16 天使の微笑みと沈黙の塔
石畳の廊下を、リオとテオドルに挟まれて歩くセシル。
「やっぱり道順は覚えられないわ……」と小さくつぶやく。
「セシル様。この廊下を進み、左手の階段を二つ上がれば白百合の塔に着きます」
リオは淡々と丁寧に説明してくれるが、セシルにはその声がまるでマニュアル音声のように響き、頭にすっと入ってこない。
一方で、テオドルは肩をすくめて笑いながら言う。
「まあまあ、迷っても大丈夫!歩いてたら何処かしらには着きますって!」
セシルは二人の対照的な態度に少し戸惑いながらも、心の中で小さくつぶやいた。
(リオは完璧すぎて頭に入らないし、テオドルは自由すぎて危なっかしい……)
それでも、二人に挟まれて歩く道のりは、ひとりで歩くよりずっと安心できる気がした。
石造りの廊下に、かすかな声が響く。
「……また泣かされたらしいわよ」
「昨日の新しい侍女さん?三日ももたなかったって」
セシルは足を止め、眉をひそめる。
(……三日!?何よその短命就業記録……アンナ姫ってそんなに危険人物なの?)
セシルは心の中で小さくため息をつく。
(あー、もう帰りたい。台風の中心に突撃する気分って、こういうことなのね……)
リオは落ち着いた声で横からフォローする。
「大丈夫です、セシル様。慣れるまではこちらがサポートしますから」
セシルは小さく頷き、深呼吸を一つして歩を進めた。
石畳の廊下は長いけれど、彼女には二人の護衛がついている心強さと、微妙な緊張感を胸に、白百合の塔へ向かった。
◇◇◇
白百合の塔に到着すると、辺りは閑散としていた。
セシルは眉をひそめ、小声でつぶやく。
「……なんだか、静かすぎない?」
白百合の塔は、王宮の中でも格式高い区域にあるはずだ。
それなのに、通りすがる侍女も見当たらない。風が石畳をなぞる音だけが響く。
セシルが首を傾げると、隣を歩くリオが少し考え込むように答えた。
「以前はもう少し人の出入りがあったのですが……確かに、今は不自然なほど静かですね」
テオドルが肩をすくめる。
「まぁ、ここ最近、侍女が次々辞めてるって噂もありますからね。
“白百合の塔の呪い”とか言われてたりして」
「ちょ、ちょっと……そういうこと言わないでよ……!」
セシルは思わず身をすくめる。
テオドルは悪戯っぽく笑って言いかけた。
「知りませんか?夜中に女の子の……」
「はいはい、もうその先は言わないで!」
セシルが慌てて遮ると、リオが小さく笑った。
塔の扉が目の前に近づく。
静寂の中、白い大理石の壁が夕陽を反射して淡く輝いていた。
――白百合の塔。
その名の通り、優雅で清らかな印象とは裏腹に、どこか張りつめた静寂が漂っていた。
案内された部屋に踏み入れた瞬間、セシルはふと息を止めた。
窓辺に立つ少女――昨日と同じ淡い金髪、けれど、どこか印象が違う。
「セシル様。ようこそいらっしゃいました」
アンナ姫は静かに振り返り、微笑んだ。
その笑顔は完璧で、昨日と寸分違わないはずなのに、どうしてか、心の奥が「違う」と囁いていた。
(……同じ顔、同じ声。でも……何かが違う)
セシルは丁寧に礼をしながらも、胸の奥で小さなざわめきを覚えていた。
「昨日はお招きありがとうございました。本日より、姫様のお側にてお仕えいたします。至らぬところも多いかと存じますが、どうぞよろしくお願いいたします。」
「こちらこそ、よろしくお願い致します。昨日のお茶会、とっても楽しかったの。あれからあなたのことを考えていたのよ」
アンナはゆるやかに微笑む。
「ふふ、――とても、興味深い方ね」
(観察……されてる?)
セシルは一瞬だけ表情を引き締める。
そして、努めて穏やかに答えた。
「お姫様にそう言っていただけるなんて、光栄です」
二人の間に、微笑みだけが浮かぶ。
だが、その沈黙の奥では――
互いに相手の“本心”を探ろうとしていた。
静寂を破るように、扉の向こうからノックの音がした。
「姫様、マリーでございます」
「入って」
アンナの許しの声に続き、控えめな足音とともに、落ち着いた気品を纏う、黒髪をきちんと結った年上の侍女が姿を見せた。
長身で目元には柔らかな笑み。
けれどその仕草のどこかに、磨かれた警戒心のようなものが漂う。
「セシル様の本日のご予定をお伝えに参りました」
「ありがとう、マリー」
アンナは軽く頷き、セシルへ向き直る。
「マリーは昔からの仕えてくれている侍女なの。わたくしのことを一番よく知っている人よ」
(……一番、ね)
セシルはその言葉に小さく眉を動かす。
マリーの目は一瞬だけアンナを見やり、すぐにセシルへ向けられた。
「本日のお仕事は、塔内の貴賓室の掃除でございます」
「貴賓室?」
セシルは思わず首を傾げた。
「ええ。人手不足により手入れが行き届いてない部屋もあります。――しかしあまり奥までは行かれませんように」
マリーの笑みは優しい。
けれど、その奥で何かが光った気がした。
(……“奥までは行くな”、ね。忠告のつもり? それとも……牽制?)
セシルは丁寧に会釈しながらも、胸の奥に小さな違和感を残したまま、塔での一日が静かに始まった。




