは見て取った。

「そういうわけではない。しかしお前は戻ってきたばかりだろう。宴だなんだと、疲れることだろうと思うてな」

「……それが、父上のお考えですね」

 ヴィシュラヴァスの口調は、言い訳じみていると思った。彼は睨みつけるラーヴァナの視線から目を逸らせ、それに王が息子を恐れていることが読み取れた。しかしラーヴァナは、逃がさないというようになおもヴィシュラヴァスを鋭い視線で見据えている。周りの者たちは、そんなふたりを前にざわめいた。

「せっかく来たのだ、お前も席を取るがいい」

「いいえ、結構です」

 ラーヴァナは、ひざまずいたときと同じ勢いで立ち上がった。そのまま広い宴の間を突っきり、つながれないのにおとなしく待っていた黒馬に飛び乗った。

 馬の蹴り上げる地面からは、砂埃がもうもうと立った。乾いた風がラーヴァナの髪を強く煽ぎ、肩掛けも、ともにはためく。彼はそのまま、庭園を抜けて姿を消した。

 その場にいた者は、皆あっけにとられてラーヴァナを見送った。振り返ってラーヴァナの残した砂埃を見つめていたテージャスの背後で、人が動く気配がした。

 ヴィシュラヴァスが立ち上がり、従者が続く。彼は居並ぶ人々が立ち上がろうとするのを手で制し、言った。

「私は下がる。皆、楽しむがよい」

 そう言って、ヴィシュラヴァスは行ってしまった。残された者は戸惑うしかない。宴を続けるように言われても、王がいなければそういうわけにもいかない。困惑に揺れる皆の声を、手を叩く音がさえぎった。

「王の仰せです。皆、宴を続けなさい」

 両手を打ったのは第二妃のラカーだった。白けてしまった場を取り持とうというように、柔和な顔に笑みが浮かんでいる。彼女の手の音とともに腕輪がしゃらしゃらと鳴り、その音は宴の場の空気を、少しだけもとに戻した。再び音楽が響き、歌唄いの声が流れる。

 宴は、王がいないことを除いてはいつもと同じように流れていった。しかし、その場の空気はいつもの宴とはまったく違った。皆、何かを恐れているような、それでいてその恐れの原因に言及したくないというような、そんな空気だった。

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