出会い
お姫様の言い訳編。ほぼ『エリエールの回顧録』と同じ内容ですので、飛ばしてくださっても本筋にはほとんど関係ありません。
寒い雪の夜。私はあの方に出会った。
初めて連れて来られた舞踏会。母は知らない人と話を長々と話をしている。
大きく開いた襟ぐりは、襟をどう頑張って寄せても肩から夜の冷気が入り込んでくる。
本当なら、自分の温かな家で雪を眺めていられたのに。
雪なんて嫌い。寒いのなんてイヤ。
私は、肩をがたがたふるわし、暖炉の側に寄る。
なんでこの私が、こんなところで寒い想いをして立っていないといけない。
やっと母は話を終えた。私のところに戻って来てくれるかと期待したけれど、私が側を離れたことも気づかずに、また別の殿方と話し始める。
きゅっと眉を寄せると涙が目の端に溜まっていく。
喚いてでも、こんな舞踏会、退席したい。温かい毛布に包まりたい。
だけれど、私は姫なのだ。子どもみたいに喚くことは恥ずかしいことだ。
薄いスカートの隙間から、部屋の冷気が這い上がってくるのを唇を噛み締めて耐える。
どこか異国の姫君は私なんかよりもずっと襟ぐりの大きなドレスを着ている。
色とりどりのドレスを纏った姫君たちが新しくホールに入ってきた殿方に集まる。
私には関係ないと下を向き、ただこの舞踏会が早く終わるのを待っていた。
床に映っていた私の影に誰かの影が重なる。
私はその男性を見上げる。先ほど、ホールに入ってきた殿方だ。
優しい笑顔だった。
「こんなところで何をやっているの。小さなお嬢さん」
「姫です!」
いきなり無礼な言葉を発した男に私は苛立った声で怒鳴った。
本当にイライラしていたのでかなりの金切り声になっていたと思う。
「はいはい。お姫様」
彼は少し驚いた顔をするとその顔を笑顔に変えて、優しい声で相槌を打った。
「・・・踊りの相手を待っているのです」
今日ここに連れられて来た理由を思い出すといつまでも姿を見せない相手の足を思いっきり踏んづけてやりたい気持ちになったが、目の前の男性は関係ない。
――誰も自分に目を向けないのだ。踊りの相手『婚約者』さえ、私のことを忘れている。
そんな思いがよぎって、少し沈んだ声で答える。
「踊れるのか?」
「失礼な。ちゃんと練習しました」
思わず、つんとした声になってしまった。
半年前から踊りの練習をして、ドレスの準備もした。
万全整えていたのに、踊りの相手は現れない。
「相手の殿方は遅れているようだ。少しの間、私の部屋で、暖を取られてはいかがですか?」
その男は手を差し出し来る。
この屋敷に住んでいる?じゃあ、この人が私の・・・踊りの相手?
しばらくその手を取れずに呆然とその男の人を眺めた。
どう見てもおじさんだ。この屋敷の従者か何かだ。
この男が婚約者のはずないと首を振り否定し、私は彼の手を取った。
☆
連れられてきた部屋は、先ほどまで使用していたのか、ほんのり暖かい。
全身のこわばりと緊張がほどけていくのを感じる。
従者は暖炉の火をつけ、コート掛けにかかっていたコートを私に差し出した。
「私にこれを着ろというのですか?」
差し出されたコートは、なんだかどぶねずみ色で綺麗じゃなかった。
「温かいですよ?」
「色が嫌」
そこで、こんこんと扉が鳴る。
従者は外に出ると女性と話し込んでいた。扉は閉めてあるが途切れ途切れに声が届く。
このままこの部屋に独り取り残されたら、どうしよう。
この部屋の空気が少し冷たくなったように感じる。
彼が廊下に出て、ほんの少しの時間しか経っていないはずなのに1時間も取り残されたような気になる。
従者がやっと女性との会話を終えて紅茶のセットが載った盆を持って入ってきた。
「紅茶に生姜を少しとハチミツをたっぷり加えたものだよ」
しょうが・・・
渡されたカップからは温かそうな湯気が立っている。
どうしよう。ショウガは嫌いだけれど、がたがた震えた今の状況ではそのカップはとても魅力的に見える。手に持っているだけでこんなに温かいのだ。一口飲めば・・・。
