悪魔の妹
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時刻は善路と咲夜が再会してから、約一時間二十分前まで遡る。
そのころ、善路はレミリアからの追跡から逃れようと、長い階段を下り終えたところだった。
「何だ、この扉は?」
善路の眼前に現れたのは、所々錆の浮かんだ鉄製の扉だった。
薄暗い通路の雰囲気も相まって、まがまがしい気配を感じたが、善路には退路などなかった。
彼が意を決し、銃剣でなんとか薬莢をほじくり出し、再装填を終えたリベレーターをローレディに構え、扉を開ける。
中はただっ広く薄暗い寝室だった。
二十畳程の部屋の中心に豪勢なベッドが置かれており、その周辺にはぬいぐるみが散乱している。
レミリア・スカーレットの寝室だろうか? だとしたら、多少は可愛げがあるというものだ。
善路はリベレーターを下げ、ぬいぐるみを拾い上げる。
「?」
少し違和感があった。
手に持ったぬいぐるみが、酷く痛んでいるのだ。
中の綿は盛大に溢れ、目が片方無くなっている。
それだけなら違和感に気付かなかっただろうが、部屋にあるぬいぐるみ全てが、似たように酷く損傷している。
「気味悪ぃ……」
善路は人形を元に戻すと、足早に部屋から退出しようとする。
何か危険を感じた訳ではない。ただこの部屋が生理的に不快だった。
そして、回れ右をして、階段へと戻ろうとしたとき――――『彼女』と目が合った。
「っ!?」
心臓がこれ以上ないほど大きな鼓動を脈打ち、冷や汗が吹き出してくる。
『彼女』は扉の直上にフワフワと浮遊しながら、屈託のない笑みを善路に向けていた。
迂闊だった。
クリアリングは慎重に行ったはずだったが、善路の知る近接戦闘技(CQB)には『エントリールートの直上に浮いている対象への対処法』など想定されていない。
レミリアが負った失態と同じく、善路もまた『幻想』に慣れていなかった。
「もう帰っちゃうの? 悲しいなぁ……。久ぶりのお客さんなのに」
「……あぁ、すまんね、嬢ちゃん。俺は迷い込んだだけなもんで……。特に用は無いんだ」
善路は動揺を全力で押し殺し、そう返答した。
「ふふっ。嬢ちゃん? 私はあなたよりずっと年上だよ。 ……あなたはニンゲンでしょ? 咲夜と同じ匂いがするもん」
そう言って彼女は地に足をつけると、サイドテールに括られた、細く豊かなブロンドが軽やかに弾む。
「そりゃ申し訳ない。それで、俺……失礼。自分は少し立て込んでおりまして、お暇させてもらってもよろしいですか? フランドール・スカーレットさん」
善路が唐突に名前を呼ぶと、彼女――フランドールは少し驚いた表情で口に手をあてた。
「えぇ? 私、自己紹介したっけ?」
「いえ。ですが、貴女は有名人ですよ、巷では」
……悪評だがな。と、善路は心の中で付け加えた。
紅魔館の主要メンバー。忘れていた最後一人、Frandle Scarlet.
友好度、極低。危険度、極高。
あのレミリア・スカーレットの実妹で、その実力は姉の手をも余らせる、高い戦闘力を持った吸血鬼。
情緒不安定故に、五百年弱もの間、軟禁状態にあると聞く超問題児。
「へぇー、そうなんだぁ。なんか、て、照れるな。えへへ……」
善路の内心などつゆ知らず、フランドールは顔を赤らめた。
「ははっ、殊勝な方ですね。それで、話は変わりますが……実は、自分は外来人でして。この館に招待されていて、お手洗いを探していたのですが、ここに迷いこんでしまったのですよ」
演技力を総動員し、善路は作り笑いを浮かべ、脊髄反射で浮かんだ嘘八百を適当に並べまくる。
レミリアには遠く及ばなかった。故に……プライドなんて投げ捨てた。
戦闘になるくらいなら、それを回避せんと善路なりに足掻き、自分よりずっと幼いナリの吸血鬼に低頭する。
「そうなの? お客さん? ……トイレなら案内しよっか?」
「いいえ、とんでもない。女性の方にそのような迷惑はかけられませんよ。ですので、自分は失礼します」
「わーお、紳士~。……んー、せっかく遊んでもらおうと思ったのに」
「申し訳ありません」
「あ、いいよいいよ。気にしないで! お客さんだもんね」
「はははっ。今度きた時は、是非ともお相手お願いします」
「うん!! またね!」
そう言ってフランドールは、扉の前から体を退けた。
善路は慇懃に一礼すると、顔を伏せ気味に扉へと向かった。
「……なんちゃって」
「え?」
薄ら寒い気配がした。
善路が顔を上げると……、フランドールは笑っていた。
唇の端を極限まで釣り上げ、目を大きく見開き、カタカタと体を揺らしながら……。
「あははははははははははははははははははははははははっっ!! ダメだよ。貴方はねぇ、私と遊ぶの。逃げようったってダメェェェェ!」
同じ人物なのか?
