6、三度目の…
「お久しぶりですね」
暗がりの光という店の佐々木という店長は今、絶体絶命のピンチに立たされていた。
鮮烈な一夜にて初遭遇したお嬢さんはにっこり微笑んだ。
忘れたくても忘れられない。
「ご友人のことでお聞きしたいんですけど」
「ほ、本人にきいたらどうですかっ!」
「病気で面会謝絶ですって。あの子が強靱なのは私よく知っているのですけど。会長はお出かけでいつ戻るか謎なんです」
ぞくりとするほどの甘い声で彼の退路をぶちぶちと断っていく。10は年下の娘に何をびびっているのだと彼は己を奮い立たせるが、思わぬ視線の強さにたじろぐ。
「今夜、お食事でも?」
それは問いですらなく、宣告だった。
それが正しいのか、間違っているのかさえ定かではない。
1.
白い壁がくすんで見えるほど、掃除してないんだろう。そういえば、奥まで来たのは久しぶりだった。
拓真は広い室内を見渡してそう思った。異界門の制御系を司っている室内もやはりどこか、薄暗い。半世紀は稼動している中央の機械のみ銀色に磨き上げられているのは商売道具以外どうでもいいという主張の現われだろう。
「心配要らないとはどういう?」
「推測はついているのではないかい?」
拓真は微かに笑みを見せて問い返す。返答はなかった。推測はあるが、口にはしたくないのだろう。代わりに中央の制御装置の音が静かになった。彼は舌打をして、今、自分が入ってきた場所を見据えた。
「お祖父様! ご無事でしたか」
その声と共に入ってきた人物は拓真に駆け寄るとほっとしたように微笑んだ。そうしていると年相応に見えたが、それも一瞬だった。
彼でないとすれば、誰が落ちたというのだろうか?
すぐにそのことに思い当たったのだろう。問いかけるような孫娘の視線を避けて拓真は機械を向く。
「僕は、ね。優希は、戻りなさい」
「被害者がいるのなら、保障の話もあります。身内にも連絡も……」
「必要ない」
優希の言葉を遮った声は冷たく響いた。
「連絡先は知っているよ。僕の責任だから、優希がすることじゃない」
わずかに和らいだ声で、優希に告げる。
「何を企んでいるんですか?」
優希の問いに彼は苦笑した。いつかは問われることだと思っていた。
やるべきことをしている。けれど、それが正しいのか、わからない。
それでも。
待っていた。
「円環が正しく回るように」
拓真は彼女にだけ聞こえるように呟いた。
「その先は知らない」
2.
「うわわっ」
璃亜の悲鳴がこだまする。
碧は振り返り苦笑した。見事にしりもちをついている。山道は確かに歩きづらいだろう。綺麗な服も靴も汚れてしまう。しかし、背負ってあげれるほど彼の体力も有り余っていない。
「いたた……」
璃亜の前に立ち手を差し出す。せいぜいこのくらいだろう。
彼女はわずかにためらい、それでもその手を握った。
「掴めるんだ」
先ほどの彼と同じようなことを口にする。立ち上がってもその手を彼女は離さなかった。片手で服についた土を払う。雨が少ない季節だからそれほど汚れずに済んだだろう。
そっと碧は璃亜の様子を伺う。記憶にある姿と少しも変わっていない。はじめて見たときからすでに9年たっている。
最初は12くらいのことだ。あのころは祖父が元気だった。まだ、なにも知らずにいれたころ。
次は、15でうすうす気がついていた。
今は諦念を知っている。
「行かないの?」
「転ばないように」
彼女が顔をしかめたのが見えた。しかし、手は離れない。
冷たい手だ。あんなところに突っ立っていれば当然といえる。早く部屋に連れて行くほうがいいだろう。
碧は慎重に山道を降りていった。
「碧君」
「……なにか?」
「結局のところここはどこなの?」
「見たとおり」
視界がようやく開けてきた。
町並みは低く、この地ではレンガ造りが多い。遠くには王城も見えるだろう。王都レディンの東と北に山がある。その東側がここになった。
この裏側に彼のいた屋敷もあった。今では廃屋に近いだろう。
璃亜はぽかんとした顔でそれをみていた。
「先は、もう少し景色が違うかい?」
「いや、なんていうか、世界が違うんだけど……」
途方にくれたような顔で彼を見上げていた。まだ握ったままの手がぎゅっと力をこめられる。
不意に碧は理解した。つまりこの手は、彼女の不安の表れであったのだと。いきなり消えてしまうのではないかと思い、繋いでいたかったのだろう。
年上の癖に。碧は苦笑した。
それを別な解釈をしたのか彼女はあわてたように口を開く。
「あ、信じてないでしょ! 違う世界があってね、それでそれを開く門があるの」
「知っている」
「事故でも起こって落っこちて……。知ってる?」
「異界を知っている。もっとも、本当にいったことはないし、証拠はまだないけれどね」
たぶん、彼女がいなければ調べようとも思わなかったことだ。
微かに疑いを浮かべて見上げる璃亜に碧はうなずいて見せた。
「なら、帰れないってことじゃないっ!」
「自力で帰れると思うよ。行くよ?」
彼女がしぶしぶ頷くのを見届け、碧はふもとに下りていった。
3.
