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第十七話

 アスマティの夜は、いつもとは違う気が流れる。それを、あれから何度もアマラーヴァティの近くの草原に通うことでスーリヤは知った。次のアスマティの夜はいつなのか。それを心待ちにするという楽しみが、スーリヤにはできた。

「スーリヤ様、どちらにおいでになるのですか」

 それは初めてスラーディパに出会ってから、何度目かのアスマティの夜だった。厩に向かうスーリヤに声をかけてきたのはウシャスだ。

「ここしばらく、よくお出かけでいらっしゃいますのね」

「あなたには、関係のないことです」

 スーリヤの城に仕える従者や女官は、スーリヤに打ち解けているとはいえない。普段からスーリヤは無口だったし、太陽の熱に侵されるときは近づくどころではない。スーリヤ自身弟妹に引け目を感じるのと同じように、自分に仕える者たちにも一線を置いていた。

 スーリヤを恐れないのはウシャスだけだ。その暁色の目も明るい薄紅色の髪も白い肌も美しい女だが、月の光を浴びたスラーディパには遠く及ばないと思う。

 ウシャスが丁寧に頭を下げ、見送っているのを背に感じながら、スーリヤは城を出た。

 アマラーヴァティの結界は、今日は緩んでいた。そして大樹の下、黒髪の女性が座っているのを見つけるとスーリヤは下馬し、彼女に近寄った。

「スラーディパ」

 呼びかけると、彼女は振り返った。曇りのない丸い月の光に晒されて、その浅黒い肌は輝き、魅惑的な色でいつも以上にスーリヤの目を惹いた。

「いつも、ここにいらっしゃるのですね」

 スーリヤの馬は、スラーディパの腰を下ろしていた大木の手前に止まった。スーリヤはひらりと下馬し、スラーディパの隣に座った。いつもはにこやかに迎えてくれる彼女が、どこか元気がない。

「どうなさったのです」

 いつもの彼女と少し違うことに気づいたが、それはこの元気のなさのせいだと思った。スラーディパはスーリヤを見上げ、そしてゆっくりと首を左右に振った。

「何でもないわ」

 しかしその目は疲れた色を隠さず、スーリヤが隣に座ってもいつものように話しかけてくることをせず、スーリヤは首をかしげた。

「どうなさったのです。何でもないというお顔ではありませんよ」

 心配するスーリヤを、スラーディパは見上げた。スーリヤははっとする。

「スーリヤ、あなたの手を貸してちょうだい」

 戸惑いながら手を差し出したスーリヤにスラーディパは身を投げ出し、縋りついた。いつも淑女然とした態度で臨み、決して色めいたところなど見せないスラーディパがこのように奔放な態度を見せたのは初めてだ。まるで別人のような彼女にスーリヤは戸惑った。

 スラーディパの艶やかな黒髪が目の前にある。腕の中にある彼女に胸が高鳴る。いつもの彼女とは違うとは思いながらも、体に回された手をふりほどこうとは思わなかった。

 スラーディパは、スーリヤの腰から手を離した。それを惜しいと思う自分をスーリヤは恥じたが、スラーディパはそのようなことはお構いなしにスーリヤの手を取った。それに自分の手を重ね、目を閉じる。そうされるとスーリヤの体内にある太陽の力が抜けていき、それがスラーディパの手のひらに移るのを感じる。

「ありがとう」

 力を吸い込むようにスラーディパは大きく呼吸し、スーリヤの胸の中で息をつく。顔を上げた彼女は目を眇めて微笑んだ。その表情も、いつもの彼女とは違う艶めいた女の顔だ。

 彼女の漆黒の目は月明かりに煌めいて、宝石のようだ。スーリヤはただ彼女を見つめた。

「スラーディパ……」

「なぁに?」

 スラーディパはスーリヤを見上げ、にっこりと微笑んだ。月光が差し、彼女の顔を艶やかに映し出す。肌理の細かい肌、大きな瞳、整った鼻梁にふくよかな唇。それは東方天だという以上にひとりの女性として、スーリヤの心を射た。

 スーリヤの体は、独りでに動いた。顔を上げた彼女の唇に、自分のそれを重ねた。女性の唇を吸うなどというのは初めての行為だったが、それは目眩のするほどの快楽だった。柔らかい唇の感覚はスーリヤを虜にし、離れようなどとは微塵も思わなかった。

「あ、……」

 スラーディパを抱きしめ、いったん離れた唇をもう一度押しつける。スラーディパは逆らわなかった。ただ、スーリヤの腕の中で脅えたように震えただけだ。そんな彼女の反応に、スーリヤの胸は鼓動を増した。

 彼女は身じろぎをした。少しずらした唇で大きく呼吸をし、目を開いたスーリヤの視界には、彼女がその黒い瞳を大きく見開いているのがわかった。

「アスマティの夜が、終わる……」

 スラーディパは苦しそうにそう言った。スーリヤの腕の中の、スラーディパの姿が消えていく。彼女はいつも、こうやってスーリヤの前から姿を消す。そして次のアスマティの夜まで、アマラーヴァティの結界の中から姿を現すことはないのだ。

 抱きしめていた存在を失った腕を、スーリヤは引き寄せた。自分を抱きしめるような格好で、低く彼女の名を呻くようにつぶやいた。

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