アカツメクサ
「本当に呪ったのか?」
ハンスは、ゾンビの後ろを走りながら問う。
アイリス救出に来ただけなのに、自分のせいで王を呪ってしまったのだろうか。
「呪ってはいない。あの黒い炎もただの幻影だ」
ゾンビは、短く答え、やがて二人はある部屋の前にたどり着いた。
「……ここか」
☆
ゾンビは部屋の外で、念のため美女の仮面をつけた。
「なんで、女の姿、嫌ってるのにまたその姿なんだ?」
「私に、始終鏡を眺める趣味はない。自分の顔を被っても、おそらくぼやける。一番よく見ていた顔がこの顔だけだっただけだ」
部屋にいるのは6人。
他は綺麗な当世風のドレスを着ているのに、一人だけ古風な―ゾンビが生きていた頃のデザインのドレスを着ている。
「――」
ゾンビはぴたりと立ち止まり、息を呑み、空気を吐き出したときに声にならない呟きをもらした。
囚われの姫君たちが一斉にこちらを注目するが、ゾンビはその古風なドレスを着た一人だけを見つめる。
女性たちが囚われている部屋には入らなかった。廊下に縫い付けられるように動けなかった。
「ハンス、助けに来てくれたの!」
アイリスがハンスに飛びつく。
元々、姫に良く似ていた彼女があの時代のドレスを着ていると、生き写しかと思った。
「彼―じゃなかった。彼女が……いや、ごめん。やっぱり、彼が助けてくれたんだ」
しばらく、アイリスをぼぅーっと見つめていたゾンビだったが、人目を気にしてハンスがわざわざ「彼女」と言ったことで我に返る。
ハンスを睨みつけた後、アイリスに問いかける。
「どこも怪我はないか?」
特に名乗っていなかったが、アイリスは驚いた顔をするとゾンビに飛びついて、花のように笑った。
「ゾンビさんはいつでも助けてくれるね」
そこにあるのは、過去の手に入れられなかった笑顔だ。
ゾンビの心の中では、深い安堵とそれよりなお深い苦しみが渦巻くが、渦巻いている感情に蓋をして、アイリスに言う。
「故郷に帰りたいものはこちらでできる限り旅費を負担すると言ってやれ」
結局、玉の輿を信じて来た人と連れられてこられた人が半々だった……。
玉の輿を信じる人とはここで別れ、無理やり連れてこられた人と共に城を脱出する。
近くの木に括り付けていた馬は、おとなしく草を食んでくれていた。
今、王城は、あちこちにできた壁に、大わらわだろう。
何より優先して、謁見の間の壁を破壊しなければならないだろうから、追ってくるのはもう少し後だろう。
「この宝剣を売り払って来い」
刀身自体は錆びているが、宝石が柄にいくつか付いている。
さびた宝剣を売り飛ばした金を三等分して、二人の少女に帰るまでの旅費を渡した。
二人が礼を言い、人ごみの中を去っていく。
「さすがに、城の中が迷路になっていたら、住みにくいだろう」
ゾンビは二人の少女の姿が見えなくなると、幻影の仮面をはずして、城の壁を元に戻す呪文を唱えた。
幻影を維持しながら、別の呪文を唱えるのは、相当疲れる。
そして、三人は王都を後にして、村に向けて歩き始める。
アイリスかハンスだけなら馬に乗せてさっさと帰れるが、さすがに馬で三人乗りは危ない。
「どっちか馬に乗るか?」
ハンスは、遠慮するという風に首を横にぶるぶる振る。
(まあ、城に来るまでにかなり飛ばしたからな)
ゾンビがアイリスのほうに目を向けると、アイリスはきらきらした瞳で「乗りたい」意思を示した。
結局、馬にはアイリスを乗せ、ゾンビが馬の轡をひく。
「綺麗なお姫さんいっぱいだったけれど、やっぱ一番はシャムだったな」
「それ以上――」
――言ったら、お前もゾンビにしてやるぞ――と続けようとゾンビは思ったが、
「……シャム?」
にこやかな笑みをアイリスがハリスに向ける。放っておいても制裁は加えられるだろう……。
ハンスは、必死に話を逸らそうとして、あることを思い出す。
「あっ。金、貰って来たまんまだ」
城門で、美女の顔を見た兵士がとりあえずの報酬として渡してくれた(それでも庶民には結構な額だが)。ゾンビに渡そうとしたら、
「どうせ、ゾンビには使い道はないさ。何か入用になったときのために取っておけ」
そう笑って。
ゾンビは、突然、全身の血が逆流したような感覚と身体が息をするのを忘れたような感覚にとらわれる。
倒れる。
「ゾンビさん!」
「おいっ。しっかりしろ。どうしたんだ!」
ハンスが、ゾンビの体を支えようとし、アイリスも馬から下りてゾンビに駆け寄る。
死しても、腐肉を集めて生き続けるゾンビの体がついに終わりを迎えた。
―許されるのか?
