ロザリーの日常2
私はロザリー。
私は、いつものようにトリス先生の家の扉を開く。手に持っている籠には、うちの畑で取れた野菜を入れている。
トリス先生は1年・・・と三ヶ月ぐらい前にこの村の入り口で野たれていた男だ。
九ヶ月前には、三人いたトリス先生の食事番は、残った私と新しい女の子を加えた二人になっていた。
先生に猛烈なアタックをしていた二人はあっさり別の相手を見つけてさっさと結婚してしまった。
無事に結婚相手の決まった二人は、それぞれ結婚の前日、私に『頑張んなさいよ』と言い残していった。
ちなみに一人は私と同じ年で、一人は私より一つ下だった。
本当は妹もとっくの昔に「卒業」して、「妹の勉強を見てもらったお礼」という言い訳も尽きかけているが、昼食を作りに行くのはやめていない。というか、今の状態ではやめられない。
玄関を開けたら、床に先生が転がっていた。
「なんで、“また”倒れているの?」
この先生は、年何回倒れたら気がすむんだ。
「大きな声を出さないでくれないか?頭痛がする」
「こんなことで転がってないで、ちゃんとベッドで寝てくださいな!」
「大丈夫。頭痛はするけれど、頭はすっきりしてるから。午後から、ハンスさんの家の子とリドルさんのとこの子とバリーさんの子どもに書き取り教える約束を――」
「寝不足過ぎて、頭がさえているだけでしょ!さっさと寝なさい。」
普通の農民らしく太陽が沈むと同時に寝て、朝日が昇ると同時に起きる生活をしている私も、一度だけ、二日続けて貫徹した時は、そんな感じだった。
子どもたちに渡すよりも少々長い物語を先生にもらった時、どうしても続きが知りたくて手が止まらなかったのだ。
二日で、読みきった時には達成感もあったが、直後、頭痛がするくせに頭の別の部分は妙に冴えて、まったく眠れなかった。
「みんなには先生はお休みって言っとくから」
私の声が聞こえているのか聞こえていないのか、先生がやっとのそのそと起き上がる。
ああ、寝かしつける前に、これも聞いておかないといけない。
「ご飯食べてるの?」
「うっかり忘れていたな」
「私が渡したニンジンは?」
二日前、訪れた時に家の畑で取れたニンジンを渡したのだが――
「フェルナンデスにあげた。とても喜んでいたよ。ありがとう」
「馬にはそこら辺の草を食べさせりゃ十分でしょ!」
フェルナンデスというのは先生が飼っている老馬である。
老馬の癖に手入れが行き届いているのか、そこらの若い馬よりか毛並みがいい-
と思っていたが、餌まで、いいのを食べさせていたか・・・。
「睡眠取るのも“いつもどおり”うっかり忘れていたのね?」
「200年くらい飲まず食わずで、ついでに睡眠不要の生活していたからね」
「はあ?とにかく次はちゃんと自分で食べてくださいよ。ニンジン」
200年って、一年の200倍でしょ?人生50年から60年としてざっと三人分から四人分の人生の時間じゃない。ああ駄目だ。頭を正常に動かす力を完全に使い切ってしまっているようだ。早くご飯を食べさせて寝かしつけないと。まったく、24にもなって手間をかけさせないで欲しい。
煮込み料理では時間がかかってしまう。
持って来た野菜をざく切りにしてフライパンで手早く炒めて、先生の前に出す。
喉を通りやすいように、お茶を一緒に出すのも忘れなかった。
「結婚したら、先生の面倒まで見れないんですからね」
さすがに既婚者が自分の家族以外の料理を作りに行ったら、こんな小さな村では格好の話題になってしまう。
まあ、そんな心配の前に、両親は私が結婚できるかの心配をしているだろうけれど・・・。
「結婚するの?おめでとう」
そういう先生の視線が私の左手の薬指に向く。私の指にシロツメクサの指輪は無い。
「見ての通り予定はありません!それに先生に最低限の料理を覚えてもらうまで、結婚できません!」
「そんなに心配してもらわなくても、野菜の煮込み料理くらいなら何とか」
「あれを・・・あんなのを料理と主張するのは、私が認めません!」
「だから、大声は頭に響くんだけれど」
先生は耳を押さえるけれど、私はかまわず続ける。
「土のついたジャガを洗いもせず、皮もむかず、丸ごと湯の中に投下しておいて、あれのどこが料理なのよ!」
「まあ、私のほうは何とかやっていけるから、相手がいたら私のことは気にせずに結婚しなさい」
いや、全然やっていけそうに無いよ。
私が結婚した一週間後に餓死か睡眠不足死(そんなのあるか知らないが)していそうで怖い。
「先生は好きな人いるの?」
「この村の人たちはみんな親切で、大好きだけれど?」
「先生の好みの女性ってどんなの?」
一年と三ヶ月前、食事当番三人が結成された時に、私は妹が面倒を見てもらっているからということで当番に加わったが、他の二人は違ったようだった。
『かっこいいね』とか『頭もいいけれど、ちょっと抜けてて、私が彼の支えにならなきゃって思えるところが、なおいいよね』などと言っていた。
先生の顔は確かに整っているが、その頃の私は、『ちょっと読み書きができるだけじゃない。鍬もろくに持てない、あんな生活力の無い男のどこがいいんだ』と思っていた。
先生は、首を傾げる。
「もしかして、栗色の髪に栗色の目の娘が好きだったり-」
私は、恥ずかしさで、頬を染めて言った。
先生は、栗色の髪と栗色の目を持つ私の姿をを頭からつま先まで(お腹から下は机に隠れているけれど)見て、
「いや、私の好みは、金髪に緑の目の女の子だけれど」
と言いやがった。あっ、失礼。言葉遣いが・・・。
私は、怒りで真っ赤になりながら、思わず目の前にある紅茶のポットを手に持っていた。
「ちょっと、待ちなさい。何で、紅茶のポットをそんなに高く振り上げてるんだ?お茶がこぼれる」
先生の言葉で、我に返り、ポットを下げる。
でも、私と一緒に当番やってた娘の一人は、先生の好みどんぴしゃだったはずだ。
性格が合わなかったのかなぁ。
私は、一度深呼吸して、心を落ち着けてから、質問をする。
「先生は、結婚とかしないんですか?」
「しないね。ごちそうさま。おいしかったよ」
先生は手を合わせて礼を言うと食器を持って立ち上がった。特に慌てているようには見えなかったが、「好きな人はいる?」あたりから、少しずつ食事の速度を上げているのはわかった。
普通は、人と話していたら、食事の速度は遅くなるのにだ。
「その・・・」
私の小さな声に気づいた先生は、食器を持ったまま振り返る。
不完全燃焼な喧嘩以来、シロツメクサの話題なんて、一度もしてこなかった。
読み書きの教本には、今も『シロツメクサの指輪』と『死霊王子』は載っていない。
一年以上も、この村で暮らしているなら、子どもたちの誰かが話しているだろうに……
また、話題に出したら、機嫌が悪くなるかもしれないが・・・
今日こそ、言うんだ――そう決意した途端、顔が真っ赤になり、全身に余計な力が入る。
男性から渡すことが多いけれど、女性から渡すこともあるし。
――シロツメクサの指輪、渡してもいいですか――って
私は、ゆっくり口を開いた。