告白とクローバー
15歳 春
「王子様は、いつも忙しくてらっしゃるのね」
思わず、ため息がこぼれた。お茶の時間さえ一緒にいてくれない。今年は湖に行くのも無理そうだ。
「きっとご結婚されれば、毎日、馬でいろんなところにお連れくださいますよ」
ほんの少し部屋に顔を出してまた部屋を出て行った主にさすがの侍女も眉を寄せるが、私のため息を聞き、励ましてくれる。
「少し、庭に出てもいいかしら」
「もちろんですとも。ここはお姫様の屋敷も同然ですから」
侍女は立ち上がると私を庭へと連れ出してくれた。
――私はバラ庭園に足を踏み入れてしまった。
☆
「私、この東屋から見るバラが大好きなの」
「今の時期のバラも素敵ですが、秋のバラ庭園もお薦めですよ。花の数は減りますが、良い香りと鮮やかな色合いは春バラに劣りません」
花を眺めながら侍女と一緒に紅茶とお話を楽しむ。
シャムロックの普段の様子を教えてくれるのは嬉しいけれど、この侍女と向かい合って話していると彼女がシャムロックの側に寄り添いシャムロックと仲よさそうに話している姿がちらちらと思い出される。
綺麗で優しくて、シャムロックと同じ年で。私が見上げると二人はいつも一緒にいた。
危うく思考の穴に落ちてしまいそうになって、軽く首を振る。
相手は侍女だ。気にしてはいけない。疑ってはいけない。
そう思うけれど、開けた口は別の言葉を放っていた。
「少し、一人で花を楽しみたいんだけれど……」
侍女は、少しの間、私を見つめると一つ頷いた。
「バラ庭園以外を勝手にほっつき歩かなければよろしいでしょう」
「ほ……ほっつき?」
「申し訳ございません。つい、言葉遣いが……。王子様に知られたら怒られてしまいます。内緒にして下さいね」
そう言うと彼女は私を本当に一人にしてくれた。
……もちろん、庭の入り口などには兵士が配置されているのだろうけれど。
紅茶をポットから注ぐ。エリエールの入れたお茶と同じように注いでいるつもりでも、味も香りもまったく違う。
「同じお茶のはずなのに、なぜ違うのかしら……」
木々の間からこぼれる日の光は、身体全体をゆっくり暖めてくれるし、時折吹く甘い風は、身体に溜まった余計な熱を持って行ってくれる。
あまりの気持ちよさに、眠気が押し寄せてくる。無理に抗うより、そのまま眠ってしまおうか……。
念のため周囲を確認する。誰もいないことを確認して、靴を脱ぎ東屋の長椅子にそのまま寝そべる。
自分の城でこんなことしたら怒られるが、彼なら多少のことは許してくれる。
まぶたがゆっくり落ちる。耳に届く葉ずれの音と小鳥の鳴き声がちょうどいい子守唄。
やがてその音も遠のいていき……
「シャムロック様どうするつもりでしょうね?」
「毎夜毎夜結婚して欲しいって言ってるんでしょ?」
毎夜毎夜?私は姿勢を低くして、東屋の影からそっと声のする方を見る。侍女が3人、庭の隅に固まって話をしている。
「そりゃ、お姫様が嫁いでくるなら、近くにお屋敷用意して隠すんじゃない?もうさすがに結婚引き伸ばせないだろうし」
「私、エリエールが『王子様の子ども欲しい』って言っていたのを聞いちゃったことがあるのよ。実はもう……」
「やだ。本当にお家騒動?」
それまでは口元に手を当てて忍び笑いしていた侍女が楽しそうにけらけら笑う。
「王子様もなに考えているのかしらね。愛人にお姫様の世話をさせるなんて」
侍女の一人が困ったように言うが、彼女らの声にも顔にも笑いが含まれていた。
☆
どれくらい経ったのだろう。日が傾いた頃、彼女〈・・〉が戻ってきた。
あの後、侍女たちはひとしきり噂話をした後、それぞれ別の方向に散っていった。仕事に戻ったのだろう。
私は、侍女たちが去って行ったほうをみじろぎもせず眺めていたが、シャムロックの侍女が近づいてくるのを目の端で捉えて、ゆっくり振り向く。
「あなた……名前は?」
今まで、彼女の名前を聞いたことは無かった。もしかしたらシャムロックが彼女の名を呼んでいたことはあったかもしれないが、そこまではさすがに覚えていない。
「エリエールですが」
彼女は不思議そうに首を傾げる横で私は「そう」と小さく呟き冷たい紅茶を飲む。
☆
婚約者とはいえ人様の城ではさすがに大声で泣く事はできない。
その日の夜、私は頭から布団を被って、ぐすぐす泣いた。
☆
「姫。時間が取れましたから、一緒に出かけませんか?」
翌朝、私の部屋を訪れたシャムロックはそう言って、森に連れ出してくれた。
