アイリスとハンスの日常1
☆アイリスの日常1☆
私が、彼と初めて会ったのは・・・何歳だったか覚えていない。
とにかく小さな子どもの頃、私は『シャムロック・ラハード』に出会った。
子どもの時は『ゾンビさん』と呼んでいた。
私が16の頃、私はハンスと婚約したその日に、さらわれた。
ハンスと“彼”に助けてもらった直後、“彼”は私たちの目の前で倒れて動かなくなった。
30分・・・1時間くらい待っても彼は動かなかった。
私は最大限の友情と感謝、彼の次の世の幸福を託し、彼の指にアカツメクサの指輪を嵌めた。
指輪を彼の指に嵌めた途端、彼の身体は砂のように崩れ、土に還った。
☆
村の、入り口に一人の男が野たれていたのが発見されたのは、それから8年後。
私とハンスは男の指に嵌っているアカツメクサの指輪を見た瞬間に自分達がしばらく面倒を見ると申し出た。
二日も寝ていた彼は、三日目、ようやくうっすらと目を開けた。
「シャムロック?」
「・・・アイリス?」
私の呼びかけに答えて一言、彼は私の名前を呼ぶと再び眠りについた。
私はハンスの肩を借りて泣きながら、めったに祈らない神様に感謝した。
彼を生き返らせてくれて、人間に戻してくれてありがとうございます、と。
村に帰ってすぐに買い戻した指輪を彼に返せる日が来るなんて!
再度目覚めた彼に指輪を返そうとしたが、私の名を呟いたのを忘れて、私はトリスだ、人違いだと言ってなかなか受け取らなかった。
その時、うちの旦那が助け舟を出してくれた。
「トリスさん。あんた22歳って言っていたよな。見た年もそれくらいだ。あれから8年経ってるんだ。俺もうちのも、あんたよりか年上になったんだ。年上の親切は素直に受け取っときな」
ちなみにこの年24歳になっていた。シャムロックがいつこの姿に戻ったのか知らないが、ほそっこい体のせいか、私と同じか年下に見える。
シャムロックがひるんだところを見ると、年下なのは確かなんだろう。
私はシャムロックがひるんでいる隙に「何か入用な時にとっておいて」と指輪を無理やり握らせた。
指輪を渡せたのはいいけれど、私の年ばらす必要ないじゃないの!
☆
住む人がいなくなった空き家とそこの住民が管理していた畑を譲り受けて、彼はこの村に住むようになった。
『トリス』と名前を変えて。
最初、村の皆は忙しい時に子どもを預かってくれる『子守のトリスさん』という感覚だった。
トリスさんが子どもの面倒を見る代わりに親が畑で取れた野菜や食事のおすそ分けを渡す。
そうやって、生計を立てているようだった。
半年経った頃には薬作りが得意なことも知れ渡って、『トリス先生』と呼ばれるようになった。
伝説のゾンビだったなんて話は広める気はないが、何かの弾みで、うっかり話が漏れてしまっては申し訳ない。
あまり、彼の側には近づかなかったが、息子と娘を彼のところに通わせているので、特に聞きまわらなくても、子どもたちから彼の近況は自然と耳に入った。
☆
トリス先生が倒れたと聞くたびに様子を見に行きたくなったが、そのたびに誰かがちゃんと看てくれていると聞いていたので、彼の生活に直接関わることは避けていた。
一年と半年した頃から、子どもたちからも近所の奥様がたからも、毎日先生のところに通っているロザリーちゃんの噂を聞くようになった。
二年経っても、ロザリーちゃんとの関係は進展している様子はない。
それどころか、最近は『トリス・ロザリー破局説』が流れ始めた。
息子の話を聞くとトリス先生はこの頃、元気がないという。
ロザリーちゃんのことを問いただしたかったし、さすがに心配になって、私は長年の禁を破って、初めてトリス先生の家を訪れた。
「トリス先生。ちゃんと睡眠とっているの?」
ぐったりと机に突っ伏しているトリス先生に声をかける。
「アイリス?」
「ところで、ロザリーちゃんとのことどうなっているの?」
「アイリスも私とロザリーが結婚するとかいう噂を聞いたのか?」
「そんなのずっと前からこの村中に流れているわ。それどころか『破局説』が出てるわよ」
「付き合ってもいないのに、なんで破局説が沸いて出てくるんだ?」
うーっとうなるトリス先生。
「ちょっと、本当に大丈夫?」
「大丈夫。10日後のことを考えると胃がきりきり痛むだけだ」
「10日後?」
なんでも、ロザリーちゃんとの約束で、料理がすっとこなら、ロザリーちゃんと結婚しなければならないらしい。
ゾンビの時は堂々としていたのに、意外に神経細いのかも。
「私は、塩と砂糖を入れ間違えて、賭けに負けるほうに100票」
私の言葉にトリス先生は、渋い顔をする。
「じゃあ、勝負がどうであれ、ロザリーちゃんを振るつもりなのね」
「ああ。言い訳を考えると今から胃が痛い」
理由が、ゾンビだったことと関わるなら、そのままロザリーちゃんに言うわけにはいかないか。
