ロザリーの日常6
先生の料理は、絶品とは言えないが、自分の分を作って、自分で食べる分には問題ないものだった。
「合格」と私が言った瞬間、先生の顔は緊張がほどけて安堵の表情に変わる。
試験の後――
気が緩んで、先生が紅茶を幸せそうにすすっている。
「ここに来るのも最後なのでいろいろ質問していいですか?」
「い……いいよ」
まだ、先生の余裕はなくなっていない。適当に、はぐらかす気、満々だ。
「私の質問にできる限り正確に、答えてください。いつまでも待ちますから」
「いつまでもって……」
「親に朝帰りの許可は取っています」
「そんなの取らなくていい」
先生は、先ほどまでの幸せそうな顔を引っ込めて渋い顔をする。
私は、それを無視して質問を開始する。
「なんで、結婚しないんですか?」
「結婚するかしないかは個人の自由だ」
無難な答えだ。でも、次の問いにはなんと答える気なんだろう。
私は意を決して聞いた。
「エリエールって誰ですか?」
短い間の後、先生は口を開いた。
「……私の古い知り合いだ。」
先生の顔にはなぜ知っているのか問いただしたいと書いてある。
「シロツメクサの指輪の伝説が嫌いなのはシロツメクサの指輪を贈った恋人と死に別れたからですか?」
「違う」
否定はするものの、やはり『シロツメクサの指輪』の話になると露骨に機嫌が悪くなる。
「エリエールさんが死に別れた……恋人ですか?」
先生は、一瞬ぽかんとした。そして、「ぷっ」と噴き出す。
「彼女は私の家に仕えていた侍女だ」
やっぱり、侍女を雇えるほどの大金持ちだったんだ。
その侍女と恋に落ちたの?違うの?
「エリエール=恋人という発想から離れてくれないか? こっちもお腹苦しいし、エリエールに失礼だ」
「えっと……? エリエールさんは金髪に緑の瞳だったりは……?」
私は何をどう聞いていいかわからなかった。
「いや。目も髪も黒だったけれど。君はいったい私の過去をどんなふうに想像しているんだ」
あきれ果てた様な口調。
「シロツメクサの伝説がある町の高名な薬師の家系で、『エリエール』って言う恋人か婚約者がいたけれど、死霊王子みたいな恐ろしい形相の男に、恋人を殺され、恋人のことと血に染まったシロツメクサの指輪を忘れないように、いつもアカツメクサの指輪を嵌めていて、今後、女性を好きにならないと心に誓っている? でも、アイリスさんが恋人そっくりだったから――」
「残念ながら、九割がた外れているよ。というか5パーセントも当たってないよ」
「あってる部分って?」
「エリエールも死霊王子もいた」
先生は、一度、天井を見上げて、大きく息をつくとまっすぐ私の目を見た。
「いいよ。教えても。私の言うことを信じなくてもいいから、最後まで聞いてくれたら」
先生の目は、何か決意した目だ。全部話してしまったら、どこかに行ってしまうような……。
私の全身に緊張が走り、先生がこれから話すことから逃げたくなった。
でも、私が「もういいです」と言う前に、先生は静かに告げた。
「私が死霊王子だ」
は?自分から話すって言ったのに、この期に及んで冗談?死霊王子なんて、御伽噺の中の存在だ。
法螺を吹くにしても、もうちょっとマシな嘘があるでしょ?
「私が死霊王子という証明にはならないけれど……」
先生はそう言うと、アカツメクサの指輪をはずして私に渡した。
「ばらばらにしてみて」
「いいの?」
先生は、このアカツメクサの指輪を大切にしている。
いくらでも作れるとはいえ、私がこの指輪を潰すのは――
私は、渡された指輪をわずかの間見つめ、先生を見上げる。
先生はその言葉に頷く。
私は、恐る恐る力を入れる。……が、
「あれ?」
いくら力を加えても、ふにっと曲がって形は一時的に崩れるが、すぐ元に戻る。
花びらを引っ張ってみても取れない。
私の手のひらで、変わらず存在するアカツメクサの指輪をつまみあげて自分の指に嵌めなおすと続きを語りだした。
「200年前、この国はウエストレペンスとイーストレペンスという二つの国に分かれていた。10歳の時あの森でウエストレペンスの王子は、『エリエール』と会った――」
私は不思議そうに首を傾げていたが、『エリエール』の名前にぴくりと顔を上げる。
先生は――その王子は、新たな魔法や薬を作ることが好きだった。
獣払いの薬の効果を確かめるために、森に行ったら、同じ年の少女が森にぽつんと立っていた。
エリエールと名乗ったその少女は行く当てがないというので、城に連れ帰り侍女として雇った。
