天の章 第十五章
舞台が天界に変わります。登場人物たちの運命をお楽しみください。
天の章
八守護天に数えられる存在でありながら、なぜ自分は虜囚者なのか。
ほかの八守護天たちは風を水を操り、デーヴァとしての格を存分に見せつけるというのに、スーリヤには何もない。それはスーリヤが天界に生じ、西南方天としての意識を持って以来耐えなく続く苦悶だった。
ぶるりと大きく体を震わせて、スーリヤは自室の床に膝を突いた。両腕で自分の体を抱きしめて、迫り上がってくる熱に耐える。体中の骨が鳴るほどに、身の奥から湧き上がる熱は高い。体の奥底に、熱くなって溶けた岩が流れ出してくるようだ。
白い石でできた床に、大きな音を立てて倒れ込む。スーリヤを呼ぶ従者や女官たちの声が聞こえ、帷が開く音がする。しかしスーリヤに近づいてくる者はいない。皆遠巻きに見つめているだけだ。
自分の体の奥から溶岩が噴き出すように、やがて自分自身の手でさえも熱くて触れていられなくなる。手を突くと手のひらが炙られるように痛み、床が焼ける音がした。白い煙が上がって目に染みた。
太陽の力が強くなってきているのだ。そして発生した太陽の過剰な熱はスーリヤの体に流れ込む。そのたびに、スーリヤはこうやって悶え苦しむことになる。
呻きを噛み殺し、冷たい床に体を押しつけてもそれはまるで熱した鉄板のようにすぐに熱くなってしまう。何かが焦げる匂いが近い。そのいやな匂いは自分の体から湧き上がっているのだから当然だ。同時に、胸のあたりがじりじりと痛み出す。白い煙が沸き立って、あたりは焼けた肉や髪の匂いで充満する。
「スーリヤ様……」
そうやって呼びかけられることさえもが煩わしい。それでもなお、近づいてくる勇気のある者がひとりいる。
ウシャスは淡い衣擦れの音とともにスーリヤに近づくのですぐわかる。彼女はゆっくりとスーリヤの傍らに膝を突く。スーリヤ自身が溶岩のように熱くなっているのに、それに近づくことなど自殺行為だ。
しかし、ウシャスだけは恐れない。金の混ざった薄紅色の髪は細かく巻いて垂れ下がり、立ったままでも足もとまで届く長さだ。今の膝を突いた体勢ではスーリヤの目の端にウシャスの豊かな髪が入る。その端がスーリヤに触れ、焦げた匂いとともに白い煙を立てるのもわかった。それでもウシャスは逃げることはしない。
「あちらに、行っていなさい」
強い口調でそう言ったつもりだったが、ウシャスは聞こえているのかいないのか、じっとそこに座っているだけだ。そんな彼女に苛立つ思いも心配する気持ちも、やがてどんどん上がっていく熱の前の苦しみに忘れ去ってしまう。
スーリヤを支配するのは、体中を支配する熱の熱さ、焼ける苦しみと痛み、そして太陽の熱の楯になるしかない自分の無力さを嘆く心。こうやって生きている意味さえもわからずに苦しみの中、恨みに呻き続けるしかないのだ。
気がつくと、スーリヤは寝台に横になっていた。
起きあがろうとしても体中が痛み、指先を動かすこともままならない。体には白い布が巻かれ、その下のぬるぬるとした感覚は体の内からの熱に焼けただれた傷に薬を塗られたからだろう。
いつものことだ。スーリヤはため息をついた。
「スーリヤ、目が覚めたの?」
耳に入ったのは、鈴の鳴るような高い声だ。その主は目を開けずともわかる。妹のソーマだ。彼女の声はスーリヤの、苦痛を堪える体に響く。彼女を止める女官の声がしたが、そのようなものに頓着する彼女ではない。ソーマはスーリヤの寝台にまですたすたと歩いてくると、スーリヤを覗き込んだ。
「素敵な格好ね、スーリヤ」
腫れ上がった瞼を押し開くと、くすくす笑っているソーマが目に入る。地面まで届く金色の長い髪を風になびかせ、金色の目を細め、細い指で小さな珊瑚色の唇を隠して笑う。
「ソーマ様、スーリヤ様はお加減がよろしくないのです。どうぞ、ご勘弁あそばして」
「まぁ、わたくしに命令するの? ウシャス」
ソーマは唇を尖らせて、不安げなウシャスを睨みつけた。
「妹が、お兄様の心配をして見舞いに来て何が悪いというの? お黙りなさい」
ウシャスは口を噤んで俯いてしまう。そして大怪我を抱えるスーリヤを楽しげに見下ろすソーマの横で、気遣わしげに目をやって来た。
妹のソーマ、その双子の弟のアグニ。ふたりはそれぞれ月と炎を生んだデーヴァであり、月の光、炎の勢いを操り支配する八守護天のうちのふたりだ。
しかしふたりの長兄であるスーリヤは太陽を生んだ者でありながら、太陽を支配する力を持ってはいない。スーリヤの存在意義は、太陽に支配されること。スーリヤは、アグニの操る炎の何倍何十倍、否考えることもできないほどの強い動力を持つ太陽が、世界を焼き尽くすことを防ぐための、いわば楯だ。
太陽がその有り余る力を放出させすぎて世界が焦げ始めると、スーリヤの体にその過剰な熱が注ぎ込まれる。その熱を受け止めた結果、スーリヤの体は焼け爛れる。そうやって何度体が焼け焦げたか知れない。このように薬を塗られ布で巻かれ、寝台から動けないことも今までに数え切れないほどだ。
もう慣れた。そうは言いたいところだが、度重なる苦痛は何度繰り返しても決して慣れるようなことなどなく、そのたびにスーリヤはどれほどに傷ついても死ぬことのない天界人の身を呪うのだ。
「難儀ね、スーリヤ。そんな目に合ってなお、あなたは太陽に寄って生きるしかない」
こうやって苦しめられていながらも、それでいてスーリヤは太陽の光がなくては立っていることもできない。太陽に生かされ、その力の堰になり、それでいて太陽の力を己の力として使役できるわけでもない。ただ太陽の行き過ぎた力を抑える者として、スーリヤは存在する。太陽の熱をその身に受けることを嫌がっても無駄だ。太陽の過剰な力は容赦なくスーリヤにぶつけられ、そしてこうやって、たびたび苦しむことになる。
ソーマもアグニも、そんなスーリヤを軽蔑している。八守護天でありながらろくな力も持たない、ただ与えられた運命を甘受するだけの兄を、兄などと思ってはいない。彼らがスーリヤを兄と呼ぶのは、このように傷ついたスーリヤを見舞いに来るときだけだ。それもスーリヤを心配しての見舞いではない。こうやって動けないスーリヤを嘲笑い、嗤笑するためにやってくるのだ。
「それで八守護天なんて言えるのかしら。もとは卑しきヤクシャであったという北方天クベーラでさえ鉱脈を探し出す能力を持っているというのに。スーリヤは何もできないのね」
ろくに返事もしない、否できないスーリヤをつまらなく思ってか、ソーマは長い髪をなびかせて踵を返し、軽い足音ともに部屋を出て行ってしまった。
「私に……このような運命を与えたのは、誰だ」
それは何度も考えたことだ。しかし答えなどあるはずがない。スーリヤは世界に出でしときからそのために存在し、その代わりは誰にもできない。これが西南方天スーリヤの役目であり、スーリヤの存在意義であるのだから。