空が広い。それが璃亜の感想だった。高い建物がほとんどないせいだろう。近くで見れば、異界というより、海外の田舎町といった感じがする。しかし、王都と聞いたのだから、ここが一番都会なのだろう。
「本当に大事なものは地下にあるよ。地上は何も育たない」
「へ?」
「不思議そうな顔をしていたから。ほら、こっち」
石造りの門とおぼしきところに人が列を作っているのが見えた。しかし、碧は門から離れたところへ引っ張っていく。
「正面から入らないの?」
「面倒だから」
木々の陰になっているところから町の中に進入する。町を覆う壁もなければ、柵もないのだから出入りはかなり自由そうだ。
ならばなぜ、門に並ぶのだろう。
「あっちに並んでる人は?」
「異国から来たなら審査を必要とする。けど、ないだろ。身分証」
「ない」
ちらっと運転免許を思いついたが、それもここでは役に立ちそうにない。
璃亜は手を引かれるがままについていく。何度か曲がり角を抜け、大通りと思われるところに出た。思っていた以上の人の多さに璃亜は驚く。
「祝祭が近いから、今日は人出が多い」
「祝祭って?」
聞きなれない言葉に璃亜はいぶかしげに問う。碧は驚いたように少し沈黙した。彼にとっては普通の言葉だったのだろう。璃亜は問わずに済ませばよかったと後悔する。しかし、今更なしにはできない。
「実りに感謝し、下から神が訪れる日。午前中は儀式的で昼過ぎたら騒がしい」
碧は言葉を選ぶようにゆっくり言葉をつむぐ。璃亜は今度は眉間にしわを寄せた。今度は神様がいるという。璃亜は神様なんてあんまり信じていない。いざというときはおもいきり頼ったり、嫌なことがあればうらんだりする程度だ。
「風払いの祈りは山の主へ、吹き下ろす風を減らせと森の主へ、海の風をおこせと空の主へ、空の主は気まぐれ」
「なにそれ?」
「おまじない。はぐれないように」
そのとき、風が吹いた。
碧はあわてたような表情で隠していた目を押さえる。しかし、璃亜は微かにその色が見えた。
綺麗な緑色。
「やっぱ才能ないや」
あきらめたように呟いた声に碧を見上げる。彼は堅い表情でつないだままだった手をぎゅっと握る。
「さて、逃げよう」
璃亜が問い返す間もなく彼は来た道を戻り始めた。
いったい何から逃げるのか?
「申し訳ない。この眼はこの地では不吉でね。もし見られていたらまずいから」
4.