「私もあなたにどんな過去があったか知らない。でも、せっかく生き返ったのに、もったいない人生の使い方しているように見える。未来の扉はいっぱいあるんだから、他の扉に何があるのか、扉の隙間をチラッと覗き見するくらいしてもいいと思う。あなたは他の扉があることも知っているのに、一つの扉しか選べないと信じて他の扉に近づきさえしてない」
私の少ない語彙でどこまで伝わったのだろうか。
「シャムロック、子どもじゃないんだから、いつまでも意固地になっていたら駄目よ」
「……アイリス」
私はほんの少し顔を上げてこちらを向いたシャムロックの額にくちづけた。
「あなたの幸福を祈っているわ」
☆ハンスの日常1☆
「誤解していなければいいけれど」
いつもは明るい妻がため息をついている。
「どうした?」
「ねえ、聞いて!先生に『ちゅー』しているのをロザリーちゃんに見られちゃった。誤解を解くにはどうしたらいいかしら」
ずるっ。ずべっ。
「あら、なんでソファーから盛大に落ちてるの?床にはバナナも落ちていないし、油も塗っていないわよ」
ロザリーちゃんって、確かシャムロック――いやトリス先生の恋人とか噂の娘さんだ。顔を会わせれば挨拶はするが、ほとんど話したことはない。
まあ、そんなことはこの際、横に置いといて――
「その娘の誤解を解く前に、俺の誤解を解いてくれ~」
「あら、先生を元気付けただけだけど?」
「もう少し詳しい説明、ぷりーず」
そういうと、アイリスは先生とロザリーの賭けの内容を話してくれた。
「なんとか、ロザリーちゃんとくっついて欲しいんだけれど・・・」
「恋人説を先生が否定したんだろ?」
今、アイリスと幸せに暮らせているのはトリス先生のおかげだ。
その先生にも幸せになって欲しいと思っている。
むしろ、さっさと身を固めて、アイリスが元気付けでも『ちゅー』をするようなことが二度と無いように願いたい。
だが、別に好きでもない奴と結婚しても幸せになったとは言わないだろう――まあ、結婚後に好きになるかもしれんが、その娘さん二年も通ってて、先生との仲、まったく進展してないんだろ?
「でも、好きでもない人が毎日求婚するって脅してきたら、たとえ料理作ってくれる特典があっても、家から追い出して玄関の鍵を目の前で閉めるんじゃない?そんな賭けには乗らずにさ。その後は二度と家に上げなければいいんだし」
「そうだな~」
又聞きだから、詳しいことはわからないが、好きでもない奴が毎日求婚してきたら、料理作りを断るだろう。あまりひどい場合は、それこそ鍵をかけるなり、引っ越すなりするだろう。
俺も料理はほとんどできないから、トリス先生が料理で苦労している気持ちもわかる。本当に日々の食事に困るようなら、子どもたちにサンドウィッチを入れたバスケットを持たせてもいいんだし。
「先生もロザリーちゃんのことを好きだと思うんだけれどなぁ。胃が痛くなるっていうのも、彼女との今後の関係を考えてだろうし。どうでもいい人のために胃が痛くなるまで悩む暇があったらさっさと寝るわよ。普通」
そりゃ、明日のことは明日考えるお前ならそうだろうが・・・。
妻の言葉を黙って聞きながら考える。
トリス先生がロザリーのことを気に入っているというのは正しいと思う。
先生も心のどこかで彼女との交流を――関係をそのまま続けたいと願っていたから、少々の無茶な要求も呑んだのだろう。
しかし――
好きなのかもしれないが、付き合うとなるとずっと過去を隠し続けているわけにはいかんだろう。
本気で好きになって、ゾンビだったと打ち明けた途端、逃げられたら悲しいどころの話じゃないだろう。
そして、その可能性は非常に高い。『自分はゾンビでした』なんて言ったら、信じてもらえようが、信じてもらえなかろうが、普通、相手は引くだろう。
いかん。いかん。
ロザリーの誤解を解く話から、トリス先生とロザリーをくっつける話に変わっている。
アイリスとトリス先生は元からの親友だと言っても、信じてもらえんだろう。
この村からろくに出たことが無いアイリスが、よそ者と昔からの親友のわけがない。
下手に誤解を解こうとして、うっかり『トリス先生とは子供の頃、森で会ったの』とか言ったら、さらに話がこじれかねない。
誤解は誤解のまま放っておくしかない。
もし、『アイリスがトリス先生と浮気』なんて噂が流れたらと思うとこっちの胃が痛くなるが、そのときは、トリス先生に村の全世帯に弁明にまわってもらおう。
「なんにしても、決めるのは二人だ。先生の許可も無いのに、先生の過去をぺらぺらしゃべるわけにはいかんだろう」
◇登場人物紹介◇
アイリス……『お姫様とスケルトン』に出てくるお姫様と青年の子孫。姿はお姫様とそっくり。金髪に緑の髪。背は少し小さめで可愛らしい。
ハンス……アイリスの夫。