第七話
ノーマンディールの井戸がすべて枯れたという、信じられないことを聞いた翌日、今日もまた、私は泉のそばに腰を下ろし、周囲をうかがっていた。
今日は昼過ぎであるので、煌煌と照りつける日の光がまぶしい。
いつもと変わらない、穏やかな日だ。
私は、膝の上にいる手のひらくらいの大きさの小人に問いかける。
「ねえ、本当に知らないの?ここに魔が封じられていること」
問いかけに小人は、小さな目をきょろりと回し、彼女を見上げる。
「本当に知らないよ。そんな大昔のことなんか」
そう言い、小さな口をとがらせる。
「魔の気配とか、言い伝えとか……」
「いいや、知らないよ。僕たちも魔に出会ったことなんてないから、魔の気配なんてわからないし、長老も知らないって。」
「そう」
私は小人に気づかれないように小さく息を吐いた。
彼は、私が召喚した小人だ。
人寂しいこの山での生活にどうしようもなくなったときに、ふと気づいた。自分をここに追いやった召喚の力、その力でなんとか話し相手を召喚できないか。
幸いなことに、召喚術の真言を記載した教本と、召喚術についての詳細を記載した書物が何冊か、ジェムナンド山の清泉の巫女が住まう小屋にあらかじめ存在した。おそらく歴代の巫女たちも、孤独なこの環境を少しでも居心地良くするために、召喚術を究めていっていたのだろう。
それらの本を参考にして、召喚術の真言を試して召喚した中の一人が彼だ。人懐っこく、明るい彼は私の寂しかった心を温かくし、楽しませてくれた。
小人は見かけによらず長命であることを以前彼から聞いたことを思い出し、何か手がかりがないかと思い彼を召喚したのだ。
私はまだ魔の存在を信じられなかった。
七年間この地で、清らかな薔薇と泉、かわいらしい小動物と、草木の清らかな気配のほかに、人を脅かすような気配があっただろうか。
不安に、寂しく思ったことはあったが、不思議と恐怖感を感じることはなかった。
それなのに、魔がいるという。
到底私には信じられなかった。
その疑問を問うために、彼を召喚したのだ。
「では、この聖域が薔薇を守るためではなく、泉を守るためのものだったとは知ってる?」
「ああ、それなら知ってる」
「どうして知ってるの?」
彼は少し眉をひそめる。
「どうして知らないのさ?あんたの称号は“清泉の”巫女だろ?」
私は苦笑する。
「そうじゃなくて、‥‥‥私は神官からも、先代の巫女からも、この地が守護されるのは薔薇のために、って聞いていたわ。“清泉の巫女”は守護の内容を隠すものだって」
「じゃあ、どうして隠すのさ?里人たちは知ってるんだろう?おしゃべりな巫女が、ここには泉と薔薇があるって言いふらしているんだから」
そういえば、そうか。
ジェムナンド山の頂上には、美しい薔薇と清らかな泉がある。
これは里人ならば、みな知っていることだ。だからこそ、宿屋の主人は聖騎士の薔薇を見て清泉が侵されたと知った。
たしかにそうでなければ、清泉の巫女が、守るべき薔薇のことを記したものを里人に見せることなどないだろう。それなのにいつの間にかに、薔薇の花を守るのが清泉の巫女の仕事、というゆがめられた内容が、神殿にも、そして巫女たちにも伝わってしまっていたのだろう。
私自身も、称号をいただいた泉ではなく、薔薇を守るというのが、その役目だと思っていたのだ。
「じゃあ、どうして泉を守らないといけないか、知ってる?」
「きれいだから」
その素早い返答に、そして何を言っているの?とばかりの表情に苦笑する。
そういえば、小人たちはきらきら光る、美しいものが好きだった。この泉の水面の光を反射するところなどは、彼らにとっては宝石のようなものなのかもしれない。
そんな私に彼はつぶやく。
「なあ、巫女さん。‥‥‥予感がするんだ」
彼は、不安そうな表情で私の上着の裾をつかむ。
「胸騒ぎがするんだ」
「胸騒ぎ?」
「これからきっと大きなことが起こる」
真剣な表情を浮かべ、彼は私を見上げる。
「善いことか、悪いことか、僕にはわからない。けれど、こんなことは初めてだ。天界も何となくざわついている。絶対何か起こる‥‥‥とても大きなことだ」
そういい、彼は頭を下げて、ギュッと私にしがみついてくる。
「それは、‥‥‥魔が復活したっていう、こと?」
私の言葉に、彼は顔をあげる。
「わからない。そうかもしれないし、違うかもしれない。みんな言ってる」
「みんな?」
「天界の僕の仲間たちだよ。同じように言ってる。何か起こるって」
沈黙が二人に訪れる。
やがて彼は、私の腕を伝って、肩口まで登ってくる。
そして私の頬にそっと自分の体全体を押し付ける。
「なあ、巫女さん」
いつも元気で快活な彼が、神妙そうにつぶやく。
私は彼を元気づけるためにも、彼の言葉によりもたらされた不安を隠すように微笑む。
「なあに?」
「僕たちは友達だよな」
突然の問いかけに私は首をかしげそうになり、彼がくっついていることを思い出してとどまる。
「ええそうよ、私は友達だと思っていたわ。‥‥‥どうしたの?」
彼は体を少し離して、私の目をじっと見つめてくる。
これは誓いだ。
瞳をかわしながら、つぶやく言葉は嘘であってはならない。
偽りならば、天界から神罰の雷が下る。
「僕たちは何があっても、ずっと、友達だよな」
「ええ、そうありたいわ」
「これからどんなことが起こるかわからないけど、何かあったら、きっと助けてあげるから」
「‥‥‥」
そして、彼は私の頬に縋り付く。
「巫女さんは僕の初めての人間の友達なんだ。苦しむ姿なんか見たくない」
私は頬を緩ませる。
突然の告白に、表情が緩んでしまう。
「ありがとう」
そして、私の頬にすがりついている彼の体に少し自分の頬をこすりつける。
親愛のしるしだ。
それに彼は安心したように微笑み、お返しに私の頬に口づける。
そしてニッと、笑う。
「僕にできることは限られているけど、巫女さんが望むことなら、ほかのやつらにも手伝ってもらうから、ちゃんと言うんだぞ。ほかのやつの中にも、巫女さんを気にしている奴らがいるんだから」
私はその言葉にさらに頬をほころばす。
「ありがとう。わたしあなたたちが大好きよ」
「僕が一番?」
少し口を尖らし、彼は文句を言う。
私は思わず吹き出してしまった。
久しぶりに声を上げて笑ってしまった。
きっと大丈夫。
どんなことが起こっても、私には心の支えがある。
優しい小人たちや妖精たち。
彼らがいるから大丈夫だ。
ひとしきり話した後で、彼は小人たちの集会に出るために去って行った。
そして私はそのまま泉のほとりで、夕刻の里長の会合の時間までその場でぼんやりとしていた。