拓真は携帯電話を手に迷っていた。昨夜の時点で鬱陶しくて切ったままだ。電源を入れたら鳴り出すのはわかっている。
「会長、いいんですか?」
恐る恐る声をかけてきたこの施設の責任者に彼は一瞬視線を向ける。
「他人に任せるつもりはない」
しかし、すべての用事を優希に押し付けて山奥の異界門にこもっても事態が解決するわけでもない。しかし、ここでいなくなったのだからここで待っていたかった。あの日から既に二日経過している。その間、彼女の実家にも連絡を入れたが、彼女の身内はそっけなかった。
『姉はほっときゃいいです。そのうち戻ってくるし、同じところにもどってくるし。帰ろうって思えば、だけど』
彼女の妹は電話口でそう言っていた。口調が心配ご無用! と言いたげで拓真はそれ以上なにも聞けなかった。この家ではコレが普通なのかとは聞きたくない。彼女の両親はといえば、温泉旅行で不在だった。今頃、戻ってきているかもしれないが消息不明ですとしか伝えようもなくそれも気が重い。
拓真は苦りきった表情で周りを見回した。研究者たちがそれぞれの方法で視線をそらしていく。研究以外に興味もなさそうな彼らでも気になるらしい。
現在のところ多忙なはずの会長が仕事も予定も放棄しているのはよほどのことに見えるのだろう。
彼女が誰なのか、まだ言ってないが知られるのも間近かもしれない。
「手をつかんでいても消えてしまうのだから手に余るよ」
彼は小さく呟いた。
彼女がなぜ、消えてしまったのか。それは異界自体に関係がある。彼女の血筋の誰かが異界出身なのだろう。もともと属していた世界にひきづられるということは有りえる。ただ、少し問題なのは、その世界が既にない、ということだろうか。ならば、彼女はどこにいったのか。
完全に消息不明なのが現状で、幾ら探してもどこにも出てこない。異界門内部で迷子の可能性が有力視されている。
その状況でも拓真は落ち着いているように見えた。少なくとも微かな苛立ち以外が表に出てこない。
不意に拓真は風を感じた。そして顔をゆがめると右目を押さえる。
「会長! 揺らぎを感知しました。しかしこれは……」
「時空嵐ですね。時渡りとしか」
「先に行ったなら情報を取らせてもらえますよね」
「どこに行ったかによって違うだろ」
聞こえる声をすべて無視して拓真は走り出していた。
入り口までたどり着きそこに探し人を見つけた。
彼女はまだ拓真に気がつかずしげしげと自分の手を見つめ、何かを確認するように小指にふれた。無意識だろうが柔らかい微笑が浮かぶ。
拓真は鈍い痛みを感じる。それは、自分のためではない。他の誰かのため。おそらく、この先もその表情を向けられることはないだろう。
「おかえり」
いつものように聞こえるように注意をしながら彼は声をかけた。璃亜はあわてたように両手を後ろに隠した。ごまかすような笑みを浮かべかけて、急に眉を寄せた。
「迎えを待ってたんだけど」
「座標特定不能で、実家に連絡を入れれば、妹さんがほっといていいって……」
「藍の薄情者っ! で、待ってたの?」
拓真は肩をすくめて見せただけだった。疑わしそうな表情で見られても思ったほど傷つかなかった。
そっと近寄り油断したように見上げてくる璃亜をぎゅっと抱きしめる。
「ち、ちょっと……」
「しばらく、実家に帰ってなさい。車は外にあるから」
「え?」
「屋敷にも戻らないように。連絡もしない」
「なにそれ? どうして?」
「研究者の餌食になりたいなら、止めないけど」
「餌食……?」
璃亜は拓真の後ろに見える奥への入り口を見て絶句した。いつのまにか観客がいた。今のところ面白がっていような雰囲気だが、それもすぐに興味の対象が変わるだろう。拓真は苦笑した。璃亜はそんなことをよりも現状のほうをどうにかしたいらしい。じたばたと今更暴れたところで何も変わりはしない。
「了承?」
「わかったから離してっ!」
拓真はそっと彼女を離した。璃亜はそのまま建物の外へ出ていく。赤い耳が髪の隙間から見える。彼は小さく笑いつつその背を追う。見送りくらいは許されてもいいはずだ。
空は暗い色の雲が覆っていた。外には誰もいない。少しはなれたところに車が止まっているのが見えた。その場で璃亜がくるりと拓真を振り返る。
「あとで話したいことがあるの」
「その異能なら知っているよ」
微かにためらうように彼は言葉を続けた。
「だから、結婚して欲しかったんだ」
「……能力目当て?」
「ある意味では」
璃亜の唖然とした表情が怒りに染まっていく。言葉を探すように何度か口を開き、閉じる。拓真は冷静な表情でその言葉を待っていた。
「だいっきらいっ!」
言われた本人は涼しげな表情で聞き流していた。
「その余裕ですっ! って態度が気にいらないのよーっ!」
「予想の範囲内だからだよ。嫌なら戻ってこなくてもいいんだよ。君の好きなようにすればいい」
それだけ告げると拓真は背を向けた。施設の扉を閉めてため息をつく。
本当は、逃げてしまいたかった。
問題は山積している。一番の問題を頭の隅に押し込み自嘲の笑みを浮かべた。望んだことの結果なのだから、もう仕方ない。責任を取るだけだった。
彼は表情を消して建物の奥に消えていった。