第十七話
その後、私の意識はなくなる。
なので、私の口からはこの物語の続きをつむぐことはできない。
伝えられることができるのは、人から聞いた話のみだ。
私は召喚に成功したという。
最後にみた、まぶしい光の後で現れた温かな光と感じたそれが、水の女神様が現れる瞬間だったという。水の女神様の神々しいまでの姿が、私たちの前にあらわれたのだ。私の切なる呼びかけに、女神様は答えてくださったのだ。
興奮状態の人々の中に現れたのは、きらきらと光る水面のような、水色とも金色とも見える長い髪が印象的な、教会にある女神の像よりもはるかに大きな女神様の姿だった。その姿は、流れ続ける水の衣により覆われていたという。
その女神様は、今まさに里人たちに対して、ノーマンディールに対して暴れようとしていた水獣をおさめ、一撫でしてから、天界を指をさしたという。それだけで水獣は攻撃をまるで忘れたかのように、おとなしくなった。そして多少逡巡したものの、直ちに少なからぬ水量をこぼしながら、天に向かってその身をくねらせて、登って行った。かつての伝承の話と同じく。
そして、そんな水獣の姿に、神々しいまでの女神様の姿に、人々は狂乱の雰囲気は一瞬で消えた。まるで、憑きものが取れたかのように、錯乱した里人たちは、何が起こったのか、はっきりとしないながらも、水の女神のあまりに厳かで、圧倒される姿に、手に手に持った武器代わりの農具を落とし、平伏する。
『今日はとても、水の精霊たちが騒々しいと思ったら、あなたたちのせいなのね』
女神さまが、つぶやかれた。
その言葉に咎があると感じ入った里人たちは、言葉もなく、小さく縮こまる。
そうだろう。自分たちは聖域という名の禁足地に、足を踏み入れているのだから。
武器を持ち、あまつさえ、この聖域で、その守護者の血を流させたのだから。
そう、この地を守る、守護者である清泉の巫女に刃を投げかけて血を流させたのだから。
狂乱のままに自分たちがしでかしたことを思い出し、里人たちは顔を白くして、震えて平伏するしかなかった。
聖騎士たちもあまりのことに、言葉なく平伏する。
聖騎士といえども、神々を直接その眼で見ることができたものなど、ほんの一握りしかいない。そんな彼らの前に、まごうことなき神聖で、気高い女神が現れたのだ。
平伏する人々を見て、女神様は大きくため息をついた。
『私の寝所の泉を乱したものがいると、水の精霊たちが騒々しかったけれど、彼らは勝手に井戸を枯らせ、水獣を持ち出したのね』
寝所の泉。
薔薇の咲く泉は水の女神の寝所であったというのか。
そこを乱したことが原因で、水の女神を母とする水の精霊たちが、神罰として水の恩恵を絶ったのだという。水獣を、女神がけしかけたのではなく、精霊たちがけしかけたのだという。
そうして、聖域を乱したことの罰を人間に与えようとしたのだろう。
聖域が水の女神の寝所であるという、まさに寝耳に水の言葉に、一部の里人たちが思わず顔をあげてしまう。聖騎士たちもまた、聞いていた話とあまりにも異なることに、目を見開く。
聖域には、第四の魔がいたというのではないか?
それが、水を枯らしていたのではないのか?
そんな中で、聖騎士の団長が、拝礼を捧げたままに女神様に畏怖の心を持って声をかけた。
『おそれおおくも、声かけさせていただくのは、皇国の――』
『まどろっこしい口上は、私はあんまり好きではないわ』
そう遮る女神様に、団長は一瞬、目を丸くして体を硬くする。そして伏したままの体で答える。
『それでは単刀直入に申し上げます。この泉は、ノーマンディールの民の禁足地は、女神様の寝所でございましたか?』
その問いかけに女神様はきょとんと、いやに人間らしい表情をうかべて答えた。
『さっきそう言ったじゃない』
『ノーマンディールの民は、ここに、開闢以来の魔が封じられている、と』
その言葉に女神様は、一呼吸ののちに、涼やかな声で笑った。
団長の言葉に、魔がいるなどということをはじめて聞く里人たちは、耳を疑った。
『いったい、いつの話よ、それは』
鈴の音のような笑い声をあげて、女神様は続ける。
『もうだいぶん前ではないかしら、そんなことしたのは。魔とはいえ、人の世界に住まうもの。こう永くも私の清めた清浄な場所で生き続けることなんてできるわけないじゃない』
そういうと、感慨深げに女神様は泉を見る。
水獣の飛び去った泉にはもうわずかにしか、その水が残っていない。そして、泉から湧き出でる水の流れは、弱くなっているようであった。
『魔も消滅して、もうすっかりきれいに戻った私のすみかを、守人たちが代々さらに清浄にし続けてくれ
ていたので、一層居心地の良くなったこの場所を、私は寝所にしたのよ』
そういうと、女神様は平伏する里人をみる。
『それを精霊たちが、どういうことか私の寝所は、限られた清らかな魂を持つ人間が守るものだと思っているようで、それを乱したからといって、人間に粛清を加えると、いきり立っていたの』
まるで気易く答える女神様は、続ける。
『さすがにこう騒々しくては、私も気付かずにはいられかったわ。けれど、そんな騒動の中で私に声をかけるかわいい声がしたから出向いてみたら、なんてことなの。彼女は血を流しているじゃない』
その言葉に里人たちは肝を冷やしたように一層顔を伏せ、押し黙り、平伏を続けるしかなかった。
里人たちは巫女の召喚の姿を、水獣の召喚と間違えた。
あまつさえ、井戸を枯らしたのも巫女のはかりごとだと推測した。
その咎めに対しても、自分たちを一望しただけで、召喚の言葉をやめないことに、腹を立て、邪推して巫女を攻撃したのだ。
女神様を召喚した巫女を。
女神様の咎めるような視線はやがて、血を流す私、清泉の巫女に向かった。
そして、女神様は私をそっと掌に収める。
その顔に浮かんでいるのは、聖母のような慈悲に満ちた表情だったという。
『この子はこの世界にはもったいないわ。私がこの子を天界に連れて行く。この子が望んだ通り、井戸の水も戻してあげるわ』
そう言い、目を閉ざし横たわる私に、にっこり微笑んだ。
もう一度あたりに光が満ち始めた。
満ち始めた光に、人々は再び顔を上げる。
女神に連れ行かれる私の姿。
人間は天界に行くことができない。
肉体に縛られたものでは、天界の門を開くことができないからだ。
神々しい、まるで絵物語の絵のように、感じられる光景だったという。
そして――――。