王子が魔法の研究にのめりこむのには、エリエールはいい顔をしなかったし、少々物言いがきつい侍女だったが、その侍女は、王子専属の侍女としてよく仕えていた。
17の時、隣国の姫と婚約した。婚約当時の姫の年齢は11歳。
その当時、王の息子はその王子一人だったので、もう少し年上の娘と今すぐ結婚することもできたが--
「なんで、そこで白い目を向けるんだ」
「……11歳の女の子」
「婚約しただけで、結婚していない!その当時、父の仕事を引き継ぎ始めて、忙しかったんだ。とても、妻を迎えて、妻のご機嫌を伺う余裕なんてなかった」
伝説の通りなら、魔女の呪いを受けた王子はゾンビになって、婚約者の姫を食べて森に逃げたはずだ。
そりゃ、婚約者を食べちゃったら、結婚できないけれど、先生が子どもたちを教える姿のどこをどう見ても、そんな恐ろしいことをするようには見えない。
「とりあえず、将来の約束をして、放っておいたんだ」
私の言葉に先生は渋い顔をする。
「一年に一度、春のわずかな期間だけ姫は私の領地に滞在した。姫の成長を待つ間に、私は父からすべての仕事を受け継げるかと思ったが、姫が14歳、15歳の時は、父の具合が急激に悪くなって、たった数日の滞在期間でさえ、ろくに姫と顔をあわせることはかなわなかった。そのせいか……」
先生は、眉を寄せて、天井を見上げて、低い声で呟いた。
「姫は、他に好きな男ができた。この村の男だ」
その言葉は口に出すだけで、先生の喉を、心を傷つけるように、先生の声はざらついた苦しげな声だった。
「散々、エリエールと求婚の練習をして、姫に求婚した頃には、姫はその男に心を移していたのかもしれない。求婚の時『私は幸せになれるのか』と言っていた。その時の私は将来に対する不安だと思っていたが・・・好きな人と共に歩めない未来に対する絶望だったのかもしれない」
そこで、先生は息をつくと冷めた茶を一口含む。
「一年後、姫が16の時の春、彼女を迎えに行った私が見たのは、姫と青年がシロツメクサの指輪を交換している光景だった」
「……シロツメクサの伝説」
「シロツメクサの伝説……シロツメクサの指輪を交換し合った男女はどんな不幸もはねのけ、幸せになる、だったな」
先生の顔にうっすら皮肉な笑いが波のように浮きあがり、次の瞬間にはすっと引いていた。
「私は、怒りのあまり青年にすべての肉が剥がれ骨になった状態で生き続ける呪いをかけ、姫の指からシロツメクサの指輪を抜き取り私の城に連れ帰った」
王子が村の青年に呪いをかけた?
伝説では、王子が悪い魔女の呪いを受けて、ゾンビになったはずだ。
動く人骨になった青年の話なんて聞いたことがない。
それよりも、そんな恐ろしい呪いを先生が人にかけることが信じられない。
さっきのアカツメクサの指輪が壊れなかったのは、手品かなんかで、先生の話は全部でっちあげなんじゃなかろうか?
でも、最後まで、聞くって約束しちゃったからなぁ。
「姫の心を取り戻そうと、私は姫が好きだったバラの庭園で彼女と話し合っていたが、そこに動く人骨になった青年が現れた。姫はスケルトンの指に嵌っているシロツメクサの指輪で目の前の化け物が愛した青年だと確信したのだろう。その当時は、シロツメクサの指輪の伝説なんてまだ存在していなかった」
さっき、姫様と青年が指輪を交換したのはシロツメクサの伝説だって認めていたようだったけれど……?
「スケルトンに近づいた姫は、スケルトンの指輪にくちづけた。その途端、シロツメクサの白い花弁がはらはらと萼から離れ、スケルトンを包み、花びらの包みを裂いて逃げるように出てきた呪いの大半は、私に跳ね返ってきた。スケルトンは元の人間に戻り、私は肉が中途半端に剥がれてゾンビになった」
そんな簡単に、人間がゾンビになるわけがない。
私はいつだったか、先生が言った言葉を思い出す。
――200年くらい飲まず食わずで、ついでに睡眠不要の生活していたからね――
あれは、確か先生が睡眠不足と栄養不足で倒れてた時で、私は体調不良のためのうわごとだと思って、一笑に付したが――。
「姫は青年と結婚し――シロツメクサの指輪を交換し合った男女はどんな不幸もはねのけ、幸せになるという『シロツメクサの伝説』が生まれた」
「それが、伝説の真実?」
『死霊王子の伝説』も『シロツメクサの指輪の伝説』も元は同じ真実から分かれた話?
先生の言うことが本当なら『死霊王子の伝説』の話にも『シロツメクサの指輪の伝説』の話にも、いい顔しなかったのは当然だ。
先生の言葉を信じれば200年前の話だ。200年経っても、先生の心の中には裏切られた悔しさ、悲しみ、憎しみ、怒りが混ざった黒い炎があるのだろうか。