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第二十二話

 ラーヴァナに与えられたのは一面を玻璃のように輝く不思議に透けた壁に覆われた、広い部屋だった。

 外から見ればただの大樹だったのに、中は透明な壁が張り巡らされた立派な城だ。ラーヴァナは、透明な壁を通して見える夜空を眺めていた。

 外は、見ているだけで息が詰まりそうなほどに豊かな緑で覆われている。ランカー国で見慣れた景色とはあまりにも違う。

 天界と人間界では受ける感覚も違うのか、食べもせず眠りもせず、それでも大して疲労を感じることはない。それともヤマが言っていたとおり、ラーヴァナが『人間の王』とやら――人間でもあり天界人でもあるという、奇妙な存在だからなのだろうか。

 差し込む月の光は眩しすぎる灯となって壁に映ったラーヴァナの顔を染める。ラーヴァナは顔を上げた。思わず目を眇めてしまうほどに、月の光は眩しすぎる。太陽のかけらのように眩しく光る月は、ラーヴァナの部屋に広がっている。

 その光の染める範囲が、どんどん広くなっていることに気がついた。気のせいではない。その光は生きもののようにうねり、形を変えていく。

 月の光はひとかたまりになって、それは見知らぬ女の形になった。

 淡い金色の女だ。床まで届く長いまっすぐな髪はまるでそれ自体が煌めいているようで、その髪だけではない、大きな金色の瞳も真っ直ぐに通った鼻筋も、艶やかに潤った小さな唇もすべて、木々の隙間から溢れる月光のように美しい女だ。彼女はラーヴァナには目もくれずに、部屋を見回す。

「誰だ、お前は」

「人間に用はないわ。わたくしはスラーディパに用があるの」

 ラーヴァナは女にその無礼さを気づかせようと殊更に強い口調で言った。しかし女は、そんなラーヴァナを嘲笑うように見ただけだ。

「おかしいわね。確か、このあたりから気配がしたのだけれど」

「人の寝所にいきなり押し入って、名も名乗らないのか。大した礼儀だな」

 その言葉に、女は顎を逸らせた。そしてラーヴァナを見据えると、不服そうに言った。

「わたくしは東北方天ソーマよ。これでよくって? さぁ、スラーディパをお出しなさい」

 東方天スラーディパであるというクシャとラヴァは、ティールタが連れてこの城のどこかにいるはずだ。しかしラーヴァナには、それを教えてやるつもりなどない。

「気配がしたというのなら、お前が自身で捜せばいいだろうが」

 ラーヴァナの言葉に、ソーマは拗ねたような顔をした。

 ソーマの背後から、新たな人影が現れる。炎のように真っ赤な髪の男だ。彼はやはり赤い眼で、じっとラーヴァナを見た。目の中心に一本走る金色の線が彼の印象を無気味にする。さらにはその眼差しの不躾さに、ラーヴァナは不愉快に顔を歪めた。