「他のものにしようか?」
彼はこちらを小ばかにしたような笑いをする。完全に子ども扱いされている。
目をつぶって一気に飲み干す。
やっぱりまずかった。はしたなく舌を出しているところを盛大に笑われた。
紅茶を一杯飲んだだけで、急に身体に熱が行き渡る。残っていた手足の指先のこわばりも完全に溶けた。熱が血液に乗って逆に指先に集まっているほどだ。
そうしているうちに、黒髪の綺麗な侍女が汚れ一つ無い真っ白な毛皮のコートと温かそうな淡いピンク色のカーデガン、カーディガンと同じ色合いの毛で編まれたレッグウォーマーを持ってくる。
「ピンクのほうは私の物です。ちゃんと洗っていますので。少しサイズが大きいですが、我慢下さい」
侍女の服を着るのには抵抗があったが、暖炉と紅茶とコートだけでは心もとない。
私にぴったりのサイズなら、着ているドレスに皺ができないか心配しないといけないが、これだけ大きければ、軽く羽織るだけだから皺をそれほど気にしなくてすむ。
侍女は、カーディガンとコートを羽織らせてくれる。
「シャムロック様、後ろを向いてください」
この侍女は気の利かない従者と違って、淑女扱いしてくれた。普通、淑女は男性に足など見せない。
侍女の言葉にやっとそれに思い至った従者シャムロックは後ろを向いた。
侍女は、彼が後ろを向いたのを確認すると、私のスカートをほんの少しめくって、レッグウォーマーをずれ落ちないように一度折り返して付けてくれた。
「もういいですよ」
綺麗な人だけれど無駄なことはしゃべらないから、最初は冷たい感じの印象だったが、彼女はレッグウォーマーを付け終えた時、にっこり微笑んでくれた。
仕事を終えた侍女が立ち上がって部屋を辞したのをみはらかって、彼は口を開く。
「お姫様。身体が温まりましたら、ご両親のところへお戻りください。部屋の前に侍女がおりますので、声をかけてくだされば、すぐご両親の元にお連れいたしますよ」
「待ちなさい。私をこんなところに独り置いていくのですか?」
私の言葉に従者は眉を寄せる。
置いていかれるかも、独りぼっちにさせられるかも、という不安でついきつい口調で言ってしまった。
この男は私の従者じゃない。私の言うことを聞く必要なんて無いのだ。
ちゃんとお願いしないと独りぼっちになってしまう。
「ちゃんと、侍女が扉の向こうにいます」
「あなたは、私の従者でしょう。わたしの話し相手をしなさい」
今度こそ、従者シャムロックは渋い顔をする。
失敗した。彼が自分の従者じゃないことはよく知っているのについ言ってしまった。
やっぱり、置いていかれるのかと思ったが、彼は私の横に座り直して聞いた。
「何を話す?」
「婚約者がいるのですか?」
「お嬢さんはずいぶん難しい言葉を知っているんですね」
そう言ったきり彼は私の質問には答えず穏やかな顔をして頭を撫でた。
『婚約者』なんて別にさほど難しい言葉じゃない。
この男、私を何度小さな子ども扱いすれば気が済むのだ。
「どんな方ですか?」
「今日会う予定だったんだけれど、小さなお嬢さんに足止めされているから、まだ顔も知らないんだ。約束すっぽかしたんだから、後で素直に謝るよ。相手の人が許してくれるかわからないけれどね」
「ごめんなさい」
「気にしなくていいよ。それより、お姫様の質問に答えたんだから、次は私が質問してもいいですか?」
「いいわよ」
「お姫様は何歳?」
☆
それからは、お互い好きなもの嫌いなもの、自分の国の自慢話など取りとめも無く話した。
一時間、二時間しゃべり続けていただろうか。いつもならとうに眠っている時間だ。
私はあくびをかみ殺す。
「眠るまで、何か読んであげようか?女の子の好きな本だったら・・・『茨姫』とかかなぁ」
「11歳って言ったでしょ。知ってるわよ!」
「じゃあ、他の本を探してく――」
そう言って、彼は立ち上がった。
別の本を探しに書庫にでも行かれたら、その間、私は独りぼっちだ。
「茨姫で我慢してあげる。読んで」
彼は本棚から『茨姫』の本を出すとソファに座り直して読み始めた。