あれほど彼と行きたいと願っていた森なのに、心は欠片も沸き立たない。
森に来たら昔もらった花を一緒に探そうと計画していたが、もうねだる気力もない。
私の様子にシャムロックは首を傾げるが何も聞いてこない。
二人っきりの時間は何も話をしなくても昔はあんなに楽しかったのに、今は胸が詰まるばかりだ。
結婚したら、ずっとこんな想いをしなければならないのだろうか。
「姫。来年の春・・・庭のバラが一番美しく咲き誇る時期にあなたを迎えに行きます」
優しい声で、告げられてはっと顔を上げる。
来年の春――
『もうさすがに結婚引き伸ばせないだろうし』
私を裏切ったの? その笑みは偽りなの? そう叫びたかった。
「私、幸せになれるかしら」
涙がこぼれそうだった。
震えては駄目だ。絶対に泣いては……
姫としての意地ともし本当にそう(・・)だったらという恐怖で、問いただすこともできずに、小さく呟いた。
「私が、必ず幸せにします」
彼が顔を近づけてくる。
(口付けされる)
私は思わず固まってしまった。
侍女に口付けした同じ唇で口付けするつもりなのか。
悔しさと恐怖で身体が小さく震えだす。お腹の底に熱が溜まるのとは逆に手先、足先が一気に冷え出した。
シャムロックは私の変化に気づいたようで、わずかに身を引くと私の手を取り、そっと指先に口付ける。
「残りの一年、ご家族を大事に……」
そう言って、彼は私をそっと抱き寄せる。
…一年。
本当は喜ぶべきことなのに、心に冷たい鉄の枷が嵌められたようだ。枷の中心には、期限を告げる砂時計が埋め込まれている。
私は下を向いて、「はい」と答えるしかなかった。
彼の抱擁は柔らかく包むような感じでほとんど彼の手は私の肩には触れていなかったが……私の表情を隠すには十分だった。
☆
「どうしたんだ。そんな顔して」
くしゃりと大きな手が頭を撫でてくれる。
その瞬間、涙が滝のように流れ出した。
家に帰っても、監視の目があることは変わらない。
誰かに聞いて欲しかったが、城の者には話せない。城の関係者以外の知り合いで話を聞いてくれそうな人間は一人しか思いつかなかった。
自分の城に帰った翌日、私は城をこっそり抜け出してあの村に行った。
去年の秋に私を救ってくれた少年とは、傷の具合が心配になって、一度見舞いに行ったきり会っていなかった。
たった半年でずいぶん大きくなった少年は私を力強く抱きしめて、泣き止むのを待ってくれた。
涙とともに心に溜まった怒りも少し吐き出せて、落ち着いた私はひっくひっく変なしゃくり声をあげて王子様の城で噂や王子様の告白のことをとぎれとぎれに話した。
すべてを話し終えたら枯れたはずの涙がまた溢れる。
零れ落ちた涙は白く丸い花と不思議な形の葉っぱが覆い隠してくれた。
「これ、なんて花?」
「シロツメクサ」
少年――いや、もう少年と言ったら悪い。青年は無愛想に花の名前を答える。
私は「そう」と短く答えて、シロツメクサの花を指先でつついて心の中で「ありがとう」と呟く。
おかげで、地面にしみた涙の跡を見ずにすんだのだから。
「あぁー…。その、ほとんど三つ葉なんだが、四つ葉を見つけると良いことがあるって言われているんだ。探してみるか?」
涙で濡れたままの目では見つけられない。私は頷くと涙を拭いて探し始めた。
結局、二人がかりで探しても四つ葉は見つからなかったが、その頃にはだいぶ元気が戻ってきた。
「俺は何もできないが……泣きたい事があったらまたここに来たらいい」
「何もできないなんてとんでもない!おかげで元気になれたわ」
私はふるふる首を振って、精一杯の笑顔と明るい声で答えた。
大分虚勢を張っていたが、それがその時私ができる一番の礼であった。
青年も私の虚勢に気づいていただろうが何も触れずに「泣きたい事が無くても、また来いよ」と笑顔を返してくれた。
☆
それから私はたびたびこの村を訪れるようになった。
四つ葉のクローバーの花言葉……『わたしのものになってください』
噂自体は王子がエリエールと告白の練習をし始めた頃からじわじわ広がっていました。
エリエールは噂にしっかり気づいていましたが、執務室か研究室に篭っている王子様はまったく気づいておらず。
しばらく噂は下火になっていましたが姫様が城に訪れたことで再燃。
エリエール、変な虫予防のために噂を放置していましたが、まさか姫様に聞かれるとは思っていませんでした。
王子様、いくら女性と二人っきりでいる時は扉を開けておくのが礼儀だからって、告白練習の時に扉を開けておくのは……