近くにいるはずなのにアイリスたちの声がとても遠い。呪わしい身体に終わりが訪れるというなら喜んで受け入れよう。
―……でも本当はもう少しだけ君たちの幸せを見ていたかったよ。
「……――」
彼が、最後に呼んだ名は……アイリスの名か別の誰かの名か。
「今、なんて言ったの?」
アイリスがそういった時には、彼の瞳は光を失っていた。
「ねえ、冗談でしょ……」
元から、目も濁っているし、息もしていないし、心臓も動いていない。
もう少ししたら、ひょっこり動き出してくれるかもしれない。
しかし、30分待っても1時間待ってもゾンビは動かない。
「もうすぐ、日が暮れる」
ハンスの言葉に、やっとアイリスが涙を拭き、立ち上がる。
「シロツメクサは贈れないけれど……」
二番目に大切な人の魂が救われるために、その花を探し出し彼の指に嵌めた。
途端、指先から、彼の体は、砂になり、地面に同化した。
「最後に、名を呼んであげな」
ハンスが、一度だけ聞いた王子の名をアイリスに教える。
「さようなら、シャムロック」
地面には、アカツメクサの指輪だけが残っていた。
☆
それから、数年後、一人の男が村に訪れる。
トリスと名乗ったその男は、平民には珍しく、とても物知りで読み書きや算数ができた。
トリスがこの村に教師として住みついた一年後ー
「トリス先生にもわからないことあるの?」
一人の少女が質問をする。トリスは少女の両親をよく知っている。
深い緑の瞳は母親に、燃えるような赤い髪は父親そっくりの少女に笑顔を向けて答える。
「私にもわからないことはたくさんあるよ。二百年たってもわからなかったことを君のお父さんが教えてくれたんだ」
「二百年ってどれくらいー」
トリスが答える前に別の子どもが元気いっぱいの声で次々質問する。
「先生、答え見てー」「先生、文字を書いたよ」「先生、結婚いつー」
一通り、算数の答えあわせや、文字のつづりの指導を終えたトリスに一人の子どもが質問してくる。
「先生。いつもその指輪をつけてるけれど、その花、間違えているよ?」
恋人同士がシロツメクサの指輪を交換する風習を知っているのだろう。
シロツメクサの指輪をつけている人は多いがアカツメクサの指輪を作る人もつける人も見たことがない。
そもそもこの村ではアカツメクサはあまり生えていない。
「アカツメクサというんだ。大切な人たちからもらった大切な指輪だから、こっそり魔法をかけてあるんだよ」
「まほう?」
この大地から絶えた魔法を説明することは難しいし、誰にも教える気もない。
首を傾げる子どもにトリスは微笑み……優しく子どもの頭を撫でた。
☆☆☆
私、月山 白草はいつの間にか、狭い部屋で子ども数名に囲まれて困っている男を部屋の壁際から眺めていた。
男も子どもたちも現代日本の服装ではなく、土色のおそらく麻の服を着ている。
髪や目も綺麗な金髪や青い目だったりする。
「パパ。ゾンビさんはどこに行ったの?死んじゃったの?」
すぐ近くで子どもの声が聞こえる。声のほうを振り返ると、いつの間にいたのだろう、子どもを抱き上げている男の人と抱っこされている女の子がいた。
どちらも、中世っぽい服ではなくって、子どもはピンクの生地に熊さんの柄が印刷されているパジャマを着ていて、さらさらの黒髪にまるでオニキスのようにきらきら輝く瞳を持っている。男の人はカッターシャツにズボン、あと黄色の髪。不自然に綺麗な黄色の髪は染めたものだろう。
「うーん。ヒントはトリス先生の指にあるアカツメクサの指輪かな……?」
男の人はそういうとふとこちらに振り返り、小さく頭を下げる。
「勝手にお邪魔させてもらってすみません。……ミク」
男の人の言葉に、私も思わず頭を下げ返すと、女の子が元気に挨拶をした。
「ミクです。こんばんはー」
「もうそろそろおはようかな?」
男の人が優しい声で、朝を告げる。
「え?」
☆
起きたら、朝になってた。
思わず、自分の部屋を見回した。
そして、机の上の手紙に目を落とす。
宛名はちゃんと親が代筆している。ふと封筒の裏を見る。
封筒の裏には太く濃い鉛筆で名前……らしきものが書かれている。子どもの字で。
それは「ミく」と読めた。
「夢の中を散歩する親子……か」
◇登場人物紹介◇
ミク……『美空』と書いて「ミク」。母親の影響でホラー好きに。
最近の楽しみはパパに怖い絵本を読んでもらうこととシロツメクサの指輪をおばあちゃんに作ってもらうこと。
パパ……ミクのパパ。こちらは、ミクと違ってホラーが大の苦手。ちょっとだけ、不思議な力がある。




