心の揺らぎ、始まりました。
朝の光がカーテンの隙間から差し込む前に、私は目を覚ました。
聖域たる自室。黒いシーツに包まれ、枕元に置いた水晶玉(ただのガラス玉)が薄く輝いている。
昨日のことが、まだ胸に残っている。
図書室で、あんな……下賤な姿を晒してしまったこと。
アリスに支えられてトイレに駆け込んだこと。
そして、みおが「見てないよ」と言ってくれた、あの優しい声。
……忘れられない。
私はベッドから起き上がり、部屋の中央に立った。
毎朝の儀式。闇の姫としての日課だ。
深呼吸を三回。
両手を広げ、指先を震わせながら、低く呟く。
「我は漆黒の血を引く者、エレナ・クロウリー。永遠の闇に身を委ね、光の残滓を焼き払う力を今、ここに呼び覚ます。我が瞳は深淵を映し、我が心は影を統べる。今日もまた、闇の意志に従い、この学園を支配せん!」
自信満々に言い終えると、胸の奥が熱くなる。
これが私。
これこそが、私の真の姿だ。
誰も、私の本質を否定できない。
……はずなのに。
鏡の前に立ち、髪を整える。
長い黒髪を梳きながら、ふと昨日のみおの顔が浮かぶ。
「無事でよかった」
あの言葉が、なぜか耳に残る。
私は慌てて首を振った。
「愚かな。あれはただの……監視対象だ。光の残滓を闇に染めるための、道具に過ぎぬ」
自分に言い聞かせる。
でも、心のどこかが、ざわついている。
朝食の時間。
食堂に向かうと、みおはまだ来ていなかった。
私はいつもの席にトレイを置き、座って待つことにした。
味噌汁の湯気が立ち上る。
トーストを一口かじりながら、入口の方をちらちら見る。
……なぜ、こんなに気になってしまう?
数分後、みおが現れた。
少し寝癖がついた髪を直しながら、トレイを持って近づいてくる。
「……おはよう、エレナ」
「遅いぞ、影の眷属・みお。闇の姫たる我を待たせるなど、許されぬ」
みおは苦笑しながら隣に座った。
「ごめん。ちょっと寝坊した」
みおは味噌汁を啜る。
その仕草が……なぜか、妙に気になる。
細い指。少し童顔の横顔。長い睫毛。
ーーなぜだ。なぜ、こんなに視線が離せない?
私は急に自分の思考に驚いて、顔が熱くなった。
(何を考えているのだ、私!みおは……ただの転校生。光に染まってる、未熟な存在だ。それなのに……)
「エレナ、どうした? 顔赤いよ」
みおが心配そうに覗き込んでくる。
「……っ! 何でもない!貴様の光が強すぎるだけだ!」
慌てて味噌汁を飲む。
熱い。
でも、それでごまかせた。
(……だめだ。こんな感情は、闇の姫に相応しくない。みおは女の子だ。私は女だ。なのに、なぜ……こんなに胸がざわつく?)
私は自分の胸を押さえた。
心臓の鼓動が、いつもより速く鳴っている。
みおがトーストをちぎって口に運ぶ。
その小さな動作一つ一つが、なぜか目に入る。
私は慌てて視線を逸らした。
「……今日の授業、何時からだっけ?」
みおがいつも通りに聞いてくる。
「……八時半だ。貴様はいつも遅刻気味だな。当然だが、監視役として今日も側にいるぞ」
「うん、よろしく」
その「うん」が、なぜか胸に響く。
私は箸を握りしめ、味噌汁を掻き回した。
(……なぜだ。なぜ、こんなに近くにいたいと思う?監視役だから?それとも、、)
答えが出ないまま、みおがカレーのメニューを見て呟く。
「今日は納豆もあるんだね。一緒に食べる?」
私は頷いた。
「……ふん。貴様の光を、食事で薄めるのも悪くない」
でも、内心では少し嬉しかった。
一緒に食べる、という言葉が妙に心地よい。
午前の授業。
私はみおの隣の席に座る。
先生に頼んで勝手に移動させてもらった席は、今や私の指定席だ。
先生が黒板に何かを書いている間、私は教科書を開くふりをして横目でみおを見ていた。
ノートを取る手。時々、髪をかき上げる仕草。集中しているときの、少し尖った唇。
すべてが……妙に気にかかる。
(なぜだ。なぜ、こんなに気になる?私は闇の姫。光など、焼き払うべき存在のはずなのに……)
授業中、みおが小さな声で呟いた。
「この問題、難しくない?」
私は反射的に答えた。
「……ふん。貴様には難しかろうな。だが、我が叡智を貸してやってもいい」
「ほんと? ありがとう、椎名」
椎名。また、その名前。
本名を呼ばれるたび、心臓が跳ねる。
誰も知らないはずの、知られたくないはずの、私の……本当の名前。
なのに、みおに呼ばれると、なぜか温かい。
体が熱くなる。
(……これは、何だ?闇の姫たる私が、ただの転校生に……こんな感情を抱くなど……)
私は慌てて視線を教科書に戻した。
でも、文字が頭に入らない。
昼休み。
また一緒に食堂。
みおが「今日はカレーにする?」と聞いてくる。
私は頷きながら、内心で葛藤していた。
みおがカレーを一口食べて、満足げに微笑む。
「……おいしいね、椎名も食べてみて」
その笑顔が、胸を刺す。
(……なぜだ。なぜ、こんなに胸が苦しい?私は女だ。みおも女だ。なのに、女の子を……みおを、こんなに意識してしまう?)
