02 心なんて、読めません!
「……心なんて、読めないんだけどなあ」
ベッドの上でうつ伏せになりながら、セシルは枕に顔を押しつけて呻いた。
“人の心が読める”なんて噂、勝手に一人歩きしてしまっただけのことだ。
実際は、声が、聞こえるだけ。
不安とか、怒りとか、そんな強い感情の“残響”が、頭に響くだけなのに。
勝手に聞こえるだけであって決して読んでいるわけではない。
その違いが、いつも胸を刺す。
「お国のためって……私、ただの引きこもりオタクなんですけど……」
机の上には、読みかけの恋愛小説とお気に入りの肖像画。
これが、私の世界。
誰にも干渉されず、静かに過ごせる――大切な居場所。
けれどその扉の向こうでは、召使たちがせっせと荷造りをしている気配がした。
誰の許可を得たのかは、聞くまでもない。
父がまた勝手にやっているのだ。
(ああもう……アラン・フォン・なんとかとかいう無愛想男。あんな目で見られたら断れないじゃない)
思い出すのは、あの静かな金の瞳。
冷たいのに、妙に温度がある。
あんな表情をする人間の“心”なんて、読めるはずがない。
コンコン、と扉がノックされた。
「……セシル様、副団長様が……」
「うそ、なに!?」
慌ててベッドから転がり落ちた拍子に、積み上げた本が雪崩を起こす。
セシルはそれを一つ一つ拾いながら、小声で呟いた。
「心なんて……読めませんけど、嘘つきの顔くらいは、わかるんだから」
ノックの音に続いて、重い扉がゆっくり開いた。
そこに立っていたのは、昼間と同じ、深い紺の軍服の男――
アラン・フォン・ガブリエル副団長。
セシルは慌てて姿勢を正すが、心臓の音がうるさい。
まるで“読まれている”みたいで、落ち着かない。
「急に押しかけてすまない」
アランは短くそう言い、部屋を一瞥した。
整頓された机、積み上がった本、カーテンの閉じた窓。
一瞬、彼の金の瞳が柔らかく細まった。
「……本当に、外に出ていないんだな」
「……一応レディの部屋なんですけど」
「悪い。職業柄、ついな」
わずかに口角が動いたような気がしたが、それもすぐ消える。
まるで表情を持つことを忘れたような男だ。
アランは机の前に立ち、淡々と切り出した。
「任務の詳細は話せないが、情報収集の補助をしてほしい。“人の感情を読む”ことができると聞いている」
セシルは頬をひきつらせた。
(うわぁ……やっぱり、信じてるんだ……あの噂)
「……そんな大げさなものじゃないですよ。ただの誤解です」
アランはしばらく沈黙した。
金の瞳が、静かにセシルを見据える。
その視線には、疑念も、期待も、ほんの少しの諦めも混ざっていた。
「……正直に言うと、俺も半信半疑だ」
「え?」
「本当に人の心なんて読めるのか、信じてはいない。ただ……」
言葉を切って、彼は窓の方に視線をやった。
「もしそれが真実なら、誰かが利用する前に、俺たちが守るべきだと思っている」
その一言に、セシルは一瞬だけ息を呑んだ。
“守る”という言葉が、あの冷たい声から出たことが意外で。
「……ずるいですよね。そういう言い方」
「交渉は得意なんでな」
「交渉って……脅しに近いんですけど!」
アランの口元がほんの少しだけ緩む。
それが彼女が初めて見た、“笑みらしきもの”だった。