フランドールの変わりように善路は狼狽し、固唾を飲んだ。
「……お姉さんから教わりませんでしたか? お客は……」
「はぁ? 『アイツ』の言い分など知ったことか。それに『客』? 笑わせないで。アナタ、体に匂いついてるよ。アイツの血の匂いが。お姉さまとなにがあったの? お客さん」
「…………」
レミリアを撃った時だろう。
言動も見た目も子供。それに情緒不安定という前情報もあった。
だが、中々どうして、知的なところがあるな。と、善路は場違いにも感心してしまった。
「……オーケー。あんたは一体何がしたいんだ」
こうなったからには演技を続ける意味は無い、とばかりに善路は口調を元に戻す。
「弾幕ごっこ」
フランドールは間髪入れずにそう答えた。
『なぶり殺しになるんじゃないか?』
不意に霖之助の言葉が脳内をかすめ、善路の焦燥を掻き立てる。
無論、善路には弾幕など出せないし、あるのは四十五口径弾が僅か六発。しかもリベレーターの再装填には相応の時間がかかり、第一に吸血鬼に鉛は効果が薄い。
と言うより、いくらここが下の階と言えど、派手に騒ぎ立てればレミリア達に見つかる可能性が大いにあった。
結論から言えば、戦闘は自殺行為である。
緊張で視界が暗転しかける。自分がどこに立っているかも分からない。
倒れそうになりながらも、頭だけは懸命に思考を続ける。
藁にも縋らんと、暗闇の中一人で妙案を探し続けた。
「あぁ、もう。待ちきれない、待ちきれないよぉ!! アナタはすぐに壊れないで、私を退屈させないでぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!!!!」
「……ん?」
フランドールが痺れを切らし、大小様々な弾幕を召喚する最中、善路は彼女のセリフに違和感を感じた。
ただの狂った言い回しの中に、大きな哀愁を感じたのだ。
「待て!!」
見えた。
雷鳴のように迸る、絶望的状況を覆す為の、僅かな突破口。
善路は興奮を抑え、フランドールを牽制するように片手を上げると、声を張り上げた。
「……何よぉ。私は今ノッてるんだから水ささないでよぉ」
フランドールは頬を膨らませると、不満げに善路を非難した。
「うるせぇ。ノんなくていいから、一旦その煮沸した脳みそ入れ替えて冷静になれ。俺の話を聞いて下さい」
「えー……」
「いいから、ほら。座って」
そう言って善路はその場に座り込む。
正直まだ恐怖心はあり、これは賭けだったが、フランドールは大人しくトテトテと善路に近寄ると、その対面に座った。
その行動に善路は心の中でガッツポーズをかました。
まず、フランドールを落ち着かせることが重要だったが、この方法は極めて簡単。
自分から『冷める』事だ。
相手が興奮してるのに、自分も興奮して『殺さないで』だの『来いや』だの煽るから状況が悪化するのだ。
相手にしないという意思表示をすれば、勝手の冷めてくれる。
しかし、次が重要だ。
フランドールは冷静にはなったが、不満は拭えてないだろう。
だから、その不満を解消する。
「タバコ吸っても?」
「やだ。臭いし煙い」
「あぁ……、うん……」
『臭い』とまで言われたことに若干傷付きながら、話を進める。
「なんで無理矢理弾幕ごっこを?」
「だって、一人だと寂しいし、退屈だから……」
「そりゃあ同情しますがねぇ、危ないでしょ。俺ぁ人間だから体は弱いし、弾幕だって出せない。それに俺が死んだら、貴女はまた一人ぼっちだ」
といいながら、如何にも『辟易した』とばかりに頭をふった。
善路のその言葉に対し、フランドールは視線を落とすと、小さな膝を抱える。
「じゃあどうすればいいの? 私はここから出られないんだよ。魔理沙だって最近来ないし……」
「それです!」
魔理沙って誰やねん。と言う言葉をグッとこらえ、善路はフランドールの肩を優しく叩いた。
「え?」
「ですから、俺があなたの望みを叶えましょう」
そう言うと彼女は目を輝かせる。
「じゃあ、弾幕ごっこ!?」
「何でや。違いますよ。外に連れてってあげるって言ってんスよ」
「外って、紅魔館の外!?」
フランドールは何度か『外……外……』と繰り返し呟き、善路にその大きな目を向けると、力強い声で答えた。
「私、見てみたい。人里も博麗神社も……、この幻想卿を!!」
「決まりですね」
善路は立ち上がり、右手を腰にあて、『左手』を差し出した。
フランドールはその手をおずおずと取り、体重を善路にあずけながら、ゆっくりと立ち上がった。
「自己紹介が遅れました。俺は的場 善路って言います。しがない外来人で、外では兵隊やってました」
「ゼンジ、ゼンジ……。じゃ、ゼン君だね! よろしく!!」
「ゼン君?」
「私の方がおねーさんなんだから。いいでしょ、弟っぽくて。あ、私はフランおねーちゃんでいいよ」
と、無い胸を張った。
「嫌っす」
「……えぇ…………」
「まぁ、いいっすよ。しかし、おねーちゃんは勘弁でして下さい、フランさん。……あ、それから俺はこれから人里に向かいたいんですが、ここら辺の地図とかないですか?」
「んー、あるよ。探すのにちょっと時間かかるかもだけど」
「申し訳ない、お願いします。あと、この紅魔館を出るのに一芝居うってもらうことになるんですが。……ほら、あなたのお姉さんを騙さないと」
「うん、分かった。取り敢えず、地図を持ってくるね!!」
「頼みます」
そう言ってフランドールは部屋から出て行った。
「ちっ、厄介なガキだ」
善路はフランドールがいなくなるのを確認すると、忌々しそうに……本当に忌々しそうに呟いた。
そしてタバコを取り出すと、無作法に火を付ける。
吸血鬼などと言うコブが付いたが、何とか、この館から逃れる手立ては付きそうだ。
正直、善路はフランドールにこれっぽっちも同情などしていなかった。全ては、演技だ。
紅魔館の外に出たがっている、と言う話は霖之助に聞いていたので、その隙を突いた。
だから、『左手』を差し出したのだ。
フランドールは、言うなれば道具。
安全に人里たどり着く為の道具に過ぎない。
「さて、どうやって利用してやろうかねぇ、『アレ』。使い道は色々ありそうだが、それは追々考えるか」
そう言って乱暴にタバコをもみ消した。