私はスプーンを握りしめた。
指先が震える。
みおがカレーをスプーンで掬い、笑いながら私の方に差し出してきた。
「一口、食べさせてあげよっか?」
「……っ! い、いらぬ!貴様の光が混じっている!」
慌てて拒否したが、心の中では……少し、試してみたかった。
午後の授業。
自習時間も、当然だがみおの隣に座る。
みおは数学の問題を解きながら、時々私に尋ねてくる。
「ここ、どうやって解くの?」
私は説明しながら、みおの近くに寄る。
肩が触れそうになる距離。
みおの匂いが、かすかに漂う。シャンプーの香り。柔らかい。
(……だめだ。こんなに近くにいると……心が乱れる)
私は深呼吸して、平静を装う。
放課後、生徒会室。
今日は『月影の集い』の準備会議だ。
リリス会長が円卓の中央に立ち、深紅のマントを翻す。
「次の儀式のテーマは『永遠の夜の舞踏会』。各クラスから代表者を出し闇の舞を競う」
セレスティアが鎖を鳴らしながら提案。
「例年通り我が生徒会も特別参加するが、我々は血の誓いのワルツを披露する。そこで、我が代表者となり、転校生……影の眷属・みおを、我がペアにするつもりだがどうだ?」
私は反射的に声を上げた。
「それは……我が担当する!監視役として、影の眷属・みお、の動きを逐一見張る必要があるからな!」
リリスがにやりと笑う。
「ほう。熱心だな、エレナ。ならば、影の眷属・みお、のペアはエレナにするとしよう」
会議中、私はみおのことを考えていた。
手が震えている。舞踏会で、みおと手を繋ぐ。腰に手を回す。顔を近づけて……。
(……っ! 何を考えている!)
想像しただけで、胸が熱くなる。
私は女だ。
みおも女だ。
なのに、こんなに……意識してしまう。
(これは……異常だ。闇の姫たる私が、こんな感情を抱くなど……)
私は自分の頰を叩いた。
痛い。
でも、それで少し冷静になった。
その夜。
自室に戻り、ベッドに横になる。
黒いシーツが体を包む。
でも、眠れない。
昨日の図書室のことが、頭から離れない。
みおが心配そうに「無事でよかった」と言った顔。
今日の朝、隣で笑う顔。
授業中、時々見せる優しい視線。
私は枕を抱きしめた。
(私は……女だ。闇の姫だ。なのに、なぜ……女の子に、こんな気持ちが芽生える?)
胸が苦しい。
熱い。
恥ずかしい。
「みお……」
小さく呟いてみる。
その名前を口にすると、胸の奥が疼く。
(違う。これは、監視の延長だ。闇に染めるための、手段だ。ただそれだけ……)
でも、心は正直だった。
私は闇の姫、エレナ・クロウリー。
なのに、今、初めて……
誰かを、こんなに近くに感じている。
枕に顔を埋めて、目を閉じた。
「……明日も、側にいる。貴様を……闇に、導くために」
でも、その言葉の裏に、
別の感情が、静かに息づいていた。
私は布団を被り、深く息を吐いた。
しかし、全く眠りにつけない。
(……だめだ。なぜ、こんなに……みおのことが、頭から離れない?)
昨日の出来事。
今日の視線。
みおの笑顔。
すべてが、私の心を乱す。
(私は女だ。みおも女だ。なのに……こんな気持ちを抱く自分が、怖い)
私は枕を抱きしめ、強く目を閉じた。
(……明日も、変わらず監視する。それだけだ。それだけ……)
でも、胸の奥で、何かが静かに動き始めていた。
それは、闇の姫が決して認めてはいけない、柔らかい、光のような感情だった。
私はもう一度、深呼吸した。
「……闇の意志よ。我を導け」
呟きながら、目を閉じる。
でも、眠りにつくまで、
みおの顔が、頭に浮かび続けた。
第六話ありがとうございました!
これがエレナの視点からみた学園です!
第七話ではちょっとエッな要素を入れる予定なのでお楽しみに!
なるべく早くできるよう頭をフル回転させて頑張ります!!




