17 沈黙の忠告
案内された貴賓室は、驚くほど静かだった。
厚いカーテンが陽の光を遮り、外の気配をすっかり閉ざしている。
調度品はどれも上質だが、必要以上の装飾はなく、どこか“整いすぎている”印象さえあった。
セシルはそっと部屋の中を見回す。
「……ここが、貴賓室?」
案内してきた女性が小さくうなずく。
「はい。王族のご家族や特別な来客をお迎えするためのお部屋です」
銀の髪をきっちりとまとめた年配の女性。
背筋はまっすぐで、動作のひとつひとつが研ぎ澄まされている。
どこか、この塔そのものの秩序を体現しているようだった。
セシルは思わず女性を見つめてしまい、その視線に気づいたのか、女性は軽く頭を下げた。
「申し遅れました。白百合の塔の侍女長、クララ・ハルトと申します」
「……侍女長、さん?」
思っていたよりもずっと重要な立場の人物だった。
それに、どこか冷たいほど澄んだその瞳には、一切の感情が浮かんでいない。
セシルはそっと視線を逸らしながら、
「……とても綺麗ですけど、どこを整理すれば?」と小さく尋ねた。
クララは微動だにせず、淡々と答える。
「マリー様からのご指示ですので、しばらくこちらでお待ちくださいませ」
(……え、マリー“様”?侍女長が一番えらいんじゃないの?)
無音の空間に、セシルの心のつぶやきだけがこだました。
クララが一礼し、扉を閉めて出ていくと、部屋は一気に、世界から切り離されたように静まり返った。
重たい扉の音が遠くで反響し、その余韻が消える。
セシルは思わず両腕をさすりながら、小さく息をつく。
「なにもするなってことかしら?」
(……やっぱり、これ“待機”だよね?)
窓辺のカーテンが、わずかな風にふるりと揺れた。
だが外の景色は見えない。
白百合の塔は、城の中でも最も高く、最も隔絶された場所。
リオがそう言っていたのを思い出す。
(……ほんとに、ここだけ空気が違う気がする)
静寂の中、時計の針の音も、遠くの声も聞こえない。
まるで時間さえも止まってしまったようだった。
ふと、壁に掛けられた古い絵画が目に入る。
白い花を抱いた少女――その目が、一瞬だけこちらを見たように感じて、セシルは思わず身を引いた。
(ひっ……今、目が合ったような……!?)
デオドルが言いかけていた噂が脳裏をよぎる。
――“白百合の塔には、夜中に女の子が……”とか、なんとか。
「……気のせい、よね?」
背筋をぞわりと冷たいものが走り、思わず肩をすくめる。
「もう!怖くなってきたじゃないの!」
自分で声を出して、無理やり空気を和ませるセシル。
それでもどこか落ち着かなくて、部屋をきょろきょろと見渡す。
マリーが姫の前で言っていた言葉がふと蘇る。
――『貴賓室の掃除』
(……空気の入れ替えでも、しておこうかしら)
そう呟き、セシルは窓へと歩み寄った。
重いカーテンを引くと、外の光がようやく部屋の中へ差し込む。
白百合の塔の静けさが、かすかに揺れたように感じられる。
窓を開けると涼しい風が部屋に流れ込み、埃っぽさを払ってくれる。
――その瞬間、窓の外のベランダにふと、誰かの影がちらりと見えた気がした。
(……今、誰かいたような…?)
確かめようと身を乗り出す前に、控えめなノック音が静かに響いた。
コン、コン。
セシルは思わず息をのむ。
「失礼します」
声の主はマリーだった。
セシルは慌てて振り返る。
「どうか致しましたか?」
「いえ、お掃除の方はいかがでしょうか?」
「部屋はもう十分に整っていましたので、空気を入れ替えてみました」と、思わず屁理屈めいた言い方をする。
マリーはクスッと小さく笑った。
その笑い声は表面上は柔らかく穏やかだが、セシルには確実に感じ取れるーー
――この人から、途方もない憎悪が漂っている。
「そうでしたか……」
微かに棘の混じった声に、セシルは思わず身をすくめ、視線を逸らす。
(……この人、怖すぎる……!)
マリーは少し間を置き、落ち着いた口調で改めて口を開いた。
「改めまして、わたくしアンナ姫に仕える専属の侍女、マリー・エルスラーと申します」
セシルは一瞬たじろぐ。
(さっきの笑いの印象からして……この人、ただ者じゃない……)
マリーは静かに微笑みながらも、その瞳は鋭く、セシルの反応をじっと見つめていた。
「姫の傍に常に控えるのがわたくしの務めです。どうぞよろしくお願いいたします」
その言葉の端々に、慎重さと、どこか計り知れない力のようなものを感じる。
セシルは小さく頷き、なんとか言葉を返す。
「は、はい……よろしくお願いします」
セシルは深く息を吸い、心を落ち着かせる。
いつもは意識的に“人の感情”を遮断しているけれど、今日は、あえて逆のことをする。
(あー、ほんとに嫌だけど……やるしかない!)
そっと目を閉じ、胸の奥に意識を沈めた。
空気の流れが変わる。
マリーの纏う気配が、鋭く尖り、冷たい刃のようにセシルを射抜いた。
(……冷たい。でも、奥に、燃えるような執念がある?)
はっとして目を開けると、マリーと視線がぶつかった。
彼女は穏やかに微笑んでいる。
けれど、その笑みは目元まで届かず、瞳の奥は氷のように冷たい。
――疑っている。
この人、私を完全に“余所者”として見てる。
そして、もっと強く感じた。
(……邪魔なものは排除する。そんな、徹底した意志……)
マリーの中に、黒く深い感情が渦巻いていた。
それは憎悪でも嫉妬でもない。
もっと鋭く、もっと危うい―― “自分の目的のために動かす”という冷たい意思が潜んでいる。
セシルは思わず息をのむ。
(……やっぱり、やめとけばよかった……!)
マリーは、そんなセシルの動揺を見透かしたように、ゆっくりと目を細めた。
「……どうかなさいましたか?」
穏やかな声。
けれどその一言が、胸の奥を鋭く刺す。
セシルは慌てて視線を逸らし、作り笑いを浮かべた。
「い、いえ。少し、風が……冷たいだけです」
マリーは穏やかな笑みを崩さずに言った。
「そうですね、もう今日はこの辺でよろしいでしょう。姫様にご挨拶をして、お帰りくださいませ」
「え?あ、わかりました」
セシルは戸惑いながらも頷く。
(……窓しか開けてませんけど?)
そう心の中でぼやきながらも、マリーの目が一瞬だけ細くなったのを見て、セシルはぞくりとした。