私は彼の心地よい声にすぐに眠りに落ちた。
☆
――翌日
「雪が解けて、春になったら、遊びにおいで。この国で一番綺麗な景色を見せてあげるよ」
自分たちの国へ帰るため玄関を出た私に彼は穏やかな声で言う。
そういえば、話を繋げたくていろいろなことを話し合っていたら、ぽろりと『この国の雪は嫌い』とか言ってしまった。昨日は寒かったから、思わずそんなことを言ってしまったが、今、外に出てみるとうっすら雪の積もった世界は日の光に照らされきらきらと光っている。
「『遊びに来ていただけませんか』でしょ?」
この雪の世界をもっと歩いてみたいが、今日はもう帰らないといけない。
「はいはい。遊びに来ていただけませんか?」
この景色が好きだとちゃんと伝えなければ。そう思ったが、私の口は勝手に意地悪なことを言っていた。
「この国の冬は嫌いだけれど、紅茶はおいしかったわ。次はあなたが淹れなさい」
婚約者へのあまりの物言いにお母様が小さな声で叱り付ける。
「伯母上、大丈夫ですから。お姫様、次のお越しを心よりお待ちしています」
いとこであり婚約者であるシャムロック・ラハードはそう言ってにっこり微笑んだ。
☆
12の春には、約束どおりシャムロックが淹れたお茶を飲み、彼の馬に乗せてもらって彼の国の美しい景色をたくさん見せてもらった。
その当時の私にとってシャムロックは年の離れた兄のような存在だった。実の兄といるよりずっと楽しかったかもしれない。身体の弱い兄はこんな風に馬に乗ってどこかへ連れて行ってくれるということは無かった。
連れて行ってもらったすべての場所が美しくて、どれが一番かなかなか順番をつけられなかったが、一番嬉しかったのは、『本当はここに来たら駄目なんだけれどね』とこっそり連れて行ってくれた森の湖だった。
イーストレペンスとウエストレペンス両国にまたがるその森は狼が出る。
森の奥に分け入るのは危険を承知で入っていく猟師やきこりだけで、普通の人はせいぜい森の入り口近くで木の実拾いをする程度だ。
私も小さい頃から、森には絶対に近づかないようにと、教えられていた。
初めて入る森の湖では、木々の葉ずれの音や遠くから聞こえる動物の声に耳を傾けたり、冷たい湖面に足を浸けたり・・・。
彼は前のことをちゃんと学習していたようで、私が素足でばしゃばしゃと湖面を蹴っている間、後ろを向いていてくれた。
ふっと目を離した隙に、彼の姿が見えなくなった。
こんな森の中に置いていきぼりにするような人じゃないけれど、独り取り残されると不安になる。
辺りをきょろきょろしていると、後ろから声を掛けられた。
「ごめんごめん」
そう言って彼は城の庭では見たことも無い紫がかった薄紅色の花を一輪渡してくれた。
聞けば、私の姿を確認できる位置で、この花を探してくれていたらしい。
風にかすかに揺れる可憐な花を見て、まあ彼が少しの間彼が私の側を離れたことを許してもいいと思ったが・・・
「それの葉は茹でたら食べられるんだよ」
なんでこんなかわいい花を茹でるとか言うの?
「次は、私に断ってから摘みに行って」
「わかったよ。来年またここに来よう」
その花は茹でることなく、自分の城に戻ってから、押し花にした。
☆
13の春、私はシャムロックにねだって、乗馬を教えてもらった。
もちろん滞在期間中のそれも数時間の練習ではうまく操れるはずもなく、ちゃんと先生に教えてもらって練習することと先生がいるところ以外で勝手に乗り回さないことを約束させられた。
「ねえ、ちゃんと練習したら、来年はシャムロックに乗せてもらうんじゃなくて、自分で馬に乗ってここに来れるかしら」
湖面に足を浸けながら、彼に聞く。
「ちゃんと練習したら、ね」
彼は優しい声でそう約束してくれた。
森の湖で私と彼は離れていた一年の間に有った面白い出来事をお互い報告し合い、日が傾くまで笑い合った。
私は自分の城に帰ると本の間から、彼が摘んでくれた花で作った押し花のしおりを取り出し、微笑んだ。
――来年が待ち遠しい。