「まぁ、アグニ。何をしに来たの」

 アグニと呼ばれた男はつかつかとラーヴァナの前に歩み寄ると、ぐいと腕を突きつけた。

「寄越せ」

「なに?」

 いきなりソーマ以上に横柄な物言いをされ、ラーヴァナは眉根を寄せた。

「スラーディパだ。こちらに寄越せ、人間」

「まぁ、アグニ。そのように言っては渡すべきものも渡せなくなってしまうわ」

 ソーマは殊更に優しい声でそう言って、ラーヴァナの方を向いた。首をかしげて両手を差し出し、なおも柔らかい声で言った。

「わたくしたちにお貸しなさいな。赤ん坊の姿をしているとはいえ、あなたの連れていていい人ではなくてよ。わかっているのでしょう、あれは東方天よ。この天界の長なのよ」

「断る」

 ソーマが猫撫で声で言うごとに、ラーヴァナは顔を深く眉根を寄せた。

「なぜお前たちに渡さねばならぬ。あの子供たちは我が養い子だ。得体の知れぬ者たちに渡すわけにはいかない」

「養い子、だって?」

 大声で笑ったのはアグニだ。それは部屋中に響き渡るような声で、ラーヴァナの眉をしかめさせた。

「人間が、スラーディパの養い親だと。何の冗談だ、それは」

 ひとしきり笑ったあと、アグニは表情を引き締める。そして再び言った。

「スラーディパは、どこだ」

 なおも同じことしか言わない彼らに苛立って、ラーヴァナは声を荒らげた。

「出て行け、お前たち。この城の主に訪問の許可は取ったのか。不作法者どもが!」

「まぁぁ、なんて口の利き方かしら! この東北方天、人間に不作法だのと言われる覚えはなくてよ!」

「行くぞ、ソーマ。この男では埒が空かん」

 アグニは、ちらりとラーヴァナを見た。その目は口調ほどには居丈高ではなく、むしろ何かを哀願しているようだった。そんな彼の目の色はラーヴァナをますます苛立たせ、ラーヴァナは出て行けと繰り返した。ソーマとアグニは、姿を消す。

 月の光は、もとのように足もとに落ちた。先ほどのように動くこともなく、ラーヴァナを包んでいた。しかしその光はどこか気味悪く目に写り、ラーヴァナは月光の溜まった場所から遠のいた。

 ややあって大きな足音がし、現れたのはテージャスだった。彼のいつにない慌てた様子に驚いたが、続く彼の言葉にその焦燥の理由を知って納得した。

「今、東北方天と東南方天の気が……!」

「ああ。やたらにきらきらした女と、口の悪い男が来た」

 ラーヴァナの描写にテージャスは噴き出したが、すぐに表情を引き締めた。

「何用があったのでしょうか。兄上、お聞きになりましたか」

「スラーディパを寄越せと言われたぞ。この城は無防備に過ぎるな。あのような者たちが易々と入ってこられるようでは、お前の身に危険が及ぶようなことになればどうするのだ」

「それは、私もそう思います」

 テージャスは頷いた。

「しかし天界では、基本的に相争うことはないようですので。だから城も堅固ではないし、ましてや八守護天が互いの行き来を阻むことはできません」

「ヤマの城は、侵入も脱出も不可能な盤石のものであったがな」

「ヤマプリーが堅牢なのは、人間の魂を閉じこめておくためだからでしょう。もっともあそこは……主が一番変わっていますが」

 ラーヴァナはテージャスと目を合わせ、同時に笑った。彼も、ヤマの変人ぶりはよく知っているのだろう。ひとしきり小さく笑ったあと、ラーヴァナはため息とともに言った。

「争ったり反目し合ったりするのは、人間の専売特許というわけか」

「しかし、今はそうではありません。西南方天スーリヤと西方天ヴァルナは敵対しあっているし、西南方天は東方天を捜して……いったいどうするつもりなのか」

 テージャスはため息をついた。そして顔をあげて、言う。

「なぜ、力ずくで連れて行かなかったのでしょうか。あの人たちの力を持ってすれば、スラーディパを奪うことは可能であったはずですのに」

 この城に、ああも易々と入れたのだ。人間の子供の姿をしているスラーディパを捜すなど、造作もないことだろうに。しかし彼らはそうはしなかった。特にアグニの方が、今ひとつ乗り気ではないようだった。

「人間の赤ん坊の姿のままでは、どうしようもないからなのではないか。あの者たちに赤ん坊の扱いの心得があるとは思えない」

 ラーヴァナがそう言うと、テージャスは腑に落ちないという表情をした。

「赤ん坊とはいえ……スラーディパです。普通の赤ん坊とは違う」

「しかし、乳だけを飲み泣くことでしか意志を伝えられないのは、一緒だ」

 ラーヴァナは小さく笑った。自分が赤ん坊の生態について語ることができるなどおかしくてたまらない。しかしテージャスは笑うどころではない、不安でたまらないというように透ける壁の向こうを伺っている。テージャスの視線の方向にラーヴァナも目を移し、そこに歪んで映っている自分の顔に目を注いだ。

 木々の間、天空に光る月、その向こうにメール山の頂上にいたる山の端が見える。そこを登れば目指すアマラーヴァティがあるのかと、ラーヴァナは一心に目を釘づけた